河内国壺井八幡宮/壺井権現社(大阪府) その肆

前日、大阪歴史博物館で「天光丸」と初対面を果たしました。
楽しみにしながら博物館の職員の方に
 「特別展の図録、どこで販売していますか?」
と、問い合わせたところ特別展「河内源氏と壺井八幡宮」の図録は存在しないとのこと。
ネットで調べた時は2,800円という情報を見付けたのですが・・・偽情報だった様です。

まぁねっ、それは致し方無しってことでね。
大阪滞在中なのに、大阪歴史博物館が休館日ってね。
だから、この日を〝壺井の日〟にしたんですよ。
今回は公共交通機関(新幹線+地下鉄)を利用したので、壺井八幡宮への参拝は電車を使わねばなりませんでした。
いつも自家用車で訪れているので、何時もと違い〝徒歩で壺井八幡宮へ参拝〟することにしたのです。

近鉄・南大阪線の「上ノ太子駅」が最寄り駅ということでしたので、降りましたよ。

駅前に、立っておられましたよ〝聖徳太子〟(厩戸皇子)がね。
Googleマップで、ここから壺井八幡宮に徒歩で向かうには、どのルートが良いのか?思案しましたよ。

わかり易そうな道を探していたら、以前参詣した「叡福寺」の近くを通ることが判明しました。
聖徳太子(厩戸皇子)に逢えるぢゃん・・・って思ったんですよ。
でも、この日は〝壺井の日〟と決めちゃいましたからね。
この日は〝河内源氏と親睦を深める〟ことが主眼でしたからね。
ゴメンね、聖徳太子(厩戸皇子)。
また、今度ねっ!

という経緯により、壺井八幡宮に向かうこととしました。

                        (Googleマップを利用して作成)

どのルートを選択しようか?
迷いましたよね。
折角歩くんだから・・・ってことで、壺井八幡宮の裏側から向かうルートにしました。
当然、行き帰りは別ルートにしようと考えましたよ。

ビニールハウスや畑の中を突っ切っていくルートです。

                       (Googleマップを利用して作成)

間違い様の無いルートですよ。
歩こうとする人なんて居ませんよね(笑)。
Googleマップを見ながらの移動でしたが、初めて歩く道でしたので、勿論不安な気持ちでいっぱいでしたが〝普通だと歩かない〟であろう道を歩いていると〝河内源氏のみんながここら辺を行き来していたんだ〟と妄想できて、凄く楽しかったんですよ。
画像は撮っていませんがね。
次、同じことを実行したら、道の様子を撮っておきますね。

初めて通る道だから不安だっただけで、もう大丈夫。
次回歩く時は、もっと河内源氏の皆と戯れることができそうです(笑)。

歩み続けると、壺井八幡宮の横っちょに到着。

でもね、正面から参拝したいぢゃないですか。
だから、ここを素通りして鳥居の方へ向かいました。

いい天気だったのでね、心地良かったんですよ。
これで④度目の参拝になりますが、参拝の仕方を変えると新鮮な気持ちになりましたね。
この遊び、楽しかったんです。



鳥居に到着しました。

涼やかな風により、紙垂が靡いています。
歩いたことで体温が上昇していたので、気持ち良かったんですよ。

「壺井水」が見える構図で撮影しました。
何度も訪れますが、こうして工夫することで撮った画像に〝個性〟が備わりますのでね。



「史跡 壺井水」の前ですよ。

紙垂の動きから、強く風が吹いている様に見えますが、全くそんなことがないの。
これでも、頬を撫でていく様な感じなの。
「今回の参拝も、喜ばれているな」って思っちゃいました。



「史跡 壺井水」と名付けられています。

前九年合戦(1050〈永承5〉~1062〈康平5〉)の最中、旱魃に苦しんでいた源頼義が岩盤を穿って清水が湧き出たという伝説に基づきます。
戦後この清水を壺に入れ、ここに井戸を掘って埋めたのだといいます。

 

「壺井水」の額が掛けられています。
〝香炉峯〟(こうろほう)と称していた地名が「壺井」と改められたのだそうです。

 

