TanaCOCORO「愛染明王」初版を2年振りに箱から出したことに因み、先日復刻再販されたTanaCOCORO「愛染明王」2版も箱から出しましたよ。「イSム」様の「愛染明王」はStandardサイズ(大和国西大寺モデル)も、TanaCOCOROサイズ(紀伊国高野山金剛三昧院モデル)も〝目力が強過ぎ〟て直視できません。「河越御所」では「愛染明王」と目を合わせることを意図的に回避しています。慣れてしまえばイイのかもしれませんがね。TanaCOCOROサイズの小っさい金剛三昧院モデル「愛染明王」ですが、凄いですよ。本編でも触れていますが、開眼供養なぞしていませんのに、この目力(めぢから)ですよ。〝開眼供養された仏像〟を良からぬ族(やから)が悪用することを懸念する意見も聞かれるのですが、コレ(金剛三昧院モデルのTanaCOCORO)は大丈夫ですよ。悪用に応えてくれなさそうですから。悪用しようとすると、逆にヤられちゃいますよ。これこそホンマに恐怖ですな(笑)。
活動の覚書(ブログ)一覧
大和国法隆寺の売店で、安く購入できる「薬師如来坐像」フィギュアを「改造」(リペイント)することにしました。
また、大和国法隆寺に行って来ました。スケジュールの都合で「参詣」はせず、朱印をもらって、売店で法隆寺金堂モデル「薬師如来坐像」フィギュアを購入してきたのです。1体5,500円でしたので、2体購入してきました。ネット上のオークションだと1万円以上する価格設定がありますよね。東京国立博物館での特別展で発売された時は1体9,000円でしたが、大和国法隆寺の売店では半額強の価格です。新品・未開封品が5,500円ですよ。法隆寺好き/法隆寺金堂「薬師如来」好きなら、現場(法隆寺)に出向いて購入するのがイイですよ。仏像エンターテイメント部門の特別企画㉚で、改造(簡易リペイント)をしました。軽く金色を注して拭き取りを繰り返しただけでしたが、だいぶ印象が変わりましたからね。今回は本格的に大変身させる計画を立てました。2体並べた画像ですが、向かって左側の「薬師如来坐像」、塗りに特徴が無かったので、こちらを改造(リペイント)することにしました。どの様な変身を遂げるのか、気長にお待ちくださいな。
2年も前のことになってしまいましたが、TanaCOCORO「愛染明王」初版を愛でてみました。
超絶人気のTanaCOCORO「愛染明王」、初版も復刻再販された2版も〝あっという間に完売〟となってしまいましたね。今回は、「河越御所」に連れ帰ってきたものの、永らく箱に入ったまま封じられていたTanaCOCORO「愛染明王」初版を様子をまとめてみました。購入オーディションでは、いつもお世話になっているスタッフ様のご厚意により3体から選びました。〝目力の強さ〟を優先させたつもりでしたが、獅子冠の頭上・五鈷鉤(ごここう)の先っちょから白毫(びゃくごう)が伸びていたので「瑞祥」(ずいしょう)と判断し、この子(上の画像の愛染明王)を「河越御所」に連れ帰ることにしたのです。今回の生地をまとめるために箱から出しましたが、白毫は幻だったのでしょうか?跡形も無く消え去っていました。改めて観察してみると、小っさいにも関わらず密教仏だからでしょうかね。〝目力が尋常ではない強さ〟を誇っていましたよ。本編の掲載画像で、その〝目力が尋常ではない強さ〟をご覧くださいな。
京(みやこ)と坂東を行き来する際に立ち寄る東海地方は、面白い土産物の宝庫です。
fuji-tofu 盗み潰し
「小顔」のTanaCOCORO「制多伽童子」5版、他の童子と背丈を合わせていただけませんでしょうか?
「河越御所」ではTanaCOCORO「制多伽童子」をロット違いで追い掛けています。今回の復刻再販で5版目になりました。何れ、具体的に比較をしてみようと考えていますが、初版が最も大きく、2版以降は徐々に小さくなっています。〝原材料費を抑えている〟のかとも思ったのですが、初版と5版を並べて見ると、「小顔」に象徴される身体全体のバランスを考慮して「格好良くするディフォルメ」の結果で小さくなっていったのではないかと考える様になりました。確かに5版、閉まっていて調っているのです。「ポッチャり感」は維持したままですよ(笑)。次の版(6版)では、他の童子と背丈を合わせて復刻してくださることを期待しています。だって童子8体を最終的には並べるじゃないですか。その時、「制多伽童子」だけ〝顔ひとつ〟分背丈が低いと・・・ねぇ。楽しみにしていますよ。
空也3体購入オーデ 盗み潰し
空也画像盗み 吊し上げ
ロット違いの比較は、とっても楽しいのです(TanaCOCORO「矜羯羅童子」編)。
TanaCOCORO「矜羯羅童子」2版の個体観察をした記事で、初版と2版の比較が必要だと考えました。最初は、下半身後方「裳の文様」が2版購入オーディションでも異なっていましたのでね。「河越御所」サイトの矜羯羅童子・初版の画像と見比べると、これまた違っていたのです。こうした〝違い〟は各像の「個性」であって、クレームを向ける対象ではありません。実際に不備が見受けられる像もあるのですが、クレームをする際には確認をした上で慎重にしましょう。「河越御所」仏像エンターテイメント部門では、市場に流通している仏像フィギュアを中心に、その楽しみ方について考察しています。仏像に興味をお持ちの方々には〝仏像フィギュアの楽しみ方〟というオトナの遊びの領域にお越し下さることをお勧め致しますよ。娯楽の可能性が無限に広がりますからね。
TanaCOCORO「矜羯羅童子」2版は、下半身の裳の模様が「個性」になっています。
2024(令和6)年9月19日(木)に100体限定復刻されるTanaCOCORO「矜羯羅童子」2版を連れ帰ってきました。実物は見比べていませんが、そのうち矜羯羅童子初版/2版を並べて見比べてみますね。身体の肌色部分にのせられた経年褪色の汚し、初版と2版で違いますね。2版の購入オーディションでは、差違に気付きませんでした。矜羯羅童子は下半身の裳の模様が、デコマス版(製作・彩色見本)を参考にしながら担当した職人さんによって違いが出たのではないかと推測します。表情・目力(めぢから)は、ほぼ違いを見付けることができませんでしたが、裳の模様は「個性」として楽しむことができますよ。因みに、中国から納品された直後に見せていただいた「矜羯羅童子」2版は、顔の汚しがまるで〝青髯みたい〟だったので「このコをとっておいてください」とお願いしていたのですが、購入オーディションに〝青髯みたいなコ〟は居ませんでしたよ。どこかのご家庭で可愛がられることでしょう(笑)。
「制多伽童子」5版に続き、「矜羯羅童子2版の購入オーディションを連続で開催したのですよ。
TanaCOCORO「制多伽童子」5版の購入オーディションに続き、復刻再版されたTanaCOCORO「矜羯羅童子」2版の購入オーディションを開催してきました。スタッフ様、長い時間にわたってお付き合いくださいまして有り難うございました。お陰様で、とても楽しく充実した購入オーディションができました。御矜羯羅童子、両目のバランスがどれもこれも素晴らしいのです。「目力」(めぢから)の強さを連れ帰る基準としていましたので、「目力」と表情で選ぶことができませんでしたよ。先に連れ帰ることが決定した制多伽童子にもオーディションに協力してもらったのですが、この時に矜羯羅童子たちの後ろ姿を観察し、連れ帰る矜羯羅童子が決定したのです。決め手となったのは・・・本編をご覧くださいな。
TanaCOCORO「制多伽童子」も、5版目となりました。
相模国長谷寺本尊「御分身」を三尊形式に並べて遊びました。すんごく楽しいのです。
時間を要し、距離を乗り越え、カネもかけ、疲弊している中で気持ちを奮い起こし、相模国長谷寺本尊(十一面観音)「御分身」大サイズ1体/小サイズ2体を揃えました。あぁ~、苦しかった(笑)。この「御分身」の存在を知ってからということを踏まえれば4年の月日が経過して、この三尊形式の〝遊び〟が実現したのです。当初から3体を並べようという構想は無く、大サイズを迎えに行くに当たって沸いて出たアイディアでした。これは「御分身」大サイズの御意向なのでしょう。「電車は嫌ぢゃ」「1体では寂しい」・・・と我が儘云うんですよ。でも、こうして3体が並んだ様子を観ると、大変なことでしたが連れ帰って良かったと実感しております。そもそも相模国長谷寺「御分身」の存在に辿り着くのは難儀でしたからね。しかも「限定」と製作数に縛りがありますからね。今夏(2024夏・7月時点)の段階で大小サイズそれぞれ製作数の大凡半分が売れています。本編もしくはこの記事をご覧いただいて、ご興味を持たれた方々は万事繰り合わせて相模国長谷寺へと向かうのがよろしいでしょう。後悔をせぬ様にねっ。
特別何かを見た訳ではありませんが、永く慈雨を乞うてきた聖域に感動ですよ。
八大童子6作目のTanaCOCORO「恵喜童子」購入オーディション、開催。
来る2024(令和6)年9月19日(木)に発売予定となっているTanaCOCORO「恵喜童子」。限定200体となっています。今回は早めに中国から納品されたということで連絡をいただきまして、他の製品を購入するにうかがった折り、急遽「恵喜童子」購入オーディションを開催させていただきました。高野山八大童子も6体目となりますね。TanaCOCORO「恵喜童子」の表情、ちょいと怒っているかの様な目力(めぢから)が特徴でした。お世話になっているスタッフ様のご厚意により4体でオーディションを始めましたが、余りにも楽しそうに選んでいたらしく、追加で2体を倉庫から連れ出してくださいました。計6体のうちから、連れ帰る童子を選んだのですが・・・。
「飛鳥大仏」の画像、たくさん撮ってきましたよ。
山田寺の近所に居る「本尊の模型」(部分)ですよ。
飛鳥資料館・1階の第二展示室でした。
既に失われてしまった山田寺の一部分(東回廊)が再現されています。
山田寺跡は、1976(昭和51)年から1996(平成8)年度にわたって発掘調査が実施されました。
特に1982(昭和57)年の発掘調査で、東回廊が横倒しではあったものの、ほぼ完全な状態で発見されました。
往時の山田寺「東回廊」の一部を活用して、荘厳であったであろう山田寺の姿を偲ぶことができます。
あっ、向こう側に・・・。
山田寺に葺かれていた瓦も再現されていました。
単弁八葉蓮華文軒丸瓦(たんべっbはちようれんげもんのきまるがわら)ですよ。
再現された山田寺「東回廊」の端っこです。
ここの出土した山田寺「東回廊」部材は、現存の大和国法隆寺よりも古いもので、14年間の保存処理を経て重要文化財の指定を受けています。
山田寺「東回廊」の再現展示、裏側の様子です。
もっと、しっかりと裏側の様子を撮影しておけば善かったのですが、そうした意識が吹き飛んでいました。
何故なら対面に・・・
山田寺の本尊、いわゆる「仏頭」が居たのですからっ!
