摂津国安居神社(大阪府)

奈良街道(国道25号)に面していますが、

この様な状態なので、素通りしてしまうことでしょう。
当然、ここに駐車スペースはありません。
駐車場を探して、ルールとマナーを遵守しましょう。

このゴツゴツした鳥居の先に、もうひとつ鳥居が見えます。
そこが安居神社です。

安居神社
 〒543-0062
  大阪府大阪市天王寺区逢阪1丁目3−24
  06-6771-4932

民家に挟まれた、車が一台やっと通れる細道を入っていきます。

 

突き当たりの高台に安居神社が鎮座しております。

二の鳥居に辿り着きました。

 

石段は、まぁまぁな勾配です。
この石段を上りきると、

 

この社殿の前に立つことになります。
主祭神は、少彦名神(すくなひこなのかみ)・菅原道真(すがわらのみちざね)。
「素盞鳴命」(すさのおのみこと)を咥える説もあります。

901(昌泰4/延喜元)年、いわゆる「昌泰の変」で左遷された菅原道真が筑前国へと向かっている途中、此方で休憩をしたといいます。
「河越御所」は菅原道真と業務提携をしておりますので、祀っているとなれば・・・なのですが、余り〝道真感〟は伝わってきませぬ。
まぁ、それはよしとして。

 

手水所の龍(ドラゴン)です。
綺麗に整備されていますね。

 

今回、安居神社を訪れたのは

この右手側にあります。

とは言いながら、左手の大木に目を奪われ、後退りして観ます。

社殿前には大らかな木が生えていました。
どの様な謂われがあるのかは、判りません。

 

さて、目的の場所には

「真田信繁」(さなだ のぶしげ)の像が居ります。
一般的には真田幸村で知られていますがね。
この像は2009(平成21)年12月に新造されたものといいます。

 

後方に
「 安居神社
  真田幸村公 終焉之地
     真田日本一之兵  」
の幟が立っていました。
反対向きでしたがね。
いいんです。真田は味方ではありませんので。

 

観光客の方々が旗印「六文銭」に因んで5円玉・1円玉を並べておりました。
未完成の部分は、〝敵ながら天晴れ〟ということで補っておきましたよ(笑)。
実際には戦っていませんがね。

こうして画像を見ていて思いました。
 「しまったっ!永楽通宝を持って行けば良かったっ!!」
と。
次回、訪れることがあれば永楽通宝6枚を並べる所存です。
そんなに熱意はありませんがね。

「さなだ松」、取り忘れていました。

 

「幸村戰死跡之碑」の文字が掘られていました。

真田信繁は、『大坂御陣覚書』によると「越前勢」(松平忠直:秀康長男/家康孫)に所属していた鉄砲組頭「西尾仁左衛門」(西尾宗次)に討ち取られたとあります。
場所は「安居天神」(安居神社)とされています。

2013(平成25)年、福井県立図書館が保管する松平文庫から「忠昌様大坂ニ而御戦功有増」(ただまささまおおざかにてごせんこうあらまし)が発見されました。
この記録によると、概略ですが

○西尾宗次は、「よき敵」を見付けたので声を掛け、相互に下馬して鑓を合わせ、この敵を鑓で突き倒し、「甲を付」たままで討ち取った。
○西尾宗次は討ち取った敵の「名も知れず」という状態であった。
○羽中田市左衛門・縫殿之丞の兄弟が西尾宗次のもとを訪れ「彼験」を見たことで、真田信繁の首級であることを知った。
○西尾宗次は徳川家康・徳川秀忠に謁見し、真田信繁を討ち取った場所は住吉海道の生玉と諸満(勝鬘)の間であったとこたえた。

ということが注目されました。

関係の古文書・古記録を実際に確認しなければなりません。
また大阪に出向く用があるので、その時までには該当する史料に当たってみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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