伐折羅大将(イSム「掌」 単品・旧版 廃盤)

2011(平成23)年9月の「掌」(たなこころ)シリーズ発足にあたり、人気者の阿修羅と共に、新薬師寺・十二神将のうちの「伐折羅」大将像が発売されました。

当時は、東京都中央区日本橋の「奈良まほろば館」様に陳列されていた同朋舎メディアプラン(倒産)が発売したものがありましたが、伐折羅だけ個別販売で売れてしまったことから〝おとなの事情〟でセット販売になってしまったそうです。

そういった時勢のもと、「掌」伐折羅が単体で発売されたのです。
「奈良まほろば館」様で12体がバラ売りをしていた時に人びとは伐折羅だけを買い求め、「イSム」様で伐折羅が単体で発売されると、人びとは他の11体の発売を求める・・・。
世の中って不思議なものですね。

さて、モデルとなっているのは奈良県奈良市高畑町に所在する新薬師寺本堂内の、本尊・薬師如来を守護するために外向きで並べられている十二神将の「伐折羅」大将像です。
国宝指定名は「迷企羅」大将ですが、寺伝は「伐折羅」大将で、寺伝の方が一般的に浸透しています。

『薬師瑠璃光如来本願功徳経』に十二神将の名が記されていますが、並べた際の順序や像容については諸説があり一定しないといいます。また現在、新薬師寺に並んでいる十二神将は、もともと白毫寺村(びゃくごうじむら)にあった廃寺「岩淵寺」(いわぶちでら)から鎌倉時代後期に移されたと伝わっていますが、造像時期は天平期(奈良時代)と考えられていますので、詳細については研究者の間でも諸説が提示されています。

〝特定ができない〟とされながらも特定個人が造像を指示したという説があります。
天平期(奈良時代)の仏教の位置付けは〝鎮護国家思想〟に基づいていましたから国家(天皇家)安寧のための法会・祈禱が行われていました。ですから民間布教(庶民の救済)という発想はそもそも無かったと考えられています。こうした時代背景を踏まえれば「十二神将」像の造像を発願したのは〝天皇家の人間〟であると考えなければならないのではないでしょうか。記録(文字史料)が乏しいので、断言することは難しいのです。

さて、単体で発売された「掌」伐折羅の姿を回転させて観ていきます。

 

実際に、新薬師寺内で伐折羅像は限定された視点からの拝観しかできませんが、このように忠実な姿のレプリカが手元にあると、普段観ることができない部分を楽しむことができます。
近年、上野の東京国立博物館における著名仏像展では〝全方向から拝観可能〟な展示が続いており、好評を得ています。
でも所蔵寺院における展示では、設備上の問題等で全方向拝観はできるものではありません。書店で購入できるような一般書籍も、写真著作権等の関係からか〝決まった視点からの写真〟しか掲載されていません。
しかしながら〝研究〟という観点からの学術論文・専門書には普段観ることができない部分の画像やデータが掲載されています。そうした資料を参考に、この素晴らしい造形はつくりあげられているのだそうです。

 

新薬師寺本堂内で本物の伐折羅像を見上げると、だいたいこの様な角度になると思います。
本物の造形データに基づいて製作されていますので、シルエットが本物とほぼ一致しています。

 

よく漫画『DRAGON BALL』に登場する「スーパー・サイヤ人」と喩えられますが、この頭髪は総逆立とした炎髪というスタイルです。故事成語「怒髪天を衝く」を可視化した造形で、憤怒の表情と調和しています。

 

「掌」十二神将は「胡粉」を用いた塗装により、塑像の質感を表現していますが、単品・伐折羅には胡粉彩色が採用されていおりません。
それでも表面のザラつき状態を上手く表現しているのが良く判ります。
彩色の残痕状態もしっかりと丁寧に表現されています。
こうした手間を掛けた繊細な造形・彩色が、他社の仏像フィギュアには見られない〝イSムの強さ〟だと感じています。

炎髪の後頭部をクローズ・アップした画像です。
「掌」十二神将の伐折羅だと、この炎髪に赤味が少々指されていますが、単品・伐折羅は頭頂部の炎髪先端部分に〝ほのかな赤味〟が施されています。
十二神将の伐折羅と単品・伐折羅を見比べてみると、微妙な相違という発見があり、こうした発見をすることもまた楽しみのひとつとなっています。

正面からの〝憤怒の表情〟です。
眉間に縦の皺がありますが、その部分に〝青い(緑の)彩色残痕〟が表現されています。
残存顔料の調査により伐折羅の顔面は青かったことが判っていますので、本物に準拠した彩色再現となっています。

 

本物の伐折羅の顔面に、ここまで接近することはできませんが、この一筋の〝青い(緑の)彩色残痕〟が指されていることにより、C.G.(コンピューター・グラフィックス)の再現された極彩色伐折羅像の姿が目に浮かびます。

 

須弥壇上の伐折羅の立ち位置から、どうしても正面もしくは左手からの姿をよく目にするので、本堂内で超高身長の人でなければ観ることができない方向・角度からの画像を載せてみました。

・・・おっ!

