陸奥国中尊寺(岩手県)

ちょっとしたミッションがございましてな、陸奥国平泉に詣でてきました。
これまで何度か訪れていますが、今回は時間制限がありましたので、ザックリとした参詣となってしまいました。

通常ですとはじめから参道を進んで行くのですが、裏道を通って「金剛院前 坂の上駐車場」に車を停め、本堂の横っちょに出ることとしました。
以前は、この駐車場は無料だったのですが、時間が経過していますからね、有料になっていましたよ。
こちらの「えっ?有料ってかっ!」という心情が伝わっちゃったのでしょうか。道筋を問うと料金所のおばちゃんの態度が極めて横柄でした。まぁ、交代制であっても余りヒトの来ない部署への配置ですから、機嫌が斜めだったのでしょう。同行者と「態度悪り~なっ」と喋っていました。こちら側の修行が足りませんな(笑)。

 

金色堂を基準にすると、本堂前をちょいと過ぎたところに出ました。
平日でしたが、右手の土産物屋が閉まっていました。残念。
左手が中尊寺本堂のある場所にございます。

画像では雲が見えておりますが、眩しいぐらいの晴天にございましたよ。
ちょいと早めに春が到来してくれた感じ。

 

こちら、中尊寺本坊表門にございます。

 

〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
中尊寺
TEL:0191-46-2211

 

表門を潜る前に、パシャリと門の様子を撮ったところ、

まるで出迎えてくれるかの如く、一匹の猫がこちらに向かってきました。左の柱の下に写っていました。何も言わず(鳴くこともなく)、まるで飼い主にするかの様に同行者の足元に擦り寄って座り込んでいました。
いつもはこうした畜生の行動について無反応なのですが、この時は特別でした。
頭を撫で、顎下をクリクリとしてやりましたが、抵抗するでもなく、嫌がる訳でもなく自然な状態でした。とてもホッコリとした気持ちになりましたよ。

 

猫はさて置き、表門の梁(はり)が自然木の姿を残したままで立派。
見惚れてしまいましたよ。

 

梁は製材されていますがね、生えていた時の面影が活かされていることに、嬉しさを感じました。

この「本坊表門」は、もとは陸奥国一関藩の伊達宗勝(1621~1679)の邸宅の門だったそうで、岩手県指定有形文化財に指定されています。
伊達宗勝は政宗の10男で、江戸幕府首脳との政治的連繋も強く、1660(万治3)年には仙台藩の支藩・一関藩の大名に昇格しました。しかし1671(寛文11)年の「伊達騒動」(寛文事件とも)が発生した際、仙台藩は咎め無しとの裁定が下りましたが、伊達宗勝は改易に処されたそうです。
現在の中尊寺本堂の「本坊表門」は「伊達騒動」が起こる以前、伊達宗勝が大名に昇格する前年の1659(万治2)年に移建されたものらしいですよ。

 

「桐紋」が見えるのは、伊達政宗が豊臣秀吉から拝領したことに拠るらしいです。
普通は門を潜ったら、本堂へ進んでいくため見逃してしまうのでしょうがね。

 

表門を潜ると、本堂の前の庭木に雪吊りがなされていました。
数日前に降雪があった様ですが、だいぶ融けていました。善きことです。

 

表門の左手側には「鐘楼」がありました。
鐘を突けるか否かは判りませんでした。調べてみますね。

 

手水所(ここでは「手水鉢」)は、冬の間はあまり期待できないとのこと。
でも水が流れていた様ですよ。この時は凍っていましたがね。

 

本堂に向かいます。

建物が納まらない。
ワイド写真撮影なら、入るかな?と思いチャレンジしてみたところ、

 

不自然な画像になってしまいました。
でも、本堂全体のイメージと、晴天であったことはお判りいただけるでしょう。
本堂は、1337(延元2/建武4)年の大火災で焼失してしまい、それを1909(明治42)年に再建したものだそうです。案外、新しい本堂なのですね。

 

本堂に入って、本尊の丈六・釈迦如来坐像と対面しました。
本堂の中に入って、この本尊と向き合った記憶がありませんでした。
だって、この本尊は2013(平成25)年に造られ、開眼供養されたのだそうです。

藤原清衡が「中尊寺建立供養願文」で「丈六皆金色釋迦三尊像各一體」を安置奉ったことに始まるのだそうです。何時の時代に失われたのかは判らなかったのですが、いわゆる「中尊寺経」と呼ばれる、鳥羽天皇の治世の1117(永久5)年2月頃に発願され、1126(天治3)年に完成した装飾経の見返りに、霊鷲山で「説法印」を結んだ釈迦如来説法図が描写されていて、この釈迦如来の姿をモデルに造立されたのだそうです。