相変わらず茶色い水がたまっています。
井戸としては機能していませんね。
〝この下〟がどうなっているのか、見たいものです。



壺井八幡宮に向かっていきますよ。

この辺りは道が狭いのでね。
先程の鳥居も、普通乗用車がギリギリ通過できるものです。
横幅の大きい車だと・・・通れないかもしれませんぞ。



それ程長くありませんが

一気に駆け上がると・・・息切れしますよ。
神社参拝は〝心の修練〟なのでね、無茶な身体の鍛練はせずともよろしいのです。

 

もとは河内源氏の館があったと言われていますのでね。
武士の館とし相応しい高台なのですよ。

 

石段を上りきる、ちょいと手前のところです。
ここら辺りで、右手側を見ると

 

切り立った様子が判ります。
この上に、巨大な神木「楠」がいるんですよ。



左手を見ると

木が、岩盤に逞しく根を張っています。
こうした一部の様子から断言は難しいかもしれませんが、武士の館を築くために頑強な地盤に注目した可能性はありますよね。



石段を上りきり、鳥居のたもとに立っています。

「八幡宮」の額が掲げられています。
石清水八幡宮から八幡神を勧請(かんじょう)した説と、誉田八幡宮から勧請した説があります。
どちらなんでしょうね?



壺井八幡宮の社殿を望んでいます。

1701(元禄14)年に再建され、1995(平成7)年に復元修理されたそうです。
この右手にね、

 

源頼信の手植え、もしくは源頼義の手植えと伝わる「楠」が居るんですよ。
河内源氏の皆のことを長い間、見続けてきたんでしょうね。



境内には人影が無く、また時間には余裕がありましたのでね。

「楠」をじっくりと堪能しましたよ。
ついつい引き寄せられるかの如く近寄っちゃいますが、頑張って距離をとって観ています。
「楠」の雄大な姿が収められていなかったので、

横向きのパノラマ画像で撮ったんですが、「楠」の迫力・・・イマイチですなぁ。
横向きが充分でなければ

 

縦向きのパノラマ画像で撮影しました。
・・・成る程ねっ!
今度、動画で撮影しますよ。



それぢゃね、「楠」に近寄っていきます。

ほらっ、凄いでしょっ?
この「楠」は本物の枚に立って、迫力を直に感じていただきたい。
大阪府の指定特別天然記念物です。
1944(昭和19)年8月23日に指定を受けたそうです。

 

まるで〝蛸の様に根を張っている〟のですが、そこに魔除けの「南天」が自生していました。
小さきことですがね、凄いことなのですよ。
「楠」全体を撮影すると霞んでしまいますが、「楠」に近付き肉眼で観察すると、こうした〝映え〟に触れることができます。



「楠」の横に立ち、〝力こぶ〟みたいな枝の広がりを観ています。

悠久の時を重ねた「楠」の力強さを象徴する視点です。

 

角度を変えて〝力こぶ〟を観ています。
この様に枝分かれして、この〝力こぶ〟の枝(というより幹)の重さを支えています。
紙垂が掛けられているのは当然のことなのです。
〝力こぶ〟に隠れちゃっていますが、天照大神が微笑みかけているのですよ。

 

「楠」の幹に注目しています。
紙垂が掛けられています。
とても太いの。
源頼信/源頼義が植えた時は、こんな状態ではなかったでしょう。
千年という時間で、この「楠」が形成されたのです。

 

近寄り過ぎていましたからね、ちょいと離れています。
ねぇ、凄いでしょ(笑)。
登れそうで登れない(笑)。
実際に登ったら、怒られますよ。

手前に賽銭箱が設置されていまうが、紙垂が風で棚引いています。
心地良き微風が、休むことなく流れていました。

何時ものことですが、当然スリスリなんてしませんよ。
そっと手を置くだけです。
今回は、何も感じませんでしたよ。
そもそも鈍感なのでね(笑)。



「楠」の横っちょ、礎石が配されているところです。

大阪歴史博物館所蔵『河内名所図会』を観ると、堂舎が描かれています。
この堂舎についての情報を見たことがあるのですが、失念してしまいました。
また、どこかで思い出すことでしょう。

 

完全に、東寺のままで礎石が遺っているのかは断言できませんがね。
それでも、ここに建造物が存在していたことが巣遅くできます。

 

