阿修羅(M-ARTS リアル仏像 精密現存復元仕様/茨木Ver.限定品)

今回紹介するのは、阿修羅(M-ARTS リアル仏像 精密現存復元仕様/茨木Ver.限定品)です。

モデルとなっているのは国宝に指定されている阿修羅像で、前に紹介した「阿修羅(M-ARTS リアル仏像 精密現存復元仕様・廃盤)」とサイズ・造形は同様です。

彩色を担当したのが茨木彰氏です。茨木氏は2006(平成18)年にM-ARTSリアル仏像ワールド第1弾「四天王」の彩色監修を務められ、2007(平成19)年にM-ARTS造形部長就任、2008(平成20)年にリアル仏像ワールド第2弾「仁王(金剛力士像)」・第3弾「阿修羅」を総合監修され、現在はガレージキットメーカーKOCを主宰されています。

株式会社MORITA様の旧本社(現・埼玉ロジスティックセンター)にうかがうようになったのは茨木氏がM-ARTSを離れられてからなので、お目に掛かることはありませんでしたが、本社(当時)ショールーム兼応接室に展示されていた「茨木Ver.」のリアル仏像たちの存在を知り、何度も通い入手させていただきました。彼らについては、また改めて紹介する予定です。

さて、阿修羅(茨木Ver.)像の様子を見ていきましょう。

 

ほぼ同じ視点から左:阿修羅(茨木Ver.)を中心に、右:阿修羅(精密現存復元仕様)の概観を比較してみましょう。

阿修羅(茨木Ver.)の方が、本物の退色現状を意識した、汚し強めの彩色を施しています。
顔を除く肌の露出部分は、暗めで静かな赤を抑えめに塗られています。
腕は本物を意識し、緻密現存復元仕様よりも赤味を汚しで包み込むようにしています。

条帛・天衣・裳はいずれも緻密現存復元仕様よりも明るさを抑えめに退色具合を再現しています。
裳については、しつこくならない絶妙のバランスで汚しを入れ、縁取りと模様は丁寧に塗られています。
足の甲は、本物に準じて白っぽさを強めに彩色をされています。

 

各パーツごとに見ていきましょう。

まずは顔を正面から見ていきます。

<img src=”阿修羅.jpg” alt=”阿修羅”/>

真ん中が〝顎を引いた〟感じ、左が〝ちょっと顎を上げた〟感じ、右が〝ちょっと下から見上げた感じ〟の画像です。ほんの僅かな角度の違いによって、ここまで表情に違いが出ることは、写真撮影をして判ったことです。
全体像の画像では黒っぽい顔という印象ですが、顔に近づいてみると、しっかりとした赤色が塗られており、阿修羅らしさが表現されています。

 

<img src=”阿修羅.jpg” alt=”阿修羅”/>

左が、下唇を強く噛みしめた修羅界にあった幼年期の表情といわれている顔です。
右が、剥落・退色を強めに表しているので、緻密現存復元仕様よりも表情に苦悩・懺悔を含む苛立ちの様な感情が出ていると感じます。

 

 

少々角度が異なりますが左は茨木Ver.、右は緻密現存復元仕様です。
同じ素体ですが、眉の描き方と汚し具合によって、だいぶ表情の印象が変わってしまうことが判ります。

 

右腕が肩からどのような角度で出ているかを見た画像です。
角度は緻密現存復元仕様とまったく同じです。

<img src=”阿修羅.jpg” alt=”阿修羅”/>

左腕が肩からどのような角度で出ているかを見た画像です。
腕および脇の退色具合の再現がよく判ります。

 

斜め上から見た、各腕の角度です。緻密現存復元仕様と同じで、一様でないことが判ります。

角度・長さ、いずれも本物を詳細に観察してバランスをとったものになっています。
合掌も正中線からすこし外れています。

 

<img src=”阿修羅.jpg” alt=”阿修羅”/>

背面から見てみると、緻密現存復元仕様と比較すれば〝汚し強め〟なのですが、汚し過ぎという印象は全く感じられず、寧ろここまで強く汚しても〝美しさ〟〝綺麗さ〟を強く実感することができます。まさに「プロフェッショナルの仕事」です。

 

<img src=”阿修羅.jpg” alt=”阿修羅”/>

明るさを抑えていますが、首の瓔珞、上腕部の臂釧、手首の腕釧にはしっかりと金色が差されています。条帛も布の重なり具合と縁取りの金が色合いを調整して彩色されています。

肩に羽織られている「天衣」は、本物の剥落・退色を忠実に再現すると、この場所だけ浮いてしまい、全体の彩色バランスが崩れてしまうので、茨木Ver.なりの絶妙なデフォルメが施されています。

 

