広目天(M-ARTS リアル仏像「四天王」 廃盤)

M-ARTSリアル仏像・四天王のうち、西方を守護する「広目天」を観ていきましょう。

モデルとなっているのは大和国東大寺戒壇院の広目天です。
本物よりもシャープな顔つきになる様にデフォルメされています。カッコいいっ。

 

全体像はこんな感じです。
顔こそデフォルメされていますが。身体のシルエットは本物と瓜二つ状態です。やっぱり「リアル仏像」ですからね。

 

遠くを見据えながら、グルリと360度、見渡してもらいましょうかね。

 

 

格好良いデフォルメ・ポイントは、頬を痩けさせることで顔を面長にし、本物よりも眼部の彫りを深くして〝睨んでいる〟ギラギラ感を柔らかくしていますな。

 

しっかりと遠くを見ています。恐らく千里眼なのでしょうな。
本物よりもダンディな表情の広目天になっております。
この広目天と多聞天の2体は、共に遙か遠くを見透かす様に眼を細め、怒りの感情を内面に秘めた面持ちをしています。

 

広目天の頭髪は「五山髻」(ござんけい)という結い方をしています。
髻の前には五角形の装飾板を付けています。

 

「五山髻」を左右からそれぞれ観ています。
まぁ、ナント福耳なこと。

 

「五山髻」を斜め上から。
綺麗に頭髪が部分的に束ねられていますが、リアルに、この頭髪を真似しようとしても難しいですな。

 

後頭部の頭髪は、この様な感じ。現実的に、この頭髪の再現は不可能でしょうな。

 

東大寺戒壇院の四天王は皆、インド由来の唐代甲冑を身に纏っております。
広目天が着用している鎧は、飾り紐を捻ったり交差させて胸甲(きょうこう)と腹甲(ふくこう)を結び付けるています。鎧に装飾的要素はありませんね。各パーツが小さめで身体にフィットしている軽装備のものなのでしょう。

 

左腕の獅噛(しかみ)の様子です。

 

 

右腕の獅噛の様子です。歯牙が無いので、四天王の他像とはまた印象が違いますね。

 

 

東大寺戒壇院の広目天は多聞天と共に多少腰を捻った姿勢ですが、ほぼ真っ直ぐに立っている様です。
左手には「巻物」を、右手には「筆」を持っています。

 

「巻物」、しっかりと握られています。

 

しかも、ちゃんと真っ直ぐ。

 

恐らく、長さも角度も考え抜かれて造られたのでしょうね。

 

だいぶ太く長い筆ですな。いったい何を書くのでしょうかね。
かなりの能書家だったりして。

 

やっぱり、この筆の長さや角度・・

 

そして、身体との距離までもが考え抜かれたデザインなのでしょう。
この筆の状態が、この広目天の全体像のバランスを整えるためにベストなものになっているのだと推察します。

 

前方もそうなのですが、背中も薄目の革甲の重ね・結び付けをしているのですが、細身のシルエットになっているのが判ります。
身体の動きが静かな像ですから、考えられた末にスリムなラインになっているのでしょう。

 

下半身は後ろから前方へ巻き付ける形での下甲(したこう)・表甲(おもてこう)の上に、鳩尾から股間までを防御する前楯(まえたて)を重ねて護られています。
時国天の下半身は甲が前後に割れていましたが、広目天は下甲の境目が前方・右膝頭にきています。表甲も同じく腰に巻く形態の革甲であることが判ります。

 

腰に巻かれた布と、革甲の材質の違いが見事に表現されていますね。
ホントに鎧を着用して、動いたかの様です。

 

左斜めから観ています。
薄目の甲が重なりつつ、それでいて甲に護られている身体のラインが判るように見えます。
柔らかみのある革甲の表現なのですね。
捻られた帯と、垂らされた布の造形も見事です。

 

後方から観た甲の様子です。
逞しい臀部、邪鬼を踏むために軽く足を開いている大腿部。
その状態がうかがい知ることができるように革甲にも隆起・皺が表現されています。
単純に表面を平らにしている訳ではない、この様な造形も考えた末での表現なのでしょう。

 

静かに邪鬼を踏み締めていますね。
顔の表情、身体の姿勢、邪鬼の踏み方が「静」の状態で調和が取れています。

脛甲(けいこう)も、脛(すね)に4つの飾り鋲が付けられ、上下の鋲のところで甲が結び付けられています。

脛甲と沓の境目を見ると、植物の葉の形の装飾が沓の上に被さっている様です。

 

脛の飾鋲、とても細やかに再現されています。
前の画像もそうですが、脛甲と沓の描写が細やかですな。

 

後ろから観ると、装飾は単純ですね。
邪鬼の踏み方に、不要な力みがありませんね。

 

前から観ても、邪鬼の踏み方はあくまでも自然体。

 

 

一方、踏まれている邪鬼は「静」の姿である広目天に完全に観念したかの様にへばっています。
前に観た「動」の姿である時国天だと、〝踏み躙られている〟邪鬼は絶叫しているかの様な表情をしていました。
踏まれている邪鬼の描写と、踏んでいる四天王の「静」「動」の表現は連動しているのだなと考えてしまいました。東大寺戒壇院・四天王の造形は奥が深いのですな。

 

こんな凜とした姿で踏まれたら、邪鬼も観念しますわな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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