大和国室生寺(奈良県) その弐

もう大和国を訪れると、未明のうちに出立し、日の出前には室生龍穴神社もしくは妙吉祥龍穴に居るということが通常になってしまいました。
車が無いと難儀なコースですが、超・早起きしたとしても充分に満喫できるのです。

今回のお話は2022(令和4)年の夏、恒例になった室生龍穴神社/妙吉祥龍穴を楽しんだあと、「室生寺に行こうかっ!」ということになった時のものです。
ですから朝9時前に室生寺へと到着しました。

「(梵字)女人高野室生山」の碑が出迎えてくれます。
紀伊国高野山はかつて女人禁制でしたからね、〝女性に開かれた高野山〟ということで古くからたくさんの女性に信仰されてきたところです。

 

室生川に架けられた、朱塗りの欄干が特徴的な太鼓橋です。
一般的な観光時間帯だと、人がいっぱい居るところですよ。

 

早い時間帯ですからね、太鼓橋には誰も居りません。

堂々と真ん中を歩んでいきます。
滑り止めが施されています。
雨・雪などの日は、慌てずにしっかりと踏みしめて進みましょう。

 

太鼓橋の上から右手側、室生川・上流の様子です。
この画像では写っていませんが、この訪問時のった約1箇月前に「三宝の杉」の1本が室生川の方へ倒れてしまったそうです。
・・・気付きませんでしたよ。

 

太鼓橋の上から左手側、室生川・下流の様子です。
この時は夏でしたからね、草木が青々としています。
これが春だと桜色に、秋だと紅色となるのですよ。
嘸や美しいことでしょうが、春秋に西国へ出向くことは、なかなか難しいのです。

 

太鼓橋の真ん中辺りから、室生寺表門を見ています。

立ち入りを阻む柵が寄せられています。
それだけ早い時間であったことを現しています。

 

室生寺「表門」」です。

 

この「表門」を潜ることはできません。

 

「表門」の左手側も観光エリアではありません。
「表門」の右手側に進むと、著名な金堂/五重塔に向かいます。

 

「表門」を左側から観ています。
〝女人高野〟とは謂いながらも重厚な造りの門です。

 

杮葺(こけらぶき)の屋根です。
杮板(こけらいた)は木目に沿って削られており、それぞれの板の間に隙間が生じて通気を促進します。
この結果、木材の耐久性を向上させるのです。
杮板の繊細な重ねにより、優雅な曲線を描いています。

 

「表門」の右手側に進むと、室生川沿いに「三宝杉」が立ち並んでいます。

 

先述の通り、この訪問の約1箇月前に3本内の1本が室生川の方へ倒れてしまったため、この様に「三宝杉」付近は竹柵で立ち入りが制限されていました。

 

突き当たりに受付があります。
早い時間でしたからね、周辺は掃除をしたりと、慌ただしい様子でした。

 

「大本山室生寺」の碑があります。
背後には「仁王門」が控えています。

 

「仁王門」を正面から。
江戸時代・元禄期に焼失、そのままになっていましたが、1965(昭和40)年11月に再建されたそうです。
2019(平成31/令和元)年に改修工事が完了しました。
丹塗の柱と白壁が綺麗になりましたね。

 

 

「仁王門」内に立っている仁王像です。
右が赤い「阿形」、左が青い「吽形」。
こちらは昭和になってからの造立だそうですよ。

 

丸瓦に見える「九目結紋」(ここのつめゆいもん)。
江戸時代・元禄期、江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん:家光側室の光子)から寄進(堂塔修繕)をうけたことに因み、桂昌院の実家・本庄氏の家紋が用いられているのだそうです。

 

2019(平成31/令和元)年に修繕されたのに、2022(令和4)年時点で案外汚れが目立ちます。

 

仁王像の裏側には、かつて使用されていたであろう鬼瓦が無造作に置かれています。

 

仁王門を潜り抜けると手水所がありまして

這い上がってきた龍の口からホースが出ています(笑)。

 

寺社によって手水の龍は個性があります。
似ている様にも見えますし、独特な姿もありますね。

 

自然石で組み合わされた「鎧坂」。
ボコボコ感がありますが、何故かしら美しいのです。

 

石組に近付いて見ます。
その先に金堂の姿が見えることもあって、〝鎧坂と金堂が一体化〟して生じる美しさなのでしょう。

 

国宝「金堂」です。
室生寺創建時の姿を現在に伝えています。
増築は為されていますがね。
当初は杮葺だったそうですが、現在は檜皮葺となっています。
自然の素材を用いていますが、屋根は経年劣化が避けられませんので定期的に葺き替えなければなりません。
何時、葺き替え工事をするのでしょうかね?

 

耐震上の観点から、金堂内に安置されていた一部の仏像たちが2020(令和2)年に新造された寶物殿に移されています。
須弥壇上、向かって右から
 国宝「十一面観音立像」
 重要文化財「文殊菩薩立像」
 国宝「釈迦如来立像」
 重要文化財「薬師如来立像」
 重要文化財「地蔵菩薩立像」
が横一列に安置されていました。
その手前に重要文化財「十二神将」が並んでいました。

現在(寶物殿新設後)、金堂に居るのは
 国宝「釈迦如来立像」
 重要文化財「薬師如来立像」
 重要文化財「文殊菩薩立像」
そして十二神将のうち、子・丑・午・申・戌・亥の6体です。

金堂内に仏像が勢揃いしていた時、金堂内に入って拝観したことがあります。
昔のことではありません、2019(平成31/令和元)年までのことですよ。
その時を基準にと比べると、金堂から発せられるパワーが弱くなった感じがします。
揃っていてナンボということもありますので。
だからって大変な事態が生じるということは無いのですがね。