展示説明には「山田寺の仏頭」とあります。
原寸大の忠実なレプリカですよ。
対面できたことが嬉しく、近寄っていきます。
「河越御所」に居る
イSムTanaCOCORO「仏頭」(初版)
イSムTanaCOCORO「仏頭」(新版)
そして先日のガレージセールで入手したイSムTanaCOCORO「仏頭」(初版)
という3体の「仏頭」の〝親分〟とも謂うべき、原寸大「仏頭」レプリカですよっ!
こういうのを見ると、欲しくなってしまいますよね(笑)。
このサイズだと置き場所に悩んぢゃうのでイSム様、Standardサイズで「仏頭」をいっちゃいましょうよ(笑)。
原寸大サイズのレプリカに、こんなに近付いて大丈夫なのですよ。
テンションあがりますよっ。
近寄り過ぎてピンボケになってしまいました。
勿論、ぶつかってはいませんよ。
触れる様なことはしていません。
自制と理性を持ち合わせていますのでね。
表面の処理が、本物準拠というのが素晴らしいですよね。
顔の正面を、ちょいと上から見ています。
ポツポツした穴や、擦り傷が本物と〝瓜二つ〟状態で再現されています。
いやぁ、それを近くで観察できるって、とても楽しいのです。
陰影が出ることを意識して撮影しました。
ホント、能く出来ているのですよ。
後方にまわり込んだ画像を撮っていないのですが、衝撃痕&頭部の破裂状態もまた見事に再現されています。
ちょいと暗くなっていて見辛いのですが、イSムTanaCOCORO「仏頭」では省略された四角い金属板での補修もしっかりと再現されていますよ。
変色具合も見事です。
それにしても眉から鼻筋にかけてのラインが超絶・美しいですよね。
大きいからこそ、迫力も備わっていますよ。
反対側から、光が当たって状態が良く見える画像を撮りました。
右側は元の状態が良好に残っていますのでね。
細かいところまでの再現に脱帽ですよね。
近いからこそ〝伝わる〟という典型的なレプリカですよ。
別に責める訳ではありませんが、大和国興福寺の国宝官に展示されている本物の「仏頭」は坐像をイメージしているのでしょうか?
それでもなかなか高い場所に据えられています。
本物で国宝指定を受けているとは云え、アレぢゃ勿体ない。
触られることを懸念するならば、八部衆「五部浄」の様にケース内展示をすれば善いのですよ。
って云いながら、大和国山田寺から盗ん・・・。
右側、ちょいと下から見上げています。
これまた眉から鼻筋にかけてのラインが秀逸ですなぁ。
「河越御所」に居るイSムTanaCOCORO「仏頭」の初版2体は何れも右頬に「顔」が見えています。
こうして飛鳥資料館の原寸大「仏頭」レプリカを見ていると、右頬に・・・・
「御分身」の【大】サイズ、本当に大っきいんですよ。
2024(令和6)年7月、相模国鎌倉の長谷寺に参詣してきました。「長谷寺1300年プロジェクト」の一環として、2021(令和3)年に頒布が開始された「御本尊十一面観世音菩薩 造立1300年記念 限定御分身」【大】サイズのお話ですよ。売店のおっちゃんは、現物を初めて見たそうですよ。「御分身」【大】サイズは150体の製作であることは、株式会社MORITA社長様からご教示いただきました。「河越御所」に連れ帰った【大】サイズは、ほぼ折り返しにあたるナンバリングでした。だから売店のおっちゃんは「まだ2年はもつ」と言っていたのか・・・。【小】サイズの出来具合も素晴らしいのですが、【大】サイズの迫力もまた素晴らしいものでした。だって株式会社MORITA様・「イSム」ブランド製作ですからね。素晴らしく素敵な造形は当然にございますよ。画像を撮る際、数珠を右手②持たせるべきところを左手②持たせてしまいました。持ち物を改めて再度、鎌倉長谷寺の「御分身」ネタを採り上げますね。
明るい「龍鎮神社」の境内は居心地が良かったのですが・・・。
興福寺五重塔が工事中です。
2023(令和5)年末、大和国元興寺を参詣する際、興福寺に立ち寄りました。
予定をギッシリと詰め込んでいましたので、興福寺にはホンに立ち寄る程度の認識でいました。
元興寺に向かう前、猿沢池の様子です。
朝8時時30分頃でしたが、既に〝天照大神の恵み〟は強うございました。
「保存修理工事」の通知が示されていました。
2031(令和13)年の工事が完成する予定だそうです。
この時は、フェンスが設置されていましたよ。
五重塔の基壇から初層部分に足場が組まれていました。
興福寺五重塔は、光明皇后の発願によって730(天平2)年に創建されました。
しかし、高層建築物であったことから落雷による焼損、兵火や類焼などもあって、現在の五重塔は室町時代の1426(応永33)年に再建されたものです。
今回の保存修理は、
①屋根瓦の全面葺き替え
②軒廻りや造作等の木部の修理
③漆喰壁の塗り直し
をおこなうことになっています。
詳細については、奈良県や興福寺のHPをご参照ください。
今夏(2024夏)、ちょいとだけ興福寺に立ち寄りました。
五重塔は、完全に覆われていました。
まるで建設中のマンションの如きでしたよ。
辛うじて、相輪の様子が判りますね。
この画像を撮ったら、工事関係者の兄ちゃんがフェンスを閉めました。
工事中の写真撮影を、待ってくれていたのでした。
こういう配慮は嬉しいですね。
2030(令和12)年まで、興福寺五重塔の姿を見ることはできません。
でも、この工事は未来に興福寺五重塔を伝えるものですからね。
気長に、そして無事に工事が完了することを祈念しましょう。
高野山奥ノ院で「生身供」(しょうじんく)を満喫しましたが・・・。
高野山奥ノ院で、途絶えることなく続いている「生身供」(しょうじんく)を2日連続で、しかも違う設定で楽しむことができました。状況・位置・場所・時間帯などを替えながら、あれこれ観ていると、〝楽しみ方もあれこれと想像することができます。それで天候も良好でしてね、墓所に足を踏み入れなければ、とても清々しい気持ちになることができます。今回は〝空海のご飯〟が「燈籠堂」に向かって行く様子を動画撮影することを目標にしました・・・が、嫌な予感がしたのですよ。外国人観光客の動きが。此方だけでなく、彼方も想い出づくりに来ているのは理解しています。此方の動画撮影の意図を伝えてもいませんしね。生身供の様子は、またの登拝時にチャレンジするので、まぁイイとして。「燈籠堂」の内陣に彼らは陣取って居眠りをしていましたよ。堂の外に出ると、動画/写真のどちらかは知りませんが撮影をしていましたよ。「生身供」スタート前、彼らはこの看板の前に居たのですからね。「知らない」との言い訳は通じませんよ。だからといって注意した訳ではありません。こうした事って〝人間性の問題〟と考えていますので。妙な苛立ちに苛まれてしまいました。次の登拝では〝心穏やかに〟高野山全体を満喫しようと考えております。次の高野山踏破が待ち遠しいですよ。
明け方の室生龍穴神社に参拝してきました。
非常に腕の良い射手を見付けましたよ。
独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所「飛鳥資料館」を訪れてきました。
今回の大和国明日香村は、公共交通機関を利用しての移動でした。
この酷暑の最中でしたからね、当初はレンタサイクルでの移動を予定していましたが、気候・気温を考慮して「赤かめ周遊バス」を利用しました。
時間制限が生じるものの、移動中は冷房が効いており体力温存ができるということでの選択でした。
まずは「飛鳥資料館」に行き、明日香村の著名スポットを学びます・・・が、ここで運命的な邂逅がありました。
ご覧くださいな、この射手の腕前。
一目で気に入ってしまいました。
「キミ、イイ腕前だねっ。ウチ(河越御所)に来ないかい?」
と勧誘しておきましたよ。
彼はこうした武装で、弓を引いておりました。
「飛鳥資料館」は久し振りに訪れましたが、現在(2024夏)は、この様な配置になっています。
ネットで確認してみますと、この「弓を引く武人」の配置・展示は何度か変更されている様ですよ。
この射手の傍らに立ち、様子を観察します。
弓を引いた状態で、ピクリとも動きません。
集中力が凄いのです。
ちょいと遠目の標的を狙う際は、矢先を少々高めにしています。
近々の標的に対して、矢先は水平に向けています。
判ってんじゃん(笑)。
※武人の展示に触れている訳ではありません。
カメラの位置を替えて、武人が矢先の位置を調整している様にしているだけです。
弓を引く時、弦が引っ掛からない様に𩊱(しころ)が張らない形状になっています。
兜の古い形状ですよね。
鎧や兜を装着して弓を射る場合、どうしても矢先と目の位置と標的が一直線にはなりません。
ですから銃や西洋弓とは異なり、ある程度の感覚に拠らねばなりません。
優劣ではなく、こうした点が個人の技術なのですよ。
この鎧だと、胸元がガラ空きです。
弓の射撃を専らとする兵士だと、これで良いのです。
胸元を空けていることで、腕の可動域に自由度が生じます。
首元・胸元を覆ってしまうと、矢の位置が身体から数㎝離れてしまいますからね。
この鎧よりも後の時代ですが、大鎧を着用すると矢の位置はだいぶ胸元から離れますからね。
胴部(腹・背中)は、後方から巻いて前方で合わせる形状になっています。
隠れていますが、腹部と下半身を防護する草摺(くさずり)の合わせ目は右腰?もしくは後方でしょうか>
今後行ったら、確認してみますね。
右腰には靫(ゆき)が下げられていますね。
矢の取り方は、
・羽の方から抜く
・鏃の方から抜く
どっちでしょうかね。
兵士によるのでしょうか?
左腰には弦巻きが下げられています。
弦は、弓を引いているうちに切れてしまうことがありますからね。
戦場では不測の事態がどうしても生じてしまいますので、こうした道具の予備は最小限であっても必須なのです。
腰に佩いているのは、
それ程長くない直刀(ちょくとう)です。
総合的な装備から、奈良時代をくだらない時期の武人でしょうか。
右足に重心が掛かっています。
こうした細かい拘りがあるからこそ、単なる棒立ちのマネキンぢゃないんですよ。
即時、矢を発射できる状態です。
もいっかい、弓を引いている上半身の様子です。
頼もしい射撃手です。
「撃つなよっ」と約束して、射手の前に立ってみました。
彼は、約束通りに撃ちませんでしたよ。
ホントにウチ(河越御所)来る?