写真を撮っていなかったので、イメージ図を載せておきます。

とても大きく、煌びやかな釈迦如来でした。
我々以外は誰も居なかったので、ゆったりとした気持ちで拝観させていただきました。
とても安らぐことができましたよ。

釈迦如来の両脇には「不滅の法灯」が控えておりましたよ。
中尊寺は天台宗寺院で、1958(昭和33)年に天台宗東北大本山と位置付けられています。
ですから比叡山延暦寺からの分灯を受けているのです。
延暦寺の「不滅の法灯」は最澄によって点けられたもので、各地の天台宗寺院へ分灯されています。例えば室町時代、足利義教の弾圧に抗した僧侶たちが根本中堂で集団焼身自殺をした時、そして織田信長による比叡山焼き討ちの際に「不滅の法灯」が消えてしまいました。現在の延暦寺の「不滅の法灯」は出羽国立石寺(山形県)に分灯されていたものを移したのだと伝わっています。
分灯とはいえ、最澄が点けた炎が受け継がれていることに感動を覚えます。

このあと、売店(授与所)に立ち寄り、朱印をいただき、守りをもらいました。

本堂向かって左手側の売店(授与所)から本堂を臨んでいます。
なかなか大きな本堂なのですよ。

 

 

そして金色堂の方ヘ向かって行きます。

入口に地蔵が立っています。「不動堂」です。
1977(昭和52)年に建立された、中尊寺の祈禱堂だそうです。
この時は閉まっていましたが、本尊・不動明王は1684(天和4/貞享元)年に伊達綱村(政宗曾孫)が新調したそうです。徳川綱吉の治世のことですな。

 

祈禱を依頼する齋は、左側から入っていくという案内がありました。
この時は祈禱する案件がありませんでしたのでね、軽く手を合わせて終わりましたよ。

 

その斜め側に「峯薬師堂」がございます。小さき堂でしたがね。

 

「峯薬師堂」への参道・右手側に売店(授与所)がありまして、

おばちゃんが小さな声で営業トークをしていました。
何か思い出に残るモノがないかと、軽い気持ちで立ち寄りました。

おばちゃんと話しながら、並んでいるモノを見ていたら偶然、書き置きですが金色の紙の朱印が日にち限定でもらえるという案内が視界に入りました。おばちゃんに確認して、もらいましたよ。少々目を患っていましたのでね、立ち寄って良かったです。

 

 

今回は「金色堂」に用があったので、驀地に向かって行ったのですが、讃衡蔵の入口で拝観券を購入するように促されました。何年も訪れていないと、色々と忘れてしまいます。
金色堂の拝観券は、讃衡蔵入口で購入しましょう。
(また金色堂を訪れるであろう未来の己へのメッセージです)

讃衡蔵まで戻って、時間が無かったのですが折角なので讃衡蔵に入りました。
入口で朱印をお願いし、まぁまぁ駆足でまわりましたが、次回は落ち着いて宝物を拝観しようと思いました。

 

いよいよ「金色堂」ですよ。

手前の建物の真ん中を通って、「金色堂」へ向かっていきます。
〝天照大神の恵み〟が強く射してきました。

 

先程の建物を潜り抜ける前、柵の外側から「覆堂」を撮ったものです。
天照大神とのコラボレーションが神々しさを引き立てていますな。

 

敷地に入ってから「覆堂」を臨んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

お判りいただけたでしょうか?
「覆堂」内側の電灯かなと思っていたのですが、緑色の光(球体)が〝出迎え〟てくれたのです。
勿論、「出迎え」てくれた、というのは現場ではなく、武蔵国河越に帰還してからの画像整理で気付き、その上での表現ですがね。
因みに同行者のカメラで撮った画像にも、この緑色の光(球体)が移動しているかの様に写っていたそうですよ。
不思議なことですね・・・と言いながら、もう不思議なことに驚かなくなってしまいましたがね(笑)。

 

7~8年ぶりくらいの「金色堂」でした。
写真撮影は禁止されているので、イメージを載せておきました。

 中央が初代・藤原清衡
 向かって左側が二代・藤原基衡
 向かって右側が三代・藤原秀衡
のご遺体が納められている、奥州藤原氏の廟堂です。

 

正面から、左横から「金色堂」を愛でました。
「覆堂」の入口から直進すると奥に寺務所があり、そこで「金色堂」の朱印をいただきました。
ここで朱印帳を購入すると最初に見開きの朱印をいただけるのだそうです。
何れ、タイミングを合わせて中尊寺金色堂での朱印帳購入を狙っていきますね。

 

今回は、時間制限があった参詣でした。
それでも可能な限り塔頭へは立ち寄り、「金色堂」では奥州藤原氏の栄華に触れることができました。
また、中尊寺に参詣します。その時は月見坂から登っていきますよ。

 

 

 

 

 

 

 

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