持国天(空海 立体曼荼羅 真言宗開宗1200年記念 東寺監修 公認 MINIBUTSU 大サイズ)

MINIBUTSU様の増長天・大サイズに引き続き、通販サイトAmazonで3万円台(ほぼ4万円ですが)にて入手した「持国天」のお話をしましょうか。

このシリーズは、この箱に入って届きます。
右上の「東寺 国宝・○○天」の表記は共通です。

 

箱を開封すると「証明書」が出てきます。

開くと、こんな感じです。

 

一度開くと、開き癖がついてしまい元通りにピシッと閉まらなくなってしまいます。
別に、何度も開いて観ることは無いのですがね。

 

MINIBUTSU大サイズも3体目になると、ほぼ黒尽くめでずっしりとした重量感にも意識が馴染んできます。
「四天王」といえば東大寺戒壇院(戒壇堂)のイメージが強過ぎましたからね。
冷静な2体と怒る2体の組み合わせから一般的に〝静の四天王〟といわれる東大寺戒壇院の四天王に対し、東寺講堂の四天王は4体いずれも忿怒の表情から〝動の四天王〟と表されています。東寺講堂・四天王は表情のみならず、鎧の下・鎧の上に着けている布の〝動の表現〟も躍動感が満ち溢れる効果を強調しています。

東寺講堂の立体曼荼羅、四天王は須弥壇の四隅に立っていますが、
前回扱った増長天は南方を守護しており、立体曼荼羅の向かって左端前方に立っていて、顔を左方に向け、伸ばした両足で邪鬼を踏んでいます。講堂の出口に一番近いところに居ますよね。
今回扱っている持国天は東方を守護しており、立体曼荼羅の向かって右橋前方に立っていて、顔を前方に向け、右膝を曲げながらも両足で邪鬼を踏んでいます。講堂の入口を通過するとすぐ近くにいますよね。
立体曼荼羅の前方両端に立っているということで、計算された対称的スタイルだと考えられています。

 

東寺講堂の四天王、そしてMINIBUTSU大サイズの四天王ともに共通ですが、全体にくすんでいますが、彩色は比較的よく残っていて、特にMINIBUTSU大サイズの四天王はこの「くすみ」を見事に再現しています。

 

ぐるっと360度まわってもらいましょう。
立体曼荼羅の構成員として立っている時は、観ることができない方向がありますからね。

 

こうしてまわしてみると〝前傾した姿勢〟の様子が判りますね。
言う程ではありませんが、拝観すると下から見上げますので前傾の視覚的効果はデータではない迫力になります。
両手に法力を有する武器をそれぞれ持ち、両足で邪鬼を踏んでいますが、左右で足の状態を変えています。その上で着衣のたなびきで静止彫像とは思えない躍動感をたたえています。

 

 

2019(平成31/令和元)年3月26日~6月2日の会期で、上野の東京国立博物館・平成館特別展示室において特別展「国宝 東寺‐空海と仏像曼荼羅」に立体曼荼羅21体のうち15体が〝出張〟していましたね。その時に仲良く持国天・増長天がセットで来ていました。
知り合いがこの時期に東寺講堂を拝観したそうですが、留守番6体の立体曼荼羅を観た様子は「ガラーンとした状態、スッカスッカでしたよ」というものでした。
逆転の発想で、出張した15体が居なかった分〝普段は見えない〟留守番6体の姿を満喫できたのではないかと貴重な体験と考えてしまいます。
次回、立体曼荼羅のメンバーが大挙出張する機会は何時のことになるのでしょうか?その機会を気長に待って東寺講堂を訪れようと思います。
観たかったですなぁ、仏像密度の低くなった東寺講堂内(の立体曼荼羅)を。

 

表情を、少々下から見上げて観ています。
顔は、斜め下方を向いており、目を大きく見開いています。
「瞋目」(しんもく)で、見る者を威圧しています。実際は邪(よこしま)な族(やから)に向けられた威嚇なのでしょうがね。
額も眉も頬も、顔の筋肉が激しく隆起している描写から
「日本でもっとも恐ろしい四天王」
「日本の四天王で最も強い怒りを示す像」
「日本一怖い四天王像」
と表現されていますね。
その中でも、東寺講堂・四天王の増長天が最も強い忿怒の表情と言われ、持国天はその次としている見解が多い様ですが、増長天・持国天は共に同等の激しい忿怒の表情をしていると感じます。まぁ感性は人それぞれですがねぇ。

