西国に向かう途上、三河国長篠設楽原SAに立ち寄りました。
〝歩いて信長本陣跡に行くことができる〟
と謂うので、ワクワクの寄り道でした。
「上り」SAは武田軍仕様でしたから、「下り」SAは織田軍仕様となって、見事な対比となっていますね。
自動販売機も織田木瓜のラッピングが施されています。
こういう装飾、楽しいですよね。
上には織田木瓜を付けた兜が乗っけられていますが、羽柴秀吉の「一の谷馬藺後立付兜」」(いちのたにばりんうしろだてつきかぶと)をイメージしているところが気に入りません。
こちらは「長篠合戦図屏風」をイメージしたラッピングの自動販売機です。
横並びで合戦図屏風の場面が繋がっているところ、評価が高いですね。
未だ古戦場に行ったことはありませんが、長篠ですからね。
SAの横っちょに「馬防柵」(ばぼうさく)が再現されていました。
アトラクション的な馬防柵ですから、ちょいと華奢な感じです。
でも、こうしたSAの近隣での取り組みは、歴史に関心を有していない方々にも訴えかける効果がありますから、素晴らしい試みと賞賛致します。
斜め方向からですが、馬防柵に近付いてみました。
「馬防柵」とは『信長公記』にある「馬防の為柵」という表記に因んでいます。
真横から馬防柵を見ています。
馬防とは謂いますが、そして武田軍にも騎馬部隊がは存在したのですが、寧ろ徒歩部隊の突撃を防ぐことに重点が置かれていたのではないかと推測されています。
移動式であれば柵を地面に打ち込まなくてもよいでしょう。
突進してくる敵兵の勢いを止めるためには柵の柱は地面に打ち込む必要が出てきます。
長篠設楽原SAで目にする再現・馬防柵よりも実際は諸々の装備があったことと推察できます。
2021年5月19日:放送されたNHK『歴史探偵』 「長篠の闘い」では、「長篠・設楽原鉄砲隊」湯浅大司氏が提案する「先着順自由連射」というシミレーションによる射撃の再現が扱われていました。
更に、
日本大学生産工学部教授・シミュレーション研究の古市昌一氏
現在、健康科学大学特任教授で歴史学者の平山優氏
長篠・設楽原鉄砲隊」湯浅大司氏
のお三方が協議され、シミレーションのデータ入力は
日本大学生産工学部助手・シミュレーション研究の粟飯原萌氏
がなされ、収録の一箇月後にパソコン上のシミレーションを実施した様子が参考になります。
これらの知見を踏まえ、NHK大河ドラマ『どうする家康』 第22回「設楽原の戦い」を視聴すると、織田信長が如何にして長篠合戦に臨んだのかがとてもシリアスに受け止めることができるでしょう。
『どうする家康』の時代考証は、
小和田哲男氏:静岡大学名誉教授
平山優氏:歴史研究者・健康科学大学特任教授。
柴裕之氏:東洋大学非常勤講師
のお三方でした。これまでの大河ドラマでは時代考証はだいたいお一人でしたがね。
大河ドラマ『どうする家康』は、これまでの大河ドラマよりも学術研究成果が反映され、創作部分と見事に融合していたと感じます。
特に背景のCGグラフィック(岐阜城・麓の御殿と庭園、御殿から見える安土城天主など)、本物に忠実な小道具(恵林寺の武田不動尊など)、そして武将たちの甲冑が本物と同じデザインである・・・と素晴らしい力の入り具合。
大河ドラマの歴史でも突出した出来映えであったのではないでしょうかね。
いやぁ、脱線してしまいましたね。
続きは長篠古戦場を探訪してからにしますね。
織田信長本陣跡に向かいましょう。
この様に迷い様が無い一本道ですので安心です。
そんなに険しくない上り階段です。
年齢もしくは普段の運動量で、疲弊具合は変わってくるのでしょうがね。
小忠実な案内表示は、〝絶対に迷わせない〟という強い意図が伝わってきます。
午前中の早い時間でした。
天照大神も、今回の西国遠征を晴天で後押ししてくれています。
そんなに長い距離ではないのですよ。
そして緩い上りの階段なのですよ。
〝何処まで上ればいいんだっ〟と思いながら上り続けると、
〝間もなく本陣だろう〟と思わせ振りな石畳の登場です。
間もなく織田信長本陣跡ですよ。間違い無い。
「茶臼山稲荷祭」の幟が林立しています。
信長の本陣跡が、神社みたいになっています。
稲荷・・・?
鳥居の前にまわりこんで、向こう側に神社が見える様にしています。
鳥居は、それ程大きくありません。
鳥居の手前は坂道になっていて、石段をのぼったところが神社境内=信長本陣跡ということでしょう。
鳥居から反対側、下りの山道になっています。
しかも3方向に伸びています。
3方向から報告が来る、3方向の何れにも出撃できるということですね。
イイとこだっ。
信長本陣跡に建てられた、小さな神社の様子を見ていきましょう。
内側っt、どんなんなってるんだろ?と興味が沸いてきます。
手前に南天が植えられていますね。
しっかりと魔除けをしておる。
期待が高まります。
ちょいと、中を覗いて見ると・・・
おいおいおいっ。
幟の「稲荷」って時点で、嫌な予感がしたのですよ。
まぁ、手はあわせませんでしたので。
気を取り直して、長篠設楽原SAの建物に戻ります。
壁には「長篠合戦図屏風」、多くには銃器が。
流石、長篠だねぇ~。
金属製の「物見やぐら」への入口は閉ざされていましたよ。
長篠合戦の頃の火縄銃・・・だけぢゃないっ。
一番上なんて何ぢゃ?
長篠合戦では大砲は使われていませんよ。
このコレクション、どういった趣旨なのか?
今度、観察してみますね。
腹減っていましたのでね、「長篠陣屋食堂」で
「武田鶏塩野菜ラーメン」を頼みましたよ。
折角、長篠に立ち寄ったのでね。
この六角形の丼、欲しくなってしまいました。
それにしても長篠設楽原SA(下り)は織田陣営なので、「風林火山」ではないでしょう。
こりゃ、時代考証せないけませんな。
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