眉間だけでなく、鼻の横っちょに〝青い(緑の)彩色残痕〟を発見っ。
入手してから9年も経過しているのに、この画像を撮影したことで単品・伐折羅の顔面に〝青い(緑の)彩色残痕〟が2箇所存在したことを知りました。これもまた楽しき智見の拡がりです。

 

今度は、右手で握っている三鈷剣について注目してみましょう。
三鈷剣は、三鈷杵の中央の鈷が伸びて剣となった物で、これは不動明王の持物として魔を降伏させる強力な法具型武器です。
新薬師寺の授与所(売店)で購入できる、「豪勝」製・伐折羅像が手にする三鈷剣の切先は菱形の先端となっています。本物はここまで極端ではありませんが、切先の手前から少々幅広となり鏃の様な先端となっています。
単品・伐折羅の三鈷剣では剣の切先造形は特になされておらず、通常のスッキリとした剣先になっています。

 

地に向けられた左手は〝拳を開いている〟といわれていますが、良く観察すると中指・薬指の間が広く開かれています。これは剣を持っていない左手で仏敵を威嚇する様子を表現しているのだそうです。仏教彫像の造形が意味するものは奥深いものであることを実感します。

 

前腕部の袖に、在りし日の華やかな彩色を想わせる彩色の残痕が再現されています。

 

角度を変えて見ると、袖の部分のみならず、開いた左手首にも彩色残痕が再現されています。こうした通常では見えない箇所にも妥協なき彩色が施されているのが「イSム」様のインテリア仏像が他の仏像フィギュアの追随を許さない所以だと感じています。

 

三鈷剣と、剣を持つ右手の造形です。
一体化したものではなく、想像するに三鈷剣ははめ込んでいるものと察しますが、差し込みの違和感無く、実際に柄を握っている様な造形になっています。

 

柄頭の三鈷杵もしっかりと再現され、丁寧に色が塗り分けられています。

 

真っ直ぐな三鈷剣として表現されています。

 

背面に回ってみましょう。
胡粉塗りではありませんが、塑像独特のザラついた質感が表現されています。

 

腰の部分の締め紐が、縄目・結び目・房の様子が丁寧に再現されています。これは「掌」十二神将・伐折羅では簡略化されているところで、単体・伐折羅を別に購入していた喜びに繋がります。
新薬師寺・十二神将のうち、伐折羅像は唯一「石帯」を装備しています。巡方(四角形)の上に花冠形の装飾が「掌」十二神将の伐折羅よりも丁寧に表現されています。

単品・伐折羅と「掌」十二神将の伐折羅の造形はほぼ同じであっても、細部においては微妙な相違が存在することが判りました。
〝ほぼ同じだけれども細部が異なる〟ということで、双方を手に入れて良かったと感じています。

 

ちなみに、これまで奈良市の新薬師寺は複数回訪れていますが、いずれも徒歩で往復しています。
高畑町の交差点を左折し、住宅地のあいだを通る緩やかな坂道をのぼり、奈良教育大学国際学生宿舎や志賀直哉旧宅の前を通り過ぎ、山本食料品店さんの前の細道から新薬師寺の横に通じるこれまた緩やかな上り坂道を進むと大和古道「山辺の道」(やまのべのみち)と交差し、そこを右折すると新薬師寺正面入口(南門)に辿り着くのです。
近鉄奈良駅からゆっくりと歩いていきますので、およそ30分程かかります。高畑町交差点を左折すると、そこからほとんど人影を見ることなく目的地に到着します。
タクシーやバスを利用すると簡単に楽に到着するのですが、歴史在る新薬師寺に至るまでの風景や風情を楽しむため、いつも時間に余裕をもって歩きます。
歩きながら本尊・薬師如来と眷属・十二神将に逢うことを胸を弾ませ、帰り道も歩きながら余韻に浸っています。

当面は予定がありませんが、次回赴く際も徒歩で向かいます。
帰り道は「豪勝」十二神将を何体か連れての帰路になることでしょう。

 

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