 

背景色を黒くし、表情が良く見える様にしましたよ。
顔面の筋肉隆起は木屎漆(こくそうるし)によって柔軟に整形されています。
大きく見開いた瞋目(しんもく)ですが、増長天と同様に鉱物質の別材が嵌入(がんにゅう)されており、MINIBUTSU大サイズ・持国天でもこれを黒い彩色で表現しています。
大きく口を開けていますが、その筋肉の動き(口角の上がり具合)に連動し鼻翼(びよく:小鼻のこと)も逞しく広がりをみせながら上がっていますね。
大きく開けた口からは咆哮(ほうこう)が発せられている様です。

MINIBUTSU大サイズは、東寺「監修」ですが、持国天は本物と比較して、少々面長(細面)にデフォルメされている様ですね。

 

忿怒の表情、左側から観ています。
瞋目(しんもく)と、大きく開けた口で激しい怒りの情を表現しています。
本物の造形は凹凸鮮やかですが、MINIBUTSU大サイズは少々緩やかです。本物コピーではありませんから致し方ありませんが、それでもレプリカ(仏像フィギュア)としてはとても素晴らしく仕上がっています。21体セットの一環で製作・販売された小さい四天王と比べると、その出来映えが秀でているのが実感できますよ。
天冠台のブツブツ(装飾)、頭髪のまとまり、装着した鎧と上にかけられている布が、丁寧に再現されています。

 

今度は右側から、頭部の様子を見ています。
光の当たり具合もあるでしょうが、こちらの画像の方が忿怒の様子を知るには相応ですな。
本物の画像と比較すると、ホントにバランス良い造形になっていると感じます。

 

MINIBUTSU大サイズ・増長天でも触れましたが、「四山髷」(しざんけい)とでもいうべき頭髪の結い方をしています。
今回、改めて持国天の頭頂部を観察したところ、まるで〝花が開いた〟かの様な造形になっていました。普通は見えない箇所なのに洒落っ気がありますな。
ところが天冠台(てんかんだい)から髷(まげ)までの頭髪部分は毛筋を彫るなどの施しがなされていません。本物準拠と思われますが、見えないから手を加えなかったのでしょうかね。

 

頭部後方に位置するよう配置されている火焔光背ですが、持国天は火焔の形状が3つとも異なっていますね。
光背をなしている円形は「輪宝」(りんぽう)で、東寺講堂の四天王に共通です。
独古8本が中央の円形から八方へ向けて外側の輪に伸びている、法力を有した武器で、法具・紋章にもなっています。

 

後頭部を観察しています。
幅の広い天冠台が鎖状の装飾金具・鋲形の金具で留められています。
後頭部の頭髪は、3段弧状で表現するという増長天と類似表現になっています。

 

着用している鎧の様子を観察しましょう。
異説もありますが立体曼荼羅は、空海(弘法大師)が入定(にゅうじょう)してから4年後の839(承和6)年6月15日に完成、開眼供養がなされたといいます。
平安時代前期のことですから、中国・唐王朝が威勢を誇っていた時期の影響を受けていますね。唐風の甲冑、身体の各部位を護る防具が組み合わせ重ねられ、この複雑かつ整った造形になっています。

 

胸甲(きょうこう)も重ねられ、一番外側は大きな装飾が付いています。
腹甲(ふくこう)も幾つかのパーツを合わせたり、重ねたりしています。腹甲の真ん中に、動物の頭部を象っている装飾がありますね。この箇所の装飾は四天王によって異なっているのでしょうね。4体の観察が終わったら、特別企画で扱ってみましょうか。
重ね着もしくは意図的な弛(たる)ませを見せながら、緩やかに軽やかに靡(なび)いている布の躍動が見事に表現されています。

 

