特別企画065 紀伊国高野山奥之院に通いました。

武蔵国川越から高野山に向かう際、カーナビで〝距離優先〟に設定すると「国道370号線」に誘導されてしまいます。
これまで何度か「国道370号線」で上りました。
〝高野山に来た〟感を満喫できる雰囲気は素敵なのですよ。
ただ、道が狭いっ!
下ってくる車、しかも大きめの車との〝すれ違い〟が難儀なのです。
だいたいが狭い道の真ん中をとっているか、上りに譲るという常識が欠落しています。
「国道370号線」は〝上り〟専用道路にするといいのに、と考えます。

そうした事情もありまして、最初の目的地に紀伊国「隅田八幡神社」を設定したのです。
他の場所もカーナビに設定し、「国道370号線」ではない選択にして高野山へと向かいました。


高野山到着は午後、観光客が高野山を下りる時間帯でした。
出立時間を工夫しないと、遊ぶ時間が減ってしまいます。
次回は日付が変わる前に武蔵国川越を出発することにしますね。


先ずは奥之院に向かいます。
空海に挨拶しないとねっ。

「(大師)遍照金剛」とは、弘法大師・空海のことです。
ほらっ、この空の青さ!
15:00過ぎの晴天でした。
気分爽快にございましたよ。


この後ろに見える売店

書いていました。
この売店、土日・祝日しか営業していないのです。
いつも閉まっている時間しか、ここを通らないので新鮮でしたよ。
でも・・・心を鷲掴みするグッズはねぇ・・・。
空海廟の参るのがメインなのでね、先を急ぎましょう。



まぁまぁな参詣客がおられましたよ。

何時もは人影が疎ら、もしくは人影が無い状態を進んで行くのですがね。


石灯籠には

明かりが灯されていました。
勿論、電気ですがな。



難と、綺麗な青空なのでしょう!

ぽっかりと浮かんでいる雲が〝「高」野山へようこそ〟を表現する途中だったんだしょうね(笑)。



あらっ、雰囲気が一変するポイントで工事がおこなわれていました。

これ程に明るくて、人通りが多いと感じることは難しいですがね。
朝早だと、ここを通過する時の〝雰囲気一変〟は露骨ですぞ。



工事関係者ではありませんが、ここから石畳が敷かれるのでしょうね。

 

こうした歴史を感じさせる

樹齢の木々に影響が無ければ良いのですがね。
確かに、大駐車場から最短距離で奥之院(燈籠堂・空海廟)に辿り着くことができるルートですからね。
車椅子等を利用される方々も、こちらから参詣が可能になることでしょう。

でも、間違い無く雰囲気が損なわれてしまいます。
致し方ありませぬがね。


一つ目の端を通過し、

 

凜とした雰囲気を楽しみつう、歩みを進みます。

 

ここら辺の様子、どの様に変わるのでしょうかね?
砂利道と石畳敷きでは、かなり印象が変わってしまいますからね。



二つ目の端です。

もう間もなく、奥之院の手前でございますよ。



「嘗試地蔵」の前にございます。

観光客が目にする「生身供」(しょうじんく)は、ここから始まります。
毎日6:00/10:30の2回、空海御廟へ食事が運ばれていきます。

人が居ませんでしたのでね、近付いてみました。



このあと、奥之院の朱印をいただいて

御廟端の前に到着です。
参詣客がいっぱいでした。
時間帯もあるのでしょうが、休日でしたのでね。
外国人観光客はもとより、日本の参詣客も多うございましたね。

 

人気(ひとけ)の無い御廟端を撮影したかったので、周辺の供養塔を廻っていました。
ちょいとしてから戻ってきましたが、

 

やはり参詣客は途絶えることがありませんでしたので、「一の橋」の方向へ進んでいきました。

 

結果として天照大神・・・いやここだと大日如来へと向かっていくことになりました。

 

かなり長く之間、天照大神/大日如来が微笑みかけてくれました。



途中、覚鑁(かくばん)が祀られている「密厳堂」(みつげんどう)に立ち寄りました。

この区域から出ようとしたところ、天照大神/大日如来の微笑みが、より強烈になりました。
何かのメッセージだったのでしょうかね?
・・・残念ながら、何といっているのか受け止めることができませなんだ(笑)。

 

