大和国東大寺南大門・金堂〈大仏殿〉(奈良県)

通常の時間帯(開場9:00に合わせた)で大和国の国分寺/総国分寺の東大寺を参詣してきました。
これまで何度も参詣していますが、探訪エンターテイメント部門で採り上げるのは、今回が最初となります。
案外、このパターンが多くなってきています。

さて、雲一つ無く晴れ渡っていました。
南大門の様子です。
南大門の近辺には人影がありませんでした。

大仏様(だいぶつよう)または天竺様(てんじくよう)と称される、雄大な印象を受ける建築様式が用いられています。
同じサイズの屋根が二つある二重門です。
美しく、調和がとれていますね。
超人気観光スポットでも、早い時間に訪れれば斯様に建造物に集中した画像を撮ることができます。

南大門の中に居る「金剛力士 阿形」、

 

そして「金剛力士 吽形」との再会です。

天照大神のお茶目な悪戯により、防御用の金網とも相俟って阿形の姿が見にくくなっています。
肉眼では、しっかりと阿・吽形の姿を見ることができたのですがね。

「金剛力士 阿形」の上に視線を向けると斯様な木組み/天井までの様子を見ることができます。

東大寺南大門は天井板が張られていません。
柱・梁・桁・・・色々と見えています。
組木にそれぞれ装飾が施されていて、屋根裏まで続いています。
これを「化粧屋根裏」というそうですよ。

南大門の真ん中に立って、化粧屋根裏の様子を観ています。
決して太くない用材が規則正しく、そして対照的に組み上げられています。
陳和卿(ちんなけい)めっ、なかbかやるではないか!

金堂寄りの側から、南大門の内側・外側を見上げています。
歴史的な建造物に共通する感慨ですが、
  「見事な木組み」
なのです。
勿論、時代や建材の個性などはありますがね。
これでいて、強靱な耐震構造を備えているのです。
陳和卿のもとで、この南大門建造に携わった工人たちの
  「どうだ、凄いだろうっ」
という高笑いが聞こえてくる様です。

南大門の金剛力士・阿吽業は有名ですが、その裏側には

それぞれ「唐獅子」が控えています。
東大寺ミュージアムの〝隠れた販売スペース〟でこの「唐獅子」雄雌・縮小レプリカが販売されています。

そろそろ金堂(大仏殿)に向かいましょうかね。

このスッキリした青空っ!
午前9時頃です。
この後のことは・・・忘れちゃいました。

金堂(大仏殿)前の中門に近付いています。

あらっ、青空と朱塗柱・白壁のコントラストが素敵ですね。

画像がちょっと傾いたものになってしまいましたがね。

中門の向かって右側②は「兜跋毘沙門天」が立っています。

天照大神の恵みにより、神々しい姿に見えています。
案外、こうした画像は有り難いものですよ。

近寄ってみると、やはり睨まれちゃいました。

反対側(中門の向かって左側)に居るのは

四天王のうち、「持国天」が立っています。

近付いてみました。
防御用の金網の主張が強く、持国天が霞んでしまいます。
所々で編み目が大きくなっているのが気になります。
鳥が突撃でもした跡なのでしょうか?

夜にも来ましたが、中門に掲げられた「初詣」の案内掲示です。

東大寺金堂(大仏殿)の初詣、何時か実現してみたいです。
嘸や混雑することでしょうね。
ネットで検索したら、ライト・アップされていて通常とは異なる雰囲気でした。

待ちきれず、中門越しに金堂(大仏殿)を臨んでいます。

受付で拝観手続を済ませ、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)に逢いに行きますよ。

抜ける様な青空の下、金堂(大仏殿)に面しています。
鎌倉時代に再建された金堂(大仏殿)、これよりもひとまわり程大きかったそうですよ。
奈良時代の創建時金堂(大仏殿)は、これよりふたまわり程大きかったそうですよ。
先達の偉業が失われたことは残念ですが、スケール・ダウンをしつつもその偉業が現代に伝わっていることが喜びの極みですね。
これは永久(とこしえ)に、受け継いでいきたいものです。

