山城国岩船寺(京都府) その弐

「3年ぶりに行動制限の無い夏休み」ということで、世間の方々は旅行を楽しんでおられた様ですね。何処に行っても沢山の方々がおいで、ということで人気(ひとけ)の無い所を選んで訪れてきましたよ。
年末に初めて訪れ、とっても良かった「岩船寺」。
連れが「また、行きたい」というので、季節を変えて夏の岩船寺を訪れてみました。

冬に訪れた時よりも〝緑が鮮やか〟でした。観光客が1~2組でしたので、ほぼ貸し切り状態でしたよ。

左手側には「石風呂」が、ど~んと構えています。特に何もしていません。だって、すんごく暑かったので。

前回は、このまま階段を上ってしまったのですが、今回は違うことをしなければなりませんので、右手側の上り坂・階段を上がっていきました。

 

 

 

こちらは「白山神社摂社春日神社本殿」です。一間社・春日造、檜皮葺です。

岩船寺は、『岩船寺縁起』によると729(天平元)年に聖武天皇が行基に阿弥陀堂を建立させたのが起源といいます。白山神社は749(天平勝宝元)年に柿本人麻呂が岩船寺の鎮守社として創建したのだといいます。行基によって白山神社を遷宮したという話もありますが、行基は749年に没していますので疑問が残りますね。
現在の京都府登録文化財「白山神社摂社 春日大社本殿」は江戸時代中期、1727(享保12)に白山神社の本殿に倣って立てられたものだといいます。

 

手前が摂社の春日神社、奥が白山神社です。

 

摂社の春日神社は柱・壁が共に経年でくすみ・剥げがあります。
白山神社は近年塗り替えられたのでしょうか。

神木?
只ならぬ雰囲気を醸し出していました。別に触ったりしませんけどね。

 

岩船寺の入口に戻ってきましたの。
受付で手続きを済ませ、境内に進んでいきます。
門の向こうには、鮮やかな三重塔の姿が見えています。

岩船寺は「紫陽花」の名所として知られているのだそうで、そこから紫陽花が描かれているそうですよ。

門をくぐって歩みを進めていきます。
年末に訪れた時よりも、草木の緑がボリュームを増しています。
寺の関係者(寺僧?)が庭仕事をしておられました。

 

三重塔は・・・草木に埋もれています。

 

三重塔の正面に来ました。
今回は、尾垂木(おだるき)の上で隅木(すみぎ)を支えている邪鬼(「隅鬼」:すみおに)の姿をカメラに収めようと考えていたのです。

 

ところが深緑の盛んな様に、三重塔の背面は隠されていました。
草木の生命力が落ち着いている時に「隅鬼」の撮影は順延としました。

 

三重塔、正面から見て右手側からは夏であっても塔の姿が見え易くなっていました。

二階の中央の窓が開いており、微かではありますが内部の木組みの様子を見ることができました。

 

幾つもの「隅鬼」の姿を撮りましたが、やはり季節を変えてまた撮りに行きます。
次回は勿論、全ての「隅鬼」の姿を収めます。

 

三重塔の朱色と、周囲の木々の緑のコラボレーションは、とても美しかったですよ。

 

前回、気付かずに素通りしてしまった歴代住職が眠っている所です。

 

 

歴代を調べておらず申し訳ありませんが、それでも歴代住職の努力により現在の岩船寺があるということに感謝の念を持ちました。

 

最後に本堂へお邪魔して、阿弥陀如来にお参りです。
本堂に入ったら他の観光客は居らず、ご住職がマイクを持って解説をしてくださいました。
〝(平等院や浄瑠璃寺よりも)岩船寺の阿弥陀如来は古い〟
とご住職は力説されます。
光背が小さめで、阿弥陀如来の身体が大きい造りであるという特徴はよく判りました。
本堂内にたくさんの仏像等が納められているのですが、圧巻なのは阿弥陀如来像(重要文化財)でしょう。正面に座って数分間、眺めておりました。とても楽しい時間でした。

 

ご住職に朱印をいただいたのですが、暑いから?陽当たりが良いから?風通しが良いから?かご住職は外に出て朱印を押されていました。画像に見える縁の机・椅子の所です。
筆で文字を入れていただく様子を拝見しておりましたが、筆運びのリズムはお見事でした。
また、季節を変えてうかがいますね。

 

最後に振り返って「本堂」の姿です。
衰退していた岩船寺を、徳川家康・徳川秀忠が支援したのだそうです。今回、初めて知りました。

今年の年末とは断言できませんがね、また参詣しますよ。

 

 

 

 

 

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