今回は、2013(平成25)年7月に発売された、イSム様「十一面観音~蓮華~」のお話です。〝蓮華〟と命名されているのは、後補でありながらも〝蓮の蕾や葉を神秘的な光に擬した〟珍しい形の光背としていることに因んでいるのでしょうか。とてもお洒落な佇まいです。
発売から2年後の2015(平成27)年7月に生産終了が決定し、在庫が無くなり販売が終了となりました・・・が、2021(令和3)年に再生産決定というアナウンスがなされております。再販の蓮華が如何なる姿をしているのかを楽しく想像しながら、廃盤(旧版)の姿を観察していきましょう。
前方正面から観た姿です。
大和国の法華寺(ほっけじ)が所蔵する十一面観音立像がモデルとなっています。
光明皇后は諱(いみな)を藤原安宿媛(ふじわらのあすかべひめ)といいますが、通称の藤原光明子(ふじわらのこうみょうし)や『楽毅論』の自署「藤三娘」(とうさんじょう)の呼称が有名ですね。彼女が父・藤原不比等(ふじわらのふひと)の邸宅を寺に改築したのが法華寺と謂われています。実際、法華寺本堂の解体修理の際に地下から建物遺構が確認され、この伝承が裏付けられました。
『続日本紀』天平13(741)年3月24日条によると、聖武天皇によって
国ごとに「金光明四天王護国之寺」(国分寺の正式名称)、
同じく「法華滅罪之寺」(国分尼寺の正式名称)を設置する
という旨の宣言がなされました。
藤原不比等の邸宅は平城宮の直ぐ東側に位置しており、住所は平城京・左京一条二坊でした。ここは光明皇后の皇后宮でしたが、745(天平17)年に宮寺と改められ、これが法華寺の始まりと考えられています。747(天平19)年には『法華寺政所牒』(ほっけじまんどころちょう)に「法華寺」の名称を見ることができます。この頃に法華寺が大和国の国分尼寺になったと考えられています(異説もあります)。
光明皇后は、東大寺内陣が女人禁制であることを悲嘆して、女性であっても仏を信仰すべきと考えて尼寺である法華寺を開き、女人滅罪成仏修行が可能な「法華滅罪之寺」としたといいます。光明皇后の発願による法華寺は、総国分尼寺として各国の国分尼寺を統轄していくことになりました。
いつもの様に360度、まわってもらいましょうね。独特な光背が印象的です。
法華寺十一面観音立像には、古くからの有名な伝承が付随しています。
『興福寺濫觴記』(こうふくじらんしょうき)によれば、北天竺の乾陀羅国(けんだらこく)の見生王(けんせいおう)が、生き身(生きている)観音を拝みたいと考え日々精進していたところ、「大日本国聖武王の正后光明女の形」を拝めば良いという告げがあったそうです。しかし王は自身が遠い日本まで趣くことができないので「問答師」(もんどうし)という仏師を派遣し、光明皇后の姿を彫らせることにしました。問答師が光明皇后にその旨を伝えると、亡母・県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)追善のために興福寺西金堂を造営中であった光明皇后は西金堂の本尊・釈迦如来像の造像を条件にモデルとなることを承諾したといいます。こうして仏師・問答師は光明皇后が蓮池を渡り歩く姿を模して観音像3体を制作したそうです。3体のうちの1体は天竺に持ち帰り、残りの2体は宮中と法華寺に納められたといいます。しかしながら、この伝承は内容をそのまま信ずることは難しいと考えられています。
法華寺十一面観音立像について確実な記録は、江戸時代・徳川家綱の治世であった1666(寛文6)年『和州寺社記』の記事「本堂の本尊は十一面観音、異国の仏師作れり」とあるものだそうです。他に幾つかの記録があるといいますが、研究者によっては解釈・見解の相違などから諸説がある状態なのだそうです。