こうして観ている現在の金堂(大仏殿)、
 正面の幅:57.012m
 奥行き :50.480m
 高さ  :48.742m
ということで、地球上の現存木造建築物として最大のものとなっています。
明治の大修理で瓦の数を減らしたところ、屋根板が腐敗して雨漏りが深刻になったそうです。
また瓦の重さで屋根が撓み、倒壊する危険性も高まっていたそうです。

1973(昭和48)年から、落慶法要が挙行された1980(昭和55)年までの7年に渡る「昭和の大修理」を経て、現在の今度(大仏殿)の姿になっています。
昭和の大修理の様子は映像でも残っていますのでね、ご興味をお持ちの形は是非ご覧ください。

金堂(大仏殿)前に立っている「八角燈籠」です。
雨曝しになっていますが、国宝ですよ。
でも、コレはココに立っていなければならぬものです。

 

今度参詣したら、動画で撮影してきますよ。

「桟唐戸」(さんからど)とも称される「観相窓」(かんそうまど)、閉まっています。
開扉されるのは年2回ということですが、現実的にその時にこの場に立っていることは困難ですよ。

無駄なことですが、「桟唐戸、開けばいいなぁ」と見上げていました。

桟唐戸だけでなく、木組みの様子も楽しんでいます。

沢山の瓦が載っている重たい屋根、そしてその屋根を支える柱と木組み。
折角、現地を訪れているので書籍に掲載されているものとは違った視点・角度で楽しみたいぢゃないですか。

金堂(大仏殿)には天井があります。
屋根裏には極太の梁が巡らされていますし、金属材での補強も為されています。
見えていませんが、防火設備も配置されているのですよ。

毘盧遮那仏の前に立っているのですが、大仏よりも先に天井の様子を楽しんでいました。

徐々に視点を下ろしていき、毘盧遮那仏の顔を観ています。

「初詣」仕様の毘盧遮那仏の様子を正面から見ています。

毘盧遮那仏(大仏)の右膝前辺りに立っています。
ここには、

レプリカなのだそうですが、天平創建期の様子を留めている大仏蓮弁の「蓮華蔵世界図」があります。
本物は、上の大仏が座っている蓮弁座にありますよ。
所々に鍍金が遺っています。
だって、完成時の毘盧遮那仏(大仏)は金色に輝いていたそうですからね。
絵画史料(「信貴山縁起絵巻」尼公巻)には、奈良時代に完成した毘盧遮那仏(大仏)が金色であったことが描写されています。

 

 

 

 

観光客は、毘盧遮那仏(大仏)の足元まで入ることができませんのでね。
台座の下にある、この忠実なレプリカを介して天平の華やかな姿に夢を馳せましょう。
東大寺ミュージアムにも縮小版レプリカがありますのでね、そちらもお楽しみください。

徳川綱吉の治世、1684(貞享元)年に江戸幕府が大仏殿修造許可を下しました。
1686(貞享3)年から毘盧遮那仏(大仏)の修繕事業が始まり、1672(元禄5)年に開眼供養会が実施されました。
大仏殿の再建も同時進行していた様ですが、東大寺の経済事情に加え、時代的に建築用材としての巨木を確保することが困難だったことが推測できます。
それでも、この画像に見える如く合成柱の技術を以て再建が為されました。
再建事業に関わった大工たちの技術のみならず、知恵と工夫の賜物です。
金堂(大仏殿)内の一本の柱は、真柱(しんちゅう)の周りを12本の捌木(べつぎ)で囲い、膠(にかわ)で接着しつつ鉄製の胴輪と鉄釘で固定しています。
現在の金堂(大仏殿)は1709(宝永6)年、徳川家宣の治世で落慶供養がおこなわれたものです。
300年超も、重たい金堂(大仏殿)の屋根を支えてきたのです。
お疲れ様、そしてこれからも可能な限り重たい金堂(大仏殿)の屋根を支えてください。

天井は格子がビッシリと敷き詰められています。
その上の屋根裏には、複雑・緻密に木材が組み上げられています。
金堂(大仏殿)の屋根中央部を支えている「虹梁」(こうりょう)は、日向国(宮崎県)霧島山の白鳥神社境内から、高さ54mもあった赤松の巨木が切り出されて調剤されたのだそうです。
長さが23.4m、元口の直径が1.3m、重さ凡そ22tという、金堂(大仏殿)の屋根を支えるに相応しい、逞しく頑強な虹梁となっています。
明治の大修理において、金堂(大仏殿)屋根裏には、いわゆる「トラス構造」と称されるイギリスの敵国補強技術が採用されました。
一般観光客は立ち入ることができませんが、元禄~宝永期の大工たちの知恵・医術を明治期の西洋伝来・鉄骨補強技術が支えている様子はDVDなどで視聴できますよ。

