山城国豊国廟(京都府)

2023(令和5)年の秋、平安京を訪れ、単独行動する機会がありました。
〝織田信長に遇う〟ため山城国阿弥陀寺を参詣した時と同時期のことです。
信長には逢えませんでしたがね。
折角なので、〝羽柴秀吉に遇う〟ために山城国豊国廟を訪れることにしました。
秀吉には何度か逢いに行っていますので、状況は把握しています。

東山七条の交差点を左折し、女坂の入口に「豊國廟參道」の碑が建っています。

心も晴れ晴れとする青空でしたよ。

 

参道碑を見上げています。
この碑は、1901(明治34)年に建立されたものです。
京(みやこ)に在るものは全て古いもんと思ったら大間違いです。
明治時代に岩倉具視らの〝古き都〟のイメージ作りによって、一般的に認知されている京都像が形成されました。
確かに古きものも多いのですが、新しいものも混在しているのです。

 

参道の入口に沿って築地塀が続いていますが、これは妙法院のものです。
妙法院は、坂の下にある蓮華王院本堂の管理者ですよ。
南北朝時代、導誉(佐々木高氏)によって焼き打ちされた妙法院ですが、当時の場所とは違うところに移されて現在に至っています。

 

女坂を暫く上ると、燈籠が見えてきます。
ここに至るまで寄道をしているのですが、その話は今回、割愛しますね。

未だ未だ、歩かねばなりませんがね。

 

やっと鳥居が見えてきました。

観光客/参拝客の姿は、ほぼありません。
まぁ、平時はそういう場所ですよ。

 

この石段を上ると鳥居の元に到達です。

 

暑い程の晴天でした。
天照大神がニコニコしていますよ。
逆光なので、神秘的な感じがしますが

 

実際は、そんなに神威を感じるところではありません。
天照大神の茶目っ気によるものです。

 

この石段を上っている途中、振り返りますと

なかなかな高い位置に居ることを実感します。
これから、もっと高いところに上らねばならないのですがね。

 

鳥居のたもとに立っています。

この鳥居を潜ると、広大な平地に踏み入ることになります。

 

今でこそ駐車場等々となっていますが、ここは「太閤坦」(たいこうだいら)と呼ばれ、かつては豊国社(とよくにしゃ)や豊国廟(とよくにびょう)があったところです。

1615(慶長20/元和元)年、摂津国大坂城において豊臣氏(羽柴宗家)が滅亡したことを受け、徳川家康が豊国社等を破却することとしました。
神号「豊国大明神」は剥奪され、神社も廃絶となってしまいます。
社殿こそ、高台院(「祢」/「寧」:秀吉正室)の懇願により破却は免れたものの、一切の修理は禁止され、朽ち果ててしまうまでとなったそうです。
秀吉の霊は現在の豊国神社宝物館後方の五輪石塔に遷され、秀吉遺骸と霊屋(たまや)は阿弥陀ヶ峰の山頂へと遷されたのだそうです。

大坂の役(1614~1615)以前の太閤坦の様子、見たかったですね。

 

このまま真っ直ぐ進み、拝殿左側にある授与所で朱印をいただきました。
おっちゃんが、色々と教示してくれたのを楽しく聞かせていただきましたよ。
現場の方々からお話をいただくのは、とても楽しいことにございます。

 

豊国廟への登拝にあたり、


 御参拝者様へ
  これより先、阿弥陀ヶ峰の
  豊臣秀吉公御墳墓に御参拝
  の方は、授与所の当直者へ、
  もしくは階段前の鉄柵に設
  置しております「支納金箱」
  へ。登拝料の御納付をお願い
  申し上げます。
    登拝料 金一〇〇円也
      (小学生までは無料です)
         豊国神社
                        」

という案内文が掲示されています。
文化財の維持には金が掛かりますからね、100円以上を入れる様にしております。

 

豊国廟
 〒605-0924
 京都府東山区今熊野阿弥陀ケ峯町
 075-561-3802(豊国神社)

 

さぁ、これから石段を上っていきます。

上っている際、段数をカウントするゆとりはありませんよ。
ゼイゼイ言いながら、一段一段を踏みしめて上っていました。
頂上まで、489段あるのだそうです。

石段を上る前、しゃがみ込んで見上げています。
険しき道程を予感させる画像です(笑)。

 

鉄柵には

 ・豊臣秀吉公の御墳墓への御登拝には
  往復で20~40分を要します。
 ・外灯の類が無いため、日没にかかる
  御登拝は大変危険となります。
                   」
との注意書きが掲示されています。

 

石段を上っていくと、途中に唐破風の「中門」があります。
ここまで318段だそうです。

 