はじめは「樟」の凄さに圧倒され、だんだんに「樟」との交わりが深くなり、そしてその「樟」の横に建物が存在したことに着目する様になりました。
何度も参拝しているうちに、注目する対象が広がりますのでね。
これもまた、楽しい〝遊び〟なのです。



やっと壺井八幡宮へ向かいます(笑)。

仮設テントは、常時この位置にあることが判明しました。

 

壺井八幡宮の門前です。
 誉田別尊(応神天皇)
 仲哀天皇
 神功皇后
の八幡三神を祀っています。

 

1995(平成7)年に復元修理され、現在に至っているそうです。
以前、授与所でおばちゃんから「前はね、鬱蒼とした森の中でね・・・」というお話をうかがいました。
それが、この復元修理のあたりを指しているのか?それとも、それ以前の状況のことなのかは判別できませんがね。

 

現在は、こうして扉が閉じられ鍵が掛けられています。
ネットで検索すると、扉が開いている画像を見付けることができますよ。

 

鍵は古式のものですね。
開け方が、わかりません。
いいんですよ、開ける気はありませんからね。

 

ちょっと覗いてみると、社殿前にベンチが設置されているのが見えました。
機会があれば、中に入って参拝したいものです。
監視カメラが設置されていますので、無碍に中へ入ることは罷り成りませんがね。

 

ちょいと離れたところに木製ベンチがありましたので、履き物を脱ぎ上がって撮りました。
こぢんまりとした社殿ですが、調っていますよね。

 

もっと寄って、社殿の様子を観察しています。
次は、もっと頑張ってみますね。
まぁ、この日も暖かくて良かったですよ。

 

反対側からも社殿の様子を観ています。
壺井八幡宮の周り、グルッと回ることができますからね。



直ぐ隣なのですが、改めて壺井権現社の鳥居前から参拝します。

左の茶色い板張りの建物が授与所です。
正面が、壺井権現社です。
祭神は
 源頼信
 源頼義
 源義家
の3名です。

 

壺井権現社は、壺井八幡宮の境内摂社です。
山城国の六孫王神社(源経基を祀る)
摂津国の多田神社(源満仲・源頼光を祀る)
と共に〝源氏三神社〟として数えられています。

 

1109(天仁2)年、源義時(義家5or6男)が夢告を受けて創建したといいます。
源義時は陸奥五郎/陸奥六郎または石川冠者と呼ばれたそうです。
河内源氏は源義家のあと、内紛によって弱体化していました。
その中で源義時は、父・義家から河内国石川荘を受け継ぎました。
つまり、源義時の系統が壺井八幡宮・壺井権現社・通法寺・源氏三代(頼信・頼義・義家)の墓を守ったのです。

 

阿吽の狛犬です。
あまりね、覇気が・・・。

 

壺井権現社・拝殿の前に立っています。
葵の紋が並んでいるのは、徳川綱吉の支援によって再建されたことを意味しています。

 

金色の「正一位 壺井権現」の額が掲げられています。
1700(元禄13)年、朝廷(東山天皇)から神位が下賜されたことを受け、1701(元禄14)年の再建に繋がっていきました。

 

2025(令和7)年末の参拝時は「巳年」の絵馬でしたが、今回の参拝では「午年」に変わっていました。
やはり〝ウマくいく〟ってことですね(笑)。



前回は失念していたのでね、

壺井権現社の本殿前に回りましたよ。
狭いのですがね、通路があります。

 

壺井権現社の本殿も、鮮やかな朱色に彩られていました。

 

政治的な意図があるにせよ、徳川綱吉による山城国・大和国・河内国を中心とする社寺再建の施策は、こうして保護を受けた社寺が現在に受け継がれるという素晴らしい文化財保護政策となりました。
河越御所は、徳川綱吉のことをあまり好意的に見ていませんがね。



壺井権現社・本殿前に立ちました。
「壺井宮廟」の額が掲げられています。

この「壺井宮廟」を揮毫したのは、現時点では判りませんでした。
ネット検索しても、ハッキリとしないのでね。
今後、調べてみますよ。



覗いて見ると

こんな感じでした。
この画像では社殿の様子が、明確ではありませんね。

「あ~ぁ、見えん」と思い、体勢を変えたらね

壺井権現社の拝殿を、裏側から観ることになりました。
偶然ですよ。
皆様、お気付きになりました?