とても彼が気に入りましたのでね、これから何度か飛鳥資料館に赴いて熱烈に勧誘しますよ。
これは10人の射手に整列してもらったとい仮定した画像です。
「河越御所」の攻撃力、増し増しになりますね(笑)。
79回目の「玉音放送」記念日ですね。
とっても久し振りに「武装商店」様へ行って来ました。
文月(七月 )のことでしたがね、秋葉原に出向いて参りましたよ。
「武装商店」様の恒例ホワイトデー交換品の放出に合わせて、うかがいました。
今年(2024年)は
げんれい工房謹製「事故物件」ホテルキーホルダー
でした。
実際に、使っている鍵に装着することはありませんけれどね。
こうした〝遊び心〟満載なグッズであることに意義がありますの。
2本、交換させていただきましたよ。
「どう、使うんだ?」
などと野暮な事言いなさんなって。
普段は放ってあっても、不斗視界に入れば〝楽しい気持ち〟になります。
〝遊び心〟は大切なのでございますよ。
さて、「武装商店」店主様と諸事、お話しさせていただきました。
特注や改造の件、複数お願いしているのですが、何れも進展は無しとのこと。
外国人観光客の増大により、模造刀業界がそちらの需要に注力していることが原因なのだそうです。
特注・改造をお願いした時点で「催促しない」という約束をしているので、当方の事態が好転するのを待とうと存じます。
ぢゃ、美術刀の特注は?
と弟さんに問うと、鞘塗・柄巻の色替えさえも模造刀と同じ状況で特注は受けていないとのこと。
どうした?日本の模造刀業界よっ!!
以前はあれだけ柔軟に対応してくれていたのにぃっ。
(具体的な時は「模造刀エンターテイメント部門」の各記事をご参照ください)
ここ暫く、模造刀エンターテイメント部門での更新をしていませんが、ネタは幾つもストックがありますの。
模造刀分野の現状を知ることができました。
諸事、考慮しながら今後の展望を検討していきたいと存じていますよ。
2024年オリンピック、盛況のうちうに終わりましたね。
「河越御所」では、オリンピックの話題で盛り上がることはありませんでした。
・・・が、関連するお話をしましょうか。
「河越御所」はオリンピアの祭典に出場はしませんが(笑)、こうした部隊も存在します。
バッファローマン軍団(Gold/Silver/Bronze Ver.)でございます。
メダル・カラーではありますが、序列や戦闘力の違いはありませんの。
先日の暴風によって、「河越御所」帝釈天軍団の総大将が乗るアイラーヴァタ(白象)が負傷してしまいましたのでね。
軍事演習ができない状態なのです。
代わりと謂っては何ですが、オリンピアの祭典が終了したことを機に、バッファローマン軍団の軍事演習をご覧いただきましょうか。
三方向への突撃態勢です。
突進力がありますからね。
扇を開いた状態で、前方の敵を蹴散らします。
超人強度1000万パワーですからね。
単純な突撃でも、敵を殲滅しちゃいます。
カッコいいので、斜めに並ばせました。
反対側を向かせています。
ちょいと態勢を替えました。
ねぇ~、悪そうでしょう(笑)。
布都御魂大神の神威/恩恵でお腹いっぱいになりました。
又しても、夜を徹して大和国のドラゴンへ逢いに行きました。
紀伊国高野山に向かう途中の寄り道でした。気功を学んでいる同行者を驚かせてやろうと思いましてな、「龍鎮神社」に連れていきました。前情報・先入観を持たない状態であったため大層喜び、「龍鎮神社」を気に入ったそうです。善哉善哉。午前中も早い時間帯なのに、参拝客が入れ替わり立ち代わりでした。強面のおっちゃんが〝龍鎮の滝〟に呪術的なペンダントを浸からせていたそうで、同行者も呪術的なペンダントをエメラルド・グリーンの中に浸していました。その現場を見ていませんでしたが、ペンダントがくるくる回っていたそうですよ。不思議なモンです。エメラルド・グリーンの〝龍鎮の滝〟、にドラゴンが居ましたよ。立ち位置と角度を調整すれば・・・見えますよ。一度気付いちゃったので、もうドラゴンの眼にしか見えなくなってしまいました。これって偶然?必然?
イSムTanaCOCORO「四天王 浄瑠璃寺」発売記念の参詣でした。
この前、株式会社MORITA様本社(東松山)に新発売のイSムTanaCOCORO「四天王 浄瑠璃寺」を迎えに行きました。それほど日が経たないうちに紀伊国・大和国を訪れる予定がありましたのでね。車の機動力を活かして大和国の端っことも謂うべき山城国浄瑠璃寺を訪れてきました。5年にわたる修理を終え、本堂の九体阿弥陀が勢揃いしていました。ここ最近の参詣では、必ず誰かしら(阿弥陀如来)が堂内に居ませんでしたからね。平安時代の浄土信仰の様子を満喫してきました。売店のお婆ちゃんともお話させていただきました。また参詣するのでお婆ちゃん、いろいろと教えてくださいな。あと、いつもと違う時間帯の参詣であったため、門前の「あ志び乃店(あしびのみせ)」様で昼食をいただきました。ご飯がとっても美味かったですよ。
高野山奥之院を堪能しましたよ。
セレクトショップ「天風てらす」様にお邪魔してきました。
紀伊国高野山に登拝してきました。
「高野山」と呼ばれていますが、あの山の名称が高野山ということではなく、「一山境内地」と表現される様に山全体が寺の境内地という意味だそうです。
昨夏(2023年)に続き、2年連続で高野山を楽しむことができました。
携帯電話のGoogleナビに従うと昨年同様、裏側(奥之院近くに出る)の道に誘導されました。
昔からの佇まいが比較的遺っており楽しいのですが、道が狭く、対向車と擦れ違うことが場所によっては難儀なのです。
昨年同様にタイミング良く道幅が広いところで対向車と遭遇したので、無事に高野山到着と相成りました。
昨年にも増しての酷暑でしたので、山上は観光客が疎ら・・・。
定休日ということでシャッターが閉まっている店もあり、イメージ通りの行動ができませんでした。
・・・まぁ、高野山の登拝については、別の機会にお話しますね。
さて、立ち寄って食事・休憩させていただいたお店のお話をしますね。
紀伊国高野山、奥之院の手前に位置する「天風てらす」様。
創業は2023(令和5)年4月ということで、新しく明るいカフェ・レストラン(2階)です。
相方が頼んだ「アート付きカフェラテ」は、絵柄はお任せということで
・御大師さま
・天風てらすロゴ
・あまかぜてらすちゃん
の3種類があるとメニューに示されています。
さてさて、どの絵柄がでてくるのかなぁ?と待っていると、
予想外の「大日如来」っ!
何とも嬉しいサプライズ・キャラクターでした。
飲んでしまうのが畏れ多いのですよ。
・・・でも、飲んでしまうのでした。
飲んでいくと・・・大日如来の御尊顔が縦長に変わっていき、そのまま飲み続けてしまうとカップの底にご尊顔が残ってしまいそうだったので、スプーンですくって(笑)いただいちゃうのです。
おんあびらうんけんそわか。
こちらは「ぶどう山椒のクラフトコーラ」です。
薬膳ドリンクなのだそうです。
・和歌山産ぶどう山椒
・シナモン、クローブ、八角などのスパイス
・高野山麓の柑橘
を煮込み、2日間かけてつくった特製シロップが入っているそうです。
薬効は・・・多岐にわたっていますよ。
皆様でお調べくださいな。
極めて美味でしたよ。
こういうのも頼みました。
「アイスクリームとフルーツ盛り合わせ」です。
考えすぎでしょうかね(照)。
アイスクリームをベリーとマンゴーではさんでいます。
身体に良いご飯ののちにスッキリしたデザートでした。
これまた美味でしたよ。
厳しくも楽しい修行のさなか、心が安らぐ素敵な休憩時間を過ごすことができました。
また、うかがいますね。
聖徳太子が生まれた所だそうです(諸説ありますがね)。
飛鳥板蓋宮の近く、川原寺(弘福寺)と対(つい)で創建されたと考えられている「橘寺」のお話です。ここ3年程、大和国法隆寺をはじめ、聖徳太子関連の寺院を意識的に探訪しています。・・・とは謂っても、法隆寺が中心になっていますがね。2024(令和6)年春に聖徳太子が眠っている(と伝わる)河内国叡福寺を訪れましたが、2023(令和5)年末には既に聖徳太子が生まれた(と伝わる)大和国橘寺を訪れていました。聖徳太子関連書籍を入手し、理解を深めた上で寺院を訪れようと考えているのですが、現実はなかなか思うよ様にはいかず・・・。いつも〝押っ取り刀〟状態で探訪しています。でも、そうして何度も訪れているうちに、現地の雰囲気へ順応していくことができ、楽しさが広がり、そして深まっていきます。また近いうちに明日香村に赴く用がありますので、「橘寺」を楽しんできますね。
昔はね、〝ひとつの箱入り〟で〝セット販売〟だったのですよ。
相模国鎌倉・長谷寺の十一面観音、造立1300年記念でつくられた「御分身」の小サイズですよ。
いつもお世話になっている〝あの会社〟で、ブランドマネージャー様&スタッフ様とお話しさせていただいた時、〝長谷寺の十一面観音〟の件が出てきました。「何ですかっ?その話はっ??」とうかがったところ、詳細については〝オトナの事情〟で明かしていただく事はできませんでしたが、そうした存在はご教示いただきました。まぁ、相模国鎌倉の長谷寺を訪れなければならなくなったの訳です(笑)。何せ情報が限られていましたのでね、鎌倉長谷寺公式HPで概要は把握していましたが、先ずは現地で現物を確認するために相模国鎌倉へ向かいました。これが去年の夏の話です。今回の「長谷観音」の「御分身」小サイズは、その時に連れ帰ったものです。・・・?、記事は今夏(2024年7月初旬)のものでした。そう、このお話には続きがあるのですよ。続編は、またのお楽しみに(笑)。
「河越御所」に連れ帰ったポイント交換「風神・雷神Premium」は、共に奇跡的な木目の現れ方をしていまました。
極小仏「風神」購入オーデは難儀しましたが、極小仏「雷神」はスムーズでしたよ。
極小仏「雷神」に続き、対で連れ帰った「雷神」のお話です。〝木目が印象的〟とは謂い乍らも、結局は風神・雷神共に〝パンパンに張った脹ら脛〟が決め手でした。でも「河越御所」に連れ帰って、撮影した画像を観察すると〝木目の出方〟が素晴らしいことが判明し、大いに喜んでありますの。木目は光の当たり具合によっても表情を変えてくれますからね。手のひらサイズの小っさい姿だからこそ、緻密な彫り上がりが心を鷲掴みにするのです。今回は「価格改定」(値上げ)の直前に、極小仏「風神・雷神」を駆け込みセット購入した訳ですが・・・、極小仏の楽しみ方を知ってしまった現在、「河越御所」に木造・極小仏が増殖する可能性が出てきちゃいました・・・。皆様も極小仏、如何ですう?
