春が旬の「桜鯛」をいただきました。

仕事の打ち合わせで、ちょいちょい利用している「いっちょう」様に行ってきました。
〝何でも美味〟ということでおおよそ月1ペースでうかがっています。
特に意識していませんでしたが、「おすすめメニュー」で〝旬の桜鯛〟がありました。
メニューの写真が美味そう(実際に美味い)だったので頼んじゃいましたよ。

 

こちらは「ミニ鯛漬丼」。
メニューの写真だと、わさびが乗っていませんが大丈夫。散らしておいしくいただきました。
メニューの写真だと、鯛の切り身は鮮やかな桃色。でも実際はしっかりと〝漬け〟ているのでこんな色合いでした。でも心配無用です。しっかりと美味いっ。

 

更に、こちらは「鯛天ぷら」。

メニューの写真と違った状態で出てきましたが、鯛の切り身の天ぷら5切れは変わりません。天つゆも一緒だったのですが、画像に入れていなかっただけです。
天つゆで食したり、手前の塩で食す2パターンの味を楽しむことができます。
あぁ、大根おろしを忘れていました。天つゆには入れずに、そのまま食しますので、味は2パターンなのです。天つゆに大根おろしを入れず・入れて食すれば3種類の楽しみ方ができますね。

 

合わせて、こんな感じ。

当然ですが、これ以外の料理も頼み、みな美味しくいただきました。

・・・しまったっ。
メニューで見て、後で頼もうと思っていた「ごま鯛茶漬け」を忘れてしまいました。

また近日中に「いっちょう」様にうかがうことにしましょう。

 

ところで〝鯛の天ぷら〟と言えば、徳川家康ですよね。
家康が食した天ぷらは現在のものとは異なり、イメージし易く表現すると鯛の切り身をオイル・フォンデュしたもので、表面はカリッとしていますが油ギトギトの状態でした。
〝初めての食感〟に気を良くした家康は、自分が高齢の爺であることを忘れ、腹一杯に鯛の油漬けを食したのだといいます。薬の調合を趣味に節制していたとはいえ、豊臣家を滅ぼして気が緩んでいましたな。
1616(元和2)年1月、鷹狩で駿河国田中城に滞在していた家康に、茶屋四郎次郎(3代目:清次)が当時京(みやこ)で話題になっていた〝鯛の切身の油揚げ〟に辣韮(らっきょう)を擦ったものをかけて食する料理の話をしたのだそうです。この話を聞いて鯛を食いたくなった家康は、たまたま届いていた鯛をこの調理法で食したのでした。
1616(元和2)年4月、駿河国駿府城において家康は没します。〝鯛の天ぷらの食い過ぎ〟で死んだのではなく既に胃癌を患っており、元和2年時点ではかなり病状が進行していたと考えられています。まぁ、あんな乱世と状況でイロイロ(1616)ありましたが、よく長生きできましたわ。

こうした家康の故事に学び、油っぽいものを食す際、大根おろしを意識的にそのまま食しております。てへっ。

2022年02月27日