陸奥国鎮守府八幡宮(岩手県)

不定期に実施している「蝦夷征討」、久し振りに出征してきました。
前回は朱印帳を忘れてしまったということもありまして、今回は何としても朱印をいただこうという覚悟で臨みました。

田圃の中を通っている岩手県道270号に面し、「鎮守府八幡宮」の朱い鳥居がございます。
県道270号は、史跡「鎮守府胆沢城」の区域を貫通する様に通っています。

北上市の方からだと、うっかりと通り過ぎてしまいます。
万が一、通過したとしても道が狭いので停車・Uターンは危のうございます。
奥州市埋蔵文化財調査センターまで進み、そこでUターンをして向かうのがよろしいでしょう。
この鳥居には駐車スペースなぞは無いとお考えください。
車一台通るのがやっと・・・という道幅ですが、県道270号を通る車の妨げとなりますから躊躇すること無く一気に入ってください。
車で鳥居を潜るというのは少々憚る感じもしますが、そうしないと進むことができません。

 

左手側の碑から朱い鳥居を見ています。
駐車して撮影したのではありません。
鎮守府八幡宮の駐車場に車を停め、歩いてここまで戻り、その上で鎮守府八幡宮へ向かっていったのですよ。
この場所での駐停車は迷惑行為となります。

 

歩いていると、視野が広がりますからね。
鳥居の手前に、こんな拳サイズの穴が開いているのを見つけてしまいました。
いやいや、これは危ない。
〝蝦夷たちが仕掛けた罠〟でしょうな。気をつけないと。

 

朱い鳥居に据えられていた「鎮守府八幡宮」の額です。
八幡宮の雰囲気を醸し出しています。

この朱い鳥居(一の鳥居)で、かなり時間を費やしてしまいました。

 

鳥居を潜り、歩みを進めていきます。

 

5分程、進んでいきますと

この標識を目印に右折します。

 

ここを右折すると、

あとはこの道を直進するのみです。
対向車が来てしまうと、どちらかが道を湯ずらなければなりません。
つまり、交差できるところまでどちらかが引き下がらなければならないのです。
「運」ですよね。

 

胆沢城・政庁跡からも鎮守府八幡宮に繋がる道があります。
その道を車で行き来するのは・・・脱輪した時のことを考えると止めた方がよろしいでしょう。

田圃道の中の彼方此方には、こうした案内表示が設置されています。
城跡の殆どが田圃になっていますので、この表示が胆沢城の区域をイメージするのに役立っています。

 

胆沢城・外郭北西隅の表示を中心にしたワイド写真です。
左手が鎮守府八幡宮への道、中央部分の向こう側が胆沢城・政庁所在地になります。

 

2023(令和5)年は又しても酷暑となりましたが、稲穂の実り具合は順調の様でした。
豊作が期待できますなぁ。

 

黄色い案内板(右折)から10分程度歩くと、漸々「鎮守府八幡宮」の前に辿り着きます。

鎮守府八幡宮
 〒023-0003
 岩手県奥州市水沢佐倉河宮ノ内12
 0197-24-6791

 

鳥居(二の鳥居)の右側に建つ碑から、鳥居を見ています。

 

二の鳥居を正面から見ています。

風格のある鳥居にございます。

 

左手には「鎮守府八幡宮 略記」の説明がありまして

鎮守府八幡宮 略記
當宮御祭神は国家を鎮護し学問産業を
盛んにし災を除き人の一生を守り給ふ
八幡の大神とまをし
誉田別尊 息長帯姫命 市杵嶋姫命の
三神にまします
桓武天皇 延暦二十年に坂上田村麻呂
をして東奥鎮撫のとき崇敬勧請せらる
宇佐八幡神霊 この地に静まり給ひ
鎮守府八幡宮と号して東北開拓経営の
守護神となられ給ふ 国家の崇敬厚く
嵯峨天皇より宸筆のの八幡宮印を賜る
 源頼義 源義家 奥州藤原氏は共に
神威を蒙り報賽するに神領神宝を
もってす
文治五年 源頼朝は殊に欽仰し神事
悉く幕府の御願とし陸奥出羽両国の
官物をもって諸祭を執行し恒例とす
 豊臣秀吉及び伊達氏も亦暑く崇敬し
社殿を奉納す
 文化年中 伊達藩奥七郡の総寄進を
もって現社殿を造営す
 明治九年御巡行のとき
明治天皇の御代拝を賜る 朝廷将軍
領主庶民の崇敬厚きにより県社に列す
 祭日 例 祭 九月十五日
     加勢祭 旧正月八日

