十一面観音立像(イSム Standard 室生寺モデル)継続生産終了〈在庫僅少〉

室生寺モデルの十一面観音立像、購入オーディションを実施して(2023年)から1年以上が恵果してしまいました。、
痛ましいことに、連れ帰った仏像たちが納まっている箱が山積みになっていますからね。
掘り起こしましたよ(笑)。

大和国室生寺の十一面観音立像は、平安時代(9~10世紀)の彩色・榧(カヤ)の一木造で、1952(昭和27)年11月22日に「木造十一面観音立像(所在金堂)一軀」として国宝に指定されました。
室生寺金堂に安置されていましたが、2020(令和2)年9月に開館した寶物殿へと遷りました。
初めて室生寺に参詣した時が、金堂で諸仏たちが勢揃いしている状態を拝観できた最後のシーズンでしたのでね。
知らなかったので、幸いでしたよ。

国宝の釈迦如来像を中尊とし、この十一面観音立像と、現在は宇陀市室生三本松の安産寺に安置されている地蔵菩薩が脇侍だったと考えられています。

室生寺十一面観音立像は、両手首の先を覗いて全身が榧(カヤ)の一木から彫り出されており、兩脇下に垂下する天衣や頭上仏面も同一の榧の木材から彫り出されているのだそうです。

 

さて、室生寺モデルのイSム「十一面観音立像」を360度回ってもらいますね。

寶物殿では展示スペースの真ん中にお立ちになられていますからね。
横から、後ろからというお姿を見ることは罷り成りませんので、こうして角度を変えながら楽しむことができるのはインテリア仏像ならではの遊びです。

 

「十一面観音」は、衆生の様々な願望を叶えることと共に、衆生の罪によって派生した穢れを滅する仏です。

髪の毛を大きく結い上げた髻(もとどり)上に如来面が据えられ、前方3面が菩薩面になっています。

本物の室生寺十一面観音は、肉身部分は木肌に白土を塗って下地にし、黄色味のある彩色を施しています。
頭髪は群青色で塗られています。
身に纏う裳や条帛は、黄土を下地にし、所々に模様が描かれていたらしく赤茶色の顔料が残存しているそうです。
イSム「十一面観音立像」でも、そうした色合いが意識されています。

 

室生寺寶物殿では、頭上の十一面を観察することができませんのでね。
インテリア仏像を介して、造型を楽しむことができるのは嬉しいことです。

 

頭部の右側後方3面が牙上出面、左側後方3面が瞋怒面です。
光背があると、この表情を見ることはできませんからね。

 

十一面は、天冠台の上に位置しています。
天冠台の周りには、まるで浮き上がっているかの如く、緑青交じりの金銅花形装飾が細やかに取り付けられています。

眉間には白毫が取り付けられています。

 

十一面観音の「お顔」を観ていきましょう。

小振りな頭部ながら「お顔」はやや丸いですね。
本物も頬がふっくらしていて、上品且つ端正なお顔立ちですからね。
穏やかに伏した目、すなわち半眼の状態です。
室生寺の十一面観音の半眼は、切れ長で極めて特徴的なものになっています。
イSム「十一面観音」は、本物よりも目が柔らかい感じです。
本物のコピーを究めるという趣旨ではありませんので、部屋で飾るにはこうした穏やか・柔らかな目をしていると安心して同じ空海に居ることができますからね。
綺麗な鼻筋です。
ちょいと尖らせたおちょぼ口には紅が注され、艶やかさを演出しています。

 

本物の室生寺十一面観音の「お顔」を、同じ高さ・目線で見ることは、かなり高身長でなければ難しいです(笑)。
頬を膨らませているのと、おちょぼ口には意味があるのだそうです(後述)。
本物は妖艶な表情をしていますが、イSム「十一面観音立像」も頑張って妖艶さを漂わせています。

 

本物の室生寺十一面観音を拝観すると、見上げる状態になります。
その状態をイメージしてみました。
実際は、もっと見上げる角度になります。

本物の室生寺十一面観音は、瞳の縁に赤い顔料を射していますが、イSム「十一面観音」では赤色を射しているが画像では確認できませんね。
今一度、確認しておきますね。

見た目で薄手の衣だと判る、浅い筋が連続する衣文の再現が見事ですね。

天冠台の囲む様な花形装飾と複雑な首飾は、銅板を透かし彫りにしたり、銅板を切り抜いて造られたものだそうです。
本物の室生寺十一面観音では、こうした金属製の装飾に漆を塗った上に金箔を貼る「漆箔」(しっぱく)の技法が用いられています。
これらは造像当初のものと考えられています。
イSム「十一面観音立像」でも、この詳細な装飾が再現されていますよ。

