山城国六波羅蜜寺(京都府)

久方振りに「六波羅蜜寺」を訪れてきました。
以前の参詣が2016(平成28)年でしたので、7年も経過してしまいました。

2022(令和4)は〝空也没後1050年目〟であり、2022(令和4)年3月1日(火)~5月8日(日)の会期で、東京上野の東京国立博物館・本館特別5室において特別展「空也上人と六波羅蜜寺」が開催されました。
開催初日に出向くつもりでいたのですがタイミングを失い、結局は会期中に上野へ行くことができませんでした。
まぁ、そのリターン・マッチ的な意味合いがある参詣でした。

六波羅蜜寺の前の細い通りを徒歩にて進んで行きます。
各色の「都七福神」の幟がたなびいていました。

 

「西国十七番中央観音霊場」
「源平両氏の中心史蹟」
「都七福神の一弁財天」
・・・六波羅蜜寺のフレーズ、増えましたな(笑)。

 

入口を通過し、道の反対側に渡って鉄門の正面から見ています。

〒605-0813
 京都府京都市東山区松原通大和大路東入二丁目轆轤町81番地の1
  六波羅蜜寺
    075-561-6980

 

「初詣」の看板が立てられていました。
年末に参詣したので、参拝客はそんなんでもありませんでしたよ。
鉄門前をそのまま通過して、

 

端っこから建物を見ています。
「都七福神御朱印所」があり、
「銭洗い弁財天」「水掛不動尊」「水子地蔵尊」が鎮座する「御堂」、
更に売店が入っている「御堂」の裏側ですよ。

折角なのでね、そのまま区画の角っこまで進みました。

空海が造った「六道の辻地蔵尊」だって。
「檀林皇后御祈願所」(嵯峨天皇の皇后:橘嘉智子)だって。
「西福寺」とは、ノーチェックでしたよ。あまり彼方此方と余所見をせん様に計画を立てておりましたのでね。立ち寄りませんでした。

この区画の角っこには「六道之辻」の碑が。
ちょいと歩けば、「六道珍皇寺」があるじゃないですか。
こうした他の所は、次の機会にとっておきます。

 

六波羅蜜寺の入口まで戻ってきましたよ。
「初詣」仕様の準備がなされていますね。

 

六波羅蜜寺の入口、正面です。

「弁天堂」です。
以前の参詣とはだいぶ趣が変わりました。建て替えがなされた様ですね。
彦根の井伊家と関係があるそうですよ。今回は入らなかったので素通りでしたが、次回は注視してみます。

 

参詣の受付を済ませ、本堂に向かいます。

『日本往生極楽記』によれば人びとから「阿弥陀聖」や「市聖」と呼ばれた空也が、951(天暦5)年に造立した十一面観音をイメージした立像が出迎えてくれます。

 

この十一面観音の後方、
 左側:平清盛の供養塔
 右側」阿古屋塚
と2基の石塔がございます。

平清盛の供養塔は、平安時代のものとされています。平氏一門の邸宅跡地でしたからね。
「阿古屋塚」は、平景清の寵愛を受けた京都五条坂の遊女「阿古屋」の塚(供養塔?)だそうです。

 

十一面観音立像の向かって右手側には、

「一願石」というのが配されておりましてな、
立札には「祈りをこめて 金文字から手前に 三回おまわし下さい。」
と説明があります。
重心の設定から、金文字(梵字)を出すのが難しいのですよ。

摩尼車の理屈です。
願い事はしませんでしたがね、てへっ。

 

更に右手側には、

六波羅蜜寺が所蔵する国宝・重要文化財の一覧が表示されておりました。

 

道路側には「龍」が佇んでおりました。
コロナ禍の影響で、口から水を出してはいませんでしたよ。

 

更に、その横っちょには

「此附近 平氏六波羅第 六波羅探題府」の碑が。
平清盛は「六波羅殿」と称されていましたからね、平氏政権の時期には此の場所に平氏一門の邸宅が立ち並んでいたといいます。1183(寿永2/治承7)年の平氏都落ちでだいたいが焼失してしまったと伝わっています。
また「六波羅探題府」は、承久の乱の後に滅亡した京都守護に代わって設置された六波羅探題のことです。進撃してきた鎌倉幕府軍が平氏邸宅跡地に駐留して、朝廷交渉などを担った機関です。1333(元弘3)年、足利高氏によって攻め落とされてしまいますがね。
〝ピンポイントでこの場所〟が、というのはでありませんけれど、この一帯を巡回すれば平氏一門か六波羅探題の関係者と遭遇するかも知れませんな。時間に余裕があったら、試してみます。

 

本堂の正面まで、この様に「初詣」仕様のテントが設置されています。

ここでは、1月1日~3日、選択2000名限定で「弁財天吉祥初稲穂」の授与をする場所となります。「初稲穂」だけいただいても結構ですし、「福徳飾り」という縁起物を追加していくこともできるそうです。あれもこれもと追加すると楽しいですが、縁起物の代金が掛かりますのでね。相応の準備・覚悟が必要です。

 

本堂の正面入口を通過し、

売店に向かいます。

 

途中、「なで牛」が居ましたが、

素通りですよ。

 

この奥には弁財天・不動尊・地蔵尊が居るのですが、ここでは特に何もせず、売店で「弁財天」の朱印をいただきました。

 

いよいよ、本堂に入りますよ。

六波羅蜜寺の本堂は、1969(昭和44)年の六波羅蜜寺開創1000年を記念しての解体修理がおこなわれた際、現在の様な朱塗がなされたのだそうです。
建物の外側部分、傷みやすい木材にそのまま朱塗がなされています。
木造建築を維持するためには大切な措置ですからね。

