増長天(空海 立体曼荼羅 真言宗開宗1200年記念 東寺監修 公認 MINIBUTSU 大サイズ)

以前、MINIBUTSU様の多聞天・大サイズの記事の最後を「MINIBUTSUシリーズの大サイズは、価格的になかなかな大物ですので、これから追々と迎えていきます。」と締め括ったのですが、それから間もなく、なんと言うことかAmazonでかなりの割引価格にて販売されていましたのでまとめ買いしてしまいましたよ。今思うと弘法大師(空海)からのプレゼントだったのかもしれません。Amazonの中の人が、この記事を読んでいるとは考え難いのですが、当方からすると嬉しく有り難い機会でした。ただ、こういうことは事前に知らせて欲しいものですな。

今回は「増長天」大サイズのお話をしましょう。

このシリーズは、この箱に入って届きます。
右上の「東寺 国宝・○○天」の表記は共通です。

 

箱を開封すると「証明書」が出てきます。

 

開くと、こんな感じです。

一度開くと、開き癖がついてしまい元通りにピシッと閉まらなくなってしまいます。
別に、何度も開いて観ることは無いのですがね。

 

三叉戟を立てていますので、縦長の画像になってしまいます。
さすがMINIBUTSUシリーズの大サイズ、迫力が違いますよっ。
本物は全体的にくすんでいるのですが、比較的に彩色がよく残っている状態を善き塩梅で再現されています。

 

くるりとまわして、それぞれの視点から東寺・増長天の姿を楽しみましょうか。

 

 

 

 

 

東寺講堂の増長天は頭部を左側へと向けており、顔面の筋肉隆起が強調されて忿怒の感情が表現されています。
右手を挙げながら顔を左に向けているスタイルは、他にも造像例があるということですが、台座・足元が正面を向いているにもかかわらず、頭部が左側に向いている構成は注目されているのだそうです。

 

顔の表情を角度を変えて、観察しています。
溢れんばかりに大きく目を見開き、額や鼻筋そして頬の筋肉が激しく盛り上がっています。
この筋肉隆起の表現は、木屎漆(こくそうるし)を用いてなされているそうです。

 

表情がよく判る様に、正面から観ています。
この見開いた目の表現は「瞋目」(しんもく)といい、強い怒りの感情を表現する際に用いられるものです。
奈良時代(天平彫刻)の四天王は、4体のうち、
 (1) 最も強い忿怒を示す1体に用いられる
 (2) (1)に加え、それに準じた怒りの表情となっているものにも用いられる
という2パターンで瞋目が用いられていたそうですが、平安時代に造像された東寺講堂の四天王には4体何れにも瞋目が採用されています。
この点については、東寺講堂の四天王が造像された平安時代初期以降、四天王の全てに瞋目の技法が用いられることが一般的になったのではないか、という指摘がなされています。

 

更に回り込んで、顔の表情の観察を続けます。
見開いた目の瞳の部分には、鉱物と推測される別材を嵌入(がんにゅう)されていて、これが目の生々しさと異様な眼力を表現しているのだそうです。MINIBUTSU大サイズでは別材を入れているのではなく、塗りで瞳を表現されています。
口も大きくは開いていませんが、への字形の口から前歯(上の歯列)が見えています。
〝咆哮〟(ほうこう)とまではいきませんが、大地を揺るがすような唸り声(うなりごえ)が聞こえてくるかの様です。

どうしても「四天王」というと、東大寺戒壇院(戒壇堂)の作例をイメージして、それを基準に考えてしまいます。
東大寺戒壇院・四天王の表情がスマート(すっきりとしているという意/イケメンという意ではありません)であるのに対し、東寺講堂・四天王の顔がゴツゴツ・ボコボコしているという印象を固定観念で持っていました。本物や画像をこれまで何度も目にしていましたが、こうして仏像レプリカを観察することで、当然ですが四天王の作例によって表現に違いがあり、それが個性・時代の特徴となっていることを学ぶことができました。

 

くるっと背後にまわって、後頭部の様子を見ましょう。

普通だと頭髪を3つにまとめた三山髷(さんざんけい)か、5つにまとめた五山髷(ござんけい)と分類できるのですが、東寺講堂・増長天の髷(まげ)を見ると・・・4つじゃん。ということで四山髷(しざんけい)とでも言うのでしょうか。

顔の正面から見ると額の筋肉・頭髪そして天冠(てんかん)と〝ごちゃごちゃ〟していますが、後頭部から見ると天冠の形状がよく判ります。
後頭部の頭髪は4段弧状で表現されています。実際にこの頭髪を再現するためには、どうすればよろしいのでしょうかね?

