大日如来(京都浄瑠璃寺/BuddhismArt 株式会社謙信)

今回は、早めの駆足初詣で訪れた京都・浄瑠璃寺様が所蔵される「大日如来」像のお話です。

事前の下調べもせず、勢いで上洛して山城国・大和国の神社仏閣を探訪してきました。
自家用車の機動力を活かし、十数年前に訪れた九体阿弥陀如来に再び逢いに行こうと考えたのです。

・・・ところが、2020(令和2)年7月15日~2021(令和3)年6月20日の期間、九体阿弥陀如来の中尊像(中央の大きな阿弥陀如来像)が修理のためにお留守でした。随分前にアナウンスがなされていました。

しかしながら中尊像のご不在の間は、通常非公開となっている灌頂堂本尊・大日如来像が本堂中央に据えられているということで、これはまたレアな光景を目にすることができました。
毎年1月8日~1月10日の3日間限定で公開される、有り難い像なのです。

 

今回紹介する浄瑠璃寺灌頂堂・大日如来坐像レプリカは、「日本の造形美を世界に伝える」ことを掲げられ、「細部表現と独自の色彩表現を重視した本格的な立体・美術工芸品の企画・開発プロデュース」されている1997(平成9)年創業の株式会社 謙信 様が制作された造形です。
他にも仏像関係としては阿修羅、不動明王、盧舎那仏、薬師如来を手がけられています。残念なことに品切れになっている物が多いのですが、期間限定で再販もされている様です。

さて浄瑠璃寺・大日如来像ですが、2005(平成17)~2006(平成18)年にかけて公益財団法人住友財団の助成をうけ、東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修理彫刻研究室による修理がなされました。

(東京藝術大学大学院 美術研究科 文化財保存学専攻 保存修理 彫刻研究室HP
                  http://tokyogeidai-hozon.com/news/news.htmlより)

平成の修理前の姿は、近世(江戸時代)の修理で泥下地が厚く塗られた状態だったそうです。
「泥地」(泥下地)とは、漆の代用として牛骨から抽出した膠(にかわ)を使用した下地で、硬化した後でも水や湯につけると溶け出し、湿気にも弱いという難点があります。この下地に漆を塗ると、通常時はある程度の固さを維持することはできても、僅かな傷や隙間から水分で溶け出してその箇所から傷み出すということがあるそうです。作業上、水で溶かしながら塗り・研磨をするため手早く作業を進めることはできますが、正確な平面や鋭角的な箇所を整形するのは難しいといいます。利点としては漆よりも工期を短縮することができ、材料費も安価で済ますことができることをあげることができます。
ですから近世には、短い期間で低予算の修理が行われたということになります。
厚手の泥下地に覆われていた浄瑠璃寺・大日如来像は、亀裂・剥落・浮き上がり箇所が多く見られ、更に虫害も被っていたといいます。

平成の修理は住友財団の助成により、東京藝大学・文化財保存学保存修復彫刻研究室の手によって実施されたそうです。
近世修理で塗り重ねられた泥下地・彩色を全て取り除き、本来の像に施されていた漆塗りの層はそのままとし、それ以外は木地仕上げとなりました。これが現在の浄瑠璃寺・大日如来の姿です。

泥下地・彩色を除去したことで、刀の彫り跡・錐点・木寄せなどという奈良仏師の特徴的な技術が確認できたそうです。しかしながら、木地は著しい虫害を被っている箇所があり、速やかなる保存処置が必要な状態だったといいます。

 

さてさて、株式会社「謙信」様が「浄瑠璃寺」様から特別に許可を得、制作された秘仏・大日如来坐像レプリカが此方になります。

像の均整のとれたプロポーション、深い精神性を湛えた表情、その美しさを細部まで写し取るまで、何度も特別に拝観をされたのだそうです。

胸の前において両手で智拳印を結ぶ金剛界・大日如来像で、結跏趺坐する姿となっています。時間の経過による深い色合いは、筆を用いた手彩色による表現だといいます。

360度、回転させて像の全体をご覧いただきましょう。

 

 

 

頭部・顔面のアップ画像です。
頭髪は高さのある髻が結われています。天冠台を装着していますね。
本物は眉間の白毫に数珠玉を嵌入していたといいますが、平成の修理後には交換されたそうです。
眼は玉眼が施され、鼻孔をわずかにくぼませています。勿論、このレプリカは玉眼ではありませんが、妖艶な眼差しがしっかりと再現されています。
まるで生きているかの様な上下唇の縁どり、バランスの良い顎の形、そして「三道」も再現されています。

 

天冠台の様子を左側・背面から観てみました。
天冠台の上に宝冠を据える場合もありますが、浄瑠璃寺・大日如来のそれは失われています。
天冠台は紐2条の上に無文帯と紐1条、さらに八方の花形が表現されていますが、花形は斜めに削られてしまったようです。その様が忠実に再現されています。
本物は八方に花形を据える跡が残っていて、花形ごとの境目にふたつの弧を描く猪目(くぼみ)を彫り出しているそうです。

良く観察すると、天冠台の上縁が外側に反り返っているのが判ります。
この形態の無文帯の天冠台は、鎌倉時代初期の慶派(奈良仏師)の技術的な特徴だといいます。同時期の作例としては、
 1183(寿永2)年の「筑前講師」銘入り・岐阜県横蔵寺大日如来坐像
 1210(承久4)年の静岡県修善寺大日如来坐像
などがあるそうです。

 

耳の形状は、耳朶を長めにした耳朶環状(じだかんじょう)となっています。
耳孔(じこう)は表現されていません。

 

耳の後方から肩にかけて左右共に垂髪を広げながら垂らしています。

 

左手の人差し指を右手で包み込む「智拳印」(ちけんいん)を結んでいる、金剛界の大日如来です。
右手で仏を、左手は衆生(しゅじょう:人々のこと)を表しています。

右の前腕部には、近世の修理時に被せられた泥下地・金彩色を除去した下から確認された漆膜層を再現しています。この漆膜層は造像時のものと推定され、本物では保存されたといいます。

 

背面にまわってみましょう。

条帛は、左肩から右脇へと斜めにかけられており、左胸前において結ばれ、一端は左肩から背面へと垂らし下げられています。
折り返しが付いている裾(きょ)を着けて、更に腰布を巻いています。

左右の腕には臂釧が、右手首には腕釧が嵌められています。

背中にも近世修理の泥下地・金彩色を除去した現れた漆膜層が再現されています。

 

下半身は、右足を外にした「結跏趺坐」(けっかふざ)のスタイルになっています。

 

大日如来は蓮の葉を重ねた台座となっています。
本物の台座はこの下に基壇があり、検診・大日如来坐像はその部分を省略しています。
高さに関しては全く違和感を持つことはありません。価格面での省略なのでしょうか。

藪内佐斗司氏/髙宮洋子氏による
「浄瑠璃寺灌頂堂大日如来坐像保存修復報告」
 『東京藝術大学美術学部紀要』第45号(2007年12月)
によれば、

1176~1186年あたりに、初期慶派の奈良仏師によって制作されたという推測がなされています。造形的にも鎌倉時代の力強く張りのある体軀と比較すると、細身で衣文の彫りも浅いところ等から平安時代後期の定朝様を踏襲しているという分析がなされています。

 

現物の拝観が限定されている、歴史的に貴重な仏像が、工夫と企業努力によって製品化されていることはとても喜ばしく、是非とも製品種類を増やしていただきたいと強く感じでいます。

 

 

 

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