紀伊国高野山金剛三昧院(和歌山県)その参

霜月の末、仕事を休んで紀伊国高野山に向かったのは、金剛三昧院の愛染明王が重要文化財指定記念で特別公開が目的でした。
2025(令和7)年3月21日(金)~12月14日(日)という期間での特別公開でしたのでね、日程調整をして金剛三昧院に参詣してきました。


メイン・ストリートからちょっと入った所に案内表示があります。

この表示に随って

 

緩やかな坂道を直進していくと

 

木立が見えてきます。

 

ここが金剛三昧院の入口です。
迷うことはありませんよ。
ご安心ください。

 

こちらが表門です。

 

額には「毘張尊」(びちょうそん)の文字が。
この「毘張尊(師)」とは伝説の天狗のことで、1585(天正13)年4月に金剛三昧院境内の杉の大木に降り立ち、高野山を救ったのだそうです。

 

表門から愛染明王が御座します本堂が見えています。

受付で拝観手続きを済ませました。
これまで2度の参詣時はおばちゃんでしたが、今回はおぢちゃんでした。
特別公開のことを丁寧に説明してくださいましたよ。



残念なことに雨天でした。

石畳敷きは大丈夫でしたが、土の部分はビチャビチャでした。
愛染明王が御座いします「本堂」に観光客がおいででした。
本坊は閉まっていたので一旦、屋根の下で雨宿りをして観光客の方々と時間をずらします。


「本坊」の軒先から六本杉「毘張杉」(びちょうすぎ)を臨んでいます。

この六本杉に天狗「毘張」が降り立ったそうですよ。
〝天狗と友だち〟なのですが、姿が見えません・・・存在も感じません(悲)。


観光客の一団がお帰りになりましたのでね、「本堂」に向かいます。

雨天で、午前中の早い時間でしたからね。
人気(ひとけ)がありませなんだ。
予定通りの状態にございましたよ。

 

画像に写ってはいませんが、ワクワクしながら「本堂」へと向かっています。

 

葉っぱの色から秋を感じることができますね。

 

ガラス越しに「愛染明王」のお姿を拝観することができるとは謂いますが、内陣が暗いことと、ガラスに光が反射してしまうので実際には「愛染明王」のお姿は見え辛いのです。

 

今回の特別公開では階段を上がって脱いだ履き物を棚に入れ、左側から回り込んで堂内に立ち入ることになっていました。
ねっ、ガラス窓には外の風景が反射しちゃうのです。

 

履き物を脱ぎ、普段は立ち入ることができない場所に立っています。
ある意味、感動しているところです。
画像には写っていませんがね。


180度、転回して堂内へと向かいます。

角を曲がると

 

この様になっておりまして、突き当たりを右折する経路となっていました。
特別公開の案内にはX(旧Twitter)でフォローすると堂内で「愛染明王」のお姿を撮影することが可能・・・とあったのですが、実際に中に入ってみると「撮影禁止」の掲示が強く主張しておりました・・・。
たくさん「愛染明王」のお姿を写真におさめようと考えていたのにぃ。

ちょいと落胆しながら「愛染明王」を観ていたら、お爺ちゃん・お婆ちゃんの一団が堂内に入ってきました。
こちらの一団が去られてから、ゆっくり「愛染明王」と向き合おうと思い、「愛染明王」の前から退いていました。

本堂内では金剛三昧院の僧ではなく、「写真家」の方が常駐しておられました。
この「写真家」の方とお爺・お婆ちゃんの一団が話をし始めました。
どうも、この前日にTV番組で高野山特集の放送があったそうです。
俳優の内田有紀さん等がロケに来たのだそうです。
「写真家」の方が、ロケの時期は神無月の下旬だったことを説明されておりました。
この「写真家」の方、金剛三昧院の愛染明王など仏像の写真を撮影されているのだそうです。
対話が一通り終わったら、お爺・お婆ちゃんたちが愛染明王の前に座って、何と皆で般若心経を唱え始めました。
ちょいと唖然としてしまいました。

 

