烏瑟沙摩明王(瑞龍寺/MJD株式会社)

今回は越中国高岡山瑞龍寺で販売している「烏瑟沙摩明王」のお話です。
北陸地方(加賀国・越中国)、加賀前田氏の支配領域に立ち入るのは初の試みでした。

継嗣が無かった前田利長は44歳の若さで異母弟の前田利常を養嗣子として加賀国金沢城を譲り、自身は越中国富山城に隠居しました。利長は利常を後見しつつ富山城を改修しながら城下町を整備しましたが、1609(慶長14)年の富山城焼失を受け一時魚津城で過ごした後、未開の地であった射水郡関野に高岡城を築くとともに城下町の整備に尽力しました。その際、利長は越中国富山より法円寺を招聘したといいます。
利長は1614(慶長14)年5月20日に高岡城で病没、前田利常は利長の戒名(「瑞龍院殿聖山英賢大居士」)に因み法円寺を利長菩提所として「瑞龍寺」と改称しました。

加賀前田氏が抱えていた大工集団には、
 禅宗様の「建仁寺流」
 和様の「四天王寺流」
 越中国内に屋敷地を拝領した集団
の3派があり、彼らを競合させることで、高度な建築技術を有していたそうです。

加賀藩御大工の開祖・山上嘉広(やまがみ よしひろ/通称は善右衛門)は建仁寺流の大工で、瑞龍寺伽藍を1646(正保3:利長33回忌)年から1663(寛文3:利長50回忌)年にわたる17年の歳月をかけて建立・整備しました。
鎌倉時代に伝来した中国禅寺建築様式をイメージして建立されたそうで、総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配列させ、左右に禅堂と大庫裏を配置し、周囲を回廊で結び繋いでいる伽藍構成となっています。建物を一直線に並べるのは典型的な四天王寺式伽藍配置ですから、流派云々とはいいながらも、良き影響(技術の交流・融合)はあったようですね。

瑞龍寺「法堂」(はっとう)は明暦年間(1655~1657)に竣工した建造物で国宝に指定されており、江戸時代は「大方丈」と呼ばれた前田利長の霊廟で、現在に至るまで利長の位牌が安置されています。

件の「烏瑟沙摩明王」は、法堂右側「般若の間」に祀られています。
木造で像高117.0㎝の烏瑟沙摩明王は富山県指定有形文化財に指定されています。

法堂内で厨子に納めて祀られていましたが、彩色調査の為に現在は厨子から出されています。2020年末までは、どの方向からも拝観が可能な状態になっています。勿論、写真撮影はなりません。
山門から回廊を左に進むと、「七間浄頭」(東司)に近いところに高岡銅器様による復元・烏瑟沙摩明王像が置かれていましたので、こちらは気兼ね無しに撮影させてもらいました。

奥に見える扉から先が、いずれ再建されるであろう「七間浄頭」(東司)に繋げられるのだといいます。

他の観光客の方が立ち去られてから、色々な角度で撮影をしました。
何故、後方からの撮影をしなかったのかを悔やみつつ、また何時の日か瑞龍寺を訪れる理由を見出しました。
現在、瑞龍寺では京都の業者に彩色調査を依頼しており、いずれこのレプリカに彩色が施されることが検討されているそうです。極彩色の姿になる前に今一度、現状の姿を目に焼き付けたく存じています。

さて、今回迎えた「瑞龍寺 烏瑟沙摩明王」像について見ていきましょう。

件のレプリカ像は法堂内、柱の所に積み重ねられたお札の隣で、人形ケースに入れられた状態で展示されていました。十数名の観光客の方々が御住職のお話を聞き終えて移動、人形ケール前が空いたところを見計らい、御住職に声を掛けさせていただきました。

「此方の像を購入させていただきたいのですが、ここでよろしいのでしょうか?」
すると御住職、「ここではなく奥の方にあるので、ちょっと待っててください」と堂の奥に入っていかれました。30秒ほどその場で待っていると、なかなか大きな手提げ袋を手に、御住職が戻ってこられました。
この下にある写真の状態で、件の烏瑟沙摩明王と初接触を果たしたのです。

御住職に代金を手渡すと、「どちらから来られたのですか?」と問いかけてこられたので、「武蔵国(埼玉県)から参りました」と答えたところ、「そりゃまぁ遠いところから。有り難いことです。」とお土産を頂戴致しました。頂き物ということではなく、初対面であるにもかかわらず、とても心温まるご対応をいただき、この御縁を得たことを心より嬉しく感じました。
〝烏瑟沙摩明王を迎える〟という目的はこれで達成されたのですが、機会があればまた参詣したいという気持ちになりました。

