大和国中宮寺(奈良県)

「中宮寺」は穴穂部間人皇后の没後、その宮を聖徳太子(厩戸皇子)が寺院に改築したものです。
創建時は現在の中宮寺から東の方向へ約500m離れたところに位置しており、その跡地は現在「史跡中宮寺跡歴史公園」として塔・金堂の基壇などが復元・整備されています。
「史跡中宮寺跡歴史公園」についてはまた別の機会に。
今回は、現在の中宮寺についてお話ししていきます。
現在の場所に中宮寺が移ったのは江戸時代初期のことといいます。

法隆寺東院の門を潜り、夢殿に向かって左手側に進みます。
鐘楼が角っこにありますが、そこを右折すると中宮寺の門前になります。

法隆寺東院伝法堂の裏側、中宮寺門前の広場です。
左手側に見えるのは「法隆寺北室院本堂」だそうです。
屋根が傷んでいるのは痛ましいですね。

 

こちら、中宮寺の山門です。
潜り抜けることはできません。

法興山「中宮寺」
 〒636-0111
 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
 電話 0745-75-2106

山門、向かって左手側に

受付口があります。
ここで拝観手続をして境内に立ち入ります。
受付を通過すると、その後方(画像では左手側)に慎ましい規模の売店がございます。
中宮寺グッズがいろいろと陳列されていますのでね、是非いろいろとお買い求めくださいな。

 

売店は、最後に立ち寄ることとして本堂に向かいます。

 

この本堂、見るからに新しい造りです。
1968(昭和43)年、近代数寄屋造の達人・故吉田五十八(よしだいそや)氏によって建立された和風建造物です。
2020(令和2)年11月から2021(令和3)年3月まで修復がおこなわれたそうです。
この修復期間に参詣はしておりませんでした、残念。

 

銅葺屋根が、緑青をふいています。
本堂の周囲を苑池で囲っているのは、平安時代の寝殿造をイメイージしているのだそうです。
池に根を下ろすかの如き柱が大屋根を支える鉄筋コンクリートの耐震・耐火構造の建物です。
創建時のものとは全くの別物ですが、どうしても〝飛鳥の中宮寺〟という固定観念がありますので、近代的な構造には違和感を覚えてしまいます。

 

正面からの撮影はNGということで、斜めから撮っています。
正面からだと本尊・如意輪観世音菩薩像(半跏思惟像)のお姿が必然的に入ってしまいますのでね。

 

因みに苑池には消火装置が備わっているそうですよ。

 

 

履き物を脱いで昇殿、正面ではなく脇によけて撮っています。
引戸形式のシンプルな構造なのですね。
でも、頑丈な鉄の扉です。

 

縁もがっちり・しっかりしています。
残念ながら本堂をぐるりと一周することは罷り成りませんでした。

 

でも、

先程まで居た法隆寺東院・夢殿(屋根中心ですが)が見えまする。
手前の築地塀の向こう側に、法隆寺東院の回廊があるんだぁ・・・と妄想して楽しむことができました。

 

帰り道、築地塀を近くで観ることができました。

〝綺麗に直してしまえば良いのに〟と多くの皆様はお思いのことでしょう。
でも、このボコボコ修理の継ぎ接ぎが露わになっているところに風情を楽しむことができるのです。

現在の中宮寺、一般公開可能エリアは小規模ですのでね。
法隆寺東院(夢殿)を参詣したら、そのまま足を伸ばして中宮寺の国宝「菩薩半跏像(伝如意輪観音)」のお顔を拝するのがよろしいでしょう。
美しいですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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