お爺・お婆ちゃんたちが立ち去った後、「愛染明王」の前に座ってゆっくりとお姿を拝見致しました。
凄く楽しかったですよ。
横っちょの小机上に
 TanaCOCORO「愛染明王」
 金属製極小細密仏像「愛染明王」
が並んでいました。
以前は本坊の横っちょ、朱印をいただく場所に並べられていましたがね。

そこで「写真家」の方とお話をさせていただきました。
特別公開の間、「本堂」で観光客の対応をすることになっているのだそうです。
先のお爺・お婆ちゃんの一団との話を繰り返すのも何ですし、
「こちらの愛染明王さん、目力が凄く強いですよね。」
と話題を振ったら、俳優の内田有紀さんも同じ事を言っていたそうです。
そしてこの「写真家」の方、株式会社MORITA様の販売されているTanaCOCORO「愛染明王」や仏像ワールドの木造「愛染明王」の制作にあたり〝写真を撮影した〟(制作に携わった)というのです。
金剛三昧院モデル「愛染明王」だけでなく、他に大和国西大寺モデル「愛染明王」Standardや山城国東寺モデル「兜跋毘沙門天」にも関わったのだそうです。
現在、TanaCOCORO「愛染明王」は品切れになっていますが、金剛三昧院では販売しているそうですよ。
在庫数が如何程なのかは不明ですがね。
そういう話になったので、2度再販されているので〝ロット違いで購入している〟ことを話したら〝ロット毎に違う〟ということに強く共感しておられました。
まぁまぁな時間、「写真家」の方とお話ししました。
最後に高野山に数日間滞在していて晴天続きだったのに、金剛三昧院を参詣した日だけ雨天になってしまったことを告げると、
「高野山で雨が降ると、空海さんが帰ってきた」
ことだということを教示いただきました。
「おぉ、これから奥之院に参るのですよ。ぢゃ、逢ってきますね。」
と言い、「写真家」の方が撮影された写真が使われた「愛染明王」クリアファイル(大・小)を購入しました。


帰り際、縁側からガラス窓を撮影しました。

やはり、内陣は写っていませんでした。
写り込みを避けようとすると、こんなんなってしまいます。
致し方ありませぬ。


名残惜しく「本堂」を後にします。

長い時間、本物の「愛染明王」を観ていたので「若しかすると愛染明王が写っているかもしれん」と思ったのですが・・・そりゃぁ思い込みでした。
画像を拡大してみましたが、風景が映り込んでいて「愛染明王」のお姿は見えませんでしたよ。



「本坊」入口の前です。

右側の奥、白い案内板が立っています。
ここで朱印をいただきます。
季節によっていただける朱印に違いが生じますよ。



朱印をいただいた後、「本坊」を後にし、

「毘張杉」(びちょうすぎ)と「経蔵」の間を通り過ぎ「四所明神社本殿」(ししょ明神しゃほんでん)に向かいました。

 

案内板には

  金剛三昧院四所明神社本殿
重要文化財建造物・世界遺産
 金剛三昧院境内に鎮守として祀られている明神社で、高野、丹生、
気比、丹生御息のⅣ柱社をお祭りしています。一間社春日作で、正面
の方位板裏面には「天文廿一年四月二日より八月造了、同廿七日遷
宮中了、良識七十一」との墨書があり、室町時代にあたる西暦155
2年(天文21年)に建立されたことがわかります。
和歌山県

という説明がありました。
「四所明神」とは
 一宮:胎蔵界大日如来を祀る丹生明神(にうみょうじん)
 二宮:金剛界大日如来を祀る高野明神(こうやみょうじん)
 三宮:千手観音を祀る気比明神(けひみょうじん)
 四宮:文殊菩薩を祀る丹生御息(にうのみす)
の総称だそうです。


ちょこっと覗き込むと

向かって右側に重要文化財「天満大自在天神社」があります。
中には入らなかったのですが、〝天神〟って言ったら菅原道真ぢゃないですかっ!
最近、おっちゃん(菅原道真)に逢いに行っていませんのでね。
そのうち、天満宮(北野)を参拝できればいいなの思っております。


