八部衆(イスム「掌」 興福寺モデル ブランド10周年特別商品・限定200セット)

2011(平成23)年4月8日、灌仏会が行われる仏教にはとても所縁のある日に「イSム」ブランドを設立されました。株式会社MORITA様では既に「仏像ワールド」ブランドが存在し、仏像販売と「インテリア仏像」の元となる仏像フィギュアの取り扱っておられました。「イSム」ブランドでは〝本格的な仏像フギュアをお手頃価格で提供する〟ことに重点が置かれているように受け止めております。商品開発上、難しい問題も多々あるかと存じますが、今後も著名で特徴的な仏像のインテリア仏像化を楽しみに期待しております。

 

2021(令和3)年の「10th ANNIVERSARY CAMPAIGN」において、遂に興福寺モデル〝天竜八部衆〟が発売されることになりました。
これまでTanaCOCOROシリーズでは阿修羅と五部浄(廃盤)が発売されました。現物はこれからなのですが、公開されている画像・データから阿修羅を基準に身長を見てみると本物に準拠したものになっています。

                                 (イSム様公式HPより)

およそ1年の開発期間をかけ、国宝に指定されている乾漆造「興福寺八部衆」をモデルにした、待望のインテリア仏像群です。
「10周年記念」の特別商品=200セット限定ということで、ご興味をお持ちの方々は早めに確保の行動をとることをお勧めします。あとで後悔しても取り返しがつきませんからね。

 

興福寺西金堂は、733(天平5)年に亡くなった県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ/橘三千代とも)の供養のために734(天平6)年、娘の光明皇后が建立した堂宇です。
イSム「八部衆」のモデルとなった本物・八部衆は、この西金堂の本尊・釈迦如来像の周囲に安置された眷属群像で、脱活乾漆造(だっかつかんしつぞう)の技法を用いて造像されたものです。

乾漆造は塑土(そど)で形づくった原型に麻布を漆で重ね貼りし、仕上げを施します。この製作方法によって、繊細な表情や美しく均整のとれた体軀を表現することが可能になりました。しかしながら高級な漆を使用するため膨大な製作費用が掛かったそうで、こうした造像は官営造仏所であった「造東大寺司」などに限られていました。光明皇后の発願による西金堂建立でしたから、西金堂に納める諸像も造東大寺司のもとで製作されたことが予想できます。

東大寺正倉院文書の中に興福寺西金堂の造営記録である「造仏所作物帳」が遺っています。
これは、光明皇后の発願で建立された興福寺西金堂の造営および造仏に関する733(天平5)~739(天平11)年の記録で、西金堂造営が733(天平5)年正月21日から翌年(天平6)正月9日までの時間を要したこと、仏師・画師の1箇月の報酬までが記されています。この記録から、造像は百済からの渡来人「仏師将軍満福」、彩色は「画師秦牛養」がおこなったことが判明しています。将軍万福は光明皇后発願の造像に携わっていること、当時は少なかった「仏師」の職称を許されていたことなどから、当時における一流の造像技術を有していた人物であると考えられています。

「八部衆」は、インドにおいて古くから信仰の対象とされてきた異教の神々を「仏法に帰依した」という設定で守護神とした護法善神のことです。仏教の教理に基づいた神々ではないため、成り立ちや性質・容姿は様々なストーリーがあり、また不明な事も多々あります。
また、興福寺八部衆は何れも洲浜座の上に直立した姿で、守護神という設定上、鎧を着用した武装の姿で表現されています(阿修羅は除く)。八部衆の造形は極めて似たもので、十大弟子と共に同一の工房(造東大寺司か?)で造像され、八部衆・十大弟子が「ひとくみ」として造像・安置されたと考えられています。

西金堂の群像たちは霊鷲山(れいしゅうざん)における「釈迦集会像」と呼ばれるもので、718(養老2)年に帰朝した道慈(どうじ)がもたらした『金光明最勝王経』に拠った当時最新の造像群だったのです。聖武天皇は『金光明最勝王経』を国分寺に納めさせ、光明皇后もこれを深く信仰しており、「釈迦集会像」すなわち懺悔の法を説く釈迦と、それに聞き入る諸尊の姿(八部衆・十大弟子)を興福寺西金堂内に再現することは容易に想像することができます。

平安末~鎌倉初期の成立と考えられている京都国立博物館所蔵『興福寺曼荼羅図』(重要文化財)には、本尊・釈迦三尊像の左右、前方・後方にそれぞれ2体ずつ配置されていたことが描写されています。

