愛染明王(イSムStandard)

モデルとなったのは奈良県にある真言律宗総本山の西大寺・愛染堂の本尊として鎮座する重要文化財・愛染明王坐像です。真言律宗を興した叡尊の念持仏としても知られる秘仏で、特別公開期間のみ拝観できます。

愛染堂は江戸幕府10代将軍・徳川家治の治世下である1767(明和4)年、五摂家筆頭の近衛家邸宅が寄進されたものだそうです。

西大寺愛染堂の愛染明王は、1247(宝治元)年に叡尊の発願により仏師善円が制作したもので、秘仏であるが故に彩色の残存も良好で、像内から叡尊関連史料が発見されています。

 

正面から見た全体像です。所々に払いきれなかった埃が見えますが、気になさらないでください。
モデルとなった本物の愛染明王座像は、秘仏であるため彩色の残存状態は良好で、イSム愛染明王は現存状況を絶妙の彩色技術で再現されています。

「明王」は古代インド神話に起源を持つものが多いのですが、インド神話における愛染明王の成立は確認されておらず、また西域(中央アジア・西アジア全域)や中国においても愛染明王の確証がある作例は確認されていないとのこと。
両界曼荼羅(胎蔵界曼荼羅・金剛界曼荼羅)においても愛染明王の姿がないそうです。

愛染明王の典拠『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)はサンスクリット語原典の梵字本が伝わっておらず、この『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』は中国で編纂された仏典目録『経録』にも掲載されていないものといいます。

以上のように、起源が明確でない愛染明王ですが、類似・共通点を有する神格としては以下のものが指摘されています。

・インドのヒンドゥー教の「カーマデーヴァ」
  →サトウキビの弓と、5本の花の矢を持っています。

・真言密教の「金剛薩棰」(こんごうさった)
  →右手に五鈷杵、左手に五鈷鈴を持っています。

・中国から伝来した中期密教よりあとの後期密教の「吒枳明王」(だきみょうおう)
  →真言僧の覚禅(かくぜん)が1217(建保5)年頃にまとめた、東密・密教図像研究の根本資料       『覚禅鈔』に、愛染明王の異名「吒枳王」とあるそうです。
   『妙吉祥平等秘密最上観門大教王経』〈 密教部(三)第20巻:No.1030~1198のうち1192 〉       に、「吒枳王」が「大愛明王」と訳されているそうです。
   このレベルになると素人では読解・理解が困難です。ご興味をお持ちの方は専門書をご参照ください。

 

像を回転させ、様々な角度・視点から造形を観てみましょう。

正面から方向転換をして、像の左側の様子を見ています。

こちらも正面から方向転換をしながら、像の右側を御覧いただいています。

〝腕の重なり具合の造形〟再現は、すごく難しい事と思います。勿論、それ以外の箇所の再現も素晴らしいと感じています。
本物の姿形を参考に、造形の研究と型の制作、できあがったパーツの磨きと組み合わせ、そして退色具合を彩色で表現という、想像を絶する緻密な工程を経た、この愛染明王を迎えることができたのはとても喜ばしいことと実感しています。

 

光背は、日輪を表す「円相」形で、炎が燃え盛っている様子を表現しています。
愛染明王の身体が赤いのは、愛染明王の「大愛」と「大慈悲」がその身から湧き出るかのように溢れている様子を意味しているのだそうです。

 

右の画像が西大寺愛染堂の秘仏・愛染明王、左がイSム愛染明王です。
西大寺・愛染明王の顔には退色箇所が見えますが、イSム愛染明王の顔にそれほど顕著な退色状況の復元は見られず、落ち着いた赤味の彩色がなされています。
並べてみると〝似ています〟ね。

 

頭上には獅子冠を置き、その上には五鈷鉤(ごここう)がのせられています。
五鈷鉤の後方では炎髪を球状の髷としてまとめており、左右の炎髪を逆立てさせ、その毛先は外側に流れる様な曲線を描いています。
獅子冠の咆哮と愛染明王の忿怒相により、怨敵降伏と衆生救済を実現するのだそうです。

冠の獅子の額から出ている五鈷鉤は、人が生まれながらに有している大日如来の五智(ごち)、すなわち
 法界体性智(ほっかいたいしょうち)…大日如来の智の総体を指します。
 大円鏡智(だいえんきょうち)…万物の真理の姿を示しています。
 平等性智(びょうどうしょうち)…自己と他者が根本的に区別のない同一の存在であることを知ります。
 妙観察智(みょうかんざっち)…教化の対象について知り、的確な説法を行います。
 成所作智 (じょうしょさち)…対象に適した変化(へんげ)を示します。
を呼び覚まし、人々の邪欲を捨てさせ在るべき方向へと誘うのだそうです。
密教の智火により世俗の愛欲は浄化され、それが昇華して「大愛」となり、これが愛染明王によって人々の心へと浸透し、仏法の真理を体得させるといいます。

