大和国唐招提寺(奈良県)その参

秋の大和国を満喫したくて、夜に武蔵国川越を出発した〝1泊3日〟の弾丸遠征。
これって1年前のことでした。
その時、鑑真に逢うため唐招提寺にも立ち寄りましたの。

何時もですと薬師寺の大駐車場に車を停め、歩いて唐招提寺に向かうのですが、〝1泊3日〟の弾丸遠征ですからね。
唐招提寺の駐車場に入りました。

ですから何時もの反対側から唐招提寺の南大門・入口に向かったのでした。

何の他愛も無い光景に見えますよね。

拡大しますよ。

う~ん、未だ小さいですね。
もっと、大っきな画像をご覧くださいな。

長い歴史を持つ寺院って、境内の中心部だけに止まらず、こうして外側の屋根にも容赦の無い寺名入の瓦を並べますよね。
最大の賛辞を贈っているのですよ。
そうでなければ、斯様な画像を撮る訳がありませんがな。

新しい「唐招提寺」瓦に加えて、新しい鬼瓦。
これらが幾星霜の風雪に耐え、数十年後に訪れた時もこの屋根の上に居てもらいたいものです。

 

新しい門ですな。
だってカメラ付呼出鈴が付いてますもん。
関係者用でしょうかね?

攻められること無いのに、頑丈な築地塀。
まぁ、奈良ですからね。
外界からの武士などが突然駆け込んで要塞として立て籠もることも想定しておかないと。
現に、近所の薬師寺はヤラれましたからね(焼かれましたからね)。

こうした築地塀に、現在の鑑真の寺は守られているのです。

おっ、南大門が見えてきましたよ。

折角、秋という季節を狙って来ましたからね。
赤くなった紅葉も入れておきませんとな。

南大門の側面を見ています。
壁は塗り直しをしているから綺麗ですね。
使われている木材には、色合いに違いが見られますね。

歴史のある著名寺院ですからね、〝古い〟とは謂っても1960(昭和35)年に五間三扉の切妻造、天平様式を意識して復元された門ですよ。

昭和の再建物とはいえ、文化財の一部です。

愚か者共の心ない所業です。
境内の古い建造物は勿論ですが、再建・南大門であっても斯くの如き悪行は許すまじです。

礎石立ちの柱です。
縦のひび割れは、柱の強度に思ったほど影響は無いそうです。

柱の表面、木目が綺麗に出ていますね。
恐らく槍鉋(鉇:やりがんな)で表面を調えたのでしょう。

 

拝観手続を済ませたら、門を潜り抜ける前に

この勅額レプリカを見上げます。
聖武天皇と光明皇后(藤原光明子)の愛の結晶・孝謙天皇の宸筆(しんぴつ)ですからね。

門の朱色と、秋の赤らみが絶妙のコントラストを奏でています。
美しゆうございますな。

南大門の朱色が無くなると、雰囲気・印象は大分変わりますな。

入口だけで、こんなんして遊んでいますからね。
とっても時間が経過しています。

南大門をやっと潜り抜けました。
振り返ると、天照大神が微笑んでいました。
秋でしたからね、菊の花が飾られていました。

 

未だ、午前中の早い時間でしたからね。
鑑真の元へ真っ直ぐに向かっていきましたよ。

「鑑真廟」は唐招提寺の境内でも〝最も聖域〟と謂うべき場所です。
池に囲まれていますからね。
池を通らねば、「鑑真廟」に辿り着けませんので。
何度通っても〝気持ち悪い〟池です。
鑑真のことを守っているのでしょう。
〝守り〟は正常に機能していますよ。