 

正面の階段を上っていきましょう。

正面の柱・組物には模様や絵画が施されています。
宮殿・寺社でも、こうした華やかな装飾・彩色が施されている例がありますからね。

 

正面に掲げられている「六波羅蜜寺」の扁額に注目しています。
「六波羅蜜」とは、簡潔に6形式の修行のことで、「波羅蜜」は彼岸に到達することを指しています。
 ① 布施(ふせ)
 ② 持戒(じかい)
 ③ 忍辱(にんにく)
 ④ 精進(しょうじん)
 ⑤ 禅定(ぜんじょう)
 ⑥ 智慧(ちえ)

いやぁ、実生活においては実に難儀な6項目ですな。

 

履物を脱いで、本堂に立ち入ろうとしているところです。
外観の鮮やかな朱色とは対称的に、外陣・内陣は木材が黒っぽくなっています。
内陣の柱には眩しい程の金箔が施されています。
中に入って撮影する訳にはいきませんからね、実際に参詣して外観・外陣・内陣の色合いを見比べていただきたく存じますよ。

現在の本堂は、1363(正平18/貞治2)年に建てられたものです。
足利義詮が征夷大将軍に就任してから6年目のことですね。南北朝の動乱の真っ直中のことです。
1467(応仁元)~1477(文明9)年にわたった応仁・文明の乱の戦禍を乗り越えた京都市内の木造建築としては千本釈迦堂「大報恩寺」が知られていますが、この六波羅蜜寺本堂も戦禍を被ること無く現在にその姿を伝えている建築物として貴重ですね。

 

建物の外観には朱塗が施されています。
これは木材の腐敗・虫喰を防ぐ効果があります。
柱の上部や梁の部材には模様・彩色が施されています。
これは適当なものではなく、内陣の柱に施されていた装飾をもとにしたものと推測できます。

 

 

 

 

 

 

建築史家ではありませんので、外陣・内陣の隅々を確認できませんが、建物の内部に残存している彩色から、そして同時代の装飾を参照しながら、此等の模様・彩色は再現されたのだと推測します。

 

本堂の入口部分、階段・手摺りが備えられています。

本堂の側縁には欄干が備え付けられており、角っこと区切りの場所には擬宝珠が付けられています。

 

側縁は、正面の左右・途中まで立ち入りが可能でした。

以前の参詣(2016」平成28年)時は、本堂の側縁は全て立ち入りが可能でした。
ぐるりと廻って、本堂後方の宝物館に出入りしていたと記憶しています。
此方側から宝物館に向かって行ったハズです。
その時とは事情が変わっている訳ですからね。寺院側のご意向に遵いましょう。

 

いったん本堂を出まして、宝物館へ向かいます。

別角度から柱・梁の装飾を愛でます。

 

角っこに来ました。
垂木の並びの美しさを楽しんでいます。

そのまま視点を下ろし、朱塗柱・白壁・欄干の美しさを堪能しております。

 

 

以前(2016年)の参詣時には、宝物館の拝観が終わったら、この扉を通過して正面に出てきました。

 

朱塗りが施されていますが、木材の歴史が垣間見えます。
側縁の床板・木口にも黄色い彩色がなされていますが、これも腐敗・虫喰いの被害を避けるための措置でしょう。

 

丁度、この辺りに

「六波羅蜜寺 令和館 重要文化財収蔵庫」
へ向かう案内表示が設置されています。

 

「令和館」を前にして、もうちょい側縁の様子を楽しんでいきます。

何時頃に備え付けられた床板なのでしょうね?
363(正平18/貞治2)年のものでしょうか?
それともそれ以降の改修時のものでしょうか?
想像するだけで、楽しくなっていきます。

 

下を除いて見ました。基盤が〝現代風〟です。

明治時代以降、六波羅蜜寺の本堂は荒廃していたそうです。
1969(昭和44)年の解体修理時、各種の瓦や泥塔などが発掘されたそうです。
この時の組み直しで、この基盤が造られたんでしょうね。

 

本堂の裏側、側縁の様子です。このエリアには欄干がありません。
空也像などを拝観した後、向こう側から手前に歩いてくることができたのですよ。

 

 

 

さぁ、「令和館」に入ります。

この「令和館」は、2022(令和4)年5月下旬にオープンしたのだそうです。
「空也像」たちが、頑張ったのですね(笑)。
空也、平清盛の像は勿論ですが、運慶・湛慶にも会えましたし、平安時代の地蔵菩薩立像・鎌倉時代の地蔵菩薩坐像とも対面しました。

 

拝観が終わると、寺僧から「本堂で今年最後の『踊躍念仏厳修』が間もなく始まります。」という案内がありました。
事前調べはしていないので、〝取り敢えず〟本堂に向かいました。
集まった参拝客に、御住職がお説教をしてくださいます。

御住職のご説明により「モウダ・ナンマイト」という呪文を唱え、「踊躍念仏厳修」を拝見させていただきました。厳修が終わると内陣での拝礼をさせていただき、「厄難除 観世音 御守護」の守りを頂戴しました。折角、内陣に入らせていただいたのに、守りをもらうことに気を取られてしまいました。まだまだ精進せねばならぬ事を痛感しましたよ。

この後、別の場所を訪れようと予定していたのですが、この「踊躍念仏厳修」を拝見したことと、六波羅蜜寺本堂内の柔らかい雰囲気を纏ったことがとても心地良く、これを〝薄めてはならぬ〟と想い、寄り道せず宿に直行したのでした。

 

 

 

 

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