登り道の途中、「四所明神社本殿」(と天満大自在天神社)の方を振り返ると

胃腸の葉っぱが降り積もっていました。
この季節(秋)だけで楽しむことができる様子ですね。


登り坂も

途中までですが、銀杏の落ち葉で黄色く彩られていました。

 

登り道の折り返し地点で振り返ると「毘張杉」(びちょうすぎ)の手前に銀杏の木が立っているのが判ります。
「毘張杉」(びちょうすぎ)の頂、気のせいかも知れませんが天狗がしゃがんでコチラを見ているかの様です。



登り道を進むと

細い道の先に小屋があります。

 

近付いてみると、「毘張尊師社」(びちょうそんししゃ)だそうです。
この小屋ぢゃ、ありませんよ。
この小屋に入って左手側に

 

「毘張尊師社」が鎮座しています。
鰐口で隠れていますが、前に進み

 

「毘張尊師社」の前に立っています。
ここに天狗「毘張」が祀られています。
ここに至るまでの坂道は勾配が急で、足元も不安定ですのでね。
参拝の際は、お気を付けくださいな。



小山を下りて

「毘張杉」(びちょうすぎ)を観ています。

 

六本の杉の大木が繋がっています。
注連縄が掛けられていますね。
こりゃぁ、只の杉の木ではありませぬ。

 

見上げると、こんな感じです。
現場で触れ、見上げると迫力がありますよ。



そして、鎌倉時代に建てられた「多宝塔」ですよ。

空が青味がかってきましたが、未だ雨は止みません。

 

「多宝塔」に近付くと土はビチャビチャ、水溜まりができていました。

 

赤味を帯びた葉っぱが秋を物語っています。
これで晴天(青空)だったら、さぞや美しかったでしょうに。

 

金剛三昧院の多宝塔は1223(貞応2)年、北条政子によって源頼朝・源実朝の供養を祈して建立されたのだそうですよ。
源頼家は仲間はずれみたいですね(笑)。

 

「多宝塔」の正面です。
堂々としていますね。


鎌倉時代の生まれですからね、

木材も壁にも、長い年月を経てきた塔である歴史が刻まれていますね。

 

複雑な木組みを背景にすると、雨粒が勢いよく落ちているのが判ります。

 

相輪先端に据えられている宝珠の下(請花:うけばな)あたりから鎖が

二層の屋根の四隅と繋がっています。
こうした装飾は、他に大和国圓成寺の多宝塔にも見られますね。

 

晴天だと朱塗の残痕が判り易いのですが、雨天だと暗くて判り辛いです。

 

一層の内部には須弥壇があり、重要文化財に指定されている伝・運慶作の五智如来(ごちにょらい:大日如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来)が秘仏として納められているとのこと。
宿坊に宿泊すると拝観できるらしいですよ。

 

朱塗の褪色・剥落状態、白壁の剥落、床板の経年劣化、土台のヒビ割れ・・・国宝ではありますが実質〝雨曝し〟ですからね。

 

複雑な組物、素晴らしいですよね。
朱塗の残り具合、所々に見受けられますね。

 

「多宝塔」の裏側です。
後ろ姿からも、鎌倉時代から現在まで立ち続けている様をうかがい知ることができます。
素晴らしいことですよね。

 

「毘張杉」(びちょうすぎ)を背景に「多宝塔」を観しています。
天狗「毘張」が六本杉に降り立ったのは桃山時代のことですが、天狗ですので、それ以前から存在していて、この鎌倉時代生まれの多宝塔を見ていたのかも知れませんね。

 

「多宝塔」を愛でることを終え、引き返えします。
「本坊」が見えています。
雨は未だ降り続いていました。

 

ほんに名残惜しかったですよ、
本物の「愛染明王」と同じ空間で時を過ぎすことができたのでね。
今後も金剛三昧院に参詣することになるでしょうが、次に生でここの「愛染明王」と逢うのは何時のことになるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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