山城国豊国神社‐方広寺・耳塚を含む‐(京都府)

〝京都国立博物館に行こう〟ということになりまして、行ってきましたよ。
片山東熊によって設計された現在の「明治古都館」(旧・帝国京都博物館本館)は、免震改修他の基本計画進展や発掘調査等のため2015(平成27)年より展示は行っておらず長期休館となっています。最後に旧本館に入館したのは何時だったか忘れてしまいました。
2009(平成21)年から「新館」(平常展示館)の解体・建替工事が始まり2013(平成25)年に「平成知新館」が竣工、2014(平成26)年よりこちらで平常展示が行われています。
平成知新館が開館してから何度か訪れたのですが、その度ごとに休館でした。今回、初めて平成知新館に入館することができました。

京都国立博物館の駐車場に車を停め、周辺をめぐりました。
博物館正面入口から大きな石垣に沿って豊国神社・方広寺へ向かいました。

豊国神社(ほうこく/とよくにじんじゃ)の石鳥居です。大和大路通に面しており、こちらは十字路の対面からの画像です。

交差点を渡って、石鳥居の前に来ました。

鳥居向かって左の貫(ぬき)を支える金具に瓢箪を象った透かしが施されています。
こうした小洒落た意匠を採用された豊国神社関係者様の感性に敬意を表します。

石鳥居の扁額「豊國大明神」は、唐門に掲げられている後陽成天皇宸筆(しんぴつ)の勅額を模して作られたものといいます。

 

鳥居をくぐって真っ直ぐ歩みを進めると国宝に指定されている「唐門」に到着しました。
この唐門は羽柴秀吉の隠居城であった伏見城の遺構、入母屋造(いりもやづくり)の四脚門で、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)、前後に唐破風(からはふ)が据えられています。

唐門の脇には、京都美術工芸大学美術工芸学科の学生さんたちの制作による「太平回天」(たいへいかいてん)と命名された お茶目な赤べこが迎えてくれました。
赤い身体には丸い金色の斑に黒い千成瓢箪がのせられ、秀吉所用で有名な馬蘭後立付兜(ばりんうしろだてつきかぶと)を模した冑を着用しています。

このあといろいろとまわる予定でしたので、授与所(売店)に向かいグッズを選びました。
ひょうたん守りに惹かれましたが、最終的には「薙刀直シ刀 骨喰藤四郎」文鎮を購入しました。

「骨喰藤四郎」(ほねばみとうしろう)は京都・豊国神社が所蔵(京都国立博物館に寄託)する薙刀直しの脇差で、重要文化財に指定されています。
差し表に彫られている倶利伽羅龍の意匠を模した文鎮でしたので、良い記念になりました。
しかしながら薙刀を脇差にするなぞ、羽柴秀吉の所業はとんでもありませんな。

 

豊国神社の境内からいったん出て、そのまま下りの道を進むと左手側にいわゆる「耳塚」(もしくは「鼻塚」)が見えてきます。

手前が「耳塚公園」です。名称がねぇ・・・。

何度も訪れていますが、いつも正面で立ち止まることで終わっていました。
今回はじっくり見学しようということで、ぐるりと廻ってみました。

こちらは正面から見た「耳塚」です。
柵が閉じられていますので、中に入ることはできません。
突入?そんなことは致しませんよ。

正面から右側に廻ってみました。
石塁に盛土をしている部分に近づくことができます。細い道路が横を通っています。

正面からすると横側から撮った画像です。
横から裏側にかけては柵などが設けられてはいません。もちろん登ってはいけません。

正面から見て〝ほぼ反対側〟の様子です。
屋根付きの京都市広報板が立てられています。
右側の竹製の柵から奥は私有地となっているようで、立ち入りすることは憚られます。
半周するだけに留まりましたが、耳塚は想像よりも大きなものでした。

 

方広寺の境内に戻ってきました。
方広寺に参詣しようと思っていたのですが、年末でしたので閉まっていたようでした。
本堂に参詣して依頼すれば、鐘楼の中に入ることができるそうです。次回挑戦しようと思っています。

ここも何度か訪れていますし、その度ごとに写真を撮っています。
今回も改めて写真をとりました。まずは〝例の梵鐘〟ですよね。鐘を突くことはできないようになっています。

柵はそれ程高くありませんので、この有名な梵鐘の全体を収める様な画像は容易に撮影できます。

せっかくなので、方向を変えて梵鐘を撮影しました。
2つの白い四角形のところは
 右下「国家安康」
 左上「君臣豊楽」
です。
臨済僧・文英清韓(ぶんえいせいかん)の起草による銘文の一部です。
豊臣氏を滅亡へと導く大坂の役の遠因となった漢字8字です。
「国家安康」と「君臣豊楽」が連続している文章ではありませんが、〝家康〟の諱(いみな:実名のこと)を分断していることは非難されるべき表現であると認識されていました。