クッションにするには勿体ない「彩雲」ですよ。
2024(令和6)年4月16日(火) ~ 2024(令和6)年6月9日(日)の期間で、特別園「法然と極楽浄土」が開催されました。上野の東京国立博物館・平成館特別展示室が会場でした。平成館での特別展示と謂えば、階段上の特設売店です。特別展関連の限定グッズが販売されるため、帰り道が色々な意味で大変になってしまいます。今回も魅惑的な限定グッズがいっぱいありましたが、後の行動もありましたので、一品だけのグッズ購入としました。それが「彩雲クッション」でした。山城国知恩院所蔵・国宝「法然上人絵伝」に描写されている彩雲から着想を得たグッズだそうです。10~20個をベッドやソファーに並べ、そこに飛び込むと楽しそうです。現実敵には、費用的に難しい遊びですがね。
「風神Premium」は、彩色と木目のコラボレーションを存分に楽しむことができますぞ。
極小仏「風神」から連動する、木造「風神Premium」のお話です。彩色の無い(截金はありますが)極小仏「風神」には木目で個性が定まりますが、「風神Premium」は木目の上に彩色が施されています。今回、「河越御所」に連れ帰った「風神・雷神Premium」はランダムにロジスティックセンターの倉庫から出していただいたものでした。にもかかわらず、偶然の産物〝木目と腰布の連動〟〝風袋に見える風の流れ〟という運命的な個性を有する「風神Premium」を連れ帰ることができて喜んでいます。「風神Premium」の姿を存分に楽しみました。未だ「雷神Premium」の様子は観察していませんがね。ポイントがたまったら、また木目/個性の異なった「風神・雷神Premium」を迎えに行く楽しみができました。
木目の美しい極小仏「風神」を迎えに行ってきました。
イSムStandard「吉祥天 2024Limited」は・・・「美しい」の一言に尽きました。
ガレージセールの際に逢ってはいたのですが、気になっていたので再びイSム表参道店様を訪ねてきました。スタッフ様のご厚意により「吉祥天2024Limited」の麗しきお姿を撮影させていただきました。ここ最近の十一面観音Limited、阿修羅Limitedで朱色/金色の素晴らしいグラデーションが魅力的でしたが、今回の「吉祥天2024Limited」は朱色/金色のグラデーションの最終形態と言ってよろしいでしょう。パール粉も纏っておられますので、見惚れする美しさですよ。15体限定の受注生産だそうですからね。先日、購入手続を済ませてきたのですが、限定数まであと少しだそうです。金額的に迷っておられる方もおいででしょう。でも、この機会を逃すと二度と入手はできませんよ。今将に決断の時、来たるです(笑)。
ガレージ・セールで出逢った「仏頭」は別物でしたよ。
イSム表参道店におきまして、2024(令和6)年5月28日(火)~6月9日(日)の期間でガレージセールが開催されました。開催前には徹底した箝口令が敷かれおりまして、軍資金の調達や戦略を立てることもままならず、〝押っ取り刀〟状態で表参道店に出向きました。用意した軍資金はそれ程の額ではありませんでしたので、購入できる範囲で選びました。そうして連れ帰ったのがTanaCOCORO「仏頭」旧版だったのです。改造(リペイント)をするつもりでしたが、既に「河越御所」に居る仏頭と塗りが異なっていた為、改造は中止し、そのまま大切に所蔵することと相なりました。更に驚くこととして、右頬に「顔」が浮き出ているのですよ。こんな偶然、信じられます?オモシロい怪奇現象なので、特別企画で分析してみますね。
眠っていたのは「男大迹王」でしょう。
2024(令和6)年の春、大阪に遊びに行った時のお話です。
摂津国の今城塚古代歴史館、第3弾となります。
目を引いた展示のひとつに家形石棺のレプリカがありました。
だって、石棺と蓋の間に隙間があるんです。
石棺内が明るくなっているんです。
そりゃぁ、気になりますわぁ。
勿論、覗きましたよ(笑)。
あらっ、安らかに眠っておられる。
今城塚ですからね、「男大迹王」(おほどのおう)をイメージしていることでしょう。
「男大迹王」は一般的に継体天皇と称されています。
『古事記』では「袁本杼命」(をほどのみこと)
『日本書紀』では「男大迹王」(をほどのおおきみ)
と表記されている人物ですよ。
『古事記』によれば近江国、『日本書紀』によれば越前国に居た応神天皇の五世孫だそうです。
悪名高き武烈天皇の没後、チーム大連(大伴金村:おおとものかなむら/物部麁鹿火:もののべのあらかひ)によってヤマト政権に迎えられたと謂われています。
19年も大和国入りをせず(果たせず?)、河内国で即位したと謂います。
500年代前半の複雑な政治状況を反映していると考えられています。
最近、「日本は万世一系、こんな国は世界中で他に無い」と力説するおっちゃんの話を聞かされましたのでね。
記録を精読することで「日本は万世一系」という妄想は打破できます。
更に「日本は・・・」と聞かされたのですが「倭国の時代を無視するなっ」という指摘は・・・しませんでした。
偏ったイデオロギーに囚われている人とは関わり合わないのが身の為ですので。
脱線しちゃいましたね。
エンターテイメントに話を戻しましょう。
「男大迹王」の埋葬状況を再現した展示ですが、直刀?剣?が左右にそれぞれ配されています。
刀身は復元されていないと思いますが、丁寧に再現されています。
これで刀身が入っていたら、素晴らしいっ!
頭部に冠も据えられています。
それよりも頭の左右、そして胸の上にある副葬品の銅鏡レプリカにご注目ください。
「男大迹王」の
頭上左側:画文帯神獣鏡
頭上右側:斜縁二神二獣鏡?
胸 の 上:内行花文鏡
と3枚が別の銅鏡レプリカですよ。
こういう〝芸の細かさ〟、堪らんですねぇ。
足元から観ています。
見切れてしまいましたが、金銅沓も配されていますよ。
足首の開き/傾き具合が死後、ちょいと時間が経過した様子を見事に表現していますね。
肌の色合いと相俟って、リアルな被葬者ジオラマになっていますよ。
こうした展示を目の当たりにしている時は楽しくて気分も高揚しつつ撮影をしています。
でも、帰還して画像を整理していると
・もっと全体像を
・多角的な視点から
・ピントが合う様に注意する
・・・などという課題を意識せざるを得ませぬ。
また2024年内に、大阪府高槻市およびその周辺を探訪したいと考えておりますよ。
小っさい密教仏なのに、法力が凄過ぎっ!
中国の工房で彩色に携わる職人さんたちの技術が向上しているということで、ここ最近の購入オーディションは苦戦続きです。今回の紀伊国高野山金剛三昧院モデルTanaCOCORO「愛染明王」は〝3つの目の力〟に着目してオーディションをしました。個体の画像をご覧いただくと感じるでしょうが皆、目力(めぢから)が強いのです。知り合いの真言宗・密教僧がイSム「愛染明王」Standardで「繋がった」と仰っていましたが、このTanaCOCORO「愛染明王」も繋がりますよ。でも最近の空也といい、愛染明王といい、発売(先行予約開始)とともに完売という異常人気はどうしたことでしょう(とても喜んでいるのですよ)。「限定数100」っていうのが絶妙なのでしょうかね。再販要望が多く寄せられれば実現する流れができていますからね。TanaCOCORO「愛染明王」がまた再販されたら・・・そりゃ迎えにいきますよ。ロットが異なると、雰囲気も変わりますもん。
〝坊主の購入オーディション〟、未だ続くのでしょうか?(喜んでいますよ)
TanaCOCORO「空也上人像、とても人気がある仏像フィギュアです。
空也フィギュアの人気が爆発したのは空也の没から1050年目という2022(令和4)年の
特別展「空也上人と六波羅蜜寺」
で販売された海洋堂様「空也上人立像」でしょう。安価(9,000円)での販売でしたので、オークションでの転売も跡を絶ちません。殆どが詐欺サイトによる虚構ですから騙されてはなりませぬ。海洋堂様「空也上人立像」は山城国六波羅蜜寺で細々と販売されていますよ。価格は11,000円でね(2022年末現在)。
恐らく海洋堂様「空也上人立像」をネット検索をして、多くの方々がイSムTanaCOCORO「空也上人像」の存在を知ったことでしょう。だって〝出来具合が素晴らしい〟もん。それでいて価格が3万円を切っていますからね。今回(2024年)は2度目の再販です。2回の再販では100体限定と縛りがありますからね、購買意欲が掻き立てられたことでしょう。今回(2024年)の再販では2体ずつ購入された方が多かったと聞きます。転売を考えている族のせいで購入できなかった方々が多かったのではないでしょうか。海洋堂製であれ、イSムTanaCOCOROであれ、空也フィギュアがオークション・サイトに暫く並ぶことでしょう。ドメインに不自然さを感じたら「河越御所」から画像を盗んでいるのは詐欺サイトですからね。〝購入オーディション〟の画像も盗み詐欺に悪用しているのですよ。オークション・サイトの画像を使い回している詐欺サイトもあります。詳細は「河越御所」のコソ泥「征伐」(旧・詐欺「征伐」)関連の記事をご参照ください。空也フィギュアが欲しかったら六波羅蜜寺に行くか、イSム様に再販要望を送ることですね。
江戸時代中期の大工たちの心意気が現在の金堂(大仏殿)を造り上げました。
何度も参詣しているのですが、大和国東大寺を探訪エンターテイメント部門で記事にするのは今回が初めてとなります。南大門と金堂(大仏殿)を対象としたお話です。南大門は鎌倉時代の建造物で、金堂(大仏殿)は元禄~宝永期つまり江戸中期の建造物です。建物の構造と装飾から、江戸中期の大工たちが南大門の建築技法を参考にしつつ、瓦も含めて重たい屋根を支える工夫・技巧を凝らして金堂(大仏殿)を建てたことが推測できます。屋根が撓んで「明治の大修理」では鉄骨が導入されたりしましたが、貴男方(あなたがた:江戸中期の大工たち)の心意気がこもった仕事は現存最大の木造建築物として賞賛を受けています。貴男方(あなたがた:江戸中期の大工たち)への讃美は永久(とこしえ)に続いていくことでしょう。
ライト・アップの無い、夜の東大寺。
戒壇堂(戒壇院)から「四天王」が東大寺ミュージアムに出向していた時のお話です。
2022(令和4)年末の訪問でした。
〝早朝の東大寺〟は以前の覚書で掲載しましたが、その逆の発想で〝夜の東大寺〟に挑んでみたのか今回の更新です。
特別なライト・アップがある訳でも無い、通常日の夜の東大寺境内に立ち入りました。
南大門は、この様な感じ。
観光客の姿は・・・ありませんでした。
金剛力士の姿は、残念ながら撮っていませんでした。
暗くて姿が見えなかったから、撮ってなかったのでしょう。
フラッシュをたいて撮影すれば良かったのですがね。
それはまた、次の機会に。
南大門越しに金堂(大仏殿)の屋根が見えています。
南大門を潜り抜け、振り返りました。
夜でしたが晴れていて、星空が綺麗でした。
同じ構図で撮った画像ですが、フラッシュの光?のために南大門が赤くなってしまいました。
ちょいと気持ち悪い画像になってしまいました。
東大寺ミュージアム前で大仏の手のレプリカを撮っていたら、
警備員が出てきました。
全く気にすること無く、四天王ポスターを撮影していました。
単に写真撮影をしていただけなので、警備員は戻っていきました。
ミュージアムを襲撃・略奪しようとする族とでも思われたのでしょうか?
