観音菩薩(イSムStandard 薬師寺東院堂・聖観音菩薩モデル 廃盤)

上野の東京国立博物館・本館1室に、模造「銅造聖観音菩薩立像」が通年で展示されており、写真撮影も許可されています。

 

これは大和国薬師寺東院堂の本尊「聖観世音菩薩像」(国宝)から型取りして造られたのだといいます。光背を伴わないこと、本物と表情が少々違いますが、姿形は本物と〝瓜二つ〟です。

 

聖観世音菩薩は1面2臂の〝変身しない真の姿〟の単独観音を意味しており、薬師寺東院堂の像は極めて美しき姿で世に知られています。

そんな絶世の美しさを誇る薬師寺東院堂の聖観世音菩薩像をモデルとしたイSム様「観音菩薩」のお話です。現在は廃盤になっています。

薬師寺東院堂本尊・聖観世音菩薩立像は同寺金堂本尊・薬師三尊像と並び、日本の金銅仏のうちでも名作とされている美仏です。
イSム「観音菩薩」は一見、黒一色の姿に見えますが、よく観察してみると単なる黒一色ではないことが判ります。製品解説に「7層にも渡る彩色を施す」とありますので、たいへんな手間をかけて艶やかさや深みを見事に表現されています。

普段は東院堂内、高欄のある須弥壇上の黒漆大型の厨子に、光背を伴って祀られています。

 

360度、回転させてみましょう。

 

飛鳥仏よりも質感が豊かで、より人体の表現に近くなっている白鳳仏の典型を見せていますね。

 

『日本書紀』天武天皇9(680)年11月12日条に
「癸未に皇后、體不豫したまふ。則ち皇后の爲に誓願ひて、初めて薬師寺を興つ。仍りて一百僧を度せしむ。是に由りて、安平ゆることを得たまへり。」とあり、

薬師寺は、天武天皇が皇后・鸕野讃良皇女の病気平癒を祈願して創建したものと謂われています。当初は飛鳥藤原京に創建されましたが(これを本薬師寺と呼びます)、平城京遷都後の718(養老2)年に平城京内に移転しました。

『薬師寺縁起』によれば、薬師寺東院堂は養老年間、元明天皇のために長屋王の后である吉備内親王によって建立されたといいます。元明太上天皇は721(養老5)年5月頃から容態を悪化させ、この年の暮れに崩御しています。この状況を鑑みれば、東院堂は元明太上天皇の病気平癒祈願で造立された可能性が高く、その時期は721(養老5)年と限定できることが指摘されています。
現在の東院堂は鎌倉期の再建ですが、聖観音像が創建時からの本尊なのか否かは断言できない状況です。

 

イSム「観音菩薩」は本物よりも若干面長で、スッキリした目鼻立ち、口角の横と口唇の下に描かれた白い髭が成人した男子の猛々しさを感じさせる表情になっています。

本物は、頭上の宝髻(ほうけい)前の基部にある小さな角枘孔(かくほぞあな)に化仏(けぶつ)が取り付けられていたとが推測されています。イSム「観音菩薩」では、その角枘孔は再現されていません。

眉間中央には白毫(びゃくごう)が位置しており、この白い巻毛は右旋して光を放ち、その光は無限に照らすものであるといいます。

人中(じんちゅう:唇上部の溝)が鋭角的に彫り込まれています。
角度を変えて観ると、鼻筋・小鼻も鋭角・立体的に形づくられており、唇も口角が上がっていてアルカイック・スマイルに近い笑みをたたえています。こうした表情から、飛鳥仏から白鳳仏への移行期の特徴を見て取ることができます。

上下の瞼が同じ様な弧を描いている杏仁形(きょうにんぎょう)の目は飛鳥仏に多く見られる特徴です。
髪の生え際と眉間の白毫の間に「緑色の波線」が施されています。
イSム「観音菩薩」では筆描きの線ですが、本物は立体的な波線になっています。

 

宝冠や頭飾りを装着していません。
頭上で高く盛られている宝髻(ほうけい)には、繊細な唐草(からくさ)風団花文(だんかもん)の透彫(すかしぼり)飾りが施されています。
二段の地髪部は毛筋を細かく彫り出しており、豊かな毛量を表現しています。

 

 

耳の後ろから垂れた髪(垂髪:すいはつ)は、緩やかにくねりながら肩を這っています。
左右対称の飛鳥仏とは違う、〝左右非対称〟の表現が特徴的です。

 

首から胸元にかけて垂れている唐草の間に花葉や果実状の垂飾を伴う華やかな瓔珞の下には、若さ溢れる張りを感じさせる胸板が表現されています。飛鳥仏の〝硬さ〟を脱し、柔らかさを感じさせる胸板からは、まるで生きているかの様な温もりが伝わってきます。

 

左手は挙げられており、親指と人差し指が交差しています。3方向から観てみました。
これは蓮茎(れんけい)を摘まむポーズだそうです。

釈迦如来像に見える、指と指の間に〝水かき〟の様なものがあります。
「手足指縵網相」(しゅそくしまんもうそう)といい、たくさんの衆生(人々)を洩れなく救済することを意味しています。

