独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所「飛鳥資料館」を訪れてきました。
今回の大和国明日香村は、公共交通機関を利用しての移動でした。
この酷暑の最中でしたからね、当初はレンタサイクルでの移動を予定していましたが、気候・気温を考慮して「赤かめ周遊バス」を利用しました。
時間制限が生じるものの、移動中は冷房が効いており体力温存ができるということでの選択でした。
まずは「飛鳥資料館」に行き、明日香村の著名スポットを学びます・・・が、ここで運命的な邂逅がありました。
ご覧くださいな、この射手の腕前。

一目で気に入ってしまいました。
「キミ、イイ腕前だねっ。ウチ(河越御所)に来ないかい?」
と勧誘しておきましたよ。
彼はこうした武装で、弓を引いておりました。
「飛鳥資料館」は久し振りに訪れましたが、現在(2024夏)は、この様な配置になっています。
ネットで確認してみますと、この「弓を引く武人」の配置・展示は何度か変更されている様ですよ。

この射手の傍らに立ち、様子を観察します。

弓を引いた状態で、ピクリとも動きません。
集中力が凄いのです。

ちょいと遠目の標的を狙う際は、矢先を少々高めにしています。

近々の標的に対して、矢先は水平に向けています。
判ってんじゃん(笑)。
※武人の展示に触れている訳ではありません。
カメラの位置を替えて、武人が矢先の位置を調整している様にしているだけです。

弓を引く時、弦が引っ掛からない様に𩊱(しころ)が張らない形状になっています。
兜の古い形状ですよね。
鎧や兜を装着して弓を射る場合、どうしても矢先と目の位置と標的が一直線にはなりません。
ですから銃や西洋弓とは異なり、ある程度の感覚に拠らねばなりません。
優劣ではなく、こうした点が個人の技術なのですよ。

この鎧だと、胸元がガラ空きです。
弓の射撃を専らとする兵士だと、これで良いのです。

胸元を空けていることで、腕の可動域に自由度が生じます。
首元・胸元を覆ってしまうと、矢の位置が身体から数㎝離れてしまいますからね。
この鎧よりも後の時代ですが、大鎧を着用すると矢の位置はだいぶ胸元から離れますからね。

胴部(腹・背中)は、後方から巻いて前方で合わせる形状になっています。
隠れていますが、腹部と下半身を防護する草摺(くさずり)の合わせ目は右腰?もしくは後方でしょうか>
今後行ったら、確認してみますね。

右腰には靫(ゆき)が下げられていますね。
矢の取り方は、
・羽の方から抜く
・鏃の方から抜く
どっちでしょうかね。
兵士によるのでしょうか?

左腰には弦巻きが下げられています。
弦は、弓を引いているうちに切れてしまうことがありますからね。
戦場では不測の事態がどうしても生じてしまいますので、こうした道具の予備は最小限であっても必須なのです。
腰に佩いているのは、

それ程長くない直刀(ちょくとう)です。
総合的な装備から、奈良時代をくだらない時期の武人でしょうか。

右足に重心が掛かっています。
こうした細かい拘りがあるからこそ、単なる棒立ちのマネキンぢゃないんですよ。
即時、矢を発射できる状態です。

もいっかい、弓を引いている上半身の様子です。
頼もしい射撃手です。

「撃つなよっ」と約束して、射手の前に立ってみました。
彼は、約束通りに撃ちませんでしたよ。
ホントにウチ(河越御所)来る?
とても彼が気に入りましたのでね、これから何度か飛鳥資料館に赴いて熱烈に勧誘しますよ。

これは10人の射手に整列してもらったとい仮定した画像です。
「河越御所」の攻撃力、増し増しになりますね(笑)。