 

毘盧遮那仏(大仏)に目線を戻しましょうね。
毘盧遮那仏(大仏)を中心に、金堂(大仏殿)内をグルッと回ってみます。

本物の大仏蓮弁が見えています。

毘盧遮那仏(大仏)の右手側には

衆生に知恵を授けてくれる「虚空菩薩」が御座します。

毘盧遮那仏(大仏)と虚空菩薩が並んでいます。
眼福ですなぁ。

因みに、虚空菩薩の横には、金堂(大仏殿)の屋根裏に続く階段があります。
一般観光客は上ることができません。
高さがあるので縦のワイド写真で撮りました。
扉が撓んで見えるのは、ワイド写真だからです。
実際は、シャキッと真っ直ぐですからね。

虚空菩薩を右横から観ています。

虚空菩薩を右斜め後方から観ています。

虚空菩薩の後方には、頭部だけで製作が終わってしまった「増長天」が居ます。

毘盧遮那仏(大仏)を右横から観ています。
光背が、なかなか分厚いものです。
この様に柱と連結しているのですね。

ライトの上に扉があり、そこを開くと毘盧遮那仏(大仏)を頭上から見下ろすことができます。
一般観光客が立入禁止区域なので、見下ろすことはできませんがね。

虚空菩薩の後方には「廣目天」(広目天)が立っております。
1799(寛政11)年に「御衣木加持」(みそぎかじ)が執り行われ、製作が開始・完成したのだといいます。
後ろと横に連子窓があり、光が差しています。

毘盧遮那仏(大仏)と虚空菩薩の光背を、後ろ側から観ています。

こちらは毘盧遮那仏(大仏)の光背を後方から観ています。
下方には蓮弁が見えていますね。

毘盧遮那仏(大仏)と如意輪観音の光背を、後方から観ています。

毘盧遮那仏(大仏)の光背を、斜め左後方から観ています。
柱から出た支柱により光背が支えられています。

如意輪観音の後方には、頭部だけで製作が終わってしまった「持国天」が居ます。

如意輪観音の後方には「多聞天」が立っています。
広目天に続き製作が開始・完成したのだといいます。

多聞天の後ろと横に連子窓があります。
広目天の立っているところにも連子窓がありますから、堂内でも風の流れができそうですね。
風雨が吹き付けたら、どうなるのだろうと心配になってしまいます。
次の参詣時に、外側を確認してみますね(できればですが)。

如意輪観音の光背を、後方から観ています。

如意輪観音を左横から観ています。

毘盧遮那仏(大仏)と如意輪観音が並んでいます。
こちらも又、眼福でございます。

毘盧遮那仏(大仏)の左手側には

衆生の久能を除き利益を与えてくれる「如意輪観音」が御座します。
ちょっと画像が斜めになってしまいました。
実物は安定していますよ。

毘盧遮那仏(大仏)の周りを一周してきました。
この立ち位置の後方に授与所があり、そちらで朱印をいただきました。

毘盧遮那仏(大仏)・結跏趺坐の一部に鍍金の残痕が確認できるのですが、この画像では難しいかも。

金堂(大仏殿)の外に出て、入口の右側には

釈迦の弟子「賓頭盧」(びんずる)が座っています。
〝触らないで〟とありますが皆、触っていきますよね。
表情がね・・・。

 

金堂(大仏殿)を満喫し終え、中門のところまで戻ってきました。
午前10~11時の辺りでも、こうして多くの参拝客が訪れています。
日本国内でもトップクラスの人気観光スポットですからね。

回廊に沿って、売店が設置されている辺りから金堂(大仏殿)を観ています。
「昭和の大修理」によって、何処から観ても撓み・歪みが解消され、美しい偉容を保っています。
こうして観ているだけで、嬉しくなってきます。

回廊も綺麗に整備されています。
時間の都合で、ここで金堂(大仏殿)を後にしましたが、次回は回廊から金堂(大仏殿)に近付いてみようと考えておりますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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