山城国石清水八幡宮(京都府)その弐

前回の参拝は参道の横っちょから入ってしまったので、今回は参道の始まりから行こうと考えました。
とは言っても、神馬舎の前からなのですが。

神馬舎の左手・後方に傷んだ築地塀があったので、そこから歩みを進めていくことにしました。

この築地塀、何時の頃に造られたものなのかは判りません。
後述の「信長塀」と構造は同じですが、表面に漆喰を塗っていますね。
殆ど剥落していますが。

築地塀の構造が判る断面です。
肉厚な築地塀ですが、真ん中が割れています。
左側が坂の下へ崩れていってしまうのではないかと心配です。

裏側(八幡宮側)を見ると、何時おこなわれたか不明ですが雑な修復がなされたのが判ります。
漆喰が僅かに遺っていますね。
悪戯書き(彫り)があるのは許し難いですね。
文化財は大切にしなければなりません。

 

神馬舎の前に立っています。
ここから、今回の参拝はスタートします。

因みに、この神馬舎は1958(昭和34)年12月に新築されたものだそうです。
以前、境内で神馬(白馬)が牽かれている様を見たことがあります。
その神馬は5代目「彌櫻号」だった様です。
この5代目「彌櫻号」は2004(平成16)年8月に亡くなってしまい、それ以降、石清水八幡宮に神馬は不在となっているとのこと。
馬の飼育にはかなりの手間暇が必要ですからね、致し方ございませぬ。

 

これが「三の鳥居」だそうです。

もとは1400(応永7)年に建てられた木造だったといいます。

傷みの具合により度々造替がなされ、徳川家光の治世である1645(寛永21)年に石造とされたのだそうです。
その石造の鳥居も、1774(安永2/安永3?)年に台風で倒壊してしまい、一時期仮の木造鳥居が建てられましたが、徳川家綱の治世の1778(安永7)年に石造鳥居が再建されたといいます。

 

参道を振り返って見ています。
三の鳥居の向こう側が神馬舎です。
参道に自然石「一ッ石」が埋め込まれています。
曽ては競馬の始点として、または願掛けの折り返し目印としての役割を果たしていたそうです。

 

また、本殿に向かって歩みを進めていきます。
両側に石灯籠が並んでいます。
設置された時代に違いがある様で、形状はそれぞれ個性的です。

右手側には社務所がありますが、通過です。

 

石清水八幡宮の手水舎です。
綺麗に塗り直されていますね。

竹を切った形状の手水になっています。
コロナ禍が開けたということもありますが、柄杓を要しないものという配慮なのでしょう。

 

「南総門」の姿が見えるはずだったのですが・・・工事中っ。
「平成・令和の大修造事業」だそうです。
「南総門」は1634(寛永11)年、徳川家光の治世に築造されたもので、重要文化財となっています。
だいぶ傷みが顕著になっているということで2022(令和4)年11月~2024(令和6)年3月までの工期予定で修理がなされているそうです。
一般の方々ですと「何で修理中?・・・」と落胆されるのでしょうが、修理中の状態を目の当たりにすることはレアなので、嬉しいことと受容します。
まぁ、〝また来るから〟という前提での認識なので、多くの方々の理解・共感は得られないでしょうがね。

まるで秘密基地から本殿に向かっているかの様で、楽しいのです。

石清水八幡宮は、参道と本殿が一直線で繋がっている訳ではありませんのでね。
本殿正面に合わせて取ろうと考えたのですが、壁に妨げられてしまいました。
残念・・・。

 

工事用の足場・覆いを通過し、視界がすっきりと開けました。
愈々、武神「石清水八幡宮」に参拝しますよ。

 

因みに工事中の「南総門」、本殿側から見た様子です。

「南総門」周辺が傷んでいることは、誰の目にも明らかです。
無事に修理が完了することを祈念しましょう。

 

 

また振り返り、本殿に向かって歩みを進めます。
雲はありますが心地好き晴天で、青空と本殿の朱色の対比が映えています。
初詣仕様として足下が坂になっており、2本の大矢が立てられています。

