大和国室生寺(奈良県)

先日、特別彩色Ver.の室生寺モデル十一面観音のお話をしましたからね。3年ほど前に訪れた大和国室生寺(むろうじ)のお話をしましょうか。
この時は諸事情によりまして公共交通機関を利用しての訪問でした。電車・バスダイヤに束縛されてしまうので、楽しむには充分な時間、そして時間帯ではありませんでしたがね。

室生寺の最寄り駅は、近畿日本鉄道大阪線の「室生口大野駅」です。

駅前のバス・ターミナルで、奈良交通・室生寺行きのバスに乗車しました。
同行者が電車・バスといった交通機関に詳しかったので助かりました。

 

いよいよバスが発車。あらっ、結構狭い道を行くのですね。
先の道がくねったところに「大野寺」のバス停表示があります。車内アナウンスで「大野寺の弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)」の話が出ました。

バス進行方向の左手側、道路から川を挟んだところに切り立った岩壁に弥勒仏が彫り込まれているということで、撮影しましたよ。

「大野寺の弥勒磨崖仏」は1207(承元元)年10月、大和国興福寺権別当(ごんのべっとう)であった雅縁(がえん)の発願によって着工され、1208(承元2)年10月に完成したそうです。ちょうど一年かかっての彫り上がりですね。

磨崖仏を拡大してみました。

安いデジタル・カメラでは限界があります・・・。
ネット上では、ハッキリとしたお姿の写真がたくさんありますので、そちらでお探しください。

特に混雑することもなく、予定時間とされている14分程で「室生寺」バス停に到着です。
バス降車後に道を渡り、簡潔な案内表示と人の流れを参考に、室生寺に向かって歩きます。

 

午前中のことでしたので、参道沿いの店舗は営業をしているような、していないような・・・。

この道の突き当たりではありませんが、真ん中の建物を左に曲がると室生寺です。

 

室生川に架かる欄干が朱塗りの太鼓橋。立派で風情のある橋です。
この橋を渡ると、

室生寺の本坊が見えてきます。

本坊の表門前には「女人高野 室生寺」の石柱。
こちらの右手側に歩みを進めると、

単純明快な案内表示が。そのまま進むと、

左右に仁王像が立っている「仁王門」、1965(昭和40)年の再建だそうです。
仁王門をくぐり抜けると

正面に手水所(ちょうずしょ)。ここを左手に曲がるとのぼりの石段があります。

 

この急勾配の石段は「鎧坂」(よろいざか)と呼ばれています。
チラリと見えていますが、この鎧坂を登り切ると正面に「金堂」があります。

書籍等に掲載されている室生寺金堂の写真は、この視点から撮影されていますね。
よく見知った写真の情景を、実物として目の当たりにすると感動・感激です。

同行者がすんごく高価なカメラを持っていたので、撮ってもらった画像をいただきましたよ。

暗い感じもしますが、画質の良い国宝「室生寺金堂」の様子です。
まぁまぁな良き天候だったのですけれどね。

この時は現場に居ましたからね。見慣れた視点に束縛されることなく、自由に動いて見てまわりました。金堂を正面から観ています。「金堂」の額が掛けられています。
現在は「柿葺」(こけらぶき)の屋根になっていますが、創建当初は「檜皮葺」(ひわだぶき)だったということです。鎌倉時代末期に大修理がなされたそうです。
この時は全く意識していなかったのですが、写真をセレクトしていて気付きました。

やんわりと釈迦如来像と十一面観音像のシルエットが見えています。
この画像では、判りにくいのですけれどね。

正面の右側に移動しました。
見慣れた写真と別視点から見る室生寺金堂です。

目線を少々下げてみました。
前の画像でも見えていましたが、石を積み重ねた基壇が2段になっているのですね。
この張り出している一間(2m弱)の高床部分は「懸造」(かけづくり)という技法で建てられており、江戸時代の1672(寛文12)年に増築された「礼堂」(らいどう)と呼ばれる部分だといいます。
室生寺金堂は平安時代前期に創建され〝そのまま〟の姿で現在に至っているとばかり思っていましたが、増改築があったのですね。

この礼堂が存在しなかった頃は、金堂内の諸仏の姿を堂外からも拝むことができたといいます。
先ほどの画像でも見ましたが、堂内を明るくすればという条件つきだと外からでも拝むことができます。〝明るくする〟とはいっても電気の無い時代は蝋燭・灯籠を用いますから、安全上の観点から限界がありますからね。

この画像を撮った時は、増築された部分であることを知りませんでした。
この画像から創建当初の部分と近世の増築箇所の区切りが何処なのかは明確に判断できませんが、〝増築された〟部分に焦点が当たっていることでしょう。

増築部分の下を見ています。基壇が2段になっているところの上段部分が見えています。
この基壇上段よりも左側が追加(増築)された部分なのでしょう。

増築部分とは露知らず、近世の増築部分に注目し撮影していましたよ。
金堂に納まっている諸仏が教えてくれたのでしょうか?
左側に見えている鎌倉時代前期建立の「弥勒堂」(みろくどう)は閉まっていました。