 

頭部を撮影していると、増長天の本体とは接していない光背(こうはい)が綺麗に映っていましたので、観ていきましょう。
赤い火焔の装飾が3つ、装着されています。
3つのうち左右は同じ形、頂点の1つだけが別形態ですね。
輪っかの部分は「輪宝」(りんぽう)になっています。
「輪宝」は「輪鉾」(りんぽう)とも表記される、古代インドの投擲(とうてき)する武器で、刃部(じんぶ)を備えた車輪を象ったものです。『長阿含経』(じょうあごんきょう)には、転輪聖王(てんりんせいおう)が遠征を開始する時、輪宝が自転して四方の敵勢を撃破したという逸話があります。〝正義の治化〟密教法具としても用いられ、災厄除けや強力な結界を張ることもできるそうです。
独古が8本、中央の円形から八方へ向けて外側の輪に伸びています。

 

火焔光背は、逞しく太い支柱の先端に装着されています。
増長天の本体とは、だいぶ距離があります。
東寺講堂の立体曼荼羅は前方から拝観することが前提になっていますから、観る者の視点を意識して、この距離感・サイズ・高さ・形状が定められたのでしょう。

 

迫力ある画像が撮れたので、掲載しています。
顔の表情を正面、下から見上げています。
顔の表情と火焔光背にピントが合ったことで、瞋目に象徴される忿怒の念と燃え盛る火焔が見事に連動している様子が伝わってきます。

 

刀については後述するとして、中国風の甲冑を装備しています。
装飾も込みで、東大寺戒壇院・四天王の甲冑よりも複雑な構成になっています。
甲冑の上に巻き付けている天衣(てんね)の表現が滑らかで、厳(いか)つい甲冑の印象をお洒落に和らげています。
密教なので「厳しさ」が全面に滲み出ているのですが、こうした工夫も素敵ですな。

 

胸甲・腹甲も複数枚を重ねられています。
左肩の獅噛(しかみ)は獅子でしょうか?まるで人間の表情の様にも見えますが、大きな牙が表現されています。
東大寺戒壇院・四天王や新薬師寺・十二神将の獅噛に比べて大きく、そして太いものになっています。

 

右肩には天衣が被さっているためか獅噛の様子を確認することができませんね。
普通に考えると〝左右対称に獅噛がある〟となりますが、身体の動き・姿勢から省略されたか、もしかすると右肩の獅噛ははじめから無かった甲冑だったかもしれません。

 

右腕には臂釧(ひせん)・腕釧(わんせん)が装着されています。
質実な籠手(こて)も装着している様です。
右腕を肘から上に挙げたことで、袖がたなびいています。撓(たわ)んだ裾が金属の輪っかで広がらないようにまとめられています。

 

腰元に据えられた左手には、宝刀が握られています。
形状としては単純な造形ですが、単なる金色のベタ塗りではなく、擦れ・剥がれといった経年による状態の変化が絶妙のバランスで再現されています。

甲冑と着衣の表現、複雑かつ繊細ですね。よく再現されていますよ。

 

宝刀を手にする左腕から後方にたなびく袖の裾、足元へ緩やかに垂れている天衣の様子です。
ゴッツい鎧を着て静止している像なので、どうしても〝固い印象〟を受けてしまいそうですが、方向・角度は恐らく計算しながら決定されたのでしょう。今にも動き出しそうな躍動感、そして生命力が伝わってくる様な表現になっていますね。

 