この社殿、南総門と同様に1634(寛永11)年、徳川家光によって建てられたものです。
それ以降、何度も修理がなされています。
現在の鮮やかな姿は「平成の大修理」によるもので、2009(平成21)年4月に竣工したものです。

参拝客の流れが途切れたところを狙い、正面からの様子を撮りました。
唐門・楼門の反りに大矢の力強い直線が美しいですね。
流石、武神の社です。

14時をまわったあたりだったと記憶しています。
参拝客はまぁまぁ、おいででしたが、タイミングさえ逃さなければ無人の状態を撮ることができました。

視点を変え、大矢の迫力を強調してみました。

ちょいと坂を下りて立体感を意識してみました。

更に離れて、本殿とその周囲の様子を撮ってみました。
坂状の足場は初詣用の風物詩です。
ここ最近の石清水八幡宮参拝は年末ですので、近い内に通常の石清水八幡宮を参拝したい所存です。

 

正面で撮影しました。
大矢、迫力があります。
この画像でも充分「破魔」の効果が有りそうです。

 

売店(授与所)に向かう際、振り返って撮りました。
石清水八幡宮の社殿は、どの角度から見ても麗しいのです。

 

売店(授与所)で朱印等を頂戴し、本殿をぐるりとまわってみます。
天照大神の恵み(陽射し)が少々弱うございました。

 

本殿、向かって右手側からまわりこんでいます。

 

「御本殿昇殿口」ですが、初詣のシーズンは「御祈禱昇殿口」となります。
祈禱・・・、当面は予定しておりませぬ。

 

振り返ると「信長塀」の表示があります。
織田信長が1580(天承8)年に寄進した築地塀です。

 

 

 

織田信長は前年に安土城を完成させており、天下布武の事業も好転した時期です。
「平信長」ですから、清和源氏の氏神「石清水八幡宮」への後世に伝わる寄進は、単なる寺社保護策ではないでしょう。

最近ハマっているパノラマ写真(笑)。
本殿右側の「信長塀」のほぼ全体像です。

 

「信長塀」に背を向け、本殿を見ています。

 

 

角っこを無くした「鬼門封じ」。

 

 

逆光により深刻な暗さになってしまいましたが、本殿後ろ側の様子です。
せっかくパノラマ写真で楽しもうとしたのですが、天照大神の悪戯ですね。

通常撮影の画像で、石清水八幡宮本殿の真後ろの様子です。
次回は陽射しがある時間帯で、パノラマ写真を撮ります。

 

こちら「北総門」です。
社殿などと同じ時期、徳川家光による建造と考えられています。

 

「信長塀」の内側、北西の角っこに校倉造の高床倉庫があります。
もとは経蔵があったというのですが、どの時代・時期にこの校倉に改められたのかは判っていません。
文書や絵画史料によると、江戸時代中期あたりから存在が確認できるそうです。

 

本殿の北西隅です。
石の基壇だけでなく、本殿を支える土台があります。
何時の時代のものなのでしょうかね?

 

本殿・西側の様子です。

 

本殿・西側の中央部にも出入口があります。
関係者用ですかね?
表示がありませんので判りませぬ。

 

この出入口の右手側に、石灯籠三基が並んでいます。
出入口に近い方から段々灯籠の背が低くなっているのですよ。
時間があったら調べてみますね。

 

本殿・西側の「信長塀」です。
しまった、パノラマ写真を撮ることを失念していました。
次回の参拝時の課題ができました。

 

本殿の角っこの対面、これが京都府指定天然記念物に指定されている樟の巨木です。
1334(建武元)年、楠木正成が石清水八幡宮の参拝し、戦勝祈願で奉納したものと伝わります。

 

本殿まわりを一周しましたのでね、今一度正面からパシャリ。

売店(授与所)で現物を目にしていた筈なのですが、素通りしていました。
 「八幡御神弓」   初穂料7,000円
 「特別厄除御神矢」 初穂料5,000円
 「専用御弓矢置台」 初穂料2,000円
です。
これを逃したとは痛恨の極みでした。

・・・ということで、次回は初詣シーズンではない時期にでも参拝しようと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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