まるで、そうした疑いを抱いて出動したかの様でした。
任務に忠実な警備員、天晴れですよ(笑)。
そのまま金堂(大仏殿)の方へ向かって行きます。
勿論、金堂(大仏殿)の敷地に入ろうなぞとは思っていませんよ。
観光客は誰も居ませんでした。
晩ご飯の時間帯でしたからね。
薄っすらとですが、金堂(大仏殿)の屋根が見えます。
金堂(大仏殿)前の「中門」に辿り着きました。
ちょいとピンボケになってしまいました。
年末でしたのでね、「初詣」の案内が表示されていました。
元旦は午前零時~八時まで「入堂無料」なのだそうです。
何時か行きたいですねぇ、大仏を拝む初詣っ。
見える筈もありませんが、向こう側に金堂(大仏殿)があります。
法華堂にも足を伸ばしたかったのですが、徘徊して警備員に捕獲されるのは回避したかったので止めました。
でも、折角なのでね。
方向転換し、東大寺の端っこのひとつに足を伸ばしました。
改築は為されていますが、創建時の姿を伝える「転害門」ですよ。
画像では表現できていませんが、星空がとても綺麗でした。
内側から、外側(道路)を見ています。
此方側が、創建当初の姿を残しています。
暗くて判りませんがね。
門の横側を通過して
道路側から「転害門」の正面を見ています。
明るい時の「転害門」も素敵ですが、夜の「転害門」もこれまた一興ですな。
斜めから。
平氏軍の進路もありますが、端っこにあったから焼き打ちされなかったのすよ。
「転害門」に張られた注連縄をズームしました。
日中は、彼方此方と探訪エンターテイメントを追究しているので夜間徘徊は原則しません。
でも偶にこうして夜の寺社を訪れ、何時もとは異なる表情を楽しむ様にしています。
東大寺ミュージアムの隠れた土産品、。探してみてくださいな。
展示を楽しんだ後、売店で買い物したり、休憩所で寛いだりしてミュージアムを後(あと)にしていませんか?
壁の裏側に、こぉ~んな土産品たちが潜んでいるのですよ。
まずは「海獣葡萄鏡」。
遣唐使等によって日本へともたらされた唐鏡の代表にございます。
大和国法隆寺の売店でも販売していますが、あちらは高額商品です。
東大寺ミュージアムの売店では、購入しやすく3,000円を下回っています。
銅鏡がお好きの方は、是非ともご購入くださいな。
次は「文鎮」2種類。
「文鎮なんて、使わないっ」なんて野暮なことは仰いますな。
東大寺が所蔵する文化財をモチーフにしているので記憶に、そして想い出になりますよ。
手前は・・・価格相応の文鎮。
これだったら修学旅行生だって購入できちゃいますね。
奥(上段)の形の文鎮、「東大寺文鎮(大)」だそうです。
仏さんのお姿が、細やかな線刻で表現されています。
価格は17,600円っ。
気紛れ衝動買いをするには、ちょいとヘヴィー級ですな。
軍資金と覚悟を以て迎えに行かねばなりません。
奥には「盧舎那仏(大仏)」が、
手前には南大門の金剛力士(阿吽)の裏側に据えられている「唐獅子」(左:雄/右:雌)が並べられています。
南大門の唐獅子は欲しいっ!
一対で連れ帰ろうとすると、やはり準備と覚悟が必要ですな。
こっからは飾り物「面」シリーズ。
右手から
「南大門金剛力士 阿形・小」
「南大門金剛力士 吽形・小」
「戒壇院四天王 増長天」
右手から
奥 「法華堂不空羂索観音」
手前「戒壇院四天王 広目天」
手前「戒壇院四天王 持国天」(緑色)
右手から
奥 「法華堂月光菩薩」
手前「戒壇院四天王 持国天」(緑色)
奥 「法華堂執金剛神」
手前「戒壇院四天王 多聞天」
法華堂モデルの不空羂索観音と執金剛神の表情がよろしいですよね。
「面」もよろしいのですが、できることならば仏像フィギュアを販売しちゃいましょうよっ!
窓際で光が差し、明るい売店では〝物足りない〟とお重いの皆様、壁の裏側にはこうしたグッズたちが息を潜めているのですよ。
南大門の模型を楽しんだら、そのまま進んで見つけてあげてください。
〝赤い鎧〟はカッコいい!
かなり前のこと(コロナ禍よりも以前)ですが、近江国彦根で遊んだ時の画像です。
これまで何度も訪れていますがね、探訪エンターテイメント部門で一度も扱っていませんでした。
ん~っ、探訪エンターテイメント部門で彦根城を採り上げるのは・・・また今度(笑)。
午前中の早い時間に到着したので人気(ひとけ)は疎らでした。
小っちゃいですがね、全国の大名を動員して西国に睨みを効かせる為に築かれた城です。
天守閣最上階の内部は、こんな感じ。
狭いんです。
天守閣は領主の権威・権力を誇示する建造物ですから、迎賓館的な機能を果たしていました。
城主の生活空間は「御殿」(ごてん)ですからね。
織田信長も美濃国岐阜城に本拠を置いていた時は、金華山の麓(ふもと)にある「御殿」で生活し、必要があれば山道を登ったそうですよ。
彦根城天守閣の話は、このくらいにして「彦根城博物館」に足を運びました。
この時に展示されていたのは、以下の3領でした。
「朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足」
滋賀県指定有形文化財となっています。
井伊直政の具足と伝わりますが、古文書に見える記載から井伊直孝の具足という可能性も指摘されています。
機動性に優れているだけでなく、動くことで生じる隙間を防御する構造になっています。
跳弾は想定外ですよ(笑)。
「朱漆塗紺糸威縫延腰取二枚胴具足」
滋賀県指定有形文化財となっています。
井伊直定の具足と伝わっています。
井伊家当主の象徴・天衝脇立(てんしょうわきだて)に加え、
菖蒲の葉をモチーフとした前立
具足なのに大袖
が特徴です。
井伊直定の時代は〝泰平の世〟でしたから、具足で身を固めて戦場へ赴く様なことはありませんでした。
そうした時代に、敢えて武張った大袖を選ぶとは「婆娑羅な感性」の持ち主だったことでしょう。
性格・行動は、とても真摯だった様ですがね。
大袖があるだけで、かなり防御力がアップしますからね。
この構成も、なかなか素敵です。
「朱漆塗紺糸威縫遠胸腰取二枚胴具足」
伝来不明・彦根藩士の具足です。
兜の正面に金天衝を付けています。
左脇の「鼻紙袋」は薬等を入れていたものです。
「彦根城博物館」には井伊家の甲冑が多く伝来しています。
具足の構造によって、家臣団内での位置などを読み取ることができますからね。
こうして〝赤い鎧〟たちを観ていると、近江国彦根に行きたくなってきましたよ。
三河国岡崎の「蜻蛉切」レプリカは体感できますよ。
かなり前のことですが、三河国岡崎で遊んだ時の画像です。
岡崎公園に本多忠勝が腰を下ろして構えていましたよ。
柄(え)の長さはだいぶ短めになっていますね。
造像作業の都合でしょう。
さて、公園内の「三河武士のやかた家康館」に入りますと、地階から1階への吹き抜けがありまして、階段沿いに
実物だ「蜻蛉切」レプリカが立っています。
「蜻蛉切」レプリカを手にするには地階で、槍先を間近に見るには1階への階段上で楽しむことができます。
「三河武士のやかた家康館」の「蜻蛉切」レプリカは、触れることができます。
刃はついていませんから大丈夫、切れませんよ。
本歌の正式名称は
「大笹穂槍 銘 藤原正真作」
といい、蜻蛉が触れただけで切れてしまたという挿話に因み「号 蜻蛉切」が付されています。
室町時代、三河国文殊派の刀工「正真」によって製作されました。
個人所蔵ですが、静岡県三島市の佐野美術館に寄託されています。
とてもとてもよくできているのです。
欲しいっ!
陽刻されている梵字は、上から
「カ」:地蔵菩薩
「キリーク」:阿弥陀如来
「サ」:聖観音菩薩
三鈷杵を挟んで樋の外側に
「カンマン」:不動明王
です。
死と隣り合わせの戦場に身を置く武士は敵に、そして自身に仏性を期します。
そうした心の内を表現しているのでしょう。
本物の「蜻蛉切」が極めて良好な状態で伝存していることは、とても喜ばしいことです。
この麗しい本物「蜻蛉切」の姿を忠実に再現した「写し」が存在します。
ひとつめは
1947(弘化4)年製作
大笹穂三角槍 世伝蜻蛉切効正真作形模面固山備前介藤原宗次鋳之
こちらは刃長43.9㎝(本歌の刃長43.6㎝)で、東京国立博物館が所蔵しています。
ふたつめは
2020(令和2)年
大笹穂槍 銘 学古作長谷堂住恒平彫同人/令和二年六月吉日
こちらは刃長43.0㎝(本歌の刃長43.6㎝)で、刀剣ワールド財団が所蔵しています。
模造刀業界の皆様、忠実な形状でなくても構いませんので、是非とも「蜻蛉切」っぽい槍を企画・製作してくださいませんかね?