加賀前田氏の「加賀梅鉢」が散らされた包装紙が懸けられていました。テープで丁寧に6箇所、貼り付けられていました。

 

黒地の箱に銀文字で

  国宝 高岡山 瑞龍寺
  ○(加賀梅鉢)烏瑟沙摩明王像
                   」
と印字がなされています。

箱の蓋を開けると、注意書の下でビニール袋に入った烏瑟沙摩明王像の姿が見えてきました。

 

注意書を取り除き、烏瑟沙摩明王の姿が顕わになりました。

 

箱から取り出して、正面から観た「瑞龍寺 烏瑟沙摩明王」レプリカ像でず。

鎌倉期・慶派仏師の作品に見られるような筋肉質ではないものの、力強さが満ち溢れる造形バランスが美しく、更にカッコいいのです。制作時期は確定されていませんが「室町時代以前」、もしくは「室町時代末期」(『国宝指定記念 瑞龍寺展』図録)と推測されているそうです。

烏瑟沙摩明王は一般に不浄の場、特に〝厠の守護神〟として密教・禅宗寺院で祀られています。また世間一般的に烏瑟沙摩明王は立体的な像として現されることは少なく、印や梵字・呪文と共に札へ記されたが頒布される例が多いようです。立体的な像であっても小振りな物であることが多いのですが、瑞龍寺・烏瑟沙摩明王像は檜の寄木造で全高141㎝(頭頂から右足までは117㎝)と大振りで、恐らく〝日本で唯一最大の烏瑟沙摩明王像〟であると予想されています。

360度、回転させてみました。

 

片足立ちなので、見る角度によって倒れてしまいそうに感じますが、しっかりと固定されていますので安心です。

 

瑞龍寺・烏瑟沙摩明王レプリカの表情を正面から観ています。

眉間に皺を寄せ、眉尻を上げ、眼をくゎっと見開き、頬の肉が盛り上がり、叫ぶかの如く口を開けています。上向きの牙が生えている忿怒相ですが、口が小さめに感じます。

 

引いて観ると宝冠には瑪瑙石が2つ填め込まれ、宝冠や円い光背の火焔の造型がとても繊細であることを実感します。
これらによって、全ての不浄を焼き尽くす功徳が表現されているそうです。
「不浄」に対処する明王としては金剛夜叉明王も知られていますが、こちらは〝心の不浄〟を食い尽くすといいます。それに対して烏瑟沙摩明王は〝物の不浄〟を喰らうのだそうです。烏瑟沙摩明王は古代インド神話においては「ウッチュシュマ」「アグニ」と呼ばれる火神で、仏教に取り入れられてからは世の汚穢一切を烈火で清浄へと化す力を有すると信仰され「不浄潔金剛」「火頭金剛」とも呼ばれているそうです。
髪の毛は「炎髪」と呼ばれる逆毛になっているのですが、正面からだと宝冠の陰に隠れて見えません。

円い光背が正面になるように観ています。金属っぽい感じが、よく表現されています。
斜めから観ると、正面からの表情よりも若干迫力が和らぐ感じがします。
この画像でも宝冠によって炎髪の様子が隠れています。後ろの頭髪が逆立っているのがチラ見えしています。

ほぼ横顔の角度で観ています。
鼻筋が通っていますね。
耳たぶには穴が空いていて、長く垂れ下がっています。これを耳朶環状(じだかんじょう)といいます。
この角度から観ると、口が小さいので顔のバランスがとれているのが判ります。
顳顬から耳にかけての青い彩色の残痕が見えます。調査によってこの烏瑟沙摩明王の肌は群青色であったことが判っています。

 

頭部の後ろ側にまわってみましょうか。

円い光背へ火焔がどの様に取り付けられているのかが判ります。
頭髪の逆毛は、この火焔の勢いによるものだそうです。

髪の毛は頭頂部で結い上げ、その先が炎髪状態になっています。
この角度から、後頭部の頭髪が円光背の焔の影響で逆立ち、波打っている様子が判ります。

 

