吉野ヶ里遺跡出土「把頭飾付有柄青銅剣」(肥前国)

此方、かなり前にオークションにて入手したものになります。7/12紹介の山口県長門市の王屋敷遺跡(向津具遺跡とも)出土「把頭飾付有柄銅剣」レプリカを既に入手しておりましたが、何の気なしに画面を見ていて偶々、箱入りの吉野ヶ里・有柄銅剣レプリカを見つけ、手頃な価格で落札することができました。

墨書で〝吉野ヶ里遺跡〟の文字が入った箱に納められています。蓋を開けてみると、

赤いサテン地の布が敷かれ、箱の中で銅剣がずれない様に固定する針金が付いています。

同梱の説明書に
「目録
 平成元年神崎郷吉野ヶ里遺跡より出土した。
 把頭飾付有柄青銅剣の実物大のレプリカです。
 佐賀県文化課に製作の問合せして、
  ・・・(中略)・・・
 製作の作品であります。
 ダイカスト鋳物と異なり1本1本手作りです。
 □□商店創業75周年を記念して製作したもので。
 いつまでも愛用して戴ければ幸いです。

        平成弐年参月二拾五日
       □ □ 商 店
        ・・・(中略)・・・      」

とありました。企業名は□□とし、個人名が入っていたところは(中略)としておきました。

ある会社の創業記念で製作された、吉野ヶ里遺跡出土の「把頭飾付有柄青銅剣」の実物大レプリカということです。

吉野ヶ里遺跡で出土した有柄銅剣は折れた状態で発見されましたが、このレプリカは完全体の状態を模した物となっています。

 

剣身部分は、くびれのある細形銅剣です。

出土品は折れたり、緑青がふいていたり、腐食していたりと往時の姿が損なわれていますが、このレプリカは往時をイメージして全体的に肉厚な造りになっている様です。

剣身を横から見ています。
出土した有柄銅剣の各パーツがバランス良く造られていますが、刃部に相当する箇所の〝刃物〟としての再現はなされていません。
斬るという用途を備えることではなく、銅剣レプリカという造形の再現がメインですからね。ペーパーナイフとして造られた小さい物の方が切れ味が良くなっています。
横から観ても〝肉厚〟であることがおわかりいただけることでしょう。

 

銅剣の切先部分です。
実際に刺突する訳ではありませんので、尖ってはいますが、それほど鋭利な加工を施してはいません。分厚さを残しているので、触った程度では怪我することはありません。
箱に入れて飾っているのであれば、充分な迫力を持つ先端です。

 

「把頭飾」付きの柄の部分です。まさに〝有柄銅剣の顔〟にあたる部分ですね。
この箇所も肉厚かつ綺麗に形が整えられています。
鋳巣(いす)が目立った箇所でしょうか、補修の形跡が認められます。

 

〝有柄銅剣の顔〟を違った角度から観ています。
造られた当初は、どのような色をしていたのでしょうか。
あの甕棺に葬られた人は、どの様な装いで、この剣を帯びていたのでしょうか。
時間や場所を越えて、想像が膨らんでいきます。
博物館・資料館では他の方の目もありますからそうはいきませんが、レプリカには手元でリラックスしながら想像する楽しみ方があります。

 

「把頭飾」の部分を正面から、そして横から観た画像です。
〝のっぺりした〟造形でも良かったのでしょうが、〝窪み〟には何か意味があるのではないかと推測してしまいます。

 

山口県長門市の玉屋敷遺跡(向津具遺跡)出土の有柄銅剣の場合は〝ほぼ直線〟に見えるのですが、吉野ヶ里遺跡出土の有柄銅剣は柄との交差点が凹んでいますので、何かを巻き付けるということは無い様です。
それでも単に窪みがあるだけで、光の当たり方により見え方は変わってきますからね。

 

 

鞘に収めて帯剣した時、人びとが目にする箇所です。
鋳巣ができてしまった様で、補修の痕跡があります。
しかしながら、このサイズ・形態で修整がわずかであるということは、製作に携わった職人さんの高度な技術が判るところです。

 

このレプリカのサイズが如何様なものかを感じていただくため、持ってみました。
やはり山口県長門市の王屋敷遺跡(向津具遺跡)出土の有柄銅剣と同様、弥生時代の剣なので〝意外と短め〟です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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