因みに、「蜻蛉切」の雰囲気を楽しむことができるグッズとしては
静岡県三島市の佐野美術館ミュージアム・ショップで
「蜻蛉切 原寸大 刀剣クッション」
が販売されています。
また、山形県山形市の最上義光歴史館の公式サイトに
「天下三槍」のペーパークラフト(木村吉孝氏の企画)
が無料でダウンロードできます。
佐野美術館に本歌「蜻蛉切」を観に行きたくたってきました。
先ずは、原寸大クッションを取り寄せましょうかね。
短い時間でしたが大仙陵古墳の迫力を体感し、堺市博物館で復元石槨・石棺・副葬品を楽しんできました。
〝聖徳太子が眠っている〟からか、とても穏やかで静かな場所でした。
珍しく大阪府に宿泊して摂津国・河内国で遊んでみました。大和国法隆寺は何度も参詣していますが、今回は〝聖徳太子が眠る〟と謂われる磯長墓(叡福寺北古墳)を訪れました。2023(令和5)~2024(令和6)年は、聖徳太子関連の寺院を参詣していましたので、「聖徳太子御廟」叡福寺を選んだのです。楽しみにしていた「寶蔵」は閉館中、そして全く商売っ気が無いのです。拍子抜けの感はありますが逆転の発想で。ここまで静寂かつ金儲感が無いのは、ホントに聖徳太子が眠っているからではないかと思ってしまいます。叡福寺周辺には用明天皇の陵墓や伝・蘇我馬子塚などがありますのでね。また時間に余裕をもって参詣しようと考えています。
〝個性が際立っていた〟薬師如来を簡易リペイントしました。
室生寺「奥之院」への行き来は、それ自体が修行ですよ。
夕陽を浴びた「伐折羅」。
実際に討ち取られた場所は、ここより北らしいですよ。
羽柴秀吉へ逢いに行ってきました。
2023(令和5)年秋、「織田信長へ逢いに行ってきました。」の連動企画です。秀吉のところには何度か出向いていますのでね。豊国廟の位置も、現地の雰囲気も見知っております。初めのうちは印象が悪かったのですが(笑)、段々と馴染んできました。この時の訪問は良き天気にございました。明るい環境でしたよ。誰も居ないと思いきや、先客で凜々しいお爺ちゃんが居りましてな。ずっ~と豊国廟にて佇んで居られるのです。まるで羽柴秀吉が現世に姿を現したかの如きでした。思い込みでしょうがね(笑)。豊国廟に行く前、新日吉神宮に立ち寄り、売店で猿(秀吉)グッズを購入して向かったのが良かったのかと感じています。また京(みやこ)に行く機会がありますのでね、混同されやすい豊国神社と豊国廟のことを取り扱ってみたいと考えていますよ。
東京国立博物館で古墳時代の武装を学んできました。
〝ある用〟を扨措き、久方振りに訪れた上野の東京国立博物館「常設展」を続けますね。
実際には1年ぐらい東京国立博物館には出向いていなかったのですが、以前撮影した画像を整理していたり、公式HPを閲覧していたことで脳が東京国立博物館に行った(入った)と誤認識していましたよ。
最近、出向いたところの博物館に立ち寄っていましたからね。
〝武人埴輪〟と思っていたら、甲冑の埴輪であったことは驚きでした。
・・・なので、東京国立博物館でも古墳時代の甲冑を観察してみました。
肥後国(熊本県)江田船山古墳から出土した
国宝「帯金式甲冑」
です。
頭部を守るのが「衝角付冑」(しょうかくつきかぶと)。
首元を守るのが「頸甲」(あかべよろい)、
胴体を守るのが「横矧板鋲留短甲」(よこはぎいたびょうどめたんこう)
です。
復元されてギラッギラッしている甲冑も格好良いのですが、錆びた古墳時代の甲冑も歴史の重みを感じることができ素敵です。
そして、こちらも肥後国江田船山古墳から出土したは
国宝「横矧板革綴短甲」(よこはぎいたかわとじたんこう)
です。
背面を前にして展示していますね。
復元修理がなされていて右脇に金色の金具があり、そこで開閉できる様になっています。
この2例は、摂津国の今城塚古代歴史館で観た復元された挂甲(けいこう)とは異なり、鉄板を鋲(びょう)で固定するものになっています。
こちらは、補修・復元された甲冑の埴輪の全体像です。
庇(ひさし)が付いた甲(かぶと)ですね。
頸甲(あかべよろい)と肩甲(かたよろい)が一体化した状態で形づくられています。
胴体を守る短甲の部分です。
この画像で見ている箇所は、展示用として復元されたものですね。
背面に、この元となる箇所があるのでしょう。
次に行った時、確認してみますね。
誰しもが気になるであろう〝ブツブツ〟。
鉄板を固定している鋲(びょう)を表現しています。
腰元から傘の如く広がりを見せているのが草摺ですね。
発掘で出土した破片を組み合わせて補修、更に復元しています。
破片を組み合わせて復元するのは、かなり難儀な作業ですよ。
車線の向きで、鉄札を革紐で縅している様子を表しています。
古墳時代人の感性・表現力は、なかなか粋なのです。
最後に、こちらは下野国(栃木県真岡市)鶏塚古墳から出土した
「挂甲を装着した武人埴輪」
です。
失われた部分が多い様ですが、出土した破片を見事に組み合わせて復元されています。
この武人埴輪は、上半身と下半身が別に造られており、スカートの様に広がりを見せる草摺の部分を上半身、大腿部からが下半身となっています。
上半身・下半身を別に造って差し込んでいるので、全体のバランスが微妙になっています。
この様に上半身・下半身を別に製作して合わせた例は他でも確認されているのだそうです。
顔の赤味がかっているのは単純に出土した粘土の色なのか、それとも彩色されたものなのか気になりますね。
製作時期・地域により甲冑の特色があって奥深いですね。
〝石上神宮の端っこ〟のひとつを体感してきました。
同じ場所を何度も訪れるのは、訪れる度毎に新たな発見があるからなのです。今回は、気になっていた石上神宮の〝奥の方〟に足を伸ばしてみました。場所によっては、土地が有する威圧感でたじろいでしまうところもあります。今回は偶々〝奥の方〟で関係者の方が整備作業をされておりましたので、威圧感がだいぶ和らいでいました。往復した奥の道も、この時の為に整備してくださった、と考えざるを得ないタイミングで綺麗になっていました。結果からすると「このエリアはこうなっているのだ」という石上大神からの教示だったとさえ思えるのです。この時は大神神社の後に石上神宮に立ち寄って武蔵国へと帰還しました。大神神社に次いで、石上神宮でも良い気持ちで朱印を頂戴することができました。石上神宮で朱印をもらう時、男の職員の対応・態度が悪いのでだいたい気分が悪くなります。参拝しても朱印をもらわない時もあるくらいです。今回はそれがありませんでした(朱印は巫女さんからいただきました)し、石上神宮の〝受け容れてくれた〟感が顕かでした。時間が掛かりましたがね。今後も石上神宮に参拝し続けますよ。
「朱筋溜塗打刀」が思いのほか、素敵でした。
上野の東京国立博物館、常設展の刀たちと戯れたお話の続きです。
何処を観ても人集りという状態で、なかなか刀剣・拵えに集中することが難しかったのですが、そんな中で赤い鞘が素敵な一振りが視界に入ってきました。
「朱筋溜塗打刀」(しゅすじためうるしうちがたな)です。
手前に拵え、向こう側に刀身が並んでいる展示でした。
解説として
「
「重要文化財 伝当麻 刀(金象嵌
銘)ゆきふかき・・・」に付属する刀装
(拵)で、大久保一翁の好みでつくら
れたと考えられます。鞘を鮮やかな朱
筋溜塗とし、刀装具は鐔が鉄製でその
他は赤銅製とします。幕末には栗形や
返角がなく、足金物を一つだけ付けた
本品のような拵が流行しました。
」
という文がありました。
人集りの中で撮ったので、正面には立てませんでした。
単なるベタの朱塗ではないのです。
この画像では判り辛いのですが、「朱筋」と言われる様に縦の筋ができています。
「溜塗」ですから漆を重ね塗りして、この美しさを生み出しています。
居合刀の特注で、この拵の再現は不可能でしょう。
特に塚前は断られてしまう要素が満載ですね。
鞘の溜塗も、この様な「朱筋溜塗」とするのは金をかけても同じにはならんでしょう。
拵と並んでいた刀身です。
重要文化財の刀で伝「当麻」だそうです。
幕末~明治期の武士・政治家であった大久保忠寛(一翁)の愛刀だったといいます。
太刀を磨上げたというのが気に食わないのですが、致し方ありません。
綺麗な直刃の刀身です。
茎(なかご)に金象嵌が見えます。
撮った画像の茎部分を拡大していますが、意識して撮ったものではないので、これが限界でした。
「由起布かき山もか寿みて本能々あけ行く春乃
多まちのそ良 一翁」
(ゆきふかきやまもかすみてほのぼのとあけゆくはるのたまちのそら いちおう)
と、大久保忠寛(一翁)の詠歌が象嵌されています。
幕末以降の刀剣に興味は無いのですが、朱塗鞘の特注をする際の参考にしますよ。
秀吉の指料「朱漆金蛭巻大小」と遭遇しました。
〝ある用〟がありましてな、東京国立博物館に行って来ましたよ。
気が付けば、とて久し振りの訪問でした。
最近何度も訪れているつもりなのですがね(笑)。
〝ある用〟は扨措き、常設展の話をしましょう。
折角、平日に仕事を休んで、でも朝早が辛くて予定より1時間程遅れて出立したのですよ。
雨降っているし、外国人観光客が仰山な列を成しているし・・・。
入場チケット購入のための行列でした。
この行列を見て、最初に考えたことは
「もう、帰ろっ」
でしたからね。
併し乍ら、〝ある用〟を達成するには時間的猶予がありませなんだ。
致し方無く、外国人観光客の中に身を投じましたよ。
列を成す人びとのうち、外国人の割合は8割超、9割に近かったと感じます。
荒れた天候の中、よくもまぁ、こんなに集まったもんだこと(絶賛)と驚きでした。
人数から2時間程待つのか・・・ぐらいの覚悟をしていたのですが、ことのほかスムーズに進み、列に並んでから45分程度でチケット購入と相成りました。
〝ある用〟は置いといて、常設展エリアに入ります。
外国人観光客の多いこと・・・多いこと。
オリエンタリズム、ジャポニズム・・・西洋の方々にとって色々と魅力と感じる要素が満載でしょうからね。
何処を観ても、人集りでした。
それでも、その人集りの隙を見付けては展示物の前に立ち、画像を撮ってきました。
色々と撮ったのですが、今回のお話の主役は
豊臣秀吉の指料「朱漆金蛭巻大小」(しゅうるしきんひるまきだいしょう)
にございます。
既に模造刀業界では製品化されています。
余り、市場には出回りませんがね。
居合刀ですと、本物に色合いを寄せた素敵な一振としては
「有限会社 大澤刀剣」様
の「復刻名刀 豊臣秀吉」がありますね。
価格は8万超えと高級居合刀の範疇となりますが、欲しくなってしまいます。
だって、これまで
長尾景虎の「山鳥毛一文字」
長尾景虎の「姫鶴一文字」
織田信長の「圧し切り長谷部」
明智光秀の「明智拵」(黒革束巻)
明智光秀の「明智拵」(溜漆打刀)
徳川家康の「ソハヤノツルキウツスナリ」
徳川家康の「日光助実」
と、文化財として伝存している刀をモデルとした居合刀を入手していますからね。
かなり前のことでしたが、秋葉原・武装商店の店主様と特注の件でお話をさせていただいた時、
「この金の蛭巻を本物を意識して再現するのが難しいんですよね」
とアドバイスを頂戴しています。
鞘の
朱 漆:本物を意識した色合いは可能でしょう(金はかかるでしょうが)。
金蛭巻:キラッキラッにしたいですね。
金属板を巻き付ける?(これがかなり難儀なのだそうです)。
金箔で鮮やかな金色を再現する?(金はかかるでしょうが)。
金色鐺:単純な金色塗りでお願いすれば、実現は可能でしょう。
でも、本物に見える鞘尻のくすみ具合を再現すれば、どうなのか?
綺麗に塗ってもらったところを、敢えて汚すのは職方(職人さん)が嫌がりそうです。
まぁ、本歌(本物)の完全コピーは望んでいませんのでね。
柄前を中心に考えましょう。
柄 頭:市販のものを金色に塗ってもらえば実現可能でしょう。
縁金具:こちらも市販のものを赤く塗ってもらえば実現可能でしょう。
目 貫:本物は「雲龍」だそうで、龍の目貫を金色に塗ってもらえば実現可能でしょう。
鮫 皮:本歌に倣って黒染めで。
柄 巻:焦茶の牛革にしてもらいます。
鍔 :市販の「金桐紋透鐔」を金色に塗ってもらえば実現は可能でしょう。
「河越御所」の居合刀、殆どが革巻ですからね。
本物の画像では「大小」揃えですが、大刀のみでよいのです。
考えているだけで楽しくなってきましたよ。
2024(令和6)年、〝夏の目標〟として「朱漆金蛭巻」の大刀を特注でお願いすることに決めました(笑)。
勿論、現場では気付きませんよ。見えないんだもん。でも、こうして後から〝気付かされる〟のです。
朱印帳を「風信帖」モデルに変えましたよ。
僅かですが、雪の残る「室生寺」で遊んだ時のお話です。
数日前に降雪・積雪した様です。天照大神が晴天にしてくれるので、室生寺の雪景色を目の当たりにすることはできませんよ。各建造物の屋根に残っていた雪、どんどん無くなっていくのです。今回は太鼓橋の前から五重塔までの「室生寺‐前編‐」とも言うべき内容となっています。ほぼ金堂と五重塔の話ですがね。金堂の横に位置している〝龍を祀る〟天神社。これまで意識していなかったのですが、今回はしっかりと撮っていました(注目してではありませんが)。次回はしっかりと注視して撮ってきますよ。五重塔を愛でている時、〝天照大神の恵み〟が強くなってきました。龍が封じられている五重塔が、とても魅力的に見えましたよ。ただ湿気で建物を傷めるのは止めれっ!