本物は良質の榧(かや)材を、木目を生かして成形した檀像(だんぞう)風の一木造で制作されています。「檀像」とは香木で造られた像のことです。少量の顔料を頭髪・眉目・髭・唇などに彩色を施していますが、それ以外の部分は素木(そぼく)仕立てで美しき木肌がそのまま活かされています。
顔は膨よかで、目鼻立ちはハッキリとし、異国風な佇まいの面貌です。
目線は少々下方に向けられています。
本物の瞳には銀製もしくは銅製の板を加工した黒眼が嵌め込まれ、その周りを緑錆で塗り囲み、更に白眼部分は白い顔料を塗っているのだそうです。また、唇と目の両端にほのかな朱の彩色が注され、現在も色鮮やかに遺っています。
イSム蓮華では黒眼が入れられ、白眼の塗りは省略され、眉は彫り、髭は黒で描き込まれています。唇や目に朱色を注すことはしていません。
首には三道(さんどう)が刻まれています。
本物の天冠台(てんかんだい)は薄い銅板を打ち出して作られていますが、イスム蓮華では金属製ではありませんが、細やかな装飾をしっかりと再現しています。
頭上の小仏たちに注目してみましょう。
正面の化仏(けぶつ)と、頭上の各菩薩面の小化仏(しょうけぶつ)は後補だそうです。これらは全て丁寧に再現されています。
頭上には、
・正面に小さな化仏を差し込んでいます。
・頭頂部に仏面ひとつが配置されています。
・正面に慈悲相(じひそう)菩薩面が3面配されています。
・左側面に瞋怒(しんぬ/しんど)面が3面配されています。
・右側面に白牙上出(はくがじょうしゅつ)面が3面配されています。
・背面に大笑(だいしょう)面が1面配されています。
以上、合計11面が儀軌(ぎき:ルール)通りに作られています。
頭上の下地塗りを済ませてから、塗り分けされた化仏を配列している様ですね、手間が掛かっている部分です。
儀軌に則った表情ではありますが、本物と比較するとそれぞれが表情豊かで、頭上が〝仏頭のワンダーランド〟になっています。ここだけ観ていてもとっても楽しい。
本物の鬢髪(びんぱつ)は、薄い銅板を打ち出して作られています。イスム蓮華も鬢髪が丁寧に再現されています。
右肩・胸側から観た画像です。
本物は檀像風ということで榧(かや)材の木目を活かしています。イスム蓮華では〝木目を強めに表現しています。本物はここまで木目がはっきりとはしていません(凝視しないと確認できない)が、木目の彫り込みと彩色によってイスム蓮華の個性が際立っています。代わりにヒビ割れの再現はありません。
肩に垂髪(すいはつ)が広がる様に垂れ、耳元の鬢髪(びんぱつ)は風にたなびく様に後方へ翻り、立ち止まっているにもかかわらず躍動感を印象付ける役割を果たしています。
右横から観ている画像です。
耳前の上に向かって渦を巻く鬢髪、耳前からと耳の後ろから後方にたなびく鬢髪、更に肩の垂髪が本物では切り抜いた銅板で表現されているのですが、イスム蓮華でも後からのパーツ装着で風を受けている様子を見事に再現しています。
見え辛いのですが、耳がもととなってその前後に動きを表現する髪の毛が据え付けられています。なかなか手間が掛かっているのが判りますね。
前方から観ると垂髪が広がりをみせているので肩に衣が掛かっているのが判りにくいのですが、後方にまわってみると肩と背中、そして腰から下半身に垂れていく布がそれぞれ表現を異にして再現されています。その上で素肌の木目もありますので、身体の部分の成形もかなり手間が掛かっています。
この画像にあるのは人工的に木目を施したポリストーンで造られた像の一部なのです。どう観ても木造に見えてしまいます。
左後方から観た背中の様子です。
頻発・垂髪の後方へのたなびき具合がとてもよく判ります。
衣の翻波(ほんぱ)と木目表現が、それぞれの存在を主張しながらも一体の像としての調和が取れています。本物を造った仏師も凄いのですが、この像を造り上げたイスム様の技術とデフォルメの感性に最大の賛辞をおくりたいと存じます。