左肩から前腕部にかけてを観ています。
肩当(かたあて)の下に獅噛(しかみ)があり、その下から鰭袖(ひれそで)が広がりをみせています。
どうしても比較対象が東大寺戒壇院(戒壇堂)の四天王になってしまうのですが、東大寺戒壇院・四天王の場合は獅噛そのものが肩の部分を防護している構造になっています。
東寺講堂の持国天はご覧の如く上腕部を獅噛で包み込み、その上に肩当を乗せています。防護力がパワー・アップしていることになりますな。
因みに本物だと、甲冑の凸凹がハッキリクッキリと刻まれています。残念ながらMINIBUTSU大シリーズの四天王の甲冑凹凸は本物と比較すると〝甘い〟感じ。・・・とは言っても、仏像フォギュアとしての出来映えは極めて良好なものです(伝わらないでしょうが大絶賛をしていますよ)。

 

では、持ち物について観ていきましょう。
左手には、反(そ)りが表現されている宝刀が握られています。
鍔(つば)は菱形の形状をしています。特に装飾はみられませんね。鎺(はばき)も付いていません。

 

本物は後補なのでしょうか?宝塔がサッパリ、ツルッとしています。
MINIBUTSU大サイズ・持国天の宝塔は。経年劣化を意識してか金箔の剥がれ具合をいい塩梅で再現しています。
宝塔の先端1/3のあたりに刃毀れ(はこぼれ)の様な凹みが見えますな。〝闘った証〟かもしれませんな。
また、柄頭に膨らみが有りますので、縮小化しているとはいえ、ここは頭椎大刀(かぶつちのたち)をイメージしているのかもしれません。

 

それにしても刀身の位置と角度が絶妙ですな。どこから観ても〝隙が無い〟構えです。
身体の姿勢・装備の容態を踏まえ、考え抜かれたデザインとしてこの長さと角度なのでしょう。

 

この画像で宝刀の状態を観ると身体から離さずに、右腕を挙げたが故にがら空きになってしまった右脇をカバーしています。
宝刀の切先の向きと、左前腕部から後方に靡いている袖(布)の動きで持国天の奥行きを感じさせていますね。
因みにこの左手の宝刀の形状・位置は、先に紹介した増長天と同じです。セットでデザインされたことが判るところですな。

 

ピントが火焔光背に合ってしまいました。火焔が3つとも違った形状になっています。
掲げた右手で持っている、三叉戟に注目してみましょう。
先に紹介した増長天は、地に立てた長い柄(え)の三叉戟を右手で支えていましたね。
今回の持国天は三叉戟を振り上げています。
振り上げているので三叉戟は〝短い〟ものになっています

 

短い三叉戟に視点を合わせて観ています。
いろいろと調べている過程で真言宗関連の情報では「三鈷戟」(さんこげき)という表現を用いていました。
専門家・研究者ではないので無責任に適当なことを述べますが、
 三叉戟:長い柄(え)の先端に三つ叉(みつまた)の矛(ほこ)。
 三鈷戟:短い柄(え)の先端に三鈷杵の三鈷を装着したもの。
別に定義を明確にする気も無く、区別する必要も唱えませんよ。
形状は、増長天の三叉戟も持国天の三鈷戟も同じですからね。ただ何故、長さが異なるのかが判りました。

因みに、持国天は右手に宝珠を持っているのが通常だといいます。
空海(弘法大師)は東寺講堂に立体曼荼羅を造り上げる際に宝珠を持つ持国天を、敢えて意図的に三鈷戟を持たせるという改変をしたのだそうです。
何故かって?そら高野山奥之院に行って空海さんに聞いてくださいな。

 

背景を白くして、同じく三鈷戟を観ています。
何故かって?そらカッコいいからですわ。

 

角度を変えて、右手で掲げた三鈷戟を横から観ています。
三鈷戟の角度と長さ。それに合わせているのでしょうな、右袖の後方への靡きかたで、こちらも像の奥行きを感じさせる効果を持っています。

あと前腕部を防護する籠手の形状がよく判りますね。

 

左手で宝刀を、右手で三鈷戟を持っている様子を観ています。
ガタが来ても、短くても構いません。だって「法力」を有している法具型武器ですからね。

 

角度を変えて、2つの法具型武器を構えている様子を観ています。
何故かって?そらカッコいいからですわ。

掲げた右腕、肩の部分に袖と天衣(てんね)が合わさって掛かっているかの様な造形になっています。
単純に布が掛かっていて〝見えない〟という解釈もできますが、本物の画像を観察すると「袖の布」と「天衣の布」が明らかに区別できる造形になっていることが判ります。
・・・ということは、右腕の太さから東寺講堂の持国天の右肩には、左肩にある様な獅噛(しかみ)が省略されている可能性が大です。厚みを考慮すると肩当も省略されているかもしれません。