灯籠の向こう側に鑑真が御座しますよ。

鑑真の前に到着しました。
唐招提寺関係者でしょうね、綺麗な花が供えられていました。

あの石塔のもとで、鑑真が安らいでいます。
唐(中国)から戒律を伝えるため、数多の苦難を乗り越えられましたからね。

鑑真廟を時計回りの方向で周回しました。
何時もは逆でしたのでね。

これも何時もと逆。

鑑真廟から廟への入口にある門を見ています。

真ん中くらい迄進み、立ち止まりました。
ちゃんと整備されているのでしょうね、真っ直ぐな木が上に伸びています。

門に向かって通路の左側の様子です。

こちらは門に向かって通路の右側の様子です。
このエリアでは立札で

「鑒真大和上御廟清域
 一、竹・木伐採之事
 一、瓦・石採集之事
 一、魚・鳥捕獲之事
 一、飲食・喫煙之事
 一、落書・不行儀之事
 右 厳 禁 ス    」

と注意が為されています。
常識的に、ここに限ったことではありませんがね。

空に向かって真っ直ぐ伸びた木々の姿が、とても清々しいのです。

天照大神の恵みが差してきたり、

木の葉の緑が生命の力を気付かせてくれます。
一部、黄色になっていますが、ここに赤味が加わったら・・・堪りませんね。

地面には苔が生していますから、秋になると紅葉の色の変化が楽しみです。

〝魔除け〟の為か、南天が植えられている様です。
勿論、ここだけでなく、彼方此方で見受けられますよ。

 

門柱には「鑒真大和上御廟」の墨書表示が。
この門を潜ると、ガラッと雰囲気が変わりますよ。
心穏やかに、そして清らかになる感じを得られることでしょう。
〝パワースポットでパワーをもらう〟ではないのです。

何時の時代の再建か判りませんが、木材も表面加工をしないから斯様になってしまうのでしょうな。
継ぎ目の処置が雑なので、古いものではないでしょう。

門に向かって右側の築地塀の様子です。
築地塀は平瓦に土を乗せ、平瓦に土を乗せ・・・を繰り返して造られています。
これで突き破ることが困難な壁ができあがります。
この製法だと、壁が崩れ落ちていくことは食い止めることができます。
近世初頭迄の火器では突破することはできませんね。
勿論、一点集中という特殊攻撃をすれば話は別ですが。

門に向かって右側の築地塀の様子です。
こちら側は丸瓦+軒平瓦に注目して撮った画像です。

こちら側だと、平瓦の上に四角く固めた粘土を乗せて積み重ねる工法だったことが判りますね。
平瓦もしくは粘土部分に割れ・崩れが生じると、周辺に損傷が広がっている様子が判りますね。

 

さて、優しい鑑真に別れを告げ、境内を移動します。
秋だと開館している「新寶蔵」に向かいます。
普段は閉館ですからね。
開館はレアなのですよ。

通ってきた通路を振り返ると

丸と四角の組み合わせ。
この通路の工事担当者、茶目っ気ありますね。
ここだけだから、イイのです。

「新寶蔵」の登り通路から見ています。
向こう側に伸びている通路は、講堂に繋がっていきます。
手前が開館時にしか開いていない受付(料金徴収所)です。

受付(料金徴収所)で手続きを済ませると、登り通路をジグザグと上がっていきます。

秋(ただし2022・令和4年)でしたからね、赤々とした紅葉が目に焼き付いてきます。
秋は〝続いた休み〟がとり辛いので、赤い大和国を体感するのは貴重なのです。

普段だと気にしないのですが、秋だとこの様に季節感が一目で判りますからね。
無味乾燥な外観の「新寶蔵」が、赤い紅葉を引き立てておりますよ。

「新宝蔵 秋季特別展」の内容です(ただし2022・令和4年)。
毎年、秋の大和国を訪れることは難しいのでね。
今年(2023・令和5年)の秋季特別展の内容は如何なるものでしょうか?
以前の拝観時の薄れゆく記憶と照らし合わせると、木像は変わっていないかな・・・。

 

 

この後は、「御影堂」に向かっていきました。
その途中、何処ら辺りかは失念してしまいましたが、

 

 

古く、朽ちてしまった築地塀がありました。
竹垣で守られていましたからね、歴史のある築地塀なのでしょう。
次の探訪時には、場所を確定しておきます。

 

「御影堂」の「平成大修理」が完了したそうです。
 2022(令和4)年3月 竣工
 2022(令和4)年6月 落慶法要
この跡も所々の整備が続いていくそうですよ。

中に入ることはできませんがね。

 

 

次は、鑑真の住居があったと推定される場所です。

目印なぞ、何一つありません。
画像を撮ってから、結果としてほぼ一年放置してしまいましたからね。
今度、訪れる前に調べて行きますよ。

 

 