上腕部にみえる臂釧(ひせん)は、本物ですと金属板の加工によりますが、イスム蓮華だと型取り制法なので腕全体が一体化としているのか、それとも臂釧を境目にして差し込みにしているのかは判断できませんが〝木ではない材質〟感がしっかりと表現されています。
どう見ても木製に見えますよ・・・でもポリストーン製なのです。
左後方から頭部を観ています。
頭上の化仏の表情が豊かで、観ているだけで楽しくなってきます。
本物は天漢部や耳の上の巻髪、後方に靡く鬢髪、肩の前後に広がる垂髪などは銅板を切り抜いて造られているのですが、イスム蓮華ではポリストーンでそれらが本物に忠実に再現されています。
角度を変えて観察すると、頭髪が精密に再現されていることが判ります。
上半身を正面から観た画像です。
左手で、蓮華を挿した宝瓶(ほうびん)を柔らかく持っています。
宝瓶の口を親指と中指で挟み込んで持っています。
人差し指・薬指・小指がそれぞれ別の方向に向けて伸ばされています。
宝瓶にも緻密に木目が施され、それが目立つ様な彩色がなされています。
本物の宝瓶に挿されている蓮木(れんぼく)は木造で、蓮茎(れんけい)は金属製ということですが、イスム蓮華は当然ポリストーン製です。茎は針金ですかね。
花は勿論ですが、薄っぺらく造られた葉っぱの様子は見事ですね。
胸・腹・腰には強めの刻みを以て絞り込まれた身体のラインを表現され、更に条帛(じょうはく)がこの上に掛けられています。いずれにも木目が施されており〝木像なんだっ〟という主張がなされています。ポリストーン製なんですけどね。
宝瓶の持ち方と挿された蓮木の様子を観るために角度を変えてみました。
この画像からだと宝瓶よりも、段々はありますが引き締まった身体のラインに目がいってしまいます。肉体の質感が見事に表されています。
肌の部分には木目が、布の部分には翻波が施され〝これでもかっ〟と木像アピールをしています。何度も言いますが、この像はポリストーン製なのですよ。
更に角度を変えて観ていきます。
左腕は肘をほぼ直角に曲げて、臍の前あたりで宝瓶を摘まみ持っています。
指の向き・伸び方がバラバラですが、この様な摘まみ持ちをすると、これが自然な指の状態になります。
宝瓶もさることながら、手の甲から腕にかけても木目が施されています。
腕には臂釧(ひせん)・腕釧(わんせん)が装着され、条帛が掛かっています。
こうして観ると、身体全体に纏っている布の滑らかな様子が良く判ります。手が込んでいます。手間が掛かっていますな。
宝瓶と、挿された蓮木の全体像です。
宝瓶を摘まみ持っている指の動きが超リアルっ。
掌(てのひら)に宝瓶を付けて、その後に指を装着をたのでしょうか?ホンマもんの手みたいです。
蓮の花・葉っぱも丁寧に造られています。破損防止のために針金製でしょうか、茎がいい感じです。
見切れていますが、身体の部分と着衣の表現が、やはり素晴らしいものであることが伝わってきます。〝見切れていても〟が凄いところなのですよ。
では次、右手の様子を観ていきます。
右腕、異様な長さを誇っています。
この右手の指が膝下に達する程の長い腕は「正立手摩膝相」(しょうりゅうしゅましつそう)と謂い、慈悲を備えた手を以て遠くに居る人にまでも差し伸ばし、苦悩する衆生(しゅじょう)を救済しようとする慈悲の姿の現れだといいます。足元に垂れている天衣を、親指・中指でそっと摘まんでいる右手が膝下の位置にあります。
この画像だけをみると腕の長さが際立って〝短足〟に見えてしまいますが、全体像を見ると腰高・足長のスタイリッシュな体軀(たいく)をしています。
布の重なり具合、皺(しわ)の入り具合が驚愕する程の丁寧さで表現されていますが、それに加えて容赦の無い〝木目の入れ方〟が恐ろしい程の緻密さを誇っています。
