「平城宮跡歴史公園」で遊ぶと、1日では足りない。
信じていないでしょ?(笑)
普通に考えると、大和国奈良に旅行したら彼方此方巡りたくなりますからね。
「河越御所」の遠征は、その時々によって滞在期間が変わりますが、1日のうちに5~6箇所を訪れることが通常です。
でも1箇所に1時間は要しますね(内容による)。
興味・関心があれば2時間超は当たり前にござるよ。
「平城宮跡歴史公園」では、3時間超をかけたのですが足りませんでした。
その結果、大極殿に到達することができなかったのです。
ぢゃ、どんなことをして遊んでいたのか?
画像に基づきながら、思い出してみます。
但し、正確な時系列で巡ったことを再現しているものではありません。
「平城宮跡資料館」での遊びになります。
「大極門」から第一次「大極殿」に居たるまでの模型です。
「大極門」の左手側が、現在工事中の「東楼」の模型です。
ここ数年のうちには、この模型と同じ状態の復元が関係することでしょう。
今回(2025年末)は到達できませんでしたが、こうして第一次「大極殿」模型には近付いていました。
そのうち、平城宮「大極殿」に参りますよ。
観たものひとつひとつを紹介する訳ではありません。
官吏の仕事ぶりが判る展示で、木簡のリサイクル状況を再現していました。
紙が帰朝でしたから木の板(木簡)で文字情報を伝達していました。
その情報伝達が済んだら、こうして墨書された部分を削り再度情報伝達に使用します。
全て、こうして削っての再利用をした訳ではありませんが、こうした東寺の実情を知ることができる、貴重な展示ですね。
建造物に使用される木材の、「年輪」について学ぶことができる展示です。
木材の性質を学ぶコトができます。
併せて、木材の強度も考えることができますよ、
「木材の3断面」と、異なる切り口を観察する展示です。
復元「朱雀門」でも柱に大きなヒビ割れが生じていますが、柱の強度という観点では心配するには及びません、
場所を変えて、建造物の模型(1/10)を楽しみます。
中央で分割されていますね。
何なのでしょうか?
大和国唐招提寺講堂の模型だそうです。
成功に造られていますよ。
現地で現物を、ご確認くださいな。
左側は、創建当時の唐招提寺講堂の様子を再現した模型です。
唐招提寺講堂は、平城宮の東朝集殿を移築したものでした。
朝集殿とは、出勤した官吏の待機場所です。
移築された朝集殿は、内部が仕切られ、扉や壁・連子窓が付け加えられました。
屋根は入母屋造へと改められました。
朝集殿には壁や間仕切りがありませんでした。
ですから移築と大改造によって寺院の一部へと変貌したのです。
扉のところから、中を除くと
官吏と僧侶が会話をしていました。
僧侶は鑑真なのでしょうかね?
その隣、分割されている右側の模型は何ぞや?と観察すると
鎌倉時代の大修理を経た、唐招提寺講堂の様子を再現したものだそうです。
鎌倉時代の大改修は1275(建治元)年、解体修理という形でおこなわれたそうです。
元の朝集殿が切妻造の端に屋根を付け足して、切妻に寄棟を組み合わせた入母屋造となりました。
扉が開いていたので除いてみると、官吏と僧侶が立ち話をしていました。
僧侶は、流石に鑑真ではありませんね。
高欄を備えた「廻縁」(まわりえん)が追加され、寺院建築らしく変貌しています。
実際に唐招提寺では、現存する講堂を観ても、こうした大改修による変化は解りませんからね。
こうした時の流れを可視化した模型は貴重な教材となっています。
およっ、また別に模型が設置されていました。
案内板を読んでみると、平城宮東朝集殿の模型なのだそうです。
唐招提寺移築される以前、平城宮を構成する建造物の姿を再現したものです。
平城宮は、平城京が都でなくなったことにより衰退、失われてしまいました。
原位置の発掘調査や、唐招提寺の大規模解体修理などの情報を参考に造られたことでしょう。
模型内の官吏たちは、奈良の「一刀彫」によって形作られたものだそうです。
根気のいる作業だったことでしょう。
こういった感じで、出勤した官吏たちは待機していたことでしょう。
実際は、もっと官吏でごった返していたことでしょう。
視点を変えると立っている官吏、座っている官吏・・・と案外芸が細かいのです。
唐招提寺の講堂として移築された際、
屋根の形状が変更され、この様な柱だけの状態から壁・連子窓・間仕切りが施されたといいます。