あと、もう少しで「一の橋」です・・・、実際はまだ距離がありました。


やっと、「一の橋」に到達です。
方向転換し、また奥之院を目指します。

この画像では伝わりませんが、だいぶ暗くなってきているのですよ。



参道を進んでいきますと、参詣を終えた方々が、ちらほらとおられました。
17:00頃の状態です。

暗く名手居るので、電灯の明かりが強く見えているのです。

 

この画像だと、意思燈籠の明かりも相俟って、暗くなってきている様子が判りますね。
実際は、画像よりもっと暗かったのですよ。



御廟端の前に戻って参りました。

18:00近い時間帯だと、こうした状態です。
この時間から下山すると、坂道が危のうございますからね。
宿泊することが確定していないと、こうした時間帯の奥之院を愛でることができません。



今回の高野詣は連泊でしたのでね。
奥之院に通うのです。

午前中は処々を巡り、最後は奥之院に向かいました。
高野山で住んでいないのに〝奥之院へ通う〟という遊びは、堪らない遊びでした。

山道などを歩いてからでしたので、この「一の橋」に辿り着いた時点で、かなり疲弊しています(笑)。
この日も、凄い晴天に恵まれましたよ。


何処かは記憶・記録していませんが

こうして参道沿い木々から、歴史を感じます。
・・・¥とは云っても、400年くらいですがね。


参道から、細い横道に逸れて色々と巡りました。

2025(令和7)年は「巳年」ですからね、蛇と遭遇しました。
晴天とはいえ、季節は冬寄りの秋でしたからね。
かなり冷え込んでいましたから、「大丈夫か?ヘビ。」って話し掛けながら・・・それ以外は何もしませんでした。


木漏れ日が、美しかったですね。

還幸・参詣客は・・・かなり多かったのです。
世間の方々が、休日を紀伊国の山中で過ごしているとは・・・日本という国がどういった国・文化なのかが判りますね。



「河越御所」は、ある意味〝仕事で高野山を探訪〟しているのでね。

それにしても晴天で、時間にゆとりを持った参詣でしたのでね。
ささくれ立った心が、極めて穏やかになっていきましたよ。
〝心の洗濯〟とは思いませんが、常在戦場なので戦いから距離を置くことは有り難いことでした。


奥之院への参道、今回の遠征で10度くらい行き来しました。
ガッチリとした散歩ができましたよ(笑)。

何時もは、単に通り過ぎていただけでしたが、余所見をすると

 

あらあらと、興味深い事象に遭遇しました。
こうした遊びも、案外楽しかったのですよ。



人通りが無い様に見えますが

ただ単に、還幸・参詣客の流れが途切れた時に撮影しているだけですの。


御廟端の前に到着しました。

還幸・参詣客は・・・いっぱいだったんですよ。
燈籠堂の中も、空海廟の前も、まぁまぁな人混みでした。
この日は、朝からハードなスケジュールでしたので、暗くなる前に宿へ戻りましたよ。



ここまで文句無しの好天でしたのに、雨降りに見舞われてしまいました。
なかなか強めの降雨でした。

でも、午後になると午前中の雨が嘘だったかの様に晴れてきました。

この日は、こちらから燈籠堂・空海尿に向かいました。
参道の石畳が濡れているのが判りますね。

 

空海が参詣を喜んでくれているかの様でした。


この日は、こちらは輪の参道は工事によって・・・通ることができましたよ。

工事期間は・・・春までなのですね。
また、春に参詣したいと存じておりますの。

 

次の参詣では、この風景が変わってしまっていることでしょう。
さて、あの雰囲気〝一変〟は、その時も活きているのでしょうかね?

 

木々が有しているパワーに変化が無いことを期待するばかりです。

 

この舗装された道は「職員用駐車場」へと繋がる道です。
Googleマップで燈籠堂・空海廟よりも奥の杉の巨木たちを見学しようと考えていたのですが、このルートは途中で侵入禁止となっていました。
別のルートを考えなければっ。


朱印をいただき、「嘗試地蔵」の前を通過し

御廟端の前に到着です。

 

雨上がりは無関係でしょう。
還幸・参詣客が、またしても多うございました。

紀伊国高野山が人気還幸スポットであることを実感したところです。


何気為しに、人の流れが途切れることを期待しながら燈籠堂を望んでいると

オレンジ色の着衣の外国人、警告を目にしているハズなのに御廟端を超えても撮影をしていました。
今回の参詣で、こうしたルール違反んをしている外国人観光客は複数おりましたよ。
日本人参詣客も、お年を召した方々がルール違反をしている場面も複数回遭遇しました。