 

建物に、部分的ではありますが鮮やかな装飾が施されていました。
これは、今まで気付かなかった。


そこぢゃ、ありませんてっ。
拝殿に祀られているのが、巨大な「内行花文鏡」(連弧文鏡)でしたよ。
中国・漢王朝の銅鏡ですが、日本列島では弥生時代後期から古墳時代前期の古墳から副葬品として出土します。
大型の内行花文鏡は、中国大陸での出土例は確認されていませんので日本列島内における仿製鏡と判断されています。

まさか、河内国壺井で大型の内行花文鏡(弥生~古墳時代の製作ではない)と出逢えるとはね。
これが、後日の気付きへと連動していくとは、この時夢にも思いませなんだ・・・。



さて、授与所でおばちゃんに挨拶して、朱印をいただこうと思いました。
さらに壺井八幡宮の〝天光丸をイメージ〟した「刀守」もいただこうと思いました。
前日に本物「天光丸」と初対面していましたからね。

そしたら授与所は、閉まっていました。
直ぐ側に「社務所」があるので呼び鈴を鳴らしましたが・・・反応はありませんでした。
おばちゃん、不在か・・・。



手水舎では、風鈴が鳴っていました。

順序が違ってしまいましたがね。

 

正面から観ると、ぶちゃ・・・ですが、

 

斜め横から観察すると、向こう側から身を乗り出している勇ましい龍なの。



結局ね、おばちゃんが居なかったから挨拶もできず、朱印もいただけず。
折角ね、2025(令和7)年末に特別展「河内源氏と壺井八幡宮」を教えてもらい、拝観してきたことのお礼を伝えたかったのにぃ。

まぁ、いいんですよ。
また春に参拝するのでね。
徒歩ではないと思いますが、確実に窺いますよ。

壺井権現社/壺井八幡宮を望み、今回の参拝はおしまいです。

こうしてね、彼方此方を堪能した参拝ですが、およそ2時間超ぐらいかかりましたよ。
楽しかったから良いのです。
因みに、この参拝中は境内で人と合うことはありませんでした。
ほぼ独占といって良いでしょうね。
有り難いことでした。



最後に、授与所から「楠」までを横向きパノラマ写真で撮影しました。

ちょっと不自然(気持ち悪い:笑)な画像となってしまいましたが、雰囲気を味わっていただければ幸いに存じますよ。



そして

壺井八幡宮と「楠」が収まるように、横向きパノラマ写真を撮りました。
あ~ぁ、楽しかった。



こっから歩いてね「通法寺跡」へと向かったのですよ。
未だ帰りません(笑)。

因みに、この写真は〝目印として〟撮ったものです。
「通法寺跡」と「源氏三代の墓」(実際は二代)に寄ってから、ここまで戻ってきました。
ここまで来たら、もう一度授与所を訪れよっかなって思いましたが、おばちゃんが不在だったというのも何かしらの意味があるのだろうと解釈し「上ノ太子駅」へと向かいました。

                         (Googleマップを利用して作成)

人びとが生活している住宅が建ち並んでいるので、山の中を突っ切るという不安な道ではありませんでしたよ。
指さしマークの所が、国道165号線/飛鳥第一高架橋沿いの道から曲がるポイントです。
 「上ノ太子駅」から坪井清足八幡宮へ向かう場合:左折
 坪井清足八幡宮から「上ノ太子駅」へ向かう場合:右折
ですからね。
お間違えの無い様にしてくださいな。

もし、ご不安であれば、こちらをご参照ください。

国道165号線/飛鳥第一高架橋に背を向けている視点の画像です。
Googleマップで作成した画像をご覧いただいて、時間に余裕をもって散歩を楽しんでくださいね。



国道165号線/飛鳥第一高架橋沿いの道を歩く際、「上ノ太子駅」側から横断歩道を渡って移動するとよろしいでしょう。
横断歩道は複数ありましたのでね、様子を見ながら移動してください。

はい、「上ノ太子駅」前に到着しました。

聖徳太子(厩戸皇子)の後ろに天照大神がいらっしゃいましたのでね、こうして撮影しました。
まるで天照大神が聖徳太子(厩戸皇子)の光背みたいになっていました。
〝壺井の日〟って、凄く楽しかったのですよ。
未だ半日、残っているのですがね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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