首元には「三道」(さんどう)と称される、悟りの境地に到達するまでの3段階を表現していると云います。

 

前面から、身体の様子を観察していきます。

上半身には斜めに幅広で薄い条帛を巻いています。
両肩には長い天衣をかけています。
胸・腕・身体の肉付きは厚くなっていますが引き締まっています。
腰が高めに位置していて裳を巻き付けていますが、裳裾がゆったりと余裕がある為、全体的に伸びやかな印象を受けます。

本物の室生寺十一面観音の天衣は、黄土を下地に白緑(びゃくろく)を塗りっているそうです。
全体の彩色は経年によって剥落したりし斑(まだら)になっており、また木彫りの下地が露わになっている箇所もあります。
残存の顔料は後世、元々の彩色に倣って彩色し直したものであることが判っています。

胸筋の下、鳩尾(みぞおち)のところに2本の線が再現されていますね。
これは十一面観音が法力を
 頬を膨らませ、
 おちょぼ口から衆生に向けて吹きかけ、
 肺の中の息を全て吐き出すという強烈な呼気
を表現しているのだと云います。
像に見える特徴・表現には、それぞれ何らかの意味があるのですね。
そうして仏像を観察すると奥深く、そして興味深くナりますね。

瓔珞(ようらく)も詳細に象られています。
臍の辺りの輪宝(りんぽう)も繊細に、更に錆付具合まで表現されていますね。

「イSム」様インテリア仏像に単調なベタ塗りはありませんからね。
彩色によって経年の褪色や剥落具合、そして木目などを表現されています。
この技術にご注目くださいな。

 

次は、左手で摘ままれている水瓶に注目してみましょうか。

この水瓶は、十一面観音本体とは別の栢木から彫り出されたものだそうです。
因みに画像で水瓶の左側に見える注ぎ口は、後世の補修によるものです。
緩やかな膨らみをもつ水瓶には「八功徳水」という浄水が満たされているそうですよ。

肩に見える衣の折り重なっている表現は見事としか云いようがございませんな。
肩から原に見える衣の襞(ひだ)は、
 幅のある大波
 鋭く尖った小波
を繰り返す翻波式(ほんぱしき)の衣文となっています。
彫りは浅いものの、平行線を意識していることで美しい布の流れが表現されています。

 

水瓶の口を親指と中指で摘まむ形で持っています。
臂釧や腕釧も丁寧に造られています。

腕に架かっている天衣も、まるで柔らく軽やかな布の如きですね。
衣文も細やかな襞を刻み、丁寧に造り込まれています。

 

水瓶を持っている左手の指が、ふっくらとして活きている手に見えます。
この水瓶の中に充満していると謂われる「八功徳水」とは
 1)澄浄:ちょうじょう
 2)清冷:しょうりょう
 3)甘美:かんみ
 4)軽軟:きょうなん
 5)潤沢:じゅんたく
 6)安和:あんわ
 7)除患:じょげん
 8)養根:ようこん
と8つの功徳がある水なのだそうです。
具体的な効能・・・ご興味をお持ちの方は各自お調べくださいな。

 

視線を下ろし、裳を纏っている下半身の様子を観察していきます。

下に垂らした右手は「与願印」を表し、衆生に願い事を与えるという意味を持っています。
蓮台座の蓮肉(れんにく)の上に、軽く足を開いて立っていますね。

裳には幅広の翻波が施されています。
二回りしている天衣には、本物が白緑を注されていることに基づき淡い緑色が差されています。
気付かれにくい事ですが「イSム」様インテリア仏像は、こうした本物に見える特徴を反映した造型がセールス・ポイントですからね。

 

台座の様子です。

この台座は「八重蓮華座」と呼ばれ、後世の補作部分はあるものの、平安時代前期の様式を現在に伝えたものとして評価されています。
蓮葉部は、蓮弁の3段構成となっており、蓮弁の1枚1枚が独立して象られています。
不揃いであるからこそ、自然な蓮の葉の雰囲気が見事に表現されていますね。

 