「河越御所」は、注意しませんよ。
どうせ自由や権利などを主張するのでしょうからね。
お年をめした方々は〝冥土への土産〟でしょ(笑)。

高野山関係者の方々、かなり〝やりたい放題〟状態になっていますよ。
適宜、正しい対処をしないと外国人だけでなく日本人の中からも秩序を乱す無法者が増加してしまいますよ。
僧侶ではなく、警備員の巡回は必要だと存じますが、如何ですか?

この他にも立てられていますが、御廟端の横に説明書きと共に注意書きがあります。
こうしたルールを守らない族(やから)に恩恵があることは無いでしょう。



周辺を暫し徘徊してから、再び御廟端の前に戻ってきました。

人影は疎らでしたが、途絶えることはありませんでした。
この日の奥之院探訪は、これにて終了としました。



帰りは、墓・供養塔に囲まれた参道ではなく、大駐車場へと繋がっている途を通ることにしました。
すると、偶然

天照大神/大日如来の恵み・・・西洋風に云えば「エンジェル・ロード」が視界に入ってきました。



気付くのが遅かったので

押っ取り刀で、その方向に向かいました。

 

写真を撮っている途中、「これは動画で遺しておくべき光景だっ」と思い直し、携帯電話のカメラを動画撮影モードに切り替えましたが

 

間もなく、この「エンジェル・ロード」がす~うっと消えてしまいました。
この、ご覧いただいている画像は「エンジェル・ロード」が最も輝いていた様子です。

この日の午前中、金剛金剛三昧院を参詣していました。
愛染明王が重要文化財指定により、一般公開がなされていたからです。
愛染明王の横で案内をしていたのは金剛三昧院の職員ではなく、金剛三昧院の愛染明王を撮影している写真家の方でした。
お話をうかがっていると
 「弘法大師が高野山に帰ってくると雨が降るって謂われているんですよ」
と教えてくださいました。
その後の、この「エンジェル・ロード」でしたからね。

この光景は、圧巻でしたよ。
感動的でした。
これが空海の茶目っ気かは判りませんがね。

 

とても幸福な気を纏った状態で、晩ご飯をいただきました。



いよいよ高野山を離れる日が来てしまいました。
これまた、「ご覧の如き晴天にございました。

午前中で下山することにしておりましたので、今回で唯一、午前中の奥之院参詣でした。


最後の参詣は、こちらから奥之院に向かいました。

人影はほぼありませんでした。
平日でしたからね。

 

「南無大師金剛遍照」を心中で唱え、今回の高野詣を感謝しました。

 

午前中、しかも明るい状態でしたが石燈籠に明かりが灯されていました。



数日の間で、工事が進んでいました。

やはり石畳が敷かれる様です。
次回の参詣時、こちらの参道の雰囲気が破壊されていないことを心より期待しておりますの。



正直なとこr、墓・供養塔の中を通る参道を通りたくはありませんでした。

でも今回の参詣で何度も行き来しましたのでね、だいぶ順応することができました。
これが次回の参詣に、どの様に活用できるかは判りませんがね。



御廟端の前です。

平日の午前中なのに、人がいっぱい・・・・
今回は、紀伊国高野山が人気還幸スポットであることを実感させられた旅でしたね。

 

人の数は多かったのですが、紀伊国高野山を十二分に満喫できました。
大変善き想い出となりましたよ。

 

「嘗試地蔵」の前に、大が据えられていました。
間もなく10:30の「生身供」が始まるところでした。

これを見学すると、下山することが難しくなります。

「また参詣しますからね」と心中で唱え、この場を後にします。


帰り道は、こちらを迂回するよう工事関係者から案内されました。

とても丁寧な誘導でした。
おんあ事は無いのでしょうが、まるで空海が送ってくれたかの様でした。

 

温かい陽射しを受けながら

 

通い慣れた参道を後にしました。

 

「こちらこそ楽しい高野詣、有り難うございました。」と感謝しながら、遂に下山しました。
休憩以外の寄道はせず、20:00過ぎたあたりに武蔵国川越に帰還しましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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