何れの像も乾漆像ですから、およそ15㎏ほどの重量で、この〝軽さ〟により、幾度にもわたる興福寺の被災の中から運び出され難を逃れることができたと言われています。

ちなみに八部衆・十大弟子は共に、鎌倉時代に捕彩されたことが記録にあります。

 

 

さあ、前置きが長くなってしまいました。

午前中に前半の文章をまとめ、午後から東松山のロジスティックセンターに「七部衆」を迎えに行ってきました。
掌・阿修羅は既に居るので、専用ひな壇と共に7体を連れ帰ってきました。

まずは、ロジスティックセンターにおける初対面の様子です。

歓喜の極みだったのでいきなり撮影してしまいました。
蓋を開け、ビニールの覆いをとるという段階を踏んで画像を撮れば良かったと反省です。

右上の空白部分は「阿修羅」が入るスペースです。
「七部衆」を選択すると、箱の蓋を開けると、この様な画を見ることになります。

イSム様公式HPにあるガラス・ケース、アクリル・ケースに入れると「カッコいい」そして「素敵である」ことは判っているのですが、掌1体もしくは2体セットが買えるほどなので、今回は見送りました。
「八部衆展示台」は1つ購入してきました。次回うかがった折り、在庫があれば幾つか購入して、飾り方に幅を持たせようと考えています。

 

戻ってきて早速、箱を開けてみました。

同梱の説明書を除けると、

 

・・こうなります。

 

ビニールを除けると、七部衆の姿が顕わになりました。

 

それでは早速、専用ひな壇(正式名称は「TanaCOCORO〔掌〕八部衆展示台」です)の上で連れ帰った七部衆と、既に居る阿修羅たちを対面させます。

 

「イSム」ブランドがスタートした際、東日本大震災のチャリティーで販売されていた〝ブロンズ風〟黒塗りの阿修羅を合流させた画像です。
まぁまぁ、馴染んでいる印象ですね。
また、別の機会にTanaCOCOROシリーズの阿修羅は記事にまとめる予定です。

 

 

2番目は、通常の阿修羅(但し旧版)を合流させた画像です。

TanaCOCORO阿修羅は2016(平成28)年5月12日にリニューアルされています。
この画像の中に居る阿修羅は、このリニューアル前の旧版です。
当然ですが、とても調和がとれていますね。
そのうち、リニューアル後の新版を連れ帰りたいと考えています。
因みにStandard阿修羅は、2014(平成26)年11月5日に最初のリニューアルが行われ、2016(平成28)年6月15日の再リニューアルを経て、現行モデルとなっています。
当御所のHPでは「リアル仏像」時代の阿修羅や2020年に発売された限定版の記事をアップしていますが、Standard版の「イSム」阿修羅にも幾多の変遷があり、それらを検証してみたいと考えています。

 

 

3番目は、極彩色の阿修羅を合流させてみました。

当たり前ですが、極彩色・阿修羅の主張が強過ぎます。本人にその気は無いようですが・・・。
この画像を見て、「八部衆」の極彩色Ver.を製作・発売などがイSム様の企画会議で話題にならないよう祈るばかりです。

 

 

4番目には、アンティーク・ゴールド版の阿修羅を合流させました。

おぉ、違和感があるという見方が一般的でしょうが、意外と溶け込んでいる感もありです。

 

 

 

折角なので五部浄に移動してもらい、中段に阿修羅4種を並べました。

七部衆の配置、それと阿修羅4種の組み合わせで色々な画像を撮ることが理論上可能ですが、収拾がつかなくなるので止めておきます。

 

VIP会員だと発売日前に宅配便で届けられるということを聞きましたので、休日を調整して発売日前日に七部衆を迎えに行ってきました。
お世話になっているスタッフの方とのお話の中で、いつも色々と学ばせていただいているのですが、今回の「八部衆」(七部衆も?)は売れ行きが好調なのだそうです。
お話をうかがっている時も宅急便の車が来社し、発送業務を進めておりました。
200セット限定となっていますが、発売日前日時点で残り100セットをきっているそうですよ。
気になった方は速やかに「カートに入れる」ボタンをポチッとすることをお勧めします。
ブランド設立記念品ですからね、油断していると売り切れてしまいそうです。

 

なお七部衆は連れ帰ってきてから1体ずつ全体像と各パーツに注目した画像を撮りました。画像チェックが済んだら、7体それぞれの観察をしていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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