何度も大和国法隆寺を参詣していますからね、気になっていたんですよ。
622(推古天皇30)年、山背大兄王が父・聖徳太子の没病気平癒を祈願して建立したと伝わる法輪寺を。
広大な駐車場を利用したこともあります。
でも法隆寺への参詣がメインだったので、法輪寺境内には立ち入らなかったのです。
スケジュールを調整し、遂に大和国法輪寺へ参詣してきました。

広っい駐車場から、三重塔が見えます。
駐車場から歩いて直ぐに門前です。

門構えは、こんな感じです。
門は小振りでした。
この門の右手側には

大木が控えております。
この前も広い車場です。
嘗て、法輪寺の駐車場に車を止め、法隆寺まで歩いたことがあります。
酷暑の下でしたので、かなりへばってしまいましたが、もうその様なことはしません。
大変だったんだもん。
さて、門前では
「法輪寺」
の文字が浮き出る瓦が目を引きました。



位置的にも、それ程高い場所ではありませんので、瓦の様子を楽しむことができます。
瓦に寺院の呼称が入っていると大和国もしくは山城国に来たなって実感します。
門を潜り

右手側に手水所があります。

意匠を凝らした手水所ではありませんでした。
龍(ドラゴン)とは言いませんが、何かしらの装飾は欲しいものです。
手水所前で振り返ると

三重塔の姿が・・・近いっ!
嬉しいので、ちょいと小走りになり三重塔の前に建ちます。

とても近い場所から見上げています。
法輪寺三重塔は、1944(昭和19)年7月21日に落雷で全焼してしまったそうです。
焼失前は、日本において最大かつ最古の三重塔として知られ、明治時代には国宝に指定されました。
大和国薬師寺の東塔は・・・?
まぁ、それは扨措き、1967(昭和42)年~1975(昭和50)年にかけて創建当初の様相・位置で再建されました。
〝法隆寺の鬼〟と称された故・西岡常一氏のお仕事です。
この塔の中には、三重塔焼失時に塔外へ持ち出された平安時代後期の作と考えられる釈迦如来坐像・四天王像が安置されているそうです。
拝観は叶いませんがね。

法隆寺五重塔の木組み構造も細かいところまで目視できますが

法輪寺三重塔は低い為、より木組み構造が判り易いです。
卍崩しの高欄を見えると感動しますよ。
大斗から雲形肘木が出て軒を支えている、飛鳥時代の建築様式の特徴も観ていると楽しくなってきますね。

法輪寺三重塔再建にあたり、西岡常一氏は竹島卓一氏(名古屋工業大学教授)と衝突したことはよく知られています。
竹島卓一氏の鉄骨使用案に西岡常一氏は猛反発し、後にDVD収録されたインタビューで
〝偶にしか現場に来んから、木材だけで再建したった〟
という趣旨を笑いながら語っていました。
故・西岡常一氏の信念と人柄がうかがえます。
三重塔の対面に金堂が位置しています。

現在の法輪寺金堂は、1761(宝暦11)年に再建されたものだそうです。
1950(昭和25)年に実施された発掘調査により、旧の金堂の位置はそのままでありつつも、金堂の規模はひとまわり小さくなっていたことが判明しました。
老朽化が懸念され、安置されていた仏像は収講堂(収蔵庫)に納められています。
三重塔の周辺に、複数の礎石が配されています。

たとえ創建時の建造物が失われていたとしても、こうして柱を支えていた礎石と間近に接することができるのは大いなる喜びです。
どこかの事代で、寺外に持ち出される可能性もあった訳ですからね。
境内の端っこに鐘楼が位置指しています。


吊されている鐘は、慣らしちゃいけないことになっていますね。
講堂(収蔵庫)の後方②は

江戸時代に建てられた地蔵堂があります。

堂の向かって右側には、製作年代が不明の石仏が並べられています。
地蔵堂内には

鎌倉時代末に製作されたと考えられる石造りの地蔵菩薩が納められています。
地蔵堂の隣、妙見堂が位置しています。

2003(平成15)年11月1日に落慶した、新しい堂です。
旧・妙見堂は北の山中から移築されたといい、江戸時代中期の様式だったそうです。
老朽化が懸念され、改築されました。
いよいよ講堂(収蔵庫)に向かいます。


石灯籠と遊びながら、講堂(収蔵庫)を望んでいます。
江戸時代に建てられた旧・講堂の位置に、規模を縮小しながらも1960(昭和35)年に耐火耐震鉄筋コンクリート構造で建て直されたそうです。

この講堂(収蔵庫)には
重要文化財
薬師如来坐像:飛鳥時代
虚空菩薩立像:飛鳥時代
十一面観音菩薩立像:平安時代
弥勒菩薩立像:平安時代
地蔵菩薩立像:平安時代
吉祥天立像:平安時代
妙見菩薩立像 御前立:江戸時代
米俵乗毘沙門天立像:平安時代
楊柳観音菩薩立像:平安時代
聖徳太子二歳像:江戸時代
の他、出土品が展示されています。
講堂(収蔵庫)内は撮影禁止ですのでね。
公式HPや売店で仏像たちのお姿をお楽しみください。
さてさて、講堂(収蔵庫)を出て、法起寺に向かったのですが、

その跡また法輪寺に戻ってきて、奥の方へと進みました。
駐車場の外側を迂回して

法輪寺三重塔の姿を眺めながら、後方へと進んで行きます。
小さいですが三井神社。

小高い丘の上へと階段を上り

朱塗りの鳥居の奥には

小さな祠が設けられています。
階段を下りて、幌色時に入っていくと

向こう側に
史蹟「三井」
が見えています。
「三井」には屋根が掛けられています。

聖徳太子(厩戸皇子)が掘った3つの古井戸のひとつ「朱疎明」(あかそめのい)と伝わっています。
道端に位置しています、・・・・と言うよりも、道路がこの井戸を迂回しています。
道路から「三井」を観ています。

こうして大切に守られています。
法輪寺が「三井寺」「御井寺」と呼ばれることから、この「三井」が古くから大事にされていたことがうかがえますね。

井戸の上から3mあたりまで、「塼」(せん)という焼き物が積まれている珍しい構造であり、国の施設に指定されています。

さぁ、「三井」に近付いていきます。
④方向から井戸の中を除きましたよ。

これが最もキレイに写った画像です。
向こう側かに何か見えていたら、おっかないです。
ですから、深入りはしませんよ。
因みに、「三井」を覆っている屋根ですが

梁が曲線を描いています。
厳密に云うと削られているのですがね。
法隆寺西院の廻廊に見える、梁の曲線(飛鳥時代の意匠)を意識しているのでしょうか?
それだったら楽しく、その上で嬉しいです。
史蹟「三井」で、なかなかな時間を遊びました。
この跡も法起寺他を巡る予定でしたのでね、撤収です。
法輪寺の脇道から駐車場に戻ります。
その脇道において

ある事に気付きました。

お気付きでしょうか?
先程は内側に居たのですがね。

西門にございますよ。

如何です?

丸瓦の文字が「三井寺」になっているのですよ。
おっ茶目っ!
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