 

金堂を向かって右側から観ています。
懸造(かけづくり)になっていますね。
屋根の部分をご覧いただくと張り出しているのが判りますね。
ここが縁も含めていわゆる「礼堂」と称される、江戸時代の増築部分になります。

 

この立ち位置から正面に重要文化財「弥勒堂」があります。

修圓が大和国興福寺の伝法院を移築したと伝わっています。
当初は南向きであったものを、室町時代に東向きへと改められ、さらに江戸時代に改築が為されたそうです。

 

金堂の縁から弥勒堂を見ています。
上から見ると屋根が実は肉厚であることが判ります。
文化財は、視点を変えると表情を変えてくれるので、とても奥深いのです。

 

2019(平成31/令和元)年までは、金堂横で履き物を脱ぎ、金堂内に入ることができました。
現在では履物のまま縁を廻ることができます。
ハイヒールを履いた観光客によって床板がボコボコになるのではないか?と心配したのですが、このあと別の機会に訪れた時はフェルト生地が敷かれていました。

 

江戸時代の増築部分とは謂え、文化財ですからね。
履物を脱いで立ち入る様にすべきではないのですか?室生寺関係者の方々。

 

併し乍ら、こうして縁を廻ることができることは喜ばしく、間近で建造物の様子を愛でることができます。
江戸時代の増築部分とは謂え、丹塗の様子がよく判りますね。

 

角の丸柱の様子です。
丹塗は剥がれており、部分的に苔が生していますね。
場所柄、どうしても多湿の状態ですから建造物に傷みが生じてしまいます。

 

広庭に面した金堂・正面の軒下の様子です。
こちら側は前が吹き抜けていますからね、まだ湿気が籠もらないため、それ程痛み具合は目に付きません。

 

ところが横(正面から見て右側)になりますと湿気が籠もるためでしょう。
壁面は言わずもがな、軒裏にも苔が生しています。
道内に湿気を入れぬ様にと踏ん張っているのが伝わってきます。

 

それにしても、この壁面の状態は憂うばかりです。
国宝ですから簡単に表面を削ったり、清掃業者に依頼してカビ取りなどをすることができません。
耐震面だけでなく、用材の痛み具合もあっての仏像移動なのでしょうかね。
時間・費用がかかっても解体修理などを実施し、(鎌倉時代に大修理があったとはいえ)平安初期の貴重な建造物を後世へ伝えるべきと存じます。

 

裏側にある石段を上ると

 

桂昌院(本庄光子:徳川家光側室・綱吉生母)の供養塔です。
徳川綱吉とともに桂昌院は厚い信仰のもと全国の寺社を修繕・改築しています。
伝統的な寺社を訪れた時、徳川家の三葉葵の紋を目にすることがあるでしょう。
だいたいが徳川綱吉・桂昌院親子による寄進(修繕)を受けたことの証です。

 

「金堂」から斜め上に位置しているのが国宝「灌頂堂」(本堂)です。

 

鎌倉時代後期、1308(延慶元)年の建立といいます。
檜皮葺なのですが、かなり傷んでいる様で修復の喜捨が募られています。
堂内の図示には如意輪観音漢音が納められており、河内国観心寺・播磨国神咒寺(かんのうじ)と共に〝日本三如意輪〟のひとつに数えられています。
ここでも朱印を頂戴することができます。

 

「灌頂堂」(本堂)横の石段を上がると、国宝「五重塔」が見えてきます。

 

石段で立ち止まる場所により、五重塔の表情が変わります。

 

国宝「五重塔」は800(延暦19)年に建立されたと伝えられます。
屋外の五重塔としては大和国法隆寺に次ぐ2番目の古さを誇り、屋外にある木造五重塔としては最も小さいものとして知られています。

 

柔らかな陽射しが差し込んできて神々しさが増しています。

 

確かに〝小さい〟五重塔ですが、サイズではない迫力が備わっていますよ。
何故なら・・・

 

修圓が相輪上の宝瓶に龍を封じ込めたからですよ。
湿気が凄いのは、この龍の影響ぢゃないですか?

 

緻密な木組が美しいですね。
1998(平成10)年9月22日に台風7号の影響により倒れてきた杉の木が塔の西北側を直撃して被害を受けました。
1999(平成11)~2000(平成12)年にかけて修繕工事が行われ、鮮やかな丹塗・白壁となりました。
1998年の損傷時までは、金堂と同じ様に丹塗が剥げた状態であったことがネット上の画像で判ります。
杉の木が倒れて五重塔が損傷した時の画像を見ると、龍を封じ込めた宝瓶が折れている(曲がっている)のが見えるのです。
修圓が封じ込めた龍は宝瓶の中なのでしょうか?
それとも出ちゃったのでしょうかね?

 

修復の結果、綺麗にされた五重塔ですが、こうして近付いて観察すると汚れが目に付きます。
致し方なのですがね。
よく言えば〝趣がある〟でしょうが、湿気の多い場所であるため心配です。

 

最後に、「龍」ではないのですが

金堂の横っちょで、尾っぽの青いトカゲに遭遇しました。

 

しっぽが綺麗なメタリック・ブルーだったので〝瑞祥〟と認識したのですが、この色は決して特別なものではないそうです。

 

追い詰めていった訳ではありませんよ。
追跡はしましたがね。
ほらっ、綺麗な青(碧)でしょう。

 

金堂の裏側へと進んでいき、

 

立て掛けられていた簀子の陰に入っていってしまいました。

 

この後、他の場所を訪れるスケジュールにしていましたので、「奥之院」には向かいませんでした。
このように室生を訪れると必ず龍穴神社/妙吉祥龍穴は行きますが、何回かに一度の割合で室生寺を訪れることにしているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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