さて礼堂部分から目線を移し、金堂の右手側に階段がありましたので登ってみました。
一般観光客が見るところと別の場所を見てまわるのは楽しいのです。

この右手側の短い階段を登り切ったところで振り返ってみました。
欄干付の懸造部分は、側面真ん中辺りまで造られているのです。

金堂の裏側が見えるところまで移動し、今一度振り返ってみました。
屋根の形状、壁面の様子を見ると、近世増築部分と創建時部分の境界線が何となく推測できそうですね。

金堂の後ろ側を見ています。
防災設備が設置していますね。文化財としての美観は少々損なわれてしまいますが、万が一の際には必要な物ですので、致し方ありませぬ。

裏側からグルッとまわって、金堂左手側に設けられている堂内への入口です。
ここで履物を脱ぎ、いよいよ堂内へと入って行きます。
堂内は撮影禁止なので、画像はありません。
今回の記事の訪問は2019(平成31)年春でした。
堂内須弥壇(しゅみだん)には、向かって左から
 ・十一面観音立像 … 平安時代〈国宝〉
 ・文殊菩薩立像 … 平安時代〈重要文化財〉
 ・釈迦如来立像 … 平安時代前期〈国宝〉
 ・薬師如来立像 … 平安時代〈重要文化財〉
の五尊像が並んでいて、その前に十二神将立像(鎌倉時代:重要文化財)が一列で並んでいました。
売店スペースで何かを購入したのですが、何だったのかは失念してしまいました。
若い御坊が〝話したそうにしていた〟ので、色々と聞いてみました。
そうしたら金堂の老朽化など、更に仏像の維持が現状では困難であり、新たに寶物殿を造って仏像はそちらに移動することになっているため、五尊像と新薬師寺十二神将像が並んでいる状態を拝観できるのは、このシーズンが最後だということを教えていただきました。
知らなかったこととはいえ、何と幸運なことだったのでしょう。
初拝観にして、金堂内での諸仏勢揃い状態の最後拝観なのでした。これもまた奇縁をいただいたことと喜んでいます。

寶物殿は仁王門の手前、旧来の授与所があった場所に2020(令和2)年3月完成したそうです。しかしコロナ禍の影響により開館は延期され、2020(令和2)年9月に開館されたといいます。
状況が安定したら、また訪れたいと考えております。

 

金堂の斜め後方の階段を上っていくと「本堂」(灌頂堂:かんじょうどう)があります。

立ち寄ったのですが、五重塔に早く行きたかったことが原因か、この本堂拝観の記憶がありません。とても残念です。次回は記憶に残るようにしますね。

 

本堂の斜め後方の階段を上ろうとすると、見えちゃいましたよ「五重塔」が。

一段一段上るごとに五重塔が近づいてきます。あー、楽しいっ。

良いカメラで撮影した国宝「室生寺五重塔」の美しき姿です。
雲はありましたが、晴天だったのですよ。暗い画像ですけれど。

室生寺五重塔に近づいてみました。
平安時代初期に創建された、室生寺境内における最古の建造物です。
屋外の五重塔としては、同じ大和国法隆寺に次いで日本国内第2位の古さで、日本国内最小の五重塔でもあります。
〝弘法大師一夜づくりの塔〟の伝承もあり、小さいながらも視覚的なバランスが整えられている人気の高い塔です。

1998(平成10)年9月、台風7号によって塔後方の杉の木が倒れ、塔の屋根が大きな損傷を被ってしまいました。五重塔の構造上、心柱が無事であったことから1年3箇月にわたる修復作業の末、見事に再建がなりました。
修復作業の過程でおこなわれた調査によると、用いられていた木材は794年頃に伐採されたものであったことなどが判明したそうです。

この角が、倒れてきた杉の木に襲撃されたところです。綺麗に修復が済んで善哉善哉。

五重塔の屋根の頂上にある相輪(そうりん)頂上には普通「水煙」(すいえん)という雷・火事除けの呪(まじな)い装飾が取り付けられています。
室生寺五重塔の場合、露盤(ろばん)・覆鉢(ふくばち)以外は銅板を曲げて造られ、受花(うけばな)付の宝瓶(ほうひん)を据え、その上で八角形の宝蓋(ほうがい)を付けた独特な装飾になっています。
寺伝によると、五重塔の創建に携わった法相宗僧・修円が、五重塔頂上の宝瓶に大和国室生の龍神を封印したといいます。

このちっちゃいところに龍神が入れられているのだそう。大丈夫かい?窮屈でないかい?

 

五重塔よりも奥へと繋がる石段・山道のコラボレーションを、〝ひぃひぃ〟〝ぜぇぜぇ〟いいながら登っていきます。目指すは室生寺「奥之院」です。

上りの山道が本格化する手前に鉄扉(とはいっても網状の)が設置されています。
つまり〝危ないから、暗くなったら登るな〟ということですね。
かつて不逞な族(やから)が居たということでしょう。

 

 

 

〝ひぃひぃ〟〝ぜぇぜぇ〟・・・判っていただけるでしょう。
多い訳ではありませんが、参拝客は想像以上に居ました。女人高野は人気なのです。

疲労の色が濃くなってしまいましたが、到着しましたよ「奥之院」の「常燈堂」(じょうとうどう)。

奥之院授与所で「弘法大師」「如意宝珠」2種の朱印をいただきました。

常燈堂も懸造(かけづくり)で、山城国清水寺・舞台の如く見下ろすことができますが、迫力が桁外れに違います。

〝舞台〟を歩いて行くと、

板に、節目の穴を見つけました。覗くと、こんなん。
画像では伝わりにくいのですが、実際はかなりの高さを感じますよ。

 

〝舞台〟から、登ってきた道程を眺めてみます。

 

次に来た時も、コレを登るのなっ。そこそこの覚悟が必要になりますな。

 

さぁ、俗世に戻る道を下っていきましょう。
ごっつい靴を履いていたので、次回は軽装を重視しようと思いました。

 

五重塔が見えてきました。
もうちょっと下ったら、太鼓橋を渡ったら俗世間に戻ってしまいます。

五重塔を眺めながら「また、来ますよっ。」と、塔上の龍に話しかけたのでした。
寶物殿に入って、十一面観音にもまた逢いたいですからね。

 

 

 

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