2024年08月22日 高野山奥ノ院で「生身供」(しょうじんく)を満喫しましたが・・・。

高野山奥ノ院で、途絶えることなく続いている「生身供」(しょうじんく)を2日連続で、しかも違う設定で楽しむことができました。状況・位置・場所・時間帯などを替えながら、あれこれ観ていると、〝楽しみ方もあれこれと想像することができます。それで天候も良好でしてね、墓所に足を踏み入れなければ、とても清々しい気持ちになることができます。今回は〝空海のご飯〟が「燈籠堂」に向かって行く様子を動画撮影することを目標にしました・・・が、嫌な予感がしたのですよ。外国人観光客の動きが。此方だけでなく、彼方も想い出づくりに来ているのは理解しています。此方の動画撮影の意図を伝えてもいませんしね。生身供の様子は、またの登拝時にチャレンジするので、まぁイイとして。「燈籠堂」の内陣に彼らは陣取って居眠りをしていましたよ。堂の外に出ると、動画/写真のどちらかは知りませんが撮影をしていましたよ。「生身供」スタート前、彼らはこの看板の前に居たのですからね。「知らない」との言い訳は通じませんよ。だからといって注意した訳ではありません。こうした事って〝人間性の問題〟と考えていますので。妙な苛立ちに苛まれてしまいました。次の登拝では〝心穏やかに〟高野山全体を満喫しようと考えております。次の高野山踏破が待ち遠しいですよ。