と記されております。

 

では、二の鳥居を潜りまして境内に入ります。

玉砂利が綺麗に整えられておりまする。

ここを直進すると小さき橋が架かっており、渡った所に狛犬が待ち受けております。

 

右が阿形、左が吽形です。

2頭とも〝愛らしい〟表情をしているのですが、境内を守護する力はしっかりとしています。

 

先程の橋を直進せずに、右側に進むと

境内の中央に位置する〝聖域〟があります。
立ち入りができない様になっていますが、右手側に御幣が立てられている場所が大事なポイントでしょう。
今度、調べておきますね。

 

ここは周囲に濠が巡らされていて

〝聖域〟であることが維持されている様です。
ホント、気になる。

 

狛犬の間を通過すると、左手側に手水舎があります。

手水舎の左側には、周辺から集められ合祀されたであろう各種石碑が並んでいます。

 

拝殿に向かって歩みを進めます。

〝聖域〟を迂回する形で、三の鳥居に向かいます。

 

三の鳥居を正面から見ています。
向こう側に拝殿が見えますね。

 

三の鳥居に掲げられている額です。

一の鳥居・二の鳥居・三の鳥居でそれぞれ特徴のある額が掲げられています。
こういうのを比較すると、楽しいですね。

 

三の鳥居を潜り、拝殿に向かいます。
雪国ですからね、檜皮葺だと痛み易いのでトタン葺です。
でも風情が損なわれることはありませんね。素敵なことです。

 

左側に廻ると、拝殿と本殿の繋ぎ目が見えます。
この対面(拝殿・本殿の左)には

「奥神宮」の額を掲げた社があります。
この右側に、注連縄が施された神木が御座します。

 

「奥神宮」と神木は、この様に並んでいます。

ワイド写真でご覧いただいております。

 

神木を正面から見ています。

ワイド写真で撮影しています。
〝神秘なる力〟を感じますなぁ。

 

拝殿の右側から見ています。

前回の参拝時、朱印帳を持参し忘れてしまいましたからね。
朱印を頂戴するために授与所に向かったのです。

祭事が予定されていた様で、準備はされていましたが授与所に人(ひと)の姿はありませんでした。
こうしたところが田舎の長閑さであり、心配なところでもあります。
呼び鈴を押したのですが、全く関係者が出てくる気配がありませんでした。
しつこくならぬ様に、間隔をおいて何度か呼び鈴を鳴らしました。

 

待っている間、拝殿の様子を観察しました。

外側の「鎮守府八幡宮」の額。

 

ちょっと進んで、内側の「鎮守府八幡宮」の額。

鳥居の掲げられている物を含めると鎮守府八幡宮」の額5枚を楽しむことができましたよ。

 

ほらっ、拝殿内では神事のための用意が為されています。

何方もおいでではありませんが、扇風機が回っていました。

 

暫くしてから宮司様の登場です。
失礼にならぬ様に挨拶をして、朱印をお願い致しました。
3種類ありましたので、3種類全部をお願いしました。
次回、何時になるのか予想できませんからね。
ご丁寧に書いていただいたので、待っている間に札やグッズを選んでいました。
朱印が書き上がったところで宮司様が「お待たせしたからねぇ」と言い、お土産をくださいました。
貰い物ではなく、神社にしろ寺院にしろ一期一会的に訪れているのに、その寺社関係者から思いもよらぬ厚遇をいただくという奇縁を喜んでいるのです。

 

蝦夷征討、そして清和源氏をはじめとする武家の崇敬を受けた「鎮守府八幡宮」。
立地条件は決して良好とは言えませんが、昔ながらの雰囲気をそのまま現代に伝える素敵な神社でした。

次は、雪景色の「鎮守府八幡宮」を訪れてみたいと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当サイト内のすべてのコンテンツについて、その全部または一部を許可なく複製・転載・商業利用することを禁じます。
All contents copyright (C)2020-2024 KAWAGOE Imperial Palace Entertainment Institute / allrights reserved