コロナ禍の状況下にあって、早期の〝駆け足初詣〟をしてきました。第2弾です。
自家用車にて平安京から平城京へと移動する際、行動上の時間制限を鑑みながら〝車ならではで行ける社寺〟という条件のもと、参拝を決めました。
十数年前に仕事の関係で訪れた、薄れた記憶とカーナビの誘導により行ってきましたよ、浄瑠璃寺へ。我々以外で2組の参拝客がおられました。
以前訪れた折に駐車場は未舗装でした。軽・普通車用は舗装がなされていました。
駐車して料金300円を支払い、参道へと向かいました。
参道の起点に建てられている碑は、年季が入っています。
山門が見えてきました。
冬の参拝でしたので〝サッパリした参道〟ですが、季節によっては木々の葉色が変化して風情が加わります。今回とは別の季節でまた訪れたいと考えています。
山門に到着です。
この山門をくぐれば、平安時代末期の雰囲気に身を投じることができます。
訪れる人はあれど、善き意味での〝開発がなされていない〟佇まいが素晴らしいです。
浄瑠璃寺
〒619-1135
京都府木津川市加茂町西小札場40
通常は、
開門 午前九時
閉門 午後五時
入堂受付は四時半まで
となっていますが、「冬期(12月~2月)」の間における本堂内参拝は
10時~16時
と変更されています。公共交通機関を利用される場合は、拝観時間にご注意ください。
山門を抜けて参道を歩み進めると左手に鐘楼が見えます。立ち入ることはできません。
いよいよ池と本堂の姿が見えてきました。
暖かな陽射しが本堂に向かって注いでいます。
1350(観応元)年成立の『浄瑠璃寺流記事』によれば、浄瑠璃寺は1047(永承2)年に大和国当麻出身の僧・義明が開基として現・三重塔に安置されている薬師如来像を本尊に創建したといいます。
1107(嘉承2)年、それまでの本堂に変えて新たな本堂(現・本堂)が建立されました。この時に寺の本仏であった薬師如来が新本堂に移され、1108(嘉承3)年に開眼供養が行われたようです。
1147(久安3)年、大和国興福寺一乗院門跡の恵信が浄瑠璃寺に入寺しました。
恵信(当初は覚継)は藤原忠通の第一子で、興福寺権別当でした。興福寺別当職をめぐる争いで後れをとったことで、浄瑠璃寺の僧・延観もとへ隠棲したのだそうです。
1150(久安6)年、恵信が作庭をしたそうです。
この時点までまとまりの無かった仏閣・坊舎の配置を整え、その上で池と庭園を造ったといいます。
1157(保元2)年、恵信が池の西岸(現・本堂所在地)に本堂を移築したといいます。
1162(応保2)年、僧・勝宴を浄瑠璃寺別当に補任する旨の藤氏長者宣が、恵信に宛てて発給されました。このあたりで興福寺と本寺末寺の関係ができあがったようです。
1178(治承2)年、平安京の一条大宮より三重塔が移建されたといいます。
元どこの寺院のものであったのかは記載が伝存していないため不明ですが、京都府内で唯一現存する平安時代に建立された三重塔です。
1188(文治4)年、浄瑠璃寺の鎮守として春日大明神・春日若宮の神木・神鏡が勧請されました。これで春日大社との繋がりをも持つに至りました。
浄瑠璃寺の沿革はこのくらいにして、現状の姿を愛でましょう。
池の手前の高台に建つ国宝・三重塔です。
初層には薬師如来像(重要文化財・秘仏)が安置されています。
三重塔の前から本堂を臨んだ画像です。
池の東にある三重塔の前に立って池の西にある本堂を見ると、太陽の沈む西方浄土へ導いてくれる阿弥陀如来を拝むことになります。
こちらの画像は三重塔から本堂へまわっていく途中の様子です。
右手前には2艘(1艘は写っていません)の船がありますが、共に古くなってか半分沈んだ様になっています。雨曝しになっていますから致し方の無いことです。
本堂の左側から外縁を見た画像です。
ちょうど対角線上に位置している受付で拝観料を納めると、裏側の外縁を進み、この画像の左手にみえる格子状の扉から堂内に入る様になっています。
ここから歩みを進めると、本堂の正面に着きます。
正面軒先中央部に鰐口が下げられています。
板扉は開けられていましたが、障子戸は閉められています。
堂内には国宝・木造阿弥陀如来坐像9軀が並んでいます。
中央に鎮座している中尊のみが他の8軀より大きいサイズになっていますが、今回の参拝時(2020年末)には修理中ということで、代わりに秘仏・大日如来坐像が据えられていました。これはコレで貴重な景観でした。
8軀は何れも腹前にて両手を組む阿弥陀定印で、容貌もほぼ同じです。
9軀それぞれ対応して板扉が設けられています。
また、1212(建暦2)年に本堂へ安置された木造吉祥天立像が収められている厨子が、中尊の右手側に位置しています。
本堂に入って左手側に国宝・木造四天王立像のうち持国天・増長天2天が待ち受けていました。広目天は東京国立博物館に、多聞天は京都国立博物館に寄託されていますので不在です。
浄瑠璃寺の四天王像は、華麗かつ今にも出撃しそうな臨戦態勢の躍動感に満ちあふれているところが魅力で、こちらをモデルにした4体1セットの木像を仏具店で購入したほど気に入っています。
現在ではまずその機会は無いでしょうが、堂内に9軀・四天王が勢揃いして板扉・障子戸が全開されている状態を池の反対側から見てみたいです。
かつては檜皮葺であったそうですが、1666(寛文6)年に本瓦葺へと変えられて現在に至ります。向拝も江戸時代後期に増築されたといいます。
向拝の上部角には獅子の飾り瓦が据えられています。次回、もっと違う角度から撮影しようと思います。
受付で拝観料を納め、更に朱印をお願いしました。
入堂する前に朱印をお願いし、堂を出る際に朱印を受け取るというシステムになっています。
せっかくなので通常の朱印に加え、こちらの「金紙薬宝印」もいただきました。
本堂出口付近に関連書籍・絵葉書等の土産物コーナーが設置されています。
今回は直接逢えませんでしたが、浄瑠璃寺を代表する像のひとつ吉祥天立像の表情を描写している「吉祥天女」絵馬と、
手作りの「浄瑠璃寺 宝珠土鈴」を購入しました。
箱から取り出すと、こんな感じです。
・・・奈良に向かう途中、また浄瑠璃寺を訪れようと思います。
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