 

方広寺の鐘銘全文を、続群書類従完成会の史料雑纂『當代記 駿府記』より引用致します。

銘曰
洛陽東麓、舎那道場、聳空瓊殿、横虹畫梁、
參差萬瓦、崔嵬長廊、玲瓏八面、焜燿十方、
境象兜夜、刹甲支桑、新鐘高掛、爾音干鍠、
響應遠近、律中宮商、十八聲縵、百八聲忙、
夜禪畫誦、夕燈晨香、上界聞竺、遠寺知湘、
東迎素月、西送斜陽、玉筍堀地、豐山降霜、
告怪於漢、救苦於唐、霊異惟夥、功用無量、
所庶幾者、國家安康、四海施化、萬歳傳芳、
君臣豐樂、子孫殷昌、佛門柱礎、法社金湯、
英檀之德、山高水長、
  峕慶長十九年【甲寅】歳孟夏十六日
大檀那 正二位右大臣豐臣朝臣 秀頼公
    奉行   片桐東市正豐臣且元
      冶工京三條釜座名護屋越前少掾藤原三昌
    前住東福後住南禪文英叟清韓謹書

 

 方広寺の梵鐘は1614(慶長19)年3月、片桐且元が全国から鋳物師(いもじ)を集め、4月16日に完成させています。7月21日に徳川家康は鐘銘に関東不吉の語があるとして、方広寺上棟・大仏開眼供養の7月26日が吉日ではないことを理由に延期を指示しました。京都所司代の板倉勝重から直ぐに片桐且元へと伝達がなされ、準備が整っていた供養は延期され、京の民衆たちの間でも話題になったといいます。
 8月13日に片桐且元は文英清韓を伴い駿府へと向かい、8月17日に駿河国丸子宿に到着しました。文英清韓は徳川家康の諱(いみな)を祝意として「かくし題」とした意識的な撰文(せんぶん)であると弁明したのですが、五山僧らの非難を受け、直ちに拘禁されてしまいます。それでも片桐且元はその後も一箇月余り交渉を継続しました。
 徳川家康は穏健派である片桐且元に対しては厳しく、交渉で派遣された強硬派の大蔵卿局(大野治長の母)には柔軟な対応をすることで豊臣家の分断を図り、この策は見事の功を奏して大坂の役へと繋がっていきます。

 

現在の鐘楼は1880(明治13)年に再建され、1884(明治17)に梵鐘がかけられました。
写真で見ると、どの様な構造で梵鐘が吊り下げられているのか、気になりますね。
鐘楼が再建されるまで、梵鐘は地上に置かれ、自由に触ることができた様です。ネット上でもその画像を見ることができます。

さて梵鐘の画像中にチラチラと見えていましたが、「天井画」がこれまた見ているだけで楽しくなってくる様な絵柄なのですよ。

 

 

 

「迦陵頻伽」(かりょうびんが)が描かれている、この天井画は伏見城化粧室のものを移したものだといいます。何時の時代の伏見城の天井画だったのかは、ちょっと調べただけでは判りませんでした。機会があれば力を入れて調べてみようと思います。

顔料の退色・剥落はあれど、それでも鮮やかに衣をたなびかせながら、優雅に笛や鼓を演奏する迦陵頻伽たちの様子がとても楽しげで、政治抗争の的にされ更に災害にも見舞われた方広寺の不運を洗い流しているかの様に感じました。

方広寺については、今後何度も訪れることになると思います。
その時は、また違った視点から色々と観ていきたいと考えています。

 

方広寺から細い道を通って、「大仏殿跡緑地」に向かいましたよ。

公園になっていて、訪れた時には近所の親子連れが楽しそうに遊んでいました。

天候に恵まれて、むしろ暑さを感じる程の散策となりました。
子どもたちの遊びの邪魔にならぬ様、数枚の写真を撮って公園を後にします。
この後も、別の場所を幾つも見物しましたからね。

 

因みに、「京都市消防局」様HP(https://www.city.kyoto.lg.jp/shobo/page/0000159532.html)に、「昭和48年3月27日 東山区方広寺大仏殿炎上(写真提供:京都新聞社)」というページがあり、そこで消火活動と鎮火後の大仏殿・大仏の写真が掲載されています。

また、
復元:大林組プロジェクトチーム様
監修:黒田龍二氏(神戸大学工学研究科名誉教授 2020年:現在)
による
「秀吉が京都に建立した世界最大の木造建築 方広寺大仏殿の復元」と題したPDF文書が公開されています。
(https://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/upload/img/057_IDEA.pdf)

在りし日の方広寺を偲ぶことができる、善き研究成果であることに敬意を表します。

 

また行きたいですね、京(みやこ)。早く行きたいですね、京(みやこ)。
遅くとも2021年末に行く予定ではいるのですけれどね、てへ。

 

 

 

 

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