再び、前の方へ戻ってみましょう。

胸部の拡大画像です。
胸の瓔珞は別物ではなく、胸に浮き出るような造形となっていますが、とても細かく表現されています。本物には珊瑚が用いられているそうです。
身体に巻き付けられている衣は赤味の強い彩色が目立ちます。両肩から脇下にかけては緑色の彩色を見出すことができます。
胸部を中心に彩色剥落状態を彩色で再現している箇所が見えます。意外とこの表現は難しい。

肩から腹・腰にかけて纏っている衣は複雑に重なり合っていて躍動感を表現しています。
両腕には青緑色の腕釧が装着されています。
また、この視点からだと、顎・首周りや上腕部、そして胸から腹にかけて意外に〝ぽっちゃりしたお腹〟をしていることが判ります。
胸から脇腹にかけても彩色の剥落が再現されています。

右脇から腹・腰にかけての様子です。
幾重にも、そして風にたなびく躍動感溢れる天衣の造形が素晴らしいですね。
この角度から観ても、ずっしりした重量を感じさせる肉厚な下半身になっています。

 

右手で持っているのは三叉戟(三叉槍)です。穂先と柄の形状から矛の可能性も考えられますね(造像者はあまり拘っていなかったと思いますが)。
1998(平成10)年の『国宝指定記念 瑞龍寺展』の図録に掲載されている写真や、2014(平成26)年の高岡美術館・特別展示での写真では三叉槍(十字槍)ではない、槍(矛)でした。しかし穂先の根元部分に膨らみが見えますので、十文字の左右に広がる箇所が欠損しているのかも知れません。
現在、厨子から出されている烏瑟沙摩明王が手にしているのは図録・特別展示の写真と同様の状態です。ですから、レプリカは欠損部分を復元したのでしょう。
けら首(矛だと袋)にあたる箇所には布が結び付けられた造形があります。

三叉戟(三叉槍)の穂先拡大画像です。
この形態の槍は、ギリシア神話だと「トリアイナ」、インド神話だと「トリシューラ」と呼ばれ、自然現象を操作したり人間の精神性へ影響を及ぼす強力な武器として認識されているものです。
〝不浄を焼き尽くす〟烏瑟沙摩明王の持ち物として、制御しきれない荒ぶるエネルギーを象徴する三叉戟(三叉槍)は相応しいですね。

しつこいようですが、カッコいいので三叉戟(三叉槍)の穂先拡大画像です。

 

今一度、背面に廻ってみましょう。

円光背が背中に、この様に固定されているのですね。
重量や時間の経過にも堪え得るような固定方法なのでしょう。
本物は木造であるにもかかわらず、天衣と裳の重なり・結び目・靡き方が布の柔らかさをしっかり現しているのは仏師の高度な表現力の賜物ですね。

大きく身体を捻っているのに全く不自然さを感じることの無い態勢、厚みがある衣を纏っているのに軽やかな躍動感を伝えるこの造形、やはり造像にあたった仏師の力量は素晴らしいものがあります。
また、円光背の固定箇所は、この画像から見ると高さの調整ができるのでしょうか?
改めて本物をじっくりと観察したくなってしまいます。

腰回りの様子です。
残存の顔料から、制作当時は華やかだったことが想像できます。
幾つもの曲線が複雑に絡み合っていますが違和感なく、まるで本当の衣を着用しているかの様です。
本物だと木造、このレプリカ像だとポリストーン製でこの表現力。
こうした造形美を見せつけられると、そして手に取ると、もうフィギュアなどという分類では収まりません。美術品・芸術品の領域に入っています。

 

右の片足立ちの体勢で、左足は膝を曲げながらかなり高く上げた状態です。
その左足の甲を左手でむんずと掴んでいます。
軟らかい身体の方でなければ真似できない体勢でしょう。
やはり〝ぽっちゃり〟していますよね。
それでも全体の調和が見事にとれているので、何の違和感もありません。

足の親指が立っているのは、何かしらの意味があるのでしょう。
単純には足の親指が起きていることで、静止している姿でも〝動き〟を感じさせる効果があります。
上腕部・手首・足首にはお揃いのブレスレットを装着しています。
腕・膝から臑にかけての表現が絶妙ですね。本物の様な肉質感がこの画像から伝わってきます。

角度を変えて、左手で左足の甲を掴んでいる様子です。
左手の親指と左足の親指が連動するかの様に〝動き〟を見せています。
こうした細やかな配慮が行き届いている造形が、何処から見ても躍動感を観る者に伝える工夫なのです。

 