はい、次は「戒壇」です。
鑑真住居推定地を通り過ぎ、「戒壇」の横側に到着です。

何故、横かって?
ご覧の通り、〝秋っぽさ〟全開ですがな。

門越しに戒壇の球体部分が見えていますよ。
この門から覗き込む「戒壇」の様子です。

向こう側にもチラリと赤味掛かった葉が見えます。

「戒壇」を囲む築地塀、綺麗ですね。
木造部分は江戸期の再建でしょうが、漆喰はそれ以降の修理なのでしょう。

通路を回り込んで、「戒壇」の正面に向かいます。
赤くなった紅葉、風情がありますね。

大和国を訪れるのは春もしくは夏、ここ近年は冬も加わりましたがね。
秋に遠出をすることは稀なので、この光景には感動すら覚えているのです。

門越しの「戒壇」正面ですが、・・・一旦通り過ぎます。

 

だって、

こっち側に来たことが無かったから。

こっからだと、立ち入りはできませんが裏側への様子も見ることができます。
知っているものを違う角度から見ることは、案外楽しいものなのです。

門の屋根に掲げられている「鬼瓦」。
右の角が折れてしまっています。
何時、どの様な状況で折れたのでしょうね。

修理を主導した徳川家の葵紋の下に龍(ドラゴン)が彫られています。

江戸時代の大工たちによって組み合わされた木材です。
切断面には白い顔料が塗られています。

正面の門越しに「戒壇」を見ています。
建物は火災によって失われてしまいました。
どの様な建物があったのかは判りません。
石壇も現在のものは鎌倉時代に組み上げられたものと謂います。
でも、ここで鑑真が僧侶たちに戒律を授けていたのですよ。

先程、横から門も入れて、「戒壇」の様子を見ています。
光を失った鑑真が、期待を込めて若い僧侶たちに授戒をしている姿が目に浮かぶ様です。

 

「戒壇」の対面では、2023(令和6)年に完成予定という「薬草園」の工事が行われていました。

この画像は昨年(2022・令和4年の秋)のものですので、現在(2023・令和5年の秋)は工事が進んでいることでしょう。

 

 

ここから金堂へと移動します。

この垂幕の向こうには金堂の本尊、国宝「盧舎那仏坐像」が御座します。
撮影は禁止されているため、そのお姿は書籍等でご覧ください。

 

唐招提寺の金堂は「竹中工務店」様によって解体修理がなされています。
1998(平成10)年に修理の為の貯砂事業がスタートし、2000(平成12)年には金堂修理事業が開始されました。
2001(平成13)年には金堂の解体調査が始まり、2003(平成15)年のうちに解体調査が終了しました。

2004(平成16)年になると解体されていた金堂の組立作業が始まり、これがなかなか時間を要し、2007(平成19)年に組立が終了しました。
2009(平成21)年には組み上がった金堂に盧舎那仏・薬師如来・千手観音が遷座し、「平成大修理」落慶法会が挙行されました。

偶偶、観光客の流れが途絶えたところを撮ることができました。
創建当初、そして各時代の大工たちの技術と工夫、それが現代建築技法によって補強されている。
〝只、古い〟という単純なものではなく、各時代の人びとによる伝統と文化を後世へ継承していくという意思がそれぞれの柱は勿論、軒垂木一本に至るまで込められているのです。

天井の格子も、このサイズだと大仕事だったことでしょう。
繋ぎ虹梁も二段になっています。
古寺建築に見える、灘羅かな曲線が判りますね。
知らないと真っ直ぐな梁だと思ってしまいますが、僅かなりとも曲線を描いていることを知った上で現地を訪れると、感慨は一入ですよ。

金堂の後ろ側に廻ってみました。
次回訪れる時は、講堂から金堂の後ろ側全体を撮影しようと思います。

 

幸いにも昨年(2022・令和4年)に続き今年(2023・令和5年)も〝秋の大和国〟を訪れることができました。
2023(令和5)年は前年にも増しての酷暑でしたからね、神無月下旬は紅葉(こうよう)が始まったくらいでした。
もっと赤味がかった大和国を期待していたのですが、自然現象ですからね。
また、これまでとは違う装いを見せてくれること期待して鑑真のもとに訪れることとしましょう。

 

 

 

 

 

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