 

では、持国天の背後の様子を観てみましょう。
増長天も同様でしたが、後方から観られることはあまり意識していない様で、簡素な造りになっています。でも簡素とはいえ、ここまでしっかりと造り込まれていれば、後ろから観られることも念頭には置いていたと考えることができます。

逞しい支柱の上部に火焔光背が装着されています。これも増長天と同様で、ちょっと持国天と光背の間に距離がありますな。

 

袖・裾・天衣と各部分の布が、風を受けてでしょうが自由に舞っています。
表情が豊かで、甲冑の造形も複雑で、静止しているものの手足の配置バランスが考え抜かれたものになっているので〝今にも動き出しそうな〟(動いているのかも)状態です。
右膝が横に開きながらも、左膝より高い位置にきています。

 

左膝を中心に観た画像です
結構、膝を挙げた状態で立っていることが判ります。

 

右側から、立てた右膝および足元までの様子です。

 

今度は左側から、右膝が挙がっている様子を観ています。
そう、首が折れ曲がる程に邪鬼の頭を踏み付けているから、右膝が挙がっているのでした。

 

両足の置き方、袖と天衣の靡き方で、颯爽とした立ち姿が表現されていますね。
前傾姿勢と言われていますが、邪鬼の踏み躙り方に起因している様です。
何時でも〝前方に突進するぞっ〟という気概も醸し出していますな。

 

足元の様子です。
鎧の下に着している裳(も)の裾(すそ)から脛当(すねあて)が覗いています。
装飾は最小限で、実用的な脛当の表現になっていますね。

 

邪鬼の顔を踏み付けることで挙がっている右足を中心に観ています。
踏まれている邪鬼、フニャ~ってなっています。観念していますね。

 

邪鬼の顔・頭を踏む両足の高低差が判る様に観ています。
前方の柔らかい裳(も)の揺らめき、後方の厚手の裳(も)の垂れ具合。
動きのある布の表現が素晴らしいですな。

 

東寺講堂の増長天と持国天、対称的に造られていることが指摘されています。
共に像と邪鬼がそれぞれ檜の一材から彫り出されているのだそうです。
邪鬼を踏み付けている姿は、懲悪(ちょうあく)の意志の現れです。

 

右足で横っ面を踏まれている邪鬼です。
筋骨隆々ですが〝為す術無し〟という状態で踏まれています。
手足が共に2本指の邪鬼です。

 

踏まれている邪鬼、なかなか厳つい身体をしています。
こんな強靱な邪鬼でも、造作なく軽く踏み躙っているのが持国天の強大な力なのです。

 

邪鬼の後方にまわって観ました。
おそらく捻った布を表現しているのでしょう、褌(ふんどし)を締めています。

 

今度は、左足に踏まれている邪鬼の様子です。
足の下に〝顔がある〟と見えてしまいます。真ん中の鼻が茶色っぽくて、下に三本の歯が・・・って、違うのですよ。

 

左足で踏まれている邪鬼の顔はこっちを向いています。
頭から額にかけてグシャっと踏み躙られていますね。三本指の太い両腕で、圧力に耐えています。

 

「グェッ」と聞こえてきそうな、歪んだ表情をしています。苦しんでいるのが判りますね。

 

後ろにまわって観ています。
胡座をかいた状態で踏まれています。こりゃ、間違い無く苦しい姿勢です。

 

 

 

 

最後に、カッコいいので上半身を正面・下から見上げた画像を。

 

 

左側から、両手に法具型武器を手にしている様子を。

 

 

最後に、右側から両手に法具型武器を手にしている様子を。

 

MINIBUTSU大サイズの四天王、3体目の観察を終えました。
東寺講堂モデルの四天王、だんだん意識の中に馴染んできましたよ。
四天王ですからね、残りあと1体になってしまいました。
次回の更新ではありませんが、ひとつのシリーズが広目天のお話で区切りを迎えます。
もう少々、お待ちくださいなっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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