百済観音(海洋堂 法隆寺公認)

今回は、上野の東京国立博物館で開催予定だった特別展「法隆寺 金堂壁画と百済観音」(2020年3月13日~5月10日)で会場数量限定発売されることになっていた海洋堂様の制作による「百済観音」像のお話です。

コロナ禍の影響により東京国立博物館は2月27日より臨時休館となっていましたが、政府が緊急事態宣言を発したことにより臨時休館が延長となりました。そのため、特別展「法隆寺 金堂壁画と百済観音」は中止となってしまいました。

 

百済観音フィギュアは東京国立博物館のミュージアムショップでの販売はしておらず、主催者・朝日新聞社様が「朝日新聞SHOP」において数量限定(800体)で通信販売をしていますが、転売防止の為に1人2体購入の制限が設定されています。法隆寺の売店でも販売されているそうです。

 

 

この様な外箱に入った状態で届けられました。

 

蓋を開けてみると、ビニール袋に包まれた〝百済観音箱〟が登場しました。

 

 

海洋堂様も博物館の特別展示と連動したフィギュア制作を続けておられますので、化粧箱のデザインもだんだんスタイリッシュになってきていますね。

 

緩衝材というバリアに護られている百済観音に〝外の世界〟を見せてあげます。

 

 

おーっ、なかなかよくできています。

 

中央が海洋堂「百済観音」です。「八頭身」のバランスもしっかりと再現されています。

 

本物の画像(左側)と並べても、全体の造形のバランスは引けを取りません。
光背の再現については不問としましょう。

 

このサイズ・価格で、本物のフォルムとほぼ同じ、違和感が無いのは〝凄い〟ことです。

 

左側が彩色見本像、右側が今回購入した一般流通(市販)品です。
画像の明るさで印象が違って見えますが、配色はほぼ同じです。
顔の塗装に差異が生じてしまうのは〝誤差の範疇〟、すなわち運です。

 

左側が本物の百済観音・表情アップ、右側が海洋堂様の百済観音・表情アップ。
こうして並べてしまうと〝違い〟が出てしまいますが、価格が1万円を下まわっていますので大健闘の顔です。
強いて指摘するならば下瞼のラインを垂れ下げず水平に、杏仁形(きょうにんけい)っぽさが強調されると佳き表情になったことでしょう。
宝冠の造形などは、この価格では驚異の精密な再現具合になっていますね。素晴らしい。

 

後頭部から観てみましょう。
頭頂部中央に見える突起は「双髻」(そうけい)といい、頭髪は2つに振り分けた髻(もとどり)を結い上げて〝団子〟2つにまとめた状態です。

 

余った髪は垂らして、両肩に散らしています。
宝冠は固定されていて、顳顬部分から左右それぞれに垂下している帯状の装飾「冠繒」(かんぞう)が施されています。宝冠は頭囲を覆う(被る)スタイルではなく、前頭部に装着するタイプです。
宝冠の正面中央部には化仏が、その周囲には火焔を伴う空想的な植物文様が表現されています。冠繒部分にも、唐草文様の透彫をイメージさせる刻みが入っています。

また宝冠および冠繒・臂釧・腕釧と、金堂天蓋(てんがい)の灌頂幡(かんじょうばん)の蛇舌(じゃぜつ)の意匠が共通していることが指摘され、百済観音と法隆寺金堂天蓋灌頂幡は本来一組であったことが推測されています。

そもそも百済観音は、法隆寺において江戸時代までは「虚空蔵菩薩」と認識されていたといいます。1886(明治19)年に実施された法隆寺宝物調査において作成された目録に「朝鮮風観音」と表記され、この表現は岡倉覚三(天心)の発案ではなかろうかと推測されています。1897(明治30)年には「観世音菩薩乾漆立像」の名称で国宝(旧国宝)に指定されましたが、法隆寺側は呼称「虚空蔵菩薩」にこだわり奈良県知事に名称訂正願を提出したほどでした。
明治時代まで、百済観音は宝冠の無い状態でした。1911(明治44)年になると法隆寺土蔵から(百済観音用の)宝冠が発見され、この宝冠の正面に阿弥陀如来の化仏が刻まれていたことから、観音菩薩であることを法隆寺側も受け入れざるを得なくなりました。