右手では、増長天の身長のおおよそ1.5倍の長さの三叉戟(さんさげき)を握っています。
柄の先に付けられた房が、増長天の左手側にたなびいています。
左側を向いている増長天と、この房の動きは連動しているハズ。
布の柔らかい部分、とても細かく複雑に、そして丁寧に彫られているのが判ります。

 

東寺講堂の増長天が持つ三叉戟の先端は、こんな感じです。
三叉となっている矛の部分に何を意味しているのかは不明ですが、装飾が彫られていますね。
3本に分かれている矛先は、それぞれ「創造・持続・破壊」、一説には欲望・行動・知恵を表現していると言われています。
左手の宝刀・右手の三叉戟、どちらも法力を有した武器ですからね。単純な斬る・刺すだけではない攻撃・破壊、更には防御力を持っていることでしょう。

 

腹甲のところ、装飾付の留め具なのでしょう。
中国風の甲冑らしく、動物の顔が象られています。
鎧の各パーツが複雑かつ整然と組み合わせられています。その上に布が懸けられています。
横山光輝氏『三国志』で描写されている幹部クラスの武人たちは、鎧の上に布をまとっている例が多いですからね。
四天王は上級どころではない、高級幹部なのですから武装も洒落っ気を持たせているのでしょう。

 

後ろにまわってみます。
鎧の背中部分は、最小限の造形・装飾になっていますね。
まぁ、前の方から観られることを前提にしていますから、当たり前のことでしょうけれど。
右の袖が後ろ側にたなびいている様、前から観ると他のパーツと調和がとれていて全体像を形成しているのでしょう。

 

前から観た腰から下の様子です。
模様・彫刻は省略されていますが複雑に重なり合う鎧と、深く刻まれた布の襞(ひだ)や重なり具合が、フィギュアとしては可能な限り再現されています。

 

増長天は邪鬼を踏み付けてはいるのですが、踏ん張っている様子は微塵も無く、動きの少ない直立の状態です。

 

後方から観た、臀部から下の部分の様子です。
後ろ側は、鎧の上に裳を纏っているため、極めて簡素な表現になっています。

 

東寺講堂・増長天の足元部分の様子です。
邪鬼2体を踏み付けているのですが、左足に踏まれている邪鬼は増長天の後方を、右足に踏まれている邪鬼は左方を向いています。
本物は、四天王本体を邪鬼も含めて檜の一材から彫り出しているのだそうです。

 

では、左足で踏まれている邪鬼から観ていきましょうか。

かなり圧迫されているはずなのに、とてもユーモラスな表情をしています。
筋骨隆々な右肘をついているので余裕がありますね。もっと力を入れて踏んだ方がよいのかもしれませんな。
右肘の横には邪鬼の2本指の右足がきていますね・・・ということは相当強い圧力が加わっているのでしょう。では、このユーモラスな表情は何なのでしょうかね。造像者の茶目っ気でしょうか?
邪鬼の左足は、増長天の前方へと伸ばしています。とても苦しい体勢ですよ、この邪鬼。

 

次に、右足で踏まれている邪鬼を観てみましょう。

頭をグシャっと踏まれています。頸が身体にめり込んでいるかの様です。
ポッチャリとした腹が丸く象られていますが、両腕はとても筋骨隆々です。
手は3本指、足は2本指ですな。

 

後方から、右足に踏まれた邪鬼の右腕・右手を観ています。
ゴッツい筋肉してますなぁ。臂釧を付けている様です。指は3本ですな。

増長天の本体、そして踏まれている邪鬼、そして台座の〝埃っぽさ〟は塗装で表現されているものです。〝汚れかっ〟と思って擦ると落ちてしまうので、取り扱いには注意を要します。

 

 

 

背景を白くして、下から見上げてみました。
暗く見えていますが、重厚さが加わって、これはコレでカッコいい姿です。

 

背景を黒くすると、細やかな造形までしっかりと見えます。
埃が積もった様子を表現した塗装は明るくすると、その効力が発揮されるのですな。

 

 

東寺講堂・四天王、4体のうち2体の観察を終えました。
残り2体、撮影したりなど準備をしながら、近日中に記事をまとめたいと考えています。乞うご期待っ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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