山城国六孫王神社(京都府)その肆

紀伊国高野山からの帰還途中、ちょいとだけ平安京に立ち寄りました。
とは言っても、京(みやこ)の彼方此方を巡るという時間的な余裕はありませんでしたので、定番の六孫王神社から東寺の参拝・参詣をしてききました。
この一社一寺は「河越御所」にとって特別な存在である為、JR京都駅を利用した際、意識的に立ち寄っているのです。

〝清和源氏発祥の宮〟と位置付けられる「六孫王神社」のお話です。
確かに何度も訪れていますし、境内もそれ程広くありません。
写真や着目点を変えて、記事を更新しています。

単調な捻りの無い繰り返しなんぞではありませんの(笑)。

入り口前の交差点、青信号になってから撮りました。

交通量も人の流れもありませんでした。
ちゃんと周囲の状況を踏まえながら行動しておりますよ。

今回の参拝では、ほぼ人影はありませんでしたよ。

何時もは鳥居を潜り端を渡っていくのですが、それをせずに

唐門前に一直線でした。
こういう時も、ある。

手水舎は、

柄杓が復活していました。
水も流れていました。
コロナ禍が明けたことを実感しますね。
でも世間的にはインフルエンザ感染が拡大していましたがね。

 

 

 

龍(ドラゴン)の上に〝魔除け〟の南天が据えられています。
そう、もう初詣仕様の用意ができているのですよ。

 

以前の記事でも掲載した、唐門前の狛犬(阿吽)のお姿です。

六孫王神社では、二の鳥居の前にも狛犬(阿吽)が控えておりますのよ。

 

そして、唐門右手側には神馬が居ります。

この神馬の名は不明ですが、とても愛らしいのです。

 

前髪が〝笹竜胆〟みたいになっています。
流石は〝清和源氏発祥の宮〟に控えている神馬ですわ。

 

こっから出して、連れ回したいですなぁ。
現実的には不可能ですがね。

 

端のところまで後ずさりして、唐門を観ています。

江戸時代に造られた唐門ということで、未だ歴史的には若いのですよ。
江戸幕府・徳川綱吉による寺社改修・復興政策による建造物です。

社伝によると、ここは源経基「八条亭」だったといい、経基没から2年後の963(応和3)年9月に源満仲が父・経基の墓所を築き、その前に社殿を建立したといいます。
原則、立ち入って見ることはできませんが、本殿の後方にある石の基壇は源経基の廟であるといいます。

 

〝武家の棟梁〟清和源氏の始祖を祀る、風格を備えた唐門ですね。
時代によっては荒廃したこともあったそうですが〝源経基の廟所〟ということは伝わり、こうして現在に伝承されているのです。

先達に感謝ですな。

 

唐門の下から、拝殿を臨んでいます。

見えませんがね、この後ろに本殿が配されています。

最初に歳敗したあたりは源経基のことを、あまり好きではありませんでした。
でも〝清和源氏の祖〟ということで参拝を繰り返していくうちに、段々とマイナスのイメージが払拭されていきました。
「河越御所」は〝反将門〟の立ち位置ですのでね。
〝新しい天皇〟なぞ、到底許すまじ・・・なのですよ。
そうした意味では、源経基を応援する側になります。
この意向は、徐々に伝わっていったのでした(笑)。

 

唐門の前で佇んでいると、新幹線が通過していきます。
年末でしたからね、10分もしないうちに新幹線が通っていきました。
現世と歴史の共存を物語る情景でした。

朱印をいただいて、境内を出ました。
何時もは、これで六孫王神社の参拝はおしまいなのですがね。

今回は、何時もと違うことをしてみましたよ。

 

数分歩きましてな、

ここに、到着しました。
へっ?
「何処だ?」って・・・。

 

左手側から、急に横風が吹いてきました。
明確ではありませんが、見っけましたよ(笑)。
10階近く参拝して、初めて遭うことができました。
「めっかっちゃった」って、案外お茶目でしたよ。
仲良くなれた気がしました。
とても楽しかったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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