大改造だったのですね。
中庭に出ると
「平城京左京一条三坊 園池SG520」
という遺跡があります。
平城京造営のために破壊された平塚2号墳の周濠の一部を利用し、葺石をリサイクルして州浜を形成し、岩石を景石としています。
国道24号線バイパス工事で発見され、平城宮跡資料館内に移されました。
同じ中庭の敷地内に
「平城京羅城門の礎石」がありました。
この礎石は1935(昭和10)年の来生橋(らいせいばし)改修工事の際、佐保川の右岸より平城京羅城門の礎石4個が発見されたそうです。
これが発見された4個のうちの1個です。
この礎石が、平城京羅城門を支えていたと考えると、想像しただけで感動モノです。
中庭という外だから、寒いから・・・と云って室内だけに気を取られていると、こうした素敵な出逢いを逃してしまいます。
施設の案内図を参考に、隅々まで楽しみ尽くす心意気で遊びましょうね。
ジオラマによる展示も、非常に興味深いものでした。
先ずは地均しをして
地面に柱を立てていますね。
礎石も配して、大きな建造物が造られています。
建築現場の工事進行具合を、段階を区切って表現していますね。
上の方では礎石を配置したままにし、ここに太い柱を建てる前の状況を表現しています。
建物ができたら屋根に瓦を運び、手前では瓦を葺いています。
一つのジオラマで、複数の作業工程を表現する発想は素晴らしいことです。
長い時間が経過し、建造物が失われてしまい、その痕跡を探っているところです。
発掘調査の前半部分を表現していますね。
中血(柱の根元の残痕も含む)や遺物が発見されると、こうしてその回りを丁寧に彫っているのです。
発掘現場では、いきなり什器で大きな穴を掘ることはありませんからね。
発掘調査の手順を、考古学的な知識を有していない方々にも一目で伝わる様なジオラマです。
素晴らしいっ!
遺跡の状況が判明したら、場所によってはこのジオラマの様に土を運び出す機械を導入することもあります。
石積み遺構の様子を明らかにするため、土をベルトコンベアに乗せて運んでいます。
土の移動に労力を割くのは、勿体ないことですからね。
そして発掘調査が終わり、埋め戻しと遺跡保存の整備作業ができた状況を事r¥おらまで表現しています。
記念撮影をしたり、走り回ったり・・・ここに遺跡があることを後世に伝える取り組みです。
このジオラマは横幅が広く、
築地塀の外側に、柱が立っていたことを示すモニュメントを配置しています。
歴史公園という設定でしょうから、ここで人びとが安らいでいる状況を表現しています。
歴史公園とは云っても、一般の人びとが〝緊張感を以て学ばなければならない〟という場ではありません。
歴史を身近に感じてもらい、そこから興味を深めていく人材が育つきっかけになれば良いのでね。
このジオラマには〝歴史を学びたい〟と考える若者たちに夢を感じてもらう役割をしっかりと果たしているのです。
とても楽しいジオラマでしたよ。
館内には、奈良時代(天平文化期)の官吏(男女)が控えておりました。
時代からして、平均的な身長の人びとを表現していますね。
女官のお顔立ち、とても美麗ですこと。
ちょいと黒めが大き過ぎるのではないか?
目が黒いと〝悪魔〟に見えてしまいますからね。
終わってしまいましたが、アメリカの連続ドラマの記憶によります。
男性の官吏ですね。
肉付きの様子が、難易とも生々しい。
ちょいと頭髪が乱れています。
お気付きですよね、冠が曲がっています。
直したいのですが、こうした展示は「ぉ手を触れないでください」と近くに注意書きがあるものです。
次回、訪れたら係員の方にお願いして、直してもらいますね。
別の場所には、女性2名が立っておられましたよ。
お二方の前に太刀、撮らせていただきました。
墓誌なのでしょうかね?
子どもの髷(まげ)が、少々乱れておりまする。
母君、直してあげないと蔭で笑われてしまいますぞ。
黒めが大き過ぎます。
〝悪魔〟かもしれませんな。
警戒しましょう(洗)。
勝手に母君としちゃっていますが、面長の女性ですね。
目元に紅を差していますね。
うわっ!
〝武田の回し者〟かっ!?
こうして遊んでいると、あっという間に2~3時間は経過しちゃうのです。
でも、止められませんの(笑)。
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