 

右肩から左脇へ懸けられた布は「僧祇支」(そうぎし)と呼ばれています。
中国(南北朝・隋・唐)における作例において通常〝左肩から右脇へ斜めに懸けられる〟のだそうです。ところが隋代の敦煌壁画に、百済観音と同様の右肩から左脇へ僧祇支を懸けている菩薩像が増えていることが確認されているそうです。しかしながらこの作例は日本列島では百済観音を含めて数例しかなく、それ以後は見られなくなるのだといいます。

 

右腕はほぼ直角に持ち上げられ(これを「屈臂仰掌」といいます)、衆生(あらゆる生き物)を救済することを示しているといいます。因みに本物の掌(てのひら)には小さな孔があけられており、何かを持っていた可能性があるそうです。おそらく宝珠と推測されています。

 

左手の親指・中指2本で「水瓶」(すいびょう)を軽く摘まんでいます。
本来、水瓶は梵天の持ち物で、修行中の行者の性格を象徴しているのだといいます。この水瓶を持つ百済観音の姿は、人々を救済するために浄土から何処へでも出現する様を表しているのだそうです。

 

光背を外した、百済観音の背中の様子です。
上半身に纏っている僧祇支はこの様になっているのですね。
下半身には軽やかにたなびく様を表現した裳を纏い、天衣も廻されています。

 

首から下を、正面から観てみます。
下半身を覆う裳を折り返したところを、上から環を伴う帯紐で留めています。
2条の帯紐は正面中央でいったん巻き込まれ、あまった部分は足元へと垂らしています。

 

天衣は大腿部のところで交差し、左右の腕へとそれぞれ懸けられています。
腹部から垂らされた帯紐は膝頭の辺りで結び目をつけ、そのまま垂らされています。

北魏時代の仏像作例に見える帯紐を蝶結びにする表現と、隋代から増えていく貴族たちの帯紐に環状の装飾をつける「玉佩」(ぎょくはい)の風習を具現化した表現が一体化しているのだそうです。

飛鳥文化期の造像に散見される、様々な時期の表現要素を一軀の像で融合した自由な造像がなされたことを想像することができます。

 

光背部分を観ていきましょう。

光背は宝珠形の頭光(ずこう)で、中央部には八葉の蓮華が彫り出されており、蓮華の周囲には同心円状の文様帯が施されています。周囲には雲唐草文が、更にその外側に位置する周縁部には火焔文様が施されています。

 

光背の支柱には竹の節が彫り込まれ、更に節には竹皮も表現されています。

 

本物は殆ど一材の樟(くすのき)で造られ、正面に平面部がくるようにされたほぼ正五角形の台座に百済観音が立っています。形状は本物に準じています。
左側が光背の支柱をほぞ穴に差し込んだ状態を、右側が光背を除いた状態のものです。
支柱の基部(根元)には山岳文が彫り込まれています。

 

 

百済観音の特徴として挙げられる〝頭部が小さく長身〟という造形は、飛鳥時代の彫像においては特異なものと認識されています。

 

また、腕に巻き付きながら垂れ下がっている天衣が、まるで風に靡きながら足元で前方へと巻き上がっている造形は、正面以外からも観られる(横から観られる)ことを意識した意匠であると指摘されています。

 

百済観音は、その容姿・特徴から、鞍作鳥(くらつくりのとり:鞍作止利・止利仏師)とは異なる仏師集団の手になる彫像であろうという推測がなされています。

 

・・・因みに、この記事を入力していた時期(2021年2月頃)では「朝日新聞SHOP」様において通販が可能でした。現在(2021年5月)見てみると取り扱いは終了しているようです(通販HPに百済観音は居ませんでした)。
とすれば、この百済観音フィギュアを入手したければ、大和国法隆寺の売店に行くしか術はありません。
もし法隆寺を訪問するとなれば今夏に機会を作らなければなりません。
果たして、そこまで法隆寺売店に百済観音は居てくれるのでしょうか?
(まぁ、既に所有しているので切羽詰まった状態ではありませんけれどね)

 

 

 

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