活動の覚書(ブログ)

河越御所およびエンターテイメント研究所の活動覚書です。

探究三分野の更新記録はもちろん、その他関連することがらや雑多なものごとに関する情報を気ままに書き記していきます。

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活動の覚書(ブログ)一覧

誉田御廟山古墳から大仙陵古墳をハシゴしましたよ。

朝早で誉田御廟山古墳/誉田八幡宮に挨拶し、その足で大仙陵古墳へ向かいました。普段は坂東で生活をしていますのでね、日本列島で最大の前方後円墳・大仙陵古墳、2番目の規模の前方後円墳・誉田御廟山古墳をハシゴするという遊びはとても楽しかったのです。堺市博物館での滞在時間は短いものでしたが、売店で欲しかったグッズが入手できましたし、地階の体験コーナーは満足できました。人目を憚らず長持形石棺レプリカに入りましたし、本物の石棺周辺から出土した金銅装「眉庇付冑」(まひさしつきかぶと)や短甲(たんこう)のレプリカを愛でました。常設展示も素晴らしいんですよ。また堺市博物館と大仙陵古墳へ遊びに行きたいと存じまする。

2026年11月02日

応神天皇/誉田別尊(ほむたわけのみこと)との約束を果たして参りました。

2026(令和8)年8月初旬のことでした。前回(2月下旬)の参拝時に時間が無くて、誉田御廟山古墳を訪れることができませんでした。その時、応神天皇から「また来ればいい」と言われた様な気がしました。5箇月が経過してしまいましたが、「また参拝しますね」という約束を果たしてきましたよ。朝の参拝でしたが、ご覧の如く澄み切った濃い青空の下、八幡宮→誉田御廟山古墳や八幡宮というコースを楽しむことができました。航空写真を見て、可能な限り古墳に近付こうと考えましたが、住宅地に囲まれているため半分は建物越しの古墳でした。遙拝所から望む誉田御廟山古墳は神々しかったですよ。皆様も是非、古墳一周の散歩を楽しんでくださいな。

2026年11月01日

ヤマト政権の大王墳墓、満喫してきましたよ。

継体天皇の墳墓「今城塚古墳」を訪れてきました。隣接する古代歴史館でボランティアのおじちゃんから丁寧な展示の説明を受けていた時、継体天皇が厩戸皇子(聖徳太子)の曾祖父だということを教えていただきました。厩戸皇子(聖徳太子)は、父方・母方でみても継体天皇の曾孫になります。こうした関係を知ると、継体天皇にも親近感を持ってしまいます。大和国法隆寺は毎年1度は参詣していますので、毎年は難しくても2~3年に1度くらいは今城塚古墳を訪れようと存じますよ。今城塚古墳は織田軍に削られ、大地震でガタガタになっていますが、こうして現在も古墳としての姿を維持していることに驚きを感じざるを得ず、また維持に貢献した方々への敬意を表しまする。

2026年10月08日

源頼信・源義家の墓参りは迂回路を推奨しますが、この渡り橋にあがるところが難所です。

羽曳野市からの【重要なお知らせ】2026年09月04日付で、源頼信・源義家の墓へのぼる見学路が倒木で通行不能になっていることが発信されました。「河越御所」による墓参りは2026(令和8)年8月上旬のことでした。迂回路の奨励が役に立つとは・・・。因みに羽曳野市の通知ですと「通行不能箇所」PDFファイルが閲覧できます。こちらでは、渡り橋の向こう側から坂をのぼってくる道を奨励しています。未だ通行止めの解除がなされていない様ですね。2通りの道、どちらを採択するにせよ、渡り橋の横っちょからあがることは避けることができません。健康な方々であれば難なくあがることができます。足腰に不安をお持ちの方にとっては難所となりますから、同行者の方の協力を以て墓参りを楽しんでくださいまし。

2026年09月29日

急遽、摂津国満願寺を参詣したら、馴染みの無い源氏の方々が大勢おりましたよ。

摂津国多田神社に参拝したあと、源氏関連の社寺を羂索して摂津国「満願寺」を参詣することにしました。多田神社から3-分かからない程だと聞いたのですが、カーナビの誘導通りに進んだのに一時間弱も要してしまいました。満願寺へ参詣する方々は案外多く、境内の彼方此方に人影がありましたよ。「三廟」「源氏の七塔」と、これまで馴染みの無かった源頼光系統の方々との対面を果たしました。って言っても、見えないんですけれどね(笑)。いわゆる「坂田金時」の墓が、とても良かったんですよ。「金太郎」のイメージが全くせず、大柄で隙の無い〝古の武者〟(いにしえのもののふ)でしたよ。見えていませにんよ、感じ取ったのです。時間にして2~3分くらいだと思いますが、充分に深い語らいができました。正直、何を言っているのか解らなかったんですけれどね。帰る旨を伝え、「また参詣しますね」って挨拶したら微笑んでくれましたよ。見えていないのですがね(笑)、帰り道、風鈴が吊り下がっている所に来たら、風鈴たちが一斉に涼しげな音色を奏でてくれました。見えない/話せないってことで、風鈴の音を使われたみたいですよ♪

2026年09月27日
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