台座に掛かっていますが、左右の天衣の裾(すそ)のたなびきは、風を受けている様を表しているといいます。天然の軽やかさが伝わってきますね。
この画像だと胸から腹にかけての段々が、先に見た引き締まったラインと違ってポッチャリ感満載になっています。
着衣の皺を表現する翻波式(ほんぱしき)、さざ波の如く細かく連続する皺を表現する連波式(れんぱしき)が見事に再現され、その上で木目表現がなされています。素晴らしい。
膝元の天衣を摘まむ親指・中指の他、特に人差し指・小指が力を入れて伸ばしているかの様です。
この画像だと、足元の様子も良く見えます。右足を半歩、前に踏み出していますね。
右足の親指がはねています(反っています)。これは天衣の裾を摘まむ右手の伸びた指と相対している工夫なのだそうです。
右後方にまわって、右腕(右手)の様子を観ています。
天衣の裾の部分を指で摘まんでちょいと持ち上げていますね。
左の天衣の裾は風で一回転捻りが入っています。右側は右手の添えがありますので、裾の先が一回転捻りになっています。下半身のうちで強く風を受けている描写です。
腰元から足元への着衣の襞(ひだ)と木目の表現の調和が美しいのです。
コレ、木製ではなくポリストーン製です。
左・右の手に注目してきましたが、今度は身体にスポットをあてていきます。
着衣の状態から男性の仏であることが判るのですが、〝女性的な印象〟が良く語られていますね。
本物は凝視すると木目が判断できる状態ですが、イスム蓮華は木目が全面的に強調されています。
胸筋がなかなか逞しく、腹から腰にかけて三段になってはいるものの、腰の絞り(くびれ)が強めにとられていますので部分的にポッチャリ感が見て取れつつも、総合的には引き締まった細身の体軀になっています。
右肩から腕にかけて垂れている天衣は、上腕部のところに注目すると単なる皺・襞ではなく薄い布の揺らめきと重なりが見事に表現され、下方に流れていく様が木目表現を伴いながら再現されています。
木目表現も単一・単調ではなく、それでいて適当に入れているのでもなく、本当に一本の木材から彫り出した様を現しています。
宝瓶さえも木材から削り出したような木目表現を施しています。
もの作りの職人さんたちの〝執念〟にも似た「こだわり」の為せる技ですね。ホント素晴らしい。
この画像だけだと、左手の位置から〝とても短足〟に見えてしまいますが、実はとても足長であることは先に見た通りです。
左足に重心を乗せて立ち、蓮台から僅かに右足の親指・人差し指を踏み出して〝歩みを進めようとする〟瞬間をとらえているかの様です。
左右の足元後方へとたなびく天衣の先が風をはらむかの様に舞っている様子が、観音の歩みの始まりを表現しています。
これが伝承にある「光明皇后が蓮池の上を散策している姿」だといいます。
左真横から観た画像です。
この方向・角度から観ると下っ腹のポッコリ感が強く見えます。
蓮台から僅かに踏み出している右足の親指が上向きに反っていることは前の画像でも触れましたが、これを「遊び足」というのだそうです。
右足は大腿部から膝へ、膝から足元へ「く」の字を描くように曲がっています。
この角度からだと下半身に纏っている布が、色々な向きで巻き付けられ重なっていることが判ります。型抜きした本体部分と、後から装着した布部分の組み合わせで成形されているのでしょうが、最終的に合体させて合わせ目を消し、彩色をしてこの画像の様になっています。今回連呼していますが〝木像に見える〟ポリストーン製なのです・・・。
それでは背面にまわりこんでみましょう。
先ずは後頭部。
化仏の頭頂にも小さな化仏。更に化仏の顔にも木目が施されています。イSム・インテリア仏像はどこまで緻密な造形にチャレンジしていくのでしょうね。とっても楽しみです。
