2018(平成30)年8月の活動でした。
国道13号線を外れ、車を停め、山中に歩みを進めていきました。
道はありますので、山中で会っても安心して進むことができます。
ただ、この時は虻(あぶ)が多く飛んでおり、躱しながら移動していました。

諸説ありますがね、後三年合戦時に源義家軍の兵糧で偶然に納豆ができたと云われています。
ここからちょいと距離が離れていますが、納豆工場がありますよ。
後三年合戦は、1083(永保3)年~1087年(寛治元)年にわたった清原氏の内紛に源義家が介入した戦闘でした。
1087年(寛治元)年に出羽国金沢柵は清原家衡・清原武衡が立て籠もり、清原清衡・源義家連合軍が包囲し、日本で初めて兵糧攻めによって陥落したと伝わっています。
金澤柵の位置は考古学的には特定されておらず、伝承から金沢八幡宮周辺と推測されていますが、東寺の遺物は確認されていないそうです。

上り易く舗装がなされています。
向こう側に建造物が見えますね。

道なりに進んでいくと、「兜杉」(かぶとすぎ)の案内表示がありました。

杉の巨木があった様ですね。
案内表示には
「 兜 杉
この杉は兜杉と呼ばれ、根回り七.四
五m、目通り五.五〇m、枝下高七m、
樹高約二十六mもあり、樹齢およそ九
百年とも伝えられていました。
また、この兜杉は八幡太郎義家が凱
旋のとき、愛用の兜を埋めて石をその
上に置き、そばに記念のため藤原清衡
が植えた杉ともいわれていました。
昭和五十八年一月、失火により焼失
するまで、市の天然記念物に指定され
ていました。
平成二十八年十月
横手市教育委員会
横手文化財保護協会 」
清原清衡(藤原清衡)によって植えられた、この「兜杉」は1983(昭和58) 年1月、焼失してしまったとのこと。
案内表示は2016(平成28)年10月の作成されたものと云います。
「兜杉」のすぐ側には

源義家が兜を埋めたところですよ。
「星兜石」(ほしかぶといし)と呼ばれています。
「兜杉」と「星兜石」の先に、小さいですが「兜八幡神社」が建てられていました。

案内板には
「 兜八幡並びに星兜石
この祠は兜八幡社と言い源義
家・弟義光の兄弟を祭(ママ)っており
傍らの石は「星兜石」という。
源義家が戦勝を記念して凱旋の
おりに兜を埋めて其の上に石を
おいたためにこの呼称がある。
兜八幡社の名称もそれ故に生
まれたものである。
歴史・文化の里づくりをすすめる会
(平成25年度横手地域づくり協議会補助事業)
」
とありました。

肯定的な伝承と、藤原宗忠の日記『中右記』に見える「天下第一武勇の士」等から、単なる憧れや理想という範疇に納まることなく、尊崇・信仰の対象にもなっている〝源義家が埋めた兜〟だからこそ、小さいながらも八幡神社が建てられたのでしょう。
後世武家の意図もあるでしょうがね。
くの字になっている参道を上ると、直ぐに金澤八幡宮が鎮座しています。

平日の昼間に参拝したのですが、他にも参拝客はおいででした。
画像には写っていませんがね。
案内板には
「
金澤八幡宮
寛治七年(一〇九三年)後三年合
戦(一〇八三年~一〇八七年)の後
に源義家の命をうけた藤原(清原)
清衡によって石清水八幡宮の神霊を
勧請して建立された。祭神は、八幡
三神(誉田別尊 息長帯姫命 玉依姫命))
等である。江戸時代には義家の弟で
ある源義光の末裔である佐竹氏が秋
田藩主となったため厚く信仰され慶
長九年(一六〇四年)以来十数回の
修改築がなされている。
歴史・文化の里づくりをすすめる会
(平成25年度横手地域づくり協議会補助事業)
」
とありました。
激しい戦闘が繰り広げられた「金沢柵」があった場所としては、とても静寂な状態でした。
戦闘での遺物が発見されていないということですが、金沢柵陥落後に徹底的な片付け・供養が為されたのではないでしょうかね?
勿論、源義家軍によってではありませんよ。
若しあったとすれば、供養等は清原清衡(藤原清衡)の意向による行為でしょう。
中尊寺建立の意図から推察するにね。
金澤八幡宮の右手側には「御紙馬」が凜々しく立っていました。

この逞しい「御神馬」は、1939(昭和11)年に騎手・元石吉太郎(もといしきちたろう)氏が帝室御賞典競争で3度の優勝を記念して金澤八幡宮へ奉納したものといいます。
鋳物師・藤原隆義(ふじわらたかよし)氏がおよそ3年かけて製作されたのだそうです。
境内には、こうした建造物がありましてな。

中を覗き込んでみると、

白馬が居りましたよ。
顔を上げている様で、表情は確認できませんでした。
でも雰囲気が生々しく、ちょいと気持ち悪い(笑)。
山城国六孫王神社の紙馬だと、愛らしいのに。
金澤八幡宮の本殿です。

手を合わせて、参拝しました。
山の中なのでね、参拝客の数は多くなさそうですが、立地の割りには参拝客が訪れている様です。
近隣にもいろいろと史跡等があったのですが、この時は金澤八幡宮/兜八幡神社を中心院巡りました。
後三年合戦に関連する史跡をもっと調べて、また訪れようと考えていますよ。
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