 

眉間に丸みを帯びて跳ね上がっている眉毛の上に「第三の目」がギラリと光っています。
愛染明王の三界(あらゆる世界)を見通す三ツ目は
 「法身」(ほうしん)徳…仏の身体を指します。
 「般若」(はんにゃ)徳…すべてのものをあるがままに知る仏の智慧を指します。
 「解脱」(げだつ) 徳…仏がすべての煩悩の束縛を断ち切り生死の苦海から自在となることを指します。
という3種の徳性を意味しています。
また、世俗面の仁愛・知恵・勇気の3つの徳も表現しているそうです。

 

愛染明王の身体を飾る五色の華鬘(けまん)は、「五智」如来(大日如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来)が持つ大悲の徳を愛染明王も兼ね備えていることを意味しているそうです。

蓮の台座上に結跏趺坐(けっかふざ)している愛染明王は、左右の手にそれぞれ法具・武具を持っています。

左の第一手には五鈷鈴、右の第一手には五鈷杵が握られています。この組み合わせは金剛薩棰の持ち物と共通しているといいます。
この第一手の組み合わせは「息災」を表現しており、
 五鈷鈴…「般若」の智慧の音と響きで人々を驚かせ、現世の誤りや迷い事から覚醒させる
 五鈷杵…人々に生まれながらに持ち合わせている「五智」を理解・体得させて悟り到達させる
ことを意味しているそうです。

 

左の第二手には弓が握られています。

 

左の第三手は何も持っていません。拳を握った状態で、これを金剛拳(こんごうけん)といいます。この拳の中には摩尼宝珠(まにほうじゅ)が秘められており、人々が求めるあらゆる財宝や生命を育みを意味しているのだそうです。
また、愛染明王へ祈祷する際、この左の第三手に祈祷内容に合わせた種々の物を握らせるのだといいます。

 

右の第二手には矢を持っており、その矢は鏑矢(かぶらや)で、鏑の先には雁股(かりまた)が付けられています。

左右の第二手は、「敬愛」「融和」が表現されているそうです。
左・第二手の「弓」と、右・第二手の「矢」は単体ではなく2つを組み合わせることで機能しますので、世の中の人々が相互協力しながら敬愛・和合の心を重視して、菩薩としての円満境地に到達することを意味するのだそうです。
さらに愛染明王の持つ弓矢は、「大悲」の矢で人々の心中に在る差別・憎悪の根源を射落として菩提心に至らしめるもので、弓から矢が放たれれば直ちに目標へと到達することから、魔の降伏や災禍を除いたり、男女の縁結びといった人々の願いに対する効果が早期に実感できることを意味しているそうです。

右の第三手には「未敷蓮華」(みふれんげ)を持っています。
仏教で清浄の象徴と認識された蓮の花ですが、まだ開いていない蕾(つぼみ)の状態を「未敷蓮華」といいます。

左右の第三手は、「増益」「降伏」を表現しているそうです。
左・第三手では摩尼宝珠を、右・第三手では未敷蓮華を持ち、人々の財産・生命を奪おうとする「四魔」(しま)
 煩悩魔(ぼんのうま)…人々の心身を悩まし乱す。
 五蘊魔(ごうんま)…人々の身体の苦悩を生じさせる。
 死 魔(し ま)…人々の生命を奪う。
 天 魔(てんま)…人々の善行を妨害する。
払うのだといいます。

 

愛染明王は足裏を天に向けた、結跏趺坐(けっかふざ)の状態で座しています。
下半身に纏っている布の重なり、波打つ様な皺の表現、布の彩色残存状態と模様の再現が丁寧になされています。

 

宝瓶から出ている蓮華座は密教的な極楽浄土を表現しており、宝瓶の周囲に施されている花弁・宝珠は愛染明王が無限の福徳を有していることを表しているのだそうです。
蓮華台を構成する、蓮弁が一枚一枚規則正しく重ねられ、本物に準拠した造形となっています。

 

光背の裏側は、この様にシンプルになっています。

起源こそ明確ではありませんが、時代を超えて人々が愛染明王に惹かれるのは、「愛」の鏃を装着した矢を、左・第二手の弓で観る人々の心に放っているからなのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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