真後ろに位置している「暴悪大笑面」(ぼうあくだいしょうめん)は様々な十一面観音の作例がありますが、写真で見ると法華寺十一面観音のそれはあまり〝笑って〟いない様です。でもイSム蓮華では、本物よりも口を大きく開けて〝大笑い〟している様子を強調しています。
本物の後頭部は小さな白黒写真によると3枚の板を合わせた状態になっていますが、イSム蓮華は継ぎ目を無くして、表面をボコボコにし青緑の顔料をのせてデフォルメしています。
肩の布の様子です。
木目の再現が、本物の木材を用いているかの様です。木目が異なっているところは別材を用いていることを現しているのでしょう。細かいところが〝こだわり〟を以て造り込まれています。
背中全体を観てみましょう。
どう見ても〝木像〟ですよね。ポリストーン製と謂われなければ木製の像と思ってしまいます。
腰元から臀部にかけての様子です。
前の画像と合わせてご覧いただければ、背中から腰にかけての膨よかで艶めかしく肉の質感を再現しているのがお判りいただけるでしょう。
やはりこの画像からも、木目表現の緻密・繊細さが伝わってきます。
ちょうど臀部の中央、襞が真ん中のところで途切れていますが木目表現を見るに、始めから襞がこの形状で造られてことが判ります。
本物は木目を活かした「檀像風」(だんぞうふう)と説明されていますが、イSム蓮華は本物以上に檀像風、いや檀像と謂えるでしょう(人工的ではありますが)。
右腕の長さに合わせて、背面の様子を観ています。
肩の条帛が少々厳(いか)ついですが、脇腹から膝の辺りまでのラインはしなやかであり、また女性的な艶めかしさがあります。
木目表現への注目も忘れないでください。
厳つい条帛よりも下、足元までの様子です。
腰をキュッと左に捻ってS字方のラインを描いているのが判ります。
着衣の重ね、衣の翻波・連波式表現、木目表はもとより、この画像では足元左右の天衣の裾が膝のあたりで大きく翻(ひるがえ)っています。これは吹き寄せる「風」を感じさせる演出と考えられています。
中国で「風」の表現は〝気〟を視覚化する手法として用いられているのだそうで、法華寺十一面観音が発する霊威としての〝気〟の表現とも解釈されているといいます。
蓮の葉をめぐらした台座の大部分は当初からのものだそうです。
六花形の二重の框座(かまちざ)の上に、三段葺きの蓮華座を、一茎(いっけい)を以てて支えた精巧な、珍しい形式の台座で、それを忠実に再現しています。
この撮影をしている際、台座を手で包む様にして動かしていました。
すると・・・
音はしませんでしが、感覚的に「パリッ」とイヤな感触・・・。
よく見てみると框座上に異物が(黄色い点線枠の中です)。
確かに取り扱い説明書には〝壊れやすい〟ということで注意を促す記載がありました。
ケース内に入れていたので埃をかぶることも無く、連れ帰ってきたままの状態だったのに・・・。
次回ロジスティックセンターにうかがう際、この修繕が可能であるか否かを確認しようと考えています。
最後に、特殊な光背について観ていきます。
中央に太い蓮の茎を模した支柱があり、ここから左右に放射するかの様に、蓮花の蕾(つぼみ)と葉っぱの茎が伸びていく意匠になっています。
とても珍しい形式の光背ですが、これは後補によるといいます。
光背を装着した状態の背面を観た画像です。
現在の光背は、ほとんどが1905(明治38)年の修理時に補作されたものなのだそうです。
後補とはいえ法華寺十一面観音の造形と、そして伝承も相俟って、とても似合っている光背となっています。
「右からの左半身は、ゆったりと休むような姿にみえる」そうです。
「左からの右半身は、前進するかのような動きがみえる」そうです。
ご覧になっている皆様には如何様に見えているのでしょうかね?
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