中門越しに残りの石段を見ています。
ダウンして(倒れ込んで)撮影しているのではありません。
しゃがみ込んで撮っています。

息切れ、酸素不足の手前でしたがね。

 

中門を潜る時、天井を見上げました。


   豊受毘賣大神 手置帆負神
  天照皇大神 豊國大明神 守幸所
   久々能智大神 彦狭知神
                   」

と墨書されています。

< 神名と性格 >
    とようけびめのおおかみ  たおきほおいのかみ
     (穀物・食物の神)    (工匠守護の神)

  あまてらすおおみかみ  とよくにだいみょうじん もりゆきどころ
  (日本神話の主神)   (神となった豊臣秀吉)

    くくのちのおおかみ    ひこさしりのかみ
     (木の守護神)   (神事道具の楯・木工の神)

 

門扉には「五七の桐」紋が浮き彫りされています。

 

さてと、石段上りを再開しましょう。
中門までの石段より幅が狭く、急勾配の石段ですよ。

中門で一度留まっていますので、この石段を見上げただけで挫折しそうです。
・・・とはいいながら、自由行動時間に制限がありますのでね。
あまり悠長なことも言ってはいられませぬ。

気持ちを引き締めて上っていくと

石塔が見えてきました。
あと、もうちょいです。

 

秀吉の前に立っています。
誰も居ないと思っていたのに、左手側にお爺ちゃんが居りました。
知らないお爺ちゃんでしたが、ちょっとだけ会話しました。
シャキッとしたお爺ちゃんで、凜とした雰囲気なのです。
「もしや・・・秀吉か?」とも思いましたが、そんなハズはありませんね(笑)。

 

まぁ、晴天でしてね。
天照大神の恵みも、ちょいと強め。
石塔の右手側に、光の柱が立つ程でしたよ。

 

取り敢えずは、秀吉の周りを歩んでいきます。

 

豊国廟を訪れると、特段理由がある訳ではありませんが、廻っちゃうのです。

 

訪れる季節によって、木々の色合いが変わって楽しいのでしょうな。
この時(2023年・秋)は、酷暑のせいで秋の装いは遅れ気味となっていました。
霜月(11月)の中旬くらいだと赤味がかっていて美しかったでしょうね。

 

正面から反時計回りで歩んでいくと、右後方の角っこに、入口があります。
この中に入ったことはありません。
だって秀吉のこと、あまり好きではないんだもん。
気前が良いのは知っていますがね。

 

「入ってみようかな」
とも思ったのですが、石段を上りきったところにお爺ちゃんが居ましたからね。
やめておきましたよ。

 

秀吉の背面です。
あら、良き天気ですこと。

 

正面から見て左後方の角っこです。
そんなに気にはなりませんでしたが、雲が広がっていますね。

 

ちょいと石塔から離れて横道に逸れ、視界が開けた所に立つと・・・

小ぃっちゃいですがね、「清水寺」が見えます。
ほらっ、良き天候ですこと。
見えるからと言って、ここから清水寺へは行けないらしいですよ。
無理すると、山中で迷子になってしまいます。

 

そろそれ豊国廟での遊びは終わり、ということで今一度石塔の正面に立ちます。

 

 

頼んだ訳ではないのに、又しても〝天照大神の恵み〟を頂戴しました。
素敵な画像が撮れましたよ。

 

 

これから中門までの石段171段を下っていきます。
先に居たお爺ちゃんが、未だ同じ場所で佇んでいました。
「どうも、お先に」
と挨拶して、石段へと向かいました。

・・・あの爺ちゃん、秀吉だったかも知れませんな(笑)。

 

上りよりも下りの方が楽・・・ではあるのですが、上は段差が高いので〝落ちていく〟恐怖感が伴います。

 

下りていく時に、一段ずつ両足を揃えていくと躓くことはないでしょう。
前向きで降りていくから恐怖感を持ってしまうので、横向きの蟹歩きの如く降りていくと怖さは軽減されるでしょう。

 

中門まで来ると、安心感が出てきます。
この時は晴天だったので、〝天照大神の恵み〟も射してきて明るかったのですよ。
曇天とか、暗くなる時間帯だと・・・気持ち悪いことでしょう。
何故かは、秀吉に聞いてみないと判りませんな。

 

一段毎の段差も低く、幅も広いのでね。
安心ですよ。

 

国松の供養塔なども立ち寄ったのですが、ピンボケ画像になってしまいましたのでね。
また、次回の参詣で周辺も含めて画像を撮ってきますよ。
またなっ、秀吉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当サイト内のすべてのコンテンツについて、その全部または一部を許可なく複製・転載・商業利用することを禁じます。
All contents copyright (C)2020-2024 KAWAGOE Imperial Palace Entertainment Institute / allrights reserved