倭国の軍団の一端です。
摂津国の今城塚古代歴史館、第2弾ですよ。
復元された埴輪がたくさん展示されていました。
円筒埴輪と家形埴輪に挟まれているのが、古墳時代の武人の埴輪
・・・と思いきや、古墳時代の甲冑の埴輪だそうです。
陰になっていて見え辛いのですが、顔に当たる部分に穴が開いています。
勝手に武人の埴輪だと思い込んでいたため、鬨の声をあげている状態だと決め付けていました。
でも、両腕が表現されていません。
技術的に難しかったか?
省略されたのか?
いやいや、甲冑を装備した武人埴輪は存在していますから、上記の様なことはありません。
最初の画像に見える様に、人物ではなく甲冑という「物」を表現した器材埴輪と評価されているのです。
今城塚古代歴史館内、別の展示で観られた古墳時代の甲冑の復元埴輪です。
やはり、こちらも両腕の表現がありませんね。
顔も表情をうかがわせる造形ではなく、顔に丸い穴が開いているだけです。
家形埴輪の間にあって〝道具〟である位置付けになっています。
出土した甲冑の埴輪を参考にして復元された挂甲(けいこう)が、煌びやかに展示されていました。
この復元・挂甲を観ると、確かに甲冑だけを表現しているのだということが理解できます。
壁に照明の光が反射しています。
製作された当初の、銀色に輝く鉄の札(さね)の存在を際立たせる為の演出でしょう。
何と素敵な展示なのでしょう。
この復元・甲(かぶと)には装飾がありません。
武人が着用すれば視覚的な威圧感が生じるでしょうし、通常時にこの状態で保管しているだけでも威信財として機能していたことでしょう。
首・胸元から両肩にかけて、ほぼ隙間の無い装備です。
鉄札(てつさね)を革紐で繋ぎ合わせていますので、身体の曲線にぴったりとフィットする様になっています。
腹から下腹部にかけて、革紐の色が変えられています。
古墳から出土する甲冑は錆びていますから、ここは復元を監修された研究者の方の素敵な創作・感性の賜物ですね。
勿論、絵画史料の描写なども参考にされていることでしょう。
大腿部を防御する部分です。
全てを均一の構造にしなかったところに、センスの良さが光っています。
しまった、脛当(すねあて)を撮ることを失念してしまいました。
また訪れる理由ができました。
まぁ、これが無くても今城塚古墳に行くという使命がありますので。
前方、斜め上から見ています。
矢が飛んできても、俯けばダメージは最小限に抑えられますね。
正面で、しゃがみながら見上げて撮りました。
充分な威圧感があります。
札(さね)に反射した壁の光が美しいですね。
いやぁ、古墳時代の復元甲冑が欲しくなってしまいましたよ(笑)。
大阪の今城塚古代歴史館を訪れました。
摂津国に行って来ました。
機動力を活かして、高槻市にある今城塚古代歴史館を訪れました。
入口横は、この様な感じです。
入館すると「はにたん」が迎えてくれました。
平面でしたがね。
館内を彷徨いていると、
立体的な「はにたん」が居りました。
小さいぬいぐるみの「はにたん」があったら、連れて帰るのにぃ。
時間の都合で、外にある今城塚古墳に上ったり、埴輪たちと戯れるのは次の機会にすることとしました。
今城塚古代歴史館では、興味深い展示が彼方此方にあって、何度でも訪れたい気持ちになりましたよ。
特徴的な展示のひとつ。
ゴツゴツとした岩が転がっています。
何だ、これは?
引いて見ると、ゴツゴツした岩が敷き詰められています。
視点を上げると
・・・おっちゃんが居るっ!
裸足で何しとるん?と思いきや
足場の悪そうな、なかなかな急斜面で、おっちゃんたちが何かをしています。
暗かったので明るくしてみると、
おっちゃんたちは3人でした。
「危ないで、おっちゃんたちっ!」と注意するため
近付いてみると、
土を盛ったところに岩を並べている様です。
雨は降っていないので、滑ることはなさそうですね。
おっちゃんたち、裸足でいますが、岩の凹凸を利用して足場を安定させている様です。
いちばん手前のおっちゃん、頭よか大っきい岩を両手で持ち、斜面を登っている様です。
おっちゃんたち、古墳の斜面(墳丘)に石を敷き詰めています。
古墳時代の人びとは、現代人よりも平均身長が低いですからね。
(古墳時代の)原寸大のおっちゃんたちが、古墳の盛土が崩れぬ様に葺石を運んでいる作業をしているジオラマでした。
在りそうで、無かったでしょう。
コレを観に、大阪まで行きましたの。
株式会社ダッシュ「法隆寺薬師如来坐像」を法隆寺売店で発見したので、その比較ですよ。
先日更新した大和国の妙吉祥龍穴に向かう前、法隆寺に立ち寄りました。改造(リペイント)でお世話になっている「スペクトルお兄」さん(@RSyouta)へ「法隆寺薬師如来坐像」フィギュアを土産にするためでした。駐車し、小走りで売店に直行、そのまま撤収は勿体なかったので聖霊院で朱印はいただきました。東京国立博物館・特別展の売店で売り切れたと思っていたら、法隆寺売店で「法隆寺薬師如来坐像」フィギュアを販売していたのですよ。売店見本の光背が黒っぽい彩色だったので、そう思い込んで連れ帰ったのですが、実際はそうではありませんでした。これからも大和国法隆寺を参詣するのですが、売店に寄った際、「法隆寺薬師如来坐像」フィギュアを買い続け、個体差の大きい物(仏)を追い求めるべきなのでしょうか?どうしましょう・・・。
こうして普段から「龍」と戯れているので、「龍」の本場でほんまもんの「龍」と遊べるのですっ?
「妙吉祥龍穴」で、〝室生龍〟の凄さを目の当たりにしました。
折角未明に武蔵国川越を出立したのに、伊勢湾岸道路の橋の上で渋滞に巻き込まれ、限られた西国遠征・1日の予定が潰れてしまいました。しかも遊びに行くのに台風並みの土砂降りという悪天候に見舞われてしまいました。今回の遠征は準備等々がほぼできない状態での出発でしたから、こうした悪しき状況は致し方無いのかもしれません。予定を再構築し、限られた時間の中で最小限必要な場所をセレクトして、急行しました。室生龍穴神社には立ち寄らず、その奥宮「妙吉祥龍穴」を目指しました。到着時は雨は止み、曇り空でした。車を停めて外に出た瞬間、轟音が響いていたのには驚きました。これまでは「いつもチョロチョロとしか水が流れていない」と皮肉ではないのですが思っていました。この日は激しい降雨だったので「招雨瀑」(しょううばく)の水量が凄まじかったのです。将に〝龍がうねる〟かの如しでしたよ。畏敬の念を持ちながら、とっても楽しむことができました。もう、同じ様な情景を目にすることは無いでしょう(未だ未だ長い生涯があるのに)。あの気難しい大和国室生の龍からの賜物でした。こうして記事にまとめるため画像を見直しているのですが、やはり現場での迫力には敵いませんな。
因みに別件ですが、龍鎮神社(あれが神社かどうかは置いといて)はどうだったのでしょう?訪れようとしましたが、カーナビのデータに残っていなかったので途中で断念しました。降水量から推測するに、〝龍鎮の滝〟に下りることができなかったのではないか?そもそも水量が多過ぎて境内まで行けなかったのではないか?等と考えています。逆に〝水流の激しい龍鎮神社〟の様子を観たかったという気もあるのですが。3月26日(火)の龍鎮神社を訪れた方、おいででしょうか?
