五部浄(イSム「掌」 イSム10周年特別商品 限定200セット)

2021(令和3)年5月、「10th ANNIVERSARY CAMPAIGN」と謳われて興福寺モデル〝天竜八部衆〟が発売されました。
今回は、箱の中の黄色い枠で囲われた「五部浄」(ごぶじょう)を観ていきます。

 

箱から出てもらいましたよ。正面から観ると、この様な姿をしています。

寺伝では「五部浄」とされていますが、当初は天部として造られたものと推定されています。興福寺では八部衆の最初にこの五部浄を置くことで、天部像の総称としているそうです。
残念ながら1体だけ、身体が大破しています。
火災からの救出時、一度・複数回かは不明ですが欠損部分が救いきれなかったのでしょう。
身体の大部分が失われてしまいましたが、人間は逆に〝失われた部分に思いを馳せ〟て伝存する頭部・胸部に〝美しさ〟を見出そうとします。
イスム五部浄は、見事なまでに現存する本物に準拠して制作されていますね。

360度、まわしてみます。

空中で浮遊している様な感じで、不思議な画像になってしまいました。

 

イスム五部浄に近づいて獲ってみた画像です。ちょっと光が反射してしまいました。
少し上の方向を凝視している、敬虔な表情をした少年の顔つきです。

この目付きが再現できているのですから、前回観た〝沙羯羅の目〟も五部浄と同様に再現できたでしょうに。五部浄は凜々しく、沙羯羅は・・・。

 

顔・正面を少々下から見上げる状態で観ています。
形状はデフォルメされてはいるものの、惚れ惚れするほど本物と同じく造られていますな。
顔全体を艶(つや)有りの黒色とすることで、身体の一部分しか存在していないのに〝生命感あふれる〟印象が主張されています。
本物は顔に青色顔料の残痕が確認されていますが、イスム五部浄では青い残痕や唇に紅を注す再現されていません。

 

角度を変えて左前方から観た画像です。
頭と胸しか無いのに、何故か〝勇ましい姿〟〝凜々しい姿〟です。
完全な姿であれば、もっとこの印象は強まるのでしょうか?
それともこの状態だから感じる印象なのでしょうか?
これが悠久の歴史を経てきた像の〝重み〟でしょう。

 

反対側(右前方)から観た画像です。
胸甲の金色が注された縁が遺っているので、こちら側からも〝雄々しき戦士の姿〟であることが伝わってきます。

残存甲冑の彩色ですが、本物に忠実に再現すると〝汚れ〟にしか見えなくなってしまいますので、そこは程良い感じのデフォルメがなされています。この技法によって〝像の表情〟に意識を集中することができます。

 

〝象の頭を象(かたど)った冠〟を被っていると説明されています。
象の鼻の部分が遺っていますが、左下側の方から力が加わった様で損傷しています。
正面から観ると左右対称ではなく、象の左目周辺から後方にかけても変形しているような感じです。側の火災の影響でしょうか?

左側から、次いで右側から観た画像です。
象の牙に当たる物が小さいながらも備え付けられ、顳顬(こめかみ)上部の頭髪からまるで角が生えているかの様になっています。
象の頭の被(かぶ)り物を、頭髪の上に被せた状態です。

〝象の頭〟の被り物は、後頭部から肩にかけてを覆っており、両肩の部分に甲冑と固定する飾り鋲があるため、革製の兜と見做すことができるのではないでしょうか。
まあ、像の造形のうちですけれどね。

 

胸の残存部分です。

象頭形の被物状兜の垂れた部分が両肩の鎧に飾鋲3つずつで固定されているようです。
それが首下・胸上のところで丸首の縁(へり)の様になっており、胸甲の上部がこの縁を内側から通し、折り返していることが判ります。
鎧が金属板を合体させたというよりも、革製のパーツを組み合わせている鎧を着用しているのではないかと感じます。だって、幼い少年ですからね。

胸甲の胸板部分の模様・彩色は上部に再現の兆しが見えますが、基本省略・簡略化のデフォルメが成されています。
胸甲の縁(へり)には金色を、中央部分には明るめの緑が注されています。
左胸甲の縁の損傷部分は紫色っぽい顔料が注されていますね。

 

なかなか見ることができない、五部浄の左肩の部分です。
図録『阿修羅展』(2009)には八部衆の全方向からの写真が掲載されています。
「掌」のセット群像のひとつとしては、とても良く造り込まれています。

 

因みに、東京国立博物館に興福寺八部衆「五部浄」の右腕に相当する部分が所蔵されています。先日の東京国立博物館訪問時に撮影してきていました。

これは1904(明治37)年、個人の所有者であった方から帝室博物館(現・東京国立博物館の前身)へと寄贈されたのだといいます。

八部衆はいずれも乾漆像(かんしつぞう)なので極めて軽量であり、火災発生時でもこの軽さによって堂外に運び出されたといいます。
この「五部浄の右腕」が、何時ぞやの火災の折に本体から引っこ抜かれて運び出されたのでしょう。
身体の大部分を失いながらも八部衆の仲間と一緒に居る五部浄(頭部・胸部)と、引っこ抜かれながらも彩色が比較的良好に遺っている右腕。
数奇な「運命」で離れ離れになってしまいましたが、今後の新たなる数奇な「運命」によって邂逅(かいこう)することはありますでしょうか?浪漫(ロマン)を感じますね。

 

最後に、下から見上げて〝不貞不貞しさ〟を備えたイスム五部浄の姿です。
他の象たちとサイズを合わせて造られています。
並べる際には、ちょいと高めの位置に配すると、善きバランスになります。
飾り方も、八部衆をどういった立ち位置にするかを考えると楽しくなってきます。
なかなか決着が付かず、寝不足になってしまうでしょうけれどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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