下半身にまとっている裳(左:正面/右:背面)ですが、折り返し部分の影になっている所や襞の所々に赤味が見て判るように差されています。これは造像当時の彩色が、ルーペで接近して観察すると赤色であったということを意識してのことです。緻密現存復元仕様では天衣折り返しの影にほんのりと赤味が見えますが、茨木Ver.は剥落・退色に加えて赤味を差す彩色を自然なバランスで再現しています。

<img src=”阿修羅.jpg” alt=”阿修羅”/>

裳の宝相華を拡大してみました。
線刻に基づいて、裳の風合いを害さないようバランスをとっての彩色がなされています。
襞によって色味の変化が彩色で再現されているのですが、これは技術的に極めて高度なもので、一切の妥協を許さない芸術になっています。

<img src=”阿修羅.jpg” alt=”阿修羅”/>

長い指の足が装着している板金剛です。
足の甲が白っぽくなっているのは、本物の阿修羅準拠です。

 

興福寺の阿修羅像は、光明皇后(藤原光明子)が734(天平6)年に生母・県犬養三千代(橘三千代)の一周忌の追善供養で西金堂を建立した際、丈六の釈迦三尊を取り囲むように並べられた釈迦浄土の群像のうちの1体でした。
『正倉院文書』の「造仏所作物帳」を見ると、造像は「仏師将軍万福」が、彩色は「画師秦牛養」が中心となり、百済からの渡来系仏師集団が造像作業に当たったことが判ります。

さて、阿修羅「三面」の各表情については、研究者の間でも様々な解釈がなされています。興味深いことに奈良大学がAIシステムで阿修羅の表情読み取りを行っています(https://www.nara-u.ac.jp/buddience/)。
古文書・古記録に明確な記載が無いため、像を観る人の感性により表情の解釈は似通うことも、相反することもあるでしょう。

日下草平(くさかそうへい)さんは、著書『阿修羅の涙 興福寺八部衆の謎を解く』(東京出版社 2018)の中で、以下の叙述をされています。

「阿修羅をはじめとする奈良興福寺の八部衆像は、藤原氏の陰謀によって無実の罪をきせられ、非業の最期を遂げた左大臣長屋王(ながやおう)とその妻吉備内親王(きびないしんのう)および四人の王子たちの霊を慰めるために、藤原の子である皇后光明子が、母橘三千代の遺言に基づいて造らせた鎮魂と懺悔の像である。八部衆のうち六体の人間形の像は、それぞれ
畢婆迦羅(ひばから)は長屋王、緊那羅(きんなら)は長男の膳夫王(かしわでおう)、乾闥婆(けんだつば)は(異母兄弟の)桑田王(くわたおう)、五部浄は葛木王(かつらぎおう)、沙羯羅(しゃがら/さから)は最も年少である鉤取王(かぎとりおう)の生前の姿を写しとっている。そして八部衆の中心をなす阿修羅の正面像は、長屋王の妻吉備内親王の姿を写したものである。さらに阿修羅に隠された秘密はこれにとどまらない。左面の顔は、娘に長屋王一家の供養を託して無くなった光明子の母橘三千代、そして右面の下唇を強く噛みしめた顔は、八部衆の造像に至る辛く悔しい思いを懸命にこらえる、皇后光明子自身の顔を写したものである。」
                              ※( )は読みを補足したところです。

八部衆のうち人間の姿をした6体が、天武天皇の孫で聖武天皇を支えた長屋王とその家族であり、聖武天皇の皇后・光明皇后(藤原光明子)が母・橘三千代(県犬養三千代)追善にあたって八部衆を制作させ、長屋王一家の鎮魂を意図したというのです。

畢婆迦羅(摩睺羅伽:まごらが ともいう)像=長屋王?

緊那羅=長屋王の子:膳夫王?

乾闥婆=長屋王の子:桑田王?

五部浄=長屋王の子:葛木王?

沙羯羅=長屋王の子:鉤取王?

阿修羅:正面の顔=吉備内親王?

阿修羅:左の顔=県犬養三千代(橘三千代)?

阿修羅:右の顔=藤原光明子(光明皇后)?

阿修羅三面のうち正面を政変で犠牲になった吉備内親王とし、左右がその鎮魂慰撫に尽力した県犬養三千代・鎮魂慰撫を継承した藤原光明子(光明皇后)と、天平期の政治に深く関わった3人の女性の関係を阿修羅の表情に込めているというのです。
政治的な敗北者の慰霊は、当時の政治に関わる者たちにとっては重要案件でした。
文献には関連の記載が存在しないのですが、政治史的な事件と県犬養三千代の追善を関連付けたアプローチとして、日下さんの推論はなかなか魅力的なものです。ご興味をお持ちの方は、日下さんの著書をご参照ください。

 

 

 

 

 

 

 

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