蓮華座の各部位は
 蓮葉部
 上敷茄子(うわしきなす)
 華盤(けばん)
 下敷茄子(したしきなす)
 受座(うけざ)
 反花(かえりばな)
 上框(うわがまち)
 下框(しもがまち)
といい、これらが重なる構造になっています。
框座は後補のものですが、元々はこの上面が蓮池の水面であることから宝相華・唐草が描かれていたと推測されています。

 

折角ですからね、光背を装着する前の十一面観音の後ろ姿を観察しましょう。
本物の室生寺十一面観音では、後ろ姿を見ることができませんからね。

本物の室生寺十一面観音は、背面の肩から裳裾近くまで内刳(うちぐり)を施し、背板を当てているそうです。
背板(蓋)にも彫刻が施されているので一見、内刳の蓋とは判らないそうですが。
内刳は、像の軽量化と、木割れを防止する工夫です。
因みに、右腕の外側にも檜材の蓋が嵌め込まれているそうですよ。
イSム「十一面観音立像」には内刳も背板を嵌め込んだ表現もありません。
そこは不要ですからね。

 

天冠台の上、後ろの正面が大笑面です。
口を開けて笑っているのが判りますね。

案外、怒り肩(笑)。

本物の室生寺十一面観音では、背面に造像途中の粗彫り工程で付けられたと推測される丸鑿で抉った痕跡が残っているのだそうです。
イSム「十一面観音立像」の左肩甲骨の辺りに、丸っこい凹みがあります。
この「凹みが、本物に遺っている丸鑿で抉った跡を再現しているのでしょうか。
もし、その再現であれば驚愕のこだわりですなぁ。

因みに本物には、裳裾の左右にも同じ様な丸鑿で抉った跡があるそうですよ。

 

視線を下ろし、腰元から足元までを観察します。

光背で隠れている十一面観音の後ろ姿ですが、この様になっているのですね。
複雑ではありませんが、着衣が翻波式の技法で表現されています。
よく観察すると、木目が施されています。
光背が立てられると隠れてしまうところですが、容赦の無い造型・・・素晴らしいですね。
大絶賛ですよ。

室生寺十一面観音は、ほぼ全体を榧(カヤ)の一木から彫り出されていますが、像の底に丸穴が開いており、別材で製作された台座の中央から突き出された心棒に差し込んで立てられているのだそうです。
イSム「十一面観音立像」は、十一面観音と台座が一体化していますので、そうした再現はありません。

 

では最後に、板光背の様子を観察します。

本物の板澎湃を忠実に製作・彩色されています。
室生寺金堂に納められた他の仏像の板光背と比べ、文様の緻密さや彩色の入念さから明らかに後世の補作であることが指摘されています。
本物の室生寺十一面観音の板光背は、江戸時代に製作されたと考えられていましたが、実際には明治時代の修理時、新たに補作されたものであることが判っています。

因みに〝板光背を付ける〟というのは、地方の作風なのだそうですよ。
こうした点から、都で造像された完璧なものとは異なり、室生寺十一面観音は個性的な魅力が備わっていると云われています。

 

イSム「十一面観音立像」の表情を、左右斜め前から観ています。

とても能くできているのですよ。
室生寺十一面観音の姿を、素晴らしい程に再現しているのが判ります。
・・・でも、本物に逢った記憶があるのでね。

 

ということで、比較してみました。

ほらっ、イSム「十一面観音立像」はとても特徴をとらえて製作されていることが判りますよね。
でも、本物の頬の膨らみが・・・大っきい!
おちょぼ口も、もうちょい大きければ良かった・・・。
併し乍ら〝飾って楽しむ〟ということからすれば、イSム「十一面観音立像」の表情がスタイリッシュでよろしいのでしょう。

 

完全に同じ角度ではありませんが、斜め前から観た表情の比較です。
本物の切れ長の半眼、コレの再現が難しいですよね。
本物の室生寺十一面観音の切れ長の半眼・・・、妖艶などという表現では済みませんよね。
室生寺十一面観音は・・・活きていますからね。
寶物殿の手前の展示スペースの中央にお立ちになられています。
観光客がいっぱいだと、なかなか難しいのですが、人が居ない時に正面に立って見上げると〝活きている〟感を受けることがあるかもしれません。
十一面観音の波長に合う/合わないという個人差もあるでしょうがね。

 

本物の室生寺十一面観音の表情だけでなく、彩色の褪色・剥落具合(彩色下地の剥落も含む)を忠実に再現するのは困難を極めます。
顔面の現状を踏まえれば、イSム「十一面観音立像」の出来映えは〝仏像フィギュア界の快挙〟と言って差し支え無いでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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