2023(令和5)年は、河内国壺井八幡宮や山城国石清水八幡宮と古い時代の清和源氏と所縁のある神社を訪れましたからね。
最後(年末)は、ココに立ち寄らねばと決めていました。
そう、源経基を祀る「六孫王神社」です。
六孫王神社では、ここ数年「干支土鈴」を購入していたのですが、シーズンを逃してしまい「卯年」を購入することはできませんでした。
また12年経ってから「卯年」土鈴を迎えに行きますよ。
fですから、これ以上空白をつくってはなりませんので、武蔵国に帰還する前に六孫王神社に参拝することにしたのです。
八条通を進み、六孫王神社に向かいます。
「八条壬生」の交差点から、六孫王神社の入口を見ています。
自動車が出入できる入口ですが、駐車場が満杯でした。
どうしたことでしょう?何時もは、ほぼ参拝客の姿も無いのに・・・。
見慣れた入口の様子ですが、駐車場が満車状態は初めてでしたよ。
ここから右手にまわり、一の鳥居に向かいます。
あらっ、氏子の皆さんでしょうかね。
餅搗きしながら楽しんでおられましたよ。
ちょいと曇天の如く見えますが、天照大神は顔を出していたのですよ。
境内に人がいっぱい居られましたのでね、少しだけ徘徊しました。
何時もは行かない南鳥居の方へ。
南鳥居の向こう正面には六孫王開館が見えています。
こちら側も自動車がいっぱいです。
これまで何度も参拝しているのですが、ひとつの神社に入口3箇所、そのうち鳥居が2箇所というのは気付きませんでした。
特に南鳥居、横は通り過ぎているのに認識しておりませなんだ。
現状はそれ程規模は大きい訳ではありませんのに、鳥居を備えた入口が2つあるのです。
一の鳥居の方へ戻り、楽しそうな餅搗きを通り抜け、
二の鳥居に控えている狛犬を撮影し、
二の鳥居を潜り抜け、
太鼓橋の手前に進みます。
ここまで来ると、餅搗きの喧噪は気にならなくなります。
太鼓橋の手前から唐門を見ています。
屋根の左側に修理後が顕かですね・・・。
このまま太鼓橋を渡って、唐門前へ・・・
何度も参拝していますからね。
これまでとは違った要素を入れんと、と思いましてな。
太鼓橋で立ち止まり、左右に広がる池の様子を撮ってみました。
「神龍池」と名付けられていますので、若しかすると龍神と化した源経基と逢えるかも知れませんからね。
誕生水弁財天社から唐門を見ています。
龍が潜むことができる池ではありま・・・・
龍が居る場所は大小広狭関係ありませんから、ここに居るかも。
太鼓橋の様子です。
太鼓橋を渡り、唐門前に来ました。
唐門に向かって右側手前、
源経基が詠んだ歌が刻まれている碑がございます。
以前の記事では、源経基のことを『将門記』の記載に基づいて
子孫が〝武家の棟梁〟となったが故に、まるで武芸に秀でていた様に印象付けられますが、実際にはそんな猛者ではなかった様です。
と評しましたが、平安時代の貴族はそんなにヤワではないらしいのです。
朝廷においては、命令があれば一般の公卿・貴族も軍勢を率いて任務を遂行しましたし、そうした軍事的の担い手となる者たちが、蝦夷征討の坂上氏や天慶の乱を平定板小野氏の他にも登場していったそうです。
朝廷から位階・官職を与えられ正当な貴種性を備え、軍事的経験を重ねて強力な武装集団を形成し、その盟主となるのです。
当然、日頃は武芸の鍛錬に勤しみ、何らかの形で兵法を習得し、身分の貴種性や軍事的任務を背景に治安を乱す者たちを制し、抗争の調停者として信頼を獲得し、その結果として組織の強化を実現していくのです。
源経基は、血縁関係に諸説はありつつも父祖などから軍事的任務の遂行者として養育・支援を得ていたことが推測されます。
承平の乱では残敵掃討だったかもしれませんが、天慶の乱では小野好古を大宰少弐として支え、その後は新羅滅亡に起因する外交対策として九州の治安回復にも当たっているのです。
『将門記』には「経基未練兵道」と酷評された源経基ですが、軍事的任務の遂行者(武人)として評価は得ていた様です。
子孫の業績の影響もあるでしょうが、『尊卑分脈』の記載「天性達弓馬長武略」は源経基自身の事績あってこそなのでしょう。
暢気に恋愛の歌を詠んでいたヘタレという訳でもないらしいのです。
余り好きではなかったのですが、夏に河内国壺井八幡宮/通法寺跡/源頼信・源頼義・源義家の墓を訪れたことにより、厚意的な観点を持つに至っています(笑)。
唐門の前に到着です。
ホンマ年末の探訪でしたのでね、前の参詣時みたいに扉が開いているなどということはありませんでした。
完全に初詣仕様で整った状態でしたよ。
唐門手前の左右に控える狛犬たちも、迎える新年を祝うかの如き表情でした。
最近ハマっているパノラマ画像。
もっと左右広めに撮れば良かったと反省しております。
右手側から見上げる視点で唐門を撮っています。
唐門に掲げられている「六孫王神社」の社額。
唐門から拝殿の様子です。
何処かは解りませんが、工事中のクレーンが見えます。
こうした画も、工事が終われば見ることはできませんからね。
この拝殿の背後に本殿が鎮座しており、更にその後方に源経基廟所が位置しているそうです。
Googleマップだと概要を見ることができますが、詳細までは把握できませんね。
石清水八幡宮では、かなり前に神馬が亡くなったという話に触れました。
神馬舎は閉ざされたままでしたからね。
でも六孫王神社には愛らしい神馬が居ります。
全く反応はありませんがね。
「神馬舎新築」と「神馬修復」は共に平成17(2005)年12月になされたそうです。
動きませんけれどね、六孫王神社の神馬は愛らしいのです。
参拝された際には是非とも愛でてください。
唐門から売店(授与所)に向かう途中、手水舎には見慣れた龍が居ります。
魔除けの南天が差し込まれています。
経路の順番が違うって?
そう、ここではそういったコトを余り気にしていないのです。
龍の顔を正面から見ています。
チョロチョロと水が流れていますね。
コロナ禍の鎮静化が、こうしたところで実感します。
安心・油断はできませんがね。
南天の位置も、この様になっています。
売店(授与所)で朱印をいただき、
南鳥居の横を通り過ぎ、
自動車が出入りする角っこから境内を後にしました。
何か特別なコトはありませんでしたが、楽しかったのですよ。
また、これからも六孫王神社に参拝しますからね。
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