お手軽「武田軍旗」(甲斐国)

躑躅ヶ崎館跡に鎮座する、山梨県甲府市・武田神社の授与所にて購入しました。

一般に〝風林火山の旗〟と呼ばれている、「武田軍旗」の縮小レプリカです。

<img src=”武田軍旗.jpg” alt=”武田軍旗”/>

 

用兵に関して述べている『孫子』軍争篇の抜粋、
 「(故其)
   疾如風
  (其)
   徐如林
   侵掠如火
   不動如山」       ※( )は省略された文字です。
を快川紹喜の揮毫によったものと伝わっています。
現在は甲府市の武田神社・宝物殿、甲州市の恵林寺・信玄公宝物館、甲州市の雲峰寺・宝物殿に数籏が伝存しています。

各土産物店で、同じような縮小レプリカが販売されていますが、ほとんどがプラスチックの台座に差し込むものになっています。
しかし、武田神社・授与所で購入すると、木製台座に

「武田軍旗 甲斐國総鎮護 武田神社」の文字が入っています。こうしたところはこだわっていきたいものです。

 

裏側は文字無しです。

1本1,000円でした。お手頃価格です。

<img src=”武田軍旗.jpg” alt=”武田軍旗”/>

次回、武田神社を訪れたら10本ぐらい大人買いしようと考えています。実際にはそんなに多く立てられていたものではないでしょうが・・・。夏の暑い時、エアコンの冷風を循環させるために扇風機をまわした際、この武田軍旗4本が風にたなびいていました。それを見ているだけで楽しい気持ちになりました。

 

これは、1988年NHK大河ドラマ『武田信玄』で描写されていた武田晴信の出陣の様子です。晴信役の中井貴一さんが数種類の幟に囲まれています。

 

現在も研究が進められている『甲陽軍鑑』には、武田軍旗に関する記載があります(品第四十三・品第五十三の2箇所)。
 武田晴信(信玄)が本陣で掲げた旗は、  (※以下、便宜上( )数字を割り振っています。)

(1)赤地の八幡大菩薩の籏が2本
(2)赤地の将軍地蔵大菩薩の籏が2本
(3)武田氏27代まで継承された御籏が1本
(4)黒地に金で「四ツの語」を記した、いわゆる風林火山の籏1本
4種類計6本であったと記されています。

武田神社・雲峰寺の宝物殿と恵林寺の信玄公宝物館には、この他に

(5)諏訪神号(「諏方南宮法性上下大明神」)籏
甲州市の雲峰寺が所蔵する「諏訪明神旗」「諏訪法性旗」「諏訪梵字旗」と呼ばれる3種類の旗の総称です。赤絹地に金字で記された武田晴信(信玄)の直筆ということで「大将旗」とも呼ばれています。「諏方南宮法性上下大明神」が梵字で囲まれているものが1本で、周りに梵字の無いものが数本立てられたといいます。
梵字の無い赤絹地に金字で「南無諏方南宮法性上下大明神」の籏もあります。

(6)「花菱」馬標旗
赤の絹地に武田花菱紋が縦に3つ並べて染められています。武田晴信は出陣時に必ずこの馬標を立てて標識としたといいます。

 

さて、(3)「武田氏代々継承された御籏」とは、〝日本最古の日の丸〟のことと推測されます。これを所蔵する雲峰寺の伝承では、1056(天喜4)年、後冷泉天皇より源頼義が下賜されたものが三男の源義光(新羅三郎)に譲られ、以後甲斐武田家で代々伝えてきたものだそうです。旗は六尺四布だったそうですが、現在はその1/4が失われています。ただ、日の丸の造形と旗の形態などから、後冷泉朝からの下賜を疑問視する見解もあります。

(4)の「孫子四如の旗」は最も知られたものですが、『甲陽軍鑑』品第四十三を見ると、「四ツの語」(疾如風徐如林侵掠如火不動如山)に「天上天下」「唯我独尊」を加えた籏が1573(天正元)年3月に初披露されたと記されています。
「天上天下」「唯我独尊」が入っている籏の現物を見たことはありませんが、江戸時代末期に歌川豊国が描いた「謙信武田ノ旗本へ乱入之図」に、3行にわたっている籏が描かれています。

この絵画を参考に、どこかの会社で3行バージョンの〝風林火山〟籏を製作・販売すれば良いのにと思ってしまいます。まァ、現在販売されている2行の〝風林火山〟籏の方が格好良いのですけれどもね。

 

画像に籏の種類を文字で入れてみました。
『甲陽軍鑑』に見える
(1)赤地の八幡大菩薩の籏が2本
(2)赤地の将軍地蔵大菩薩の籏が2本
は再現されていませんが、大河の気合いが入った再現ぶりは認めざるを得ないでしょう。

 

 

 

 

 

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