陣羽織はお洒落の競い合いであるとともに、心中の願望が見え隠れしちゃいます。

こちらは中世後期から近世の武将たちが戦場において着用した「陣羽織」(じんばおり)の一例です。東京国立博物館・本館の5室・6室における「武士の装い‐平安~江戸‐」の展示でひときわ目立っていた

陣羽織 「白練緯地種子影文字経文模様」
(しろねりじしゅじかげもじきょうもんもよう)

です。

残念ながら、2021(令和3)年8月22日でこの展示は終了してしまいました。
また何時か展示されることでしょう。

陣羽織は、鎧を脱いだ際に鎧下着の上に着用したところから始まったと考えられています。
織田信長が中央の政治に関わっていくチョイ前の天文・永禄期(1532~1570)頃には戦場で着用する羽織類が存在していたことが記録によって確認されています。

戦場において武将たちが着用しますが、生地・形状に工夫を施したり背中に家紋や好みの意匠、更には信仰を表現する文言等を示し、陣中および戦場での自己の存在アピールをする機能もありました。当世具足を着用するようになると変わり兜や鎧の脅しとともに色合いや模様等で遠目からでも誰かが判ってしまいますので、優勢な戦闘状況や勝ち戦の場合は活躍している場面をたくさんの人びとに印象付けることができますが、劣勢や負け戦の時には目立つ分〝狙われる〟目印となってしまいます。危険を回避するために脱ぎ捨てたりすると、敵に拾われれば首級を獲られたのと同様の屈辱となってしまいます。

〝死と隣り合わせ〟である戦場において「護身」の期待・祈願を込めて神仏名や経文等を入れる場合もあります。
冒頭にあげた「摩利支尊天」(まりしそんてん)は、武将たちに好まれた仏の名です。
摩利支天(まりしてん)は仏教守護神・天部の一尊で、陽炎(かげろう)を神格化したものです。〝実体が無い〟陽炎は捕らえることは不可能であるだけでなく、焼けない・濡れない・傷付かないという危険な状況に身を投じる武将たちの心の支えとされたのです。甲冑の意匠に採用されることもありますし、胸中に小像を入れたり、旗印に用いるなど摩利支天信仰は武将たちに受容された信仰のひとつでした。

写真を撮りそこねていますが、前方には「愛染明王」と「不動明王」の種子(しゅじ:仏教用語)が施され、内側には経文が書写されています。
死を覚悟する反面、無事なる帰還を期すという、矛盾した願望が見え隠れしていますね。

「文化遺産オンライン」(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/514708)
で閲覧できる画像(白練緯地種子影文字経文模様)では、前面・背面2種の様子を見ることができます。ただ、こちらを見ると損傷が著しいので、東京国立博物館で展示されている陣羽織は模造品であると考えられます。

東京国立博物館で展示されている文化財はたくさんありますが、何かひとつに注目して調べてみるのも、楽しき娯楽のうちです。

2021年09月17日