持ち上げ支えられた左足の先には・・・「猪頭天」(ちょとうてん/いとうてん)。

猪頭天:「おいっ、何すんだよっ、踏むんじゃねえよっ。」

猪頭天:「・・・えっ。お願いですから、踏みつけないでくださいっ。」

猪頭天:「・・・ホント、踏むのをやめて・・・」

猪頭天:「・・・助けてっ。・・・」

角度を変えると猪頭天の心の声が聞こえてきそうです。
後ろ手に縛られ、跪きながら今にも踏みつけようとする烏瑟沙摩明王に向けて必死に哀願をしているかの表情です。猪頭人身という奇怪な容姿であるにもかかわらず、これがまた愛らしい。

猪頭天は悪態をつく〝不浄の神〟として身柄を拘束され、烏瑟沙摩明王によって今にも足蹴にされようという設定になっています。
猪頭天のたたずまいには様々な解釈があるようですが、理解の範疇を大いに超えているので、この程度しか触れることができません。

背面から後ろ手に縛られている猪頭天の姿・・・。哀れで物悲しい拘束状態です。

猪頭天は〝侍者〟と位置付けられ、一度の出産で10匹以上も産み出す「多産の猪の神格化」を具現化したものという解釈もあるそうです。
この考えから、烏瑟沙摩明王は〝厠の守護神〟として祀るという認識以外に「子孫繁栄」、武家における後継としての「男子出産の祈願像」という側面も有しているのだといいます。

ちなみに、この烏瑟沙摩明王レプリカの猪頭天は両耳を備えていますが、瑞龍寺の本物は両耳が欠損しています。鼠によって損なわれたというファンタジーなお話が付随しているのです。

 

 

織田・羽柴(豊臣)の世を生き抜いた前田利家の後継・利長が、跡継ぎとなる男子に恵まれずに苦悩していたことはよく知られています。
一説には京都の腕の良い仏師によって造像されたとも言われる瑞龍寺・烏瑟沙摩明王の法力を期待して男児誕生や男子変成を祈願したと考えられています。残念ながら男児を設けることができず、異母弟・利常に家督を譲渡しています。
でも、加賀前田氏はこの烏瑟沙摩明王の法力・功徳によって繁栄したのでしょうね。

 

参考までに。

同梱注意書の末尾に

〈素 材〉ポリストーン製(人工大理石)
〈販売元〉高岡山 瑞龍寺
     〒933-0863 富山県高岡市関本町35
〈製 作〉MJD株式会社
     〒933-0959 富山県高岡市長江607

という表記があります。

瑞龍寺・烏瑟沙摩明王レプリカの制作にあたっている「MJD株式会社」様ですが、高岡銅器、高岡仏具、各種美術工芸品、アルミキャスト、エクステリア住宅関連、景観事業等のデザイン企画から設計、製作、販売、キャラクターフィギュア企画製作までをおこなっているそうです。
何とっ、公式HPで「烏瑟沙摩明王」像が販売されているではありませんかっ!

国産で、このクオリティで、更に安価っ。
恐るべき企業が、この国の地方に存在しているのです。
可能かどうかは定かではありませんが、他の地方寺院に伝わっている名品のレプリカ制作に挑んでいただきたく、お願い申し上げます。

 

「瑞龍寺」様は珍しく所蔵像のレプリカ販売を公式販売されています。
やはり、寺院から直接お迎えすることを是とされる方は、旅費がかかってしまいますが直接「瑞龍寺」様を訪ねて、御住職のお話をうかがうことをお勧め致します。こちらの寺院の心地良さも実感できることでしょう。

単純にレプリカ像だけを欲しているのであれば、「MJD株式会社」様の通販をご利用されると経費節減ができます。

 

 

実は今回、越中国瑞龍寺を訪れる前に、この瑞龍寺・烏瑟沙摩明王レプリカがオークションで出品されていました。
直接関係あるかは不明ですが、像をお迎えして法堂を出たところジャケット着用で腕章を付けた白髪の古老から不躾に「どっから来たんだっ?」と声を掛けられました。同行した仲間も烏瑟沙摩明王を迎えたので、どうも転売を目的とする族と思われた様です。「転売するならひとりで複数体購入するわいっ」と思いつつ、黙殺しました。仲間は不機嫌さを露骨にしながら返答していましたけどねっ。

 

御住職のお人柄とご対応が素晴らしかったため、関係者?がこの為体とは何とも傷ましいことです。
・・・烏瑟沙摩明王様、この「不浄」を何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

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