販売が終了してしまった「大日如来」Standard、3体でオーディションを開催してきました。
〝龍鎮神社でのドラゴンの眼差し〟に続き、龍穴神社で現れたドラゴンの様子です。
観光客の姿があると、どうしても集中できませんのでね。早い時間だと人気(ひとけ)が無いと想定して、未明に大和国室生龍穴神社を参拝しました。勿論、諸事を調えて境内へと立ち入りました。拝殿のところまでは普通に行き来できましたが、その裏の本殿前には朝6時過ぎまで行けませんでした。だって、おっかないんですよ。そこらへんは室生龍穴神社‐その肆の記事をご参照ください。今回は、社務所から煌々と照らされたライトを受けた入口の鳥居を見ていたら、偶然に写っていたドラゴン(の様な)のお話です。室生龍穴神社の周辺、木を観ていると彼方此方にドラゴンの様に見えるところがあります。だいたいがシルエットなのですが、今回は表情の様なものが顕かである珍しい事例に気付きました(気付かされました)。室生龍穴神社を訪れた際、あれこれと注目してみてください。因みに、活動の覚書では「龍」ではなく、未明の狛犬の横顔にしました。未明の状態が共感していただけると想いましてな。
坂東に来襲したのは藤原秀衡の軍勢※ですよ。
※上野の東京国立博物館・特別展に出張しているのは藤原清衡の須弥壇上に居る仏像群です。金色堂では中央・藤原清衡の須弥壇に、藤原秀衡の須弥壇に居た仏像群を移しているのだそうです。
中央、藤原清衡の上に居る仏像群が来ているもんだと思い込んでいました。なので、中尊寺金色堂の真ん中が留守中という状態をイメージして、実際に現地(中尊寺金色堂)に行って来ましたよ、日帰りでね。ネタバレぢゃないですがね、金色堂の中、出張中だったのは右側の藤原秀衡の上に居る仏像群でした。平泉中尊寺では〝金色堂建立900年〟を記念した特別グッズは販売していませんでした。讃衡蔵横の土産物店でのオリジナル・グッズはありましたがね。やはり、急ぎスケジュール調整して東京国立博物館に行かねばなりませぬ。
「三宝杉」の1本が倒れた凡そ一箇月後、室生寺を参詣していました。
大和国室生はよく訪れるのに、室生寺にはなかなか立ち寄らない。別に意識している訳ではありませんの。〝室生は龍と戯れることができる場所〟なので龍穴神社と妙吉祥龍穴を訪れるのは必須になっているのです。室生寺は、ちょいと龍と戯れることが無さそうな感じです。でも五重塔の上には修圓によって封じ込められた龍が居るのですよ。今回の記事をまとめていて気付いたのですが〝封印されている龍〟とは遊べないですよ(笑)。金堂や五重塔に顕著に見える湿気の被害は、この封じ込められた龍の責任でしょう。2020(令和2)年に寶物殿が新造され、あの妖艶な表情をした十一面観音が金堂を出てしまったことで、金堂が発していたパワーが減少した様な感じがします。これも封じられた龍のせいでしょう(笑)。それはそうと、「三宝杉」が並び立っているうちに何度も室生寺は訪れていますが、意識的に画像を撮っていませんでした。そのうち1本が倒れたということは特に意識していませんでしたし、竹を組んで残る「三宝杉」に近寄れなかった様子を撮ってはいましたが、それが何かは気付きませんでした。この時は「奥之院」に行きませんでしたからね。次回は「奥之院」まで脚を伸ばしますよ。
高野山奥之院、朝早で御廟前を独占していましたよ。
「龍」が居るなんて思ってもいなかったのですよ。
2023(令和5)年末、大和国遠征で、室生龍穴神社→妙吉祥龍穴→龍鎮神社というコースで龍と戯れてきました・・・とは言っても、ドラゴンを見たり/感じたりということは無いのですけれどね。帰還して画像を整理し、サイトに記事を掲載して暫く経ってから「うわっ!こっち見ているっ!」ということに突然気付いてしまいました。何せ、画像を撮った現場では「龍は居ない」と思っていましたからね。武蔵国龍穏寺へ「龍に逢いに行ってきました」という知り合いに見せたところ、「龍がこっちを見ていますね」という反応でした。まぁね、偶々そう見えたという考え方もありますので、「龍鎮の滝」を上から見た画像も撮っていたので、確認してみました。本編でご覧ください。〝龍の両目〟の如く見える岩2つが確かにあります。龍鎮神社に訪れる人が増えている様ですね。こうした画像が撮れるとよろしいですな。
「Bishamon-ten isumu Omotesando 10th Limited」の重ね/塗り分け彩色が超絶の美しさでした。
平安京の守護神ですからね、TanaCOCOROサイズであっても〝圧は強め〟ですよ。
先に購入オーディションの様子を掲載しました。TanaCOCORO「兜跋毘沙門天」(東寺モデル)のお話です。大分前のロジスティックセンター訪問時にS-Class「兜跋毘沙門天」を見せていただきました。確かにサイズが小さくなった分、威圧感もスケールダウンはしていますが、それでもTanaCOCOROサイズとしては圧倒的な迫力を備えていますよ。平安京羅城門の楼上に居たという伝説が知られていますが、学術的にはその根拠は乏しいらしいですね。山城国の東寺が本物を所蔵していますが、この「兜跋毘沙門天」は立体曼荼羅の一員ではありません。普段は東寺「宝物館」に居て、春期特別公開:3月20日~5月25日/秋期特別公開:9月20日~11月25日と限定公開となっています。この期間しか本物に逢えませんからね。スケジュール調整をして、東寺を訪れてくださいな。TanaCOCORO「兜跋毘沙門天」は300体限定生産です。これが完売、再販要望が多く寄せられ再販・・・となると、東寺所蔵の他の仏像が製品化されるかもしれませんね。皆様、TanaCOCORO「兜跋毘沙門天」を購入しましょう(笑)。
龍には逢えませんでしたが、太田資長(道灌)が居ましたよ。
大和国に行くと、室生龍穴神社/妙吉祥龍穴に足繁く通って龍を体感して楽しんでいます。年末の龍鎮神社(あれが神社かということは置いといて)でも、あることが発覚しましたのでね。たまたま「辰年」ということで龍は身近な存在になりつつあります。ということで、「龍が居るっていう寺に行って来ました」と数年前に教えてくれた知り合いを連れて、武蔵国越生の「龍穏寺」に参詣して参りました。龍との接触は残念ながらありませんでしたが、思いがけず太田資長(道灌)と遭遇しました。友達ぢゃないのですけれどね。あと楼門(山門)が、とても素敵でした。門内の四天王が魅力的でしたので、また逢いに行こうと思います。〝呼ばれちゃった〟のねで。あと楼門(山門)の天井に居るという消えかかった龍の存在も確認しますね。
「スペクトルお兄」さん(@RSyouta)の作品特集ですよ。
Google AI の、相変わらずあんぽんたんな文章作成が続いています。いつもお世話になっている「スペクトルお兄」さん(@RSyouta)の概要も、表面的なものでしたので、もっと「スペクトルお兄」さん(@RSyouta)のリペイント技術について言及される様に作品特集を組んでみました。リペイント空也の画像は「スペクトルお兄」さん(@RSyouta)の検索でよくヒットするのですが、リペイント烏瑟沙摩明王はネット上であまり目にすることはなく、リペイント天灯鬼に至っては狂ったコソ泥ヤロウが画像盗用している有様です。狂った愚かなコソ泥(温情で詐欺としてやりますが)ヤロウの征伐は近日のうちに再開しますがね。「スペクトルお兄」さん(@RSyouta)の芸術を穢すなっ、という感情での詐欺「征伐」も用意しています。・・・それは扨措き、「スペクトルお兄」さん(@RSyouta)にリペイントしてもらった素敵な作品たちの姿をお楽しみくださいな。
木目の持つ魔力につかまっちゃいました。
TanaCOCORO「兜跋毘沙門天」の購入オーディション終了後、何の気なしに見ていたカタログで気になった「極小仏」のコーナー。連れ帰るTanaCOCORO「兜跋毘沙門天」は1体だけ、と決めていたので心にゆとりがありました。そしたら、その〝ゆとり〟という心の隙間に「極小仏」が入り込んできたのです(笑)。木造(木像)は木目が美しいのは知っているので、これまで敬遠していたのですが、「極小仏」は2万円しませんからね。ブランド・スタート時のTanaCOCOROの価格ですよ。サイズは「極小仏」というだけあって、小っさいですがね。「仏像ワールド」担当・旧知のスタッフ様と仏像話で盛り上がり、圓成寺モデルの大日如来を連れて帰りました。いっぱい製品を見せていただいたのですが、他にも素敵な製品がありましたのでね。また、次の機会に迎えにいきますね。スタッフの皆様、後片付けが大変なことになってしまい申し訳ありませんでした。
S-CLASS「でも、TanaCOCOROでも「兜跋毘沙門天」は威圧感が強めです。
六孫王神社の白龍の干支土鈴、笑っていて可愛らしいんです。
今回、六孫王神社を参拝した際、氏子の皆様が楽しそうに餅搗きをされていました。参拝する時、どの季節であっても境内にほぼ参拝客は居ないことが多いのですが、人びとの声が響く境内は新鮮でしたね。「ねずみ」年から買い続けている六孫王神社の干支土鈴。残念なことに「うさぎ」年はうさぎの干支土鈴を購入することができませんでした。普通だと諦めてしまうのでしょうが、六孫王神社で買い始めましたからね。別に願掛けなぞはしておりませんが、六孫王神社の干支土鈴を揃えたいのでね。小さき神社ですけれども、選んだのは何かしらの意味があるのでしょう。ご覧の如く、にこやかで愛らしい白龍ですの。寺社およびその周辺に居るドラゴンとは違った可愛らしさで、癒やされておりまする。
色んなものが盛り沢山の安倍文殊院でしたよ。
長篠設楽原SAで、織田信長本陣跡に寄り道しました。
動きませんが、何故か堪らなく愛らしいのです。
〝年一〟の頻度で参拝している「清和源氏発祥の宮」六孫王神社。今まで何度も参拝しているのですが入口に「出生から出世までの守護神」と上手いことを掲げていることには今回初めて知りました(笑)。祀られている源経基のことは余り好きではなかったのですが、2023(令和5)年に清和源氏/河内源氏の聖地を訪れましたからね。源頼信・源頼義・源義家たちに厚意的になるよう洗脳されてしまったのかもしれません。六孫王神社の参拝は、年末か春になることが多く、参拝客もほぼ居ないのですが、今回は氏子の皆さんでしょうかね、六孫王会館前で餅搗きをして盛り上がっていました。太鼓橋あたりからは何時も通りでしたがね。「神龍池」の画像を掲載しておきました。画像の中にドラゴン(源経基)が居るか否かを、後で確認しておきます。
国宝「菩薩半跏像(伝如意輪観音)」が納まっておりますよ。
2体比較のつもりが、「尖り三鈷杵」を持っていたので3体を並べちゃいました。
TanaCOCORO「清浄比丘童子」の2体目。だって目力が凄く強かったんだもん。
何時もお世話になっているスタッフ様との雑談で「正直、可愛くないので売れないですよね」と軽口を叩いていたのですが、結果的に色黒と凄く強い目力の「清浄比丘童子」2体を連れ帰っていました。ロジスティックセンターにうかがうと、通常品に関して最近は〝購入オーディション〟を実施させていただいております。スタッフ様のご厚意によるもので、毎回心より感謝の念を以て臨んでおります。生産拠点の中国からロジスティックセンターに納品されてから検品はされているのだそうです。購入オーディションでは〝運命を感じる〟インテリア仏像と邂逅できているので、スタッフ様に「特別に選んでいただいているのですか?」とうかがったことがあります。すると「いいえ、ランダムに倉庫から持って来ているんですょ」とのご回答。いやいや、その無作為が連れ帰る「運命」の演出なのですよ。年が明けてしまいましたが、今年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。近日のうち、またうかがわせていただきますので。
「河越御所」に連れ帰ったのは色黒「清浄比丘童子」でした。本物と比べると色黒さはかなり薄いのですがね。
既に「活動の覚書」でご覧いただいた「坊主たちの購入オーディション」により、スタッフ様にご用意いただいた3体のうち、いちばん顔が色黒の童子を連れ帰りました。だってレアだと考えたからです。他の2体の顔色は〝ふつう〟でしたからね。本物の写真とイSム様のTanaCOCORO「清浄比丘童子」の造形を比較すると、かなら可愛らしくなる様にディフォルメがなされています。皆様、本物・清浄比丘童子の画像をご覧くださいな。忠実に再現されたのであれば購入意欲は萎えるでしょう。それでも八大童子を揃える覚悟で迎えたら、小っさい子どもが泣きますよ。坊主に対してトラウマになるかも知れません。そう考えれば、製品化されたTanaCOCORO「清浄比丘童子」は部屋に飾っても全く違和感は生じませんね。
せっかく瞋目が特徴なのに、瞳を黒点ポツンで済ましたらイカンでしょう。
高野山「八大童子」シリーズの4体目、「恵光童子」です。発売は2022(令和4)年10月でした。東松山のロジスティックセンターに迎えに行った筈ですが、記憶にございません。購入オーディションも実施していませんからね。ご覧の通り、格好良く、まとまった容姿なのです。併し乍ら、瞳の表現に苦言を呈しています。〝本物のコピーではない〟ということは重々承知していますが、命の「瞳」を黒点でポンとするのはどうか?と。他のTanaCOCOROシリーズ、瞳が丁寧に塗られている像があれだけあるのに、この恵光童子の瞳は・・・。直ぐにではないでしょうがTanaCOCORO「恵光童子」は再販されることでしょう。再販実現の際には恵光童子の「瞳」を丁寧に塗っていただきたく、お願い申し上げます。