挙げている左手と、胸よりも上体の様子を正面から観ています。

 

左前から、同じ構図を観ています。

 

更に、同じ構図を右前から観ています。

肉付きが良く、若々しい張り具合が見事に表現されています。
本物はこの身体の状態を鋳上げ、磨き整えて表現しているのです。
この姿・表現は、古(いにしえ)の仏師たちの丁寧な仕事による賜物です。

 

盛り上がりを見せる胸板と、腹部・腰回りは膨よかであるものの、腰の部分を強く絞り込んで括れを見せています。
肩から垂らした条帛の下に見える腹部は、飾り金具を伴うベルトよりも僅かに隆起しており、白鳳仏に見られる人間らしい身体を表現しています。

この聖観世音菩薩は左手を挙げ、右手を下げており、類例の少ないスタイルです。
通常の観音は逆で、左手を下げ、右手を挙げています。このポーズから、この像は三尊像の左側の脇侍とする見解もあります。その一方で、この像を正面から見られることを意識した左右対称の造形であることから単身像とする解釈もあります。

腰を捻ることはせず、直立する姿勢です。

 

下ろした右手の様子です。
天衣が掛かり、手首には腕釧(わんせん)が装着されています。

 

腰から下方に向かう垂れ飾りとして珠繋ぎの瓔珞が5本、表現されています。
更に下半身の着衣の襞(ひだ)と、左右への広がりを持つ裙(すそ)は、ほぼ左右対称になっています。
肩から腕へ、腰から腕へと掛かる天衣は、下腹部から膝上辺りにかけて緩やかな弧を描いて足下へと流れていきます。下半身の着衣は緑錆が浮いている様な青味がかった彩色で、下半身に纏わり付く天衣は茶色がかった彩色で色合いのアクセントを付けるデフォルメがなされています。
飛鳥仏の特徴である左右対称に、白鳳期の質感豊かな肉体と左右非対称の表現が見事に融合しています。

 

この角度からだと腰元の括れがよく判ります。
天衣が左から右へ、そして右から左へゆらりゆらりと往来する様が、対称に非ずとも流麗な左右のバランスを整えています。
着衣の襞と垂れ飾りの瓔珞が奏でる縦のリズムと、天衣が踊る横のリズムの協奏が見事な「美」となって像の下半身を飾っています。

 

裾(すそ)と足下の部分です。
大腿部のあたりで二股に分かれた垂れ飾りが膝頭のあたりで交差しています。
膝下にはU字形の衣文の襞は左右対称かつ等間隔の表現になっています。
裾の合わせ目と左右の鰭状(ひれじょう)の紐の先に見える鋸歯文(きょしもん)風の衣文は飛鳥仏の系譜を引く古い表現だといいます。

足の指はほぼ均等な、長めのものになっています。

 

 

背面の全形です。

 

 

後頭部から肩にかけての様子です。
前方からは判りませんでしたが、肩に段々で表現された布を纏っています。

 

肩と背中の境の合わせ目から、肩・背中・両腕が接合されているのが判ります。
両腕の後方には腕釧の繊細な装飾が伴っている様が見えます。
前方から見たのと同様に左肩から右脇腹へと条帛が流れています。
背中は扁平な造形で、背筋は表現されていません。

 

腰部で天衣が身体をひとまわりしています。
表側(前方)にも見えるのですが、裏側(後方)が判りやすい「品」字形の襞は、左右斜め下方へと流れています。
腰の帯(ベルト)からは垂れ飾りの瓔珞が7本下げられており、中央の1本は玉(ぎょく)の飾りと長めの房に繋がっているようです。
左右各3本のうち、外側の2本はそれぞれ先端が繋がっています。中央の横から垂れ下がっている瓔珞は、先端が前方の物と繋がっています。

 

背面の衣の襞と裾(すそ)を見ると、その造形はほぼ左右対称であり、飛鳥仏に通ずる古式の表現が用いられているのが判ります。
下半身の着衣・装飾は表裏(前後)共に、複数の異なる表現が縦横かつ緻密に重なり合って、静かながらも躍動している様を見事に表現されています。

 

そして、台座の様子です。

足下の4段構造の台座は緻密な装飾を伴う蓮華座です。
大和国法隆寺金堂の壁画に類似した表現があることが指摘されています。

 

台座の請花(うけばな)には二重の蓮弁(れんべん)が表現されています。
イSム「観音菩薩」では、そこまで再現されていませんが、請花周囲に小穴の痕跡が確認されており、現在は失われていますが別に造られた蓮弁が差し込まれていたことが推測されています。

 

 

 

薬師寺東院堂の聖観音菩薩は、造像当初の光背を損失しています。
そして台座には五重の蓮弁が備わっていたと推測されています。

 

最近、イSム様では既に廃盤となった像も需要が高ければ再販するようになりました。
もし再販されるのであれば、今度は後補の光背付属での製作をお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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