畢婆迦羅(イSム「掌」 イSム10周年特別商品 限定200セット)

2021(令和3)年5月、「10th ANNIVERSARY CAMPAIGN」と謳われて興福寺モデル〝天竜八部衆〟が発売されました。
今回は、箱の中の黄色い枠で囲われた「畢婆迦羅」(ひばから)を観ていきます。

 

 

箱から出てもらいましたよ。正面から観ると、この様な姿をしています。

八部衆の中で唯一、逞しい顎髭(あごひげ)を立体的に備えている像で、近世の寺伝により畢婆迦羅とされています。

『金光明最勝王経』等の経典から
「龍」にあたる可能性が指摘され、もしかすると造像当初は〝龍王〟として造られていたのかもしれません。
また、大蛇・錦蛇(にしきへび)を神格化したということで蛇神「摩睺羅伽」(まごらか)に相当するとも考えられてもいますが、興福寺モデルの畢婆迦羅の姿に蛇の造形表現は確認できません。

京都東山の蓮華王院本堂(三十三間堂)の二十八部衆では、畢婆迦羅と摩瞼羅伽の双方が存在しており、畢婆迦羅は武神像として、摩瞼羅伽は五眼を有し琵琶を弾く姿をしています。
経典の記載内容と、他の寺院、興福寺モデルの制作よりもだいぶ後世の作例であることなどから、これ以上は何とも断ずることは困難です。

 

 

360度、まわしてみます。

 

 

 

ちょいと下から見上げた画像になっています。
口は硬く閉じられており、口髭・顎髭があるため、少年相の多い八部衆の中では年長者的な存在と見られています。

本物は眉がもっと細めで、もっと強めの〝10時10分〟角度になっています。
イスム畢婆迦羅の表情は赤に黒い汚しを入れ、顔のパーツは本物準拠となっていますが、目の彫りが深くなっています。本物の彫りは浅くなっており、瞳の表情がはっきりと見えています。

頭髪は、阿修羅像のものと少々形状を異にしていますが、高く髻を結い上げて左右に垂らす「垂髻」になっています。

首元と肩を防御する二重の鎧を被っていますね。胸甲を革のベルトで吊っています。
胸元に、首・肩を護る鎧と胸甲を繋ぎ止める大きな飾鋲があります。

 

 

この状態で180度、回転させてみます。

後頭部および肩の背面は、こんな感じ。
頭髪を上にたくし上げ、頭頂部で結び、左右に分けています。
後ろの首元を防御する襟がしっかりとしている二重の鎧が両肩までを覆っています。
この上を、方の胸甲と後方の背甲を繋げる革のベルトが跨いでいます。肩に掛かっているベルトが左右対称ではなく、右側に偏っています。両腕の動きと連動しているのですかね。

 

 

ちょいと視点を下げ、上半身の全体像を観ています。

右手を前に出し、左手は胸の前に置いています。
畢婆迦羅は音楽を司っており、横笛を吹いて諸神を供養しているのだそうです。

しかし両手の位置・形状から〝横笛を吹く〟体勢ではないことが判ります。
何を、如何様に持っていたのか・・・。現状では判りかねますね。

 

 

両手に注目して、上半身を正面から観ています。
上半身の前方と後方を護る鎧には、前後共に同じ様な植物の蔓をイメージした模様が施されています。ということは〝被る形式〟の鎧なのでしょう。
胸甲や、脇から腰にかけての甲が重ねられているので、機動性のことも考慮すれば革の鎧であることが想像できます。鳩尾の場所には、下の革鎧と胸甲を繋ぎ止める大きめの飾鋲があります。胸元と鳩尾の飾鋲はお揃いですね。

 

 

左手の指の動きを観てみます。
親指と人差し指で、柔らかく何かを挟んでいた様です。
中指・薬指・小指は緩やかに伸ばされ、掌(てのひら)と共に何かを載せていた様です。

 

 

右側から左手の指の動きを観てみます。
薬指が少々折り曲げられ、薬指・小指が緩やかに伸びています。
やはり指の動きだけでは何を持っていたのかは不明です。

胸甲も全体を覆っている板の上に、左右にそれぞれ動物の鱗状の装飾が施された縦長楕円形の板が装着されています。おっ、コレが龍もしくは蛇の鱗を意味しているのではないでしょうか?

 

 

ちょっと引いて、左側から上半身全体を観てみます。
左手は親指・人差し指・中指で何かを挟んで、薬指・小指が伸びています。
左腕の上腕部をみると鰭袖は絞りの下がゆとりをもって垂らされ、前腕部の窄袖もゆとりがある状態の様ですが袖口は絞られています。

右手の形状から、親指・人差し指・中指で成された輪っかで何かを包み持っていたことが推測できます。薬指・小指は添えている感じ。
右腕の窄袖から、だいぶゆとりのある袖口であることが判ります。

 

 

右前から、前に出された右手の指の動きを観ていきます。
縦長の細い物を持っていた様ですね。
右手の袖口が広くゆとりがあります。これは持ち物と関係があるのか、それとも全体の造形という観点からゆとりを持たせたのか。判断は付きかねますね。

 

 

様々な角度から両手の指の動きまでを観てきましたが。両手で〝ひとつの物〟を持っているということは考え辛いという結論に達します。これは持ち物は楽器であるという考え方によります。
龍もしくは蛇を持っているとしたら・・・、両手の指の形は納得できるのですがね。

因みにインドで信仰の対象となっていたコブラ(蛇)は中国には棲息していないため、蛇は中国伝統の龍と解釈され、日本の密教においては顎髭をともなう天部の像で龍王を表現する事例は幾つも見られるそうです。

 

 

腰元に注目して観ていきましょう。
脇腹から腰元にかけて甲が重ねられています。これが下半身を覆っている表甲と一体化しているものなのかは、この画像だけでは断言できませんね。
二重構造の前楯の表には上半身の下側の鎧・背中の鎧に見える植物の蔓状の模様(形状は違います)が共通しています。お洒落かつお揃いの意匠なのでしょう。
太めの帯で上半身と下半身を防護する鎧が組み合わせられているのでしょうか。

 

 

左側から鎧の組み合わせ方を観ています。
首・肩を護る鎧の上に革のベルトで胸甲と背中を護る板が繋ぎ止められています。
腰元では帯が締められていますが、腰の横では帯が緩まぬ様に巻き締められ、装飾的に下腹部の前で弧状に緩められている部分と、左右それぞれに垂らされている天衣状のゆらめきに繋がっています。

 

 

右側から鎧の組み合わせ方を観ています。
鎧の重ね方・組み合わせ方、帯の締め方も同じです。
鰭袖と窄袖は、よく観察すると模様が異なっています。同じ模様ではなく、敢えて変えていることで武骨な装いをしていても華やかさを加味しているのでしょう。

 

 

背中にまわって観ましょう。
背中を覆っている板は金属製なのでしょうか、それとも革製なのでしょうか。
腰元が締まって括れが生じているので、革製と判断するのが自然でしょうか?
でも鉄製で、この様な曲線を象っているとも考えられますし、何よりも植物の蔓状の装飾が彫られている鉄板という考えもあります。もしかすると革製に模様を描き表しているののかもしれません。・・・想像してみましたが、決め手に欠けますね。

 

 

下半身を護る甲の様子を観ていきましょう。
右大腿部の上に合わせ目がくる様に、下半身に巻き付ける形での下甲があります。これは上半身の物とどの様に関連しているかは判りませんね。
その上に前方に境目がくる甲が重ねられています。模様が変えられていますので、色合いも違っているのでしょう。
その上に金色の彩色が施された表甲が被せられています。境目には前舘が据えられています。この重ね具合ですと、金属では重量が相当なものになってしまいますので、革製の甲であることが想像できます。境目があることは機動性を考慮していることですから、革製の鎧と考えることが妥当です。

 

 

正面からの画像を中央にして、左右の様子が判るように並べてみました。

 

 

背中の鎧と腰から下の鎧の境目は、数回まわされている帯によって判らなくなっています。
模様の有無で、恐らく別パーツと考えた方が自然ですね。

 

 

後ろから観た、甲の様子です。
3層の甲が重ねられているのは前方から観た特徴と同様です。
裾の縁取りが前方よりも後方が厚くなっていますね。
表甲は縁取りが二重になっており、その間に丸型の鋲が据えられている様です。
下2層の甲には模様が施されおり、一番上に被さっている表甲には模様が無いため、アクセントとしての装飾と考えられます。

 

 

脛には金属製と考えられる脛甲が装着されています。
沓には目立った特徴はありません。
左右には、天衣が揺らめきながら広がりを見せ、立体的な印象を主張しています。

 

 

 

八部衆の中で唯一立体的な顎髭をたくわえているということから〝老相〟と表現されていますが、イスム畢婆迦羅は肌の張りもあり、頭髪・髭も豊かであり「老相」という表現は相応しくありません。まさに〝ナイスミドル〟というべき佇まいです。八部衆では最年長なのでしょうけれどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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