大和国石上神宮(奈良県)その伍

大和国を訪れると、必ず立ち寄る石上神宮。
初めの頃はね、同行者たちの態度が著しく悪ろきものだったり、不可抗力であったとは謂え飛鳥寺や斑鳩寺(法隆寺)に立ち寄った後〝蘇我の気〟を纏ったまま参拝・・・と好かれることがありませなんだ。

何がきっかけか判りませぬが、前回(2024春)の参拝から〝受け容れてくれる〟感が顕著となり、今回の参拝も歓迎要素満載でしたの。

当日の朝は紀伊国高野山で「生身供」(しょうじんく)に立ち会っていました。
とても勿体無いことですが、その後直ちに高野山を下り、大和国石上神宮に直行したのです。

第2駐車場はいっぱいでしたが、丁度空きができ、車を停めることができました。

奈良県道51号天理環状線に面している参道入口にまわり、境内に入ります。

参道途中の東屋が工事中でしたので、随所に工事車両や機材がありました。
ちょいとゴチャゴチャした参道でしたが、通常に見える様な画像を選んでいます。

鳥居前の様子です。

何時も通りの感じですね。
向こう側で東屋の工事が行われていました。

これがまた〝天照大神の恵み〟(陽射し)が強うて・・・。
でも晴天だから、この晴れ晴れとした気持ちでの参拝でしたよ。

 

この神木の右側に東ある屋が工事中でした。
でも「山辺の道」にも行けましたし、鶏たちとも戯れることはできますよ。

何時もは楼門近くで撮影している神木ですが、この位置から撮ったところ

・・・何とっ!GODZILLA!!

何時もだと龍の集合体に見えていたのに・・・。
偶然なのか、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)の茶目っ気か?
定かではありませぬ。
まぁ、楽しませてくれているのでしょう。
画像を撮った時は気付きませんでしたからね。

何時もの位置で撮ると、

何時もの様に 〝龍の集合体〟でしたよ。
次の参拝時にも〝GODZILLAなのか?〟を確認しますね。
辰年限定のサプライズかも知れませんのでね。

 

今回の参拝は、楼門を潜った拝殿前にたくさんの参拝客がおいででした。

でも、その前に楼門を愛でますね。

楼門は1318(文保2)年に建立されたものです。
屋根の反りが美しいのです。

ちょいと石段を上がって楼門を観ています。
晴天の元での参拝であったことが伝わることでしょう。

楼門の下から見上げています。
石上神宮の楼門は、シルエットだけでも格好良さが伝わります。

なので、反対側からも。
晴天なのに、何故か空は白くなっています。
不思議ですねぇ。

2階正面には、第3・9代内閣総理大臣だった山県有朋の「萬古猶新」(ばんこゆうしん)の額が掲げられています。
鎌倉時代末の楼門に、明治時代の首相の筆による額が掲げられている。
こうしたことからも日本では、昔から文化財に対する敬意が祓われていたことが判りますよね。

楼門を潜りまして、抜けるような青空のもとの拝殿の様子です。
こうした素敵な拝殿の様子が撮影できるということは、布都御魂大神から愛でられ(初め)ていることの現れなのでしょう。
だって、コレまで何度も参拝していますが、最高に心地好き雰囲気でしたもん。

何時もは朝早か午前中の早い時間に訪れるのですが、今回は午前11時過ぎあたりの参拝でした。

参拝客はこの様に、角度を変えて撮っている間も

入れ替わり立ち代わりで布都御魂大神に手を合わせています。
何せ〝起死回生の利益〟をくださいますからね。

参拝客の流れが途切れるのを待つ為、端っこの顔出しパネルのところで遊んでいました。
すると・・・

神官たちが列を成し、巫女さんが祈禱を受ける方を先導する場面に遭遇しました。
人前に立たれるお仕事の方でしょうか。
華やかな出で立ちでしたよ。

コレまでの参拝では見ることの無かった/気付かなかった光景が、次々と繰り広げられています。
何と楽しく、嬉しいことでしょう。

 

石上神宮と謂えば、「御神剣守」が知られていますよね。

何時もは朱色と黒色の2種類の「御神剣守」が頒布されています。

ところが・・・

今回の参拝では「御神剣守」3体をいただきました。
手前の七支刀レプリカは、参拝とは関係ありませんよ。
 「朱色の御神剣守、2体」
 「黒色の御神剣守、2体」
と、お思いでしょう。

・・・違いますよっ、そんな訳ないぢゃないですか。

これほど石上神宮に参拝客が集まっていたのは

 「毎月一日限定 御神剣守(白)」

の頒布に合わせての参拝だったからです。

今回の参拝は、この白い守りの限定頒布に合わせてのものでした。
直前にネットで情報に接し、一日(ついたち)に大和国石上神宮を訪れるスケジュールを組みました。
なかなか一日(ついたち)を石上神宮に合わせるのは難儀でしたからね。
今回は日程調整が可能でしたので、千載一遇のチャンスでした。
これも布都御魂大神の神威/恩恵によるものです。

3色いずれも
 「御神劔守 石上神宮」
の刺繍が施されています。

守りの効力は、一般に一年と謂われていますからね。
先ずは、これから一年、3色の「御神剣守」を大切にしますよ。

売店(授与所)を担当していたのが、若くてテキパキと対応してくれる神官でした。
その対応は、とても心地好いものであり、朱印もいただきました。
ほらっ、こうした所も布都御魂大神の恩恵の表れですよ。

 

楼門を出て、左手側。
境内の奥の方へ歩んでいきます。

これまでの参拝では、こっから先の雰囲気が全然違うことをお話ししてきました。
冗談抜きで〝キツめの神域〟って感じ。

でもねっ、今回の参拝(2024夏)は〝天照大神の恵み〟が強く射していて、以前のおどろおどろしさが皆無だったのです。

祭礼の時にしか解放されない「祓戸神社」の入口です。
前回の参拝(2024春)時も、この左手側、石上神宮の裏口に通じる道が芝刈りされていて
 「そっち側の道は通れるぞ」
というメッセージを受けた様でした。
今回の参拝(2024夏)では、ここに辿り着くのとほぼ同時に紫色の袴を着用された宮司さんがパトロール?を終えて、注連縄を外して出てこられる場面に遭遇しました。
  「ようこそお参りで」
と声をかけてくださいましたの。

こんな偶然、ありますぅ?
もう布都御魂大神と「河越御所」の強固な信頼関係が確認できた瞬間でしたよ。

 

この「祓戸神社」入口の左手側に進んで行くと、道が二股に分かれています。

真っ直ぐ進んでいく道がありますが、

この先は、行き止まりでした。
向こう側には道路や民家が見えるのですがね。

 

もう一方が、裏口に繋がる道です。

綺麗に整備されていますね。
通って良いのですよ。

岩場に気の根っこが複雑に張っていたり、何本の木々がまるで一本の樹木の如く合わさっていたり・・・とキモチワ、いや自然の不思議な力を目の当たりにすることができるエリアです。
決して〝道を外れない〟でくださいね。
布都御魂大神をはじめとする神々の怒りを買うことになりますよ。

 

さぁて、人気(ひとけ)の無い石上神宮の裏口周辺を楽しんだ後、

楼門が見えるところまで戻ってきました。
以前は〝此の世〟に帰還した感じでしたが、前回/今回の参拝ではそうした〝異界間の行き来〟という感触は薄まりましたね。
布都御魂大神の神威に感謝です。

 

参拝を終え、次の場所に移動する為に鳥居を潜ろうとした時、

搔き箒を手にした作業員の方が、鳥居の真下で不思議な動きをされていました。搔き箒で縦のラインを引き、どれを基準にして輪っかを描いていくのです。
暗い画像ですが、輪っかでかくなっていく様子はお解りいただけることでしょう。

明るい画像もありますよ。
この作業着のおっちゃんが箒目で渦を描いています。
石上神宮で、こうしたことを実行しているのを初めて見ました。

 

布都御魂大神の神威/恩恵を存分に堪能できた参拝でした。
大和国を訪れたら、また参拝しますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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