陸奥国三峯神社(岩手県)

「別の三峯神社がある」と知り合いに教えられ、連れてってもらいました。
 周囲に何も無く、道端に建っているということで、それほど期待する訳でもなく、現地に到着しました。

 

以前は鬱蒼としていたそうですが、最近草刈りがなされ、スッキリした状態なのだといいます。
画像には写っていませんが、白・黄・紫色の蝶々が出迎えてくれました。
早速、歓迎されている感じでした。

三峯神社
〒023-0402 岩手県奥州市胆沢小山

鳥居の向かって左側に案内板があります。


  三 峯 神 社
      所在地 奥州市胆沢区小山字ウエ大畑平

  この地域では明治の頃まで狼の被害が大きく、
 困り果てた朴ノ木沢、大畑平、中沢地域の有志が
 石祠を建立し「オオカミお堂」と命名し祈願す
 るようになった。
  明治三十四年「三峯神社」と改名し、旧暦九月
 十九日を祭礼日と定め、次の方々で三峯神社の
 のぼりを奉納した。

 (13名のを名前は個人情報のため省略します)

  その後、石祠が風雨にさらされるのを忍びないと
 した氏子十六名によって昭和六十二年念願の堂舎
 を建立し衣川三峯神社の分祠となることを願い出
 て本社秩父三峯神社より許しを得た。

   「本山」三峯神社
      所在地 埼玉県秩父市三峰

     衣川三峯神社
      所在地 奥州市衣川区下衣川字松下
                         」


さて、境内に歩みを進めていきます。

 

年季の入った朱塗りの鳥居です。
向こう側に小さな堂舎が見えています。
意識して撮ってはいませんが、鳥居の後補運・左右に神木らしい立派な杉の木が真っ直ぐ、逞しく上へと伸びていました。


鳥居を潜ると

蜘蛛の巣が張っていて、鳥居から剥がれた朱い顔料がまるで浮いているかの様に引っ掛かっていました。
〝剥がれても落ちない〟・・・逞しさというか、この田圃の中にポツンとある「三峯神社」の強さを感じましたよ。


堂舎は、ご覧の如くこぢんまりしていて

扉も閉まっていて、社務所等はありません。



近付いてみると

「三峯神社」という額が掛けられていました。
扉の中央・左側に賽銭を投じる様になっています。

様子を撮ってはいませんが、堂舎の真後ろには根元が合わさった3本の杉の木が生えていました。
この場所が〝選ばれた〟ってことが推測できます。


堂舎の左手側、斜め上あたりに〝パワーを感じる〟と言うので見たのですが・・・そういうの、見えんのですよ(笑)。

取り敢えず「ほぉ~っ」とキョロキョロしていたら

見っけましたよ、パワーの根源(笑)。
調べていませんけれどねっ、こりゃ「霊木」ですわっ。



この「霊木」の前に「南無阿弥陀仏」を刻んだ石碑が立てられています。
大正時代、この辺りで実際に発生した遭難事故の犠牲者の冥福を祈るための碑だそうです。


文句を言う訳では無いのですよ。

でも、「霊木」の根元にこんな感じで碑を立てているのです。
「霊木」が窮屈だって。
ほらっ、根の張り方がキモチ悪いでしょう(笑)。

 

こうして画像で見るとピンと来ませんが、実際に近付いて観察すると、かなり複雑な生え方をしているのが判ります。
ちゃんと断ってから、触れてみました。
間違い無く「霊木」でしたわっ。



「霊木」の対面には

神社の境内でよく見掛ける、根元が合わさった木が生えていました。
この場所、やはり選ばれていますよ。



堂舎の前から、道路側を観ています。

カンカンの日照り状態なのに、鳥居を潜ると凄く涼しいのっ!
冷房がついている訳ではありませんが、木々の間から涼しげな風が戦いでくるのです。
目視はできませんでしたが、沢の流れのお陰かもしれませんね。


とっても素敵な所を教えて貰いました。
また、参拝することになるでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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