陸奥国鎮守府八幡宮(岩手県)その参

2026(令和8)年の初詣で参拝した陸奥国鎮守府八幡宮に〝お礼参り〟をしてきました。
「何でもウマくいく」っている〝招き午〟をいただきましたのでね。

温かな春の陽射しを受け、鎮守府八幡宮に向かいました。
田植え前の田圃には、水が満ちていました。

駐車場に車を停め、八幡宮に向かいます。
駐車場は直ぐ側(そば)なのですよ。
駐車場に到達するまでは一方通行の細い田圃道ですのでね。
慌てず、安全第一で向かいましょう。


こうしてね、鳥居前は道を挟んで田圃ですよ。

この道は広くなっていますが、車の乗り入れは止めましょうね。
表示等はありませんが、常識ですよ。



参拝客はいませんでした。
宮司さんが送風機で境内の掃除をされていました。
音で判りましたよ。

ご覧の如く、心地良き晴天でございました。
手前には、鎮守府八幡宮の沿革が示されています。


  鎮守府八旛宮 略記

當宮御祭神は国家を鎮護し学問産業を
盛んにし災を除き人の一生を守り給ふ
八幡の大神とまをし
誉田別尊 息長帯姫命 市杵嶋姫命の
三神にまします
桓武天皇 延暦二十年に坂上田村麻呂
をして東奥鎮撫のとき崇敬勧請せらる
宇佐八幡宮 この地に鎮い給ひ
鎮守府八旛宮と号して東北開拓経営の
守護神となられ給ふ 国家の崇敬厚く
嵯峨天皇より宸筆の八旛宮印を賜る
 源頼義 源義家 奥州藤原氏は共に
神威を蒙り報賽するに神領神宝を
もってす
 文治元年 源頼朝は殊に欽仰し神事
悉く幕府の御領とし陸奥出羽両国の
官物をもって諸祭を執行し恒例とす
 豊臣秀吉及び伊達氏も亦厚く崇敬し
社殿を奉納す
 文化年中 伊達藩奥七郡の総寄進を
もって現社殿を造営す
 明治九年御巡行のとき
明治天皇御代拝を賜る 朝廷将軍
領主庶民の崇敬厚きにより県社に列す
  祭日 例 祭 九月十五日
     加勢祭 旧正月八日
                     」


文字が見え辛くなっていますのでね、ご参照くださいな。



「鎮守府八幡宮」と、風格のある文字が彫り込まれております。

近所の子どもがチャリンコを放って、鳥居を潜っていきました。

 

子どもが小走りで見えなくなるまで、待っていました。
別に急いでいた訳ではありませんでしたのでね。



額を見上げると

紙垂がひとつ、落ちて(無くなって)いましたね。
そういうことも、ありますわ。



鎮守府八幡宮の境内、ほぼ真ん中に堀で囲まれた場所があります。
勿論、立ち入ることは許されておりません。

石橋を渡りきること、罷り成りませんの。



柵の向こう側に

石製の祠?が3つ並べられ、中央には観音像が配されていました。
何でしょうね。



真ん中ぢゃないんです。

右斜め奥(禁足地の隅)に岩があり、聖域であることが示されています。



立ち入ることが出来ませんので、ズームして観ています。

礎石の様にも見える石が、回りに複数ありますね。
黒っぽい岩が立てられていますよ。



もっと拡大してみました。

穏やかな風が心地良かったのですよ。
結局、この岩が何を意味しているのかは判らず仕舞いでした。
今後も、いろいろと調べてみますね。



愛らしい狛犬(阿・吽)の間を通り抜けます。

画像には撮っていませんが両方共、顎の下を〝よしよし〟って撫でてやっています。



手水舎で浄めましたが、その画像も撮っていません。
手水舎よりも

隣に生えている杉の大木、幹が割けている?のに逞しいのです。
注連縄は掛けられていませんが、頑張っている木でしたよ。



三の鳥居の前です。

画像こそ撮っていませんが、鎮守府八幡宮はいつも玉砂利に箒目が綺麗に施されています。
この日も、そうでしたよ。



三の鳥居を潜って左手側、

ここも立ち入り禁止のエリアです。
雪が積もっていると、こういった場所であることは気付きません。



この左手前には

無造作にまぁまぁ大きい平石が横たわっていました。
凄い昔、何かで使われていた感じの平石でしょうね。



ここに、何があったのでしょうね?

今度参拝するまでに調べてみますね。
判明することがあればイイのですがね。



拝殿の前に立ちましたよ。

青空の下の参拝、〝お礼参り〟っていう側面もありましたしね。
気分爽快、楽しい参拝でしたよ。



奥の方で宮司さんが掃除をしておられました。

江戸時代の社殿といいます。

 

創建時の建物ではありませんが、充分な歴史的重厚さを備えておりますよ。
境内の雰囲気が、極めて良好なのですよ。



〝お礼参り〟でしたからね、賽銭箱に千円札を投じましたの。
気持ちは万札を投じたつもり(笑)。

鐘を鳴らして、感謝の気持ちを伝えました。
無心に近かったかもしれませんがね。



賽銭箱の上に掲げられた額は

黒い下地のものですが、



その後ろの、拝殿入口に掲げられているのは

枠と文字が赤く塗られた額です。



拝殿は開放されていました。

 

 

入りたかったのですが・・・止めておきました。
次回、宮司さんにお願いして拝殿から参拝してみよっかな。



拝殿の左側、計台車の若木社と神木です。

「八幡宮」の額が掲げられていますが、計台車・若木社です。

 

上がりませんでしたがね、


縁には「八幡宮」と彫られた石版が置いてありましたよ。

 

隣には、注連縄が掛けられた神木が立っておられます。

ちょいと幹が割けていますが、生命力の強い神木です。
近付き過ぎていましたので、少々後退りしまして

 

神木の根元の様子を観ています。
小さい祠が配置されています。

 

これって、縄文時代の石皿・すり石のセットぢゃん?
何故に、ここに置かれているのは判りませんがね。



この神木の根元、不思議なの。

樹皮が捻れているの、お解りいただけますでしょうか?
小さい祠に、説明書が張り付けられていました。
その記載内容は


 鎮守府八幡宮境内社
若木[若気]社の神木       祭神  若木久久能知大神

 この神木は根際の三ッの幹がねじれ絡んでいるように見え、上に伸び合わさり一つの樹になっています。
この様な樹形は他所には無く大変不思議な形をしており、推定樹齢は一一五〇年幹回りは六m五〇㎝推定樹高は二九m。杉の巨木としては当地方で最大のものと言われております。
 古来より夫婦和合、子孫繁栄、恋愛成就に特別に強い信仰があり、また悪縁を切り良縁にに変える神威が有り、いろんなな(ママ)悪縁切りにも高い御神力があると言われております。
 お宮の扉を開けて拝んでいただくとともに神木の霊気を感じとって自分の身体に樹魂を受入れ日々の安寧と心に願うことを御祈願下さい。
 お参りの後は扉を閉めて他言しないように。他人に喋ると望が叶わない言い伝えられております。
                                       」

と、いうものでした。
写真は撮っていますが、現場で文章を読んでいませんでした。
次の参拝時、扉を開けてみますよ。
願い事、今のところ具体的にありませんがね。



神木ですからね。
縦方向のパノラマ画像で、全体の様子を撮りましたの。

う~ん、迫力が凄いですね。



180度回転すると、鎮守府八幡宮の本殿が見えます。

神体だけでなく、宝物なども納められているのでしょうかね。
壺井で見たように鏡はやはり「内行花文鏡」でしょうかね?



そんなことを考えていると、急に強い光が射してきました。

晴天でしたがね、鎮守府八幡宮本殿の横っちょが更に明るくなりました。
八幡神からも、天照大神からも愛でられていることを実感しましたよ。



小一時間ほど、鎮守府八幡宮を楽しむことができました。
この後、予定がありましたのでね。

鎮守府八幡宮を後にします。
次の参拝はいつになるのか定まっていませんが、少々名残惜しいの。



二の鳥居を潜ろうとした時、

本殿の方向から爽やかな風が、背中を後押ししてくれました。
ホンに些細なことですが、大阪で壺井八幡宮・誉田八幡宮で「武威」を賜りましたからね。
「河越御所」はね、八幡神からも猛烈に愛でられていますの(笑)。



境内を出ると、これから田植えに備えている田圃を見て〝今年は豊作になる〟予感がしました。

今年はイイ年、いやいや何事も〝ウマくいく〟年ですからね。
秋頃に、この田圃が豊かな実りを湛えている様子を見に来ることができるといいな。



陸奥国胆沢城を臨んでいます。

〝蝦夷征討〟って言っても、もはや敵は居ませんのでね。
巡察と称した観光ですよ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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