かなり前のこと(コロナ禍よりも以前)ですが、近江国彦根で遊んだ時の画像です。
これまで何度も訪れていますがね、探訪エンターテイメント部門で一度も扱っていませんでした。
ん~っ、探訪エンターテイメント部門で彦根城を採り上げるのは・・・また今度(笑)。
午前中の早い時間に到着したので人気(ひとけ)は疎らでした。

小っちゃいですがね、全国の大名を動員して西国に睨みを効かせる為に築かれた城です。

天守閣最上階の内部は、こんな感じ。
狭いんです。
天守閣は領主の権威・権力を誇示する建造物ですから、迎賓館的な機能を果たしていました。
城主の生活空間は「御殿」(ごてん)ですからね。
織田信長も美濃国岐阜城に本拠を置いていた時は、金華山の麓(ふもと)にある「御殿」で生活し、必要があれば山道を登ったそうですよ。
彦根城天守閣の話は、このくらいにして「彦根城博物館」に足を運びました。
この時に展示されていたのは、以下の3領でした。

「朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足」
滋賀県指定有形文化財となっています。
井伊直政の具足と伝わりますが、古文書に見える記載から井伊直孝の具足という可能性も指摘されています。
機動性に優れているだけでなく、動くことで生じる隙間を防御する構造になっています。
跳弾は想定外ですよ(笑)。

「朱漆塗紺糸威縫延腰取二枚胴具足」
滋賀県指定有形文化財となっています。
井伊直定の具足と伝わっています。
井伊家当主の象徴・天衝脇立(てんしょうわきだて)に加え、
菖蒲の葉をモチーフとした前立
具足なのに大袖
が特徴です。

井伊直定の時代は〝泰平の世〟でしたから、具足で身を固めて戦場へ赴く様なことはありませんでした。
そうした時代に、敢えて武張った大袖を選ぶとは「婆娑羅な感性」の持ち主だったことでしょう。
性格・行動は、とても真摯だった様ですがね。
大袖があるだけで、かなり防御力がアップしますからね。
この構成も、なかなか素敵です。

「朱漆塗紺糸威縫遠胸腰取二枚胴具足」
伝来不明・彦根藩士の具足です。
兜の正面に金天衝を付けています。
左脇の「鼻紙袋」は薬等を入れていたものです。
「彦根城博物館」には井伊家の甲冑が多く伝来しています。
具足の構造によって、家臣団内での位置などを読み取ることができますからね。
こうして〝赤い鎧〟